第五章 私が死んだあとに
「この名前は……」宋昱軒が眉をひそめて患者リストを見ながらぶつぶつとつぶやいた。
「どうしたの?」私は椅子に倒れ込み、二本指で鼻筋を軽く押しながら休んでいた。
「彼がなんで来るのか気になっただけだよ」宋昱軒は椅子から立ち上がると、診察室のドアを開けて叫んだ。「
入ってきたのはクラシカルな装いの男性だった。宋昱軒と同じ制服に身を包んでいるので、きっと知り合いだろう。彼が無意識に宋昱軒を眺めている視線を見て、私は自分が何をするべきかがわかった。
「昱軒、ちょっと出てて」
「大丈夫ですよ、昱軒がいても問題ありません。私も別の地獄のやり方を聞けますから」
おや?面白いカウンセリングになりそうだ。それを聞いて興味が湧いてきたので、いつものようにまずは準備の姿勢をとった。「では孜澄、今日はどんな悩みですか?」
「私は舌抜き地獄で処刑人をやっております。最近、受刑亡霊から抗議を受けておりまして、『亡霊も生前は人間だったんだから、人権が必要だ』と集団で申し立てています」
……
「まだ受刑亡霊に話をさせてるんですね……」
「もともと私たちは、特に彼らの口をきけなくさせたりはしていません。そうじゃなかったら、地獄が静かすぎてしまいます。舌を抜く前には必ずちょっとした空き時間があるので、彼らにあれこれと好き勝手に話をさせてるんです」宋孜澄があまりに真剣に言うものだから、私の舌がひんやり感じた。
「では、受刑亡霊たちは何を望みますか?」
宋孜澄は、子供に煩わされた母親みたいに愚痴のこぼし場(私)に不平を言った。「彼らは私にうるさく言うんです。『刑を受けるのは仕事のようなものだから、勤務は毎日八時間のみ、加えて飲料水も用意せよ』と。彼らはまだ飽き足らずさらに要求してきて『刑を受けるのは週休二日にせよ』、『受刑亡霊があまりに苦しいときは少し優しくせよ』と、こんな感じです」
「……最近の受刑亡霊には弁護士か政治家がいるんですか?」
「実は地獄の特性で、政治家や官僚が特に多いんです」
意外でもない……舌抜き地獄は、主に口が達者な悪人が死後に帰属するところだからだ。私の知る限り、最もデタラメを言っているのはニュースやトーク番組に出ている人間だ。でも彼らが死んだあとの末路を見ると……
「悪いことをしたら痛い目に遭う」というのはこういう人たちのことだよね。
「でも……以前からずっとこの手の患者には頻繁に遭遇しているはずなので、自然と対処する方法も身に付けているはず──ゴホン!つまり、受刑亡霊のことです」くそっ、言い間違えるところだった!仕方ない、私たちは本当に、厄介な患者に対処する標準的なプロセスがあるから、何百歳の処刑人がこの方法を思いつかなかったなんてとても思えない。
「我々はまず舌の半分を切り落として、彼らがまともに話せないようにします」
私は立ち上がって拍手喝采したかった「そうです、そういう人間の末路はそうあるべきです!」けど、私も死んだら地獄に落ちるかもしれない人間だと思い至った。しかもこの前の経験からすると、冥官は融通が利かないだろうし、処刑人はちょっと怖いような気がするし……
怖いものは怖いけど、今の私は生者だ。処刑人は私を傷つけることはできないんだから、目の前のカウンセリングに集中することのほうが重要だ。
「でも……彼らはやっぱり口の達者な奴らなんですよね」宋孜澄はうなだれて、少ししょげながら言った。「簡さんはご存知ですよね?舌を抜いたあと、我々は受刑亡霊を元通りにして、それからまた舌を抜きます。我々処刑人の数が少ないので、列に並ばないとならないんです」
それは知っている。冥府とは二十年のつきあいだから、多かれ少なかれ十八層地獄がどんな風に運営されているのかは知っているのだ。前に、冥府を描いた本を借りて殿主に本当かどうか聞きに行ったら、結局彼らに笑われて終わった。
「彼らは我々を『人間性のない』モンスターだと罵るんです」
カルテを整理している宋昱軒の手の動きが止まり、診察室はあっという間に静かになった。
「その言葉は本当に傷つくよな」従来あまり口を挟まない宋昱軒がそうコメントした。
「本当ですよ……それからというもの、舌抜き地獄の処刑人たちの士気は軒並み落ちました」
冥官も生前は人間だし、彼らもただ職務に忠実だからこそ受刑亡霊に極刑を与えているのに……いや違う!生前に罪業が少なければ、死んだあとに地獄に落ちたりしない!これが自業自得でなければ何だっていうんだ?
私は深く息を吸うと、両手を握り合わせた。「孜澄さん、教えてください。あなたは冥官になってどのくらいですか?」
「八百年ですよ?」
「八百年ですか……実に長いですね。では、あなたは自分のこの仕事が人間に何をもたらすか、考えたことはありますか?」
「人間……つまり生者のことですか?」
「その通りです」孜澄だけでなく、昱軒すらも物思いに耽っていた。私は彼らにちょっとヒントを与えることにした。「医者は命を救うことができます。弁護士は正義を広めることができます。清掃スタッフは蚊の繁殖による病気の蔓延を防ぐために、環境を清潔な状態に保つことができます。処刑人が生者に何をもたらすことができるのか、考えたことはありますか?」
二人にゆっくりと考えさせた結果、最後には二人とも首を振ってわからないことを示した。
「あなたたちは生者に慰めを与えることができるんです」
私とは比較的つきあいの長い宋昱軒が先に、私が言わんとしている意味を理解した。その眼差しには少し不服そうな色が浮かんでいた。でもカウンセリングの対象は孜澄だから、孜澄が私の見解を受け入れるよう説得するだけだ。
「私たちは、善い人は天国に行き悪い人は地獄に落ちることを知っています。この悪い人たちが生前いくら巧妙に自分の犯罪行為を隠蔽しても、最終的には冥府が正義の名のもとに、彼らにふさわしい懲罰を与えることも知っています。こんな風に、かつて殺害された庶民も少しは安心することができるんです。そうですよね?」
孜澄はぼんやりとうなずき、私の見解を認める素振りを示した。最初の一歩が成功した以上、あとは楽勝だ。
「では、この悪人たちの話を聞いて、結果彼らに情けをかけたら、あなたたちを信じている生者だけでなくこの悪人たちに苦しめられている弱い人たちにも申し訳ないとは思いませんか?」
「はい……」
「だから、」私は力を込めて机を叩き、動揺していた処刑人をビックリさせた。「受刑亡霊たちに酷刑を与えて責め続けなさい!冥官に人間性がないって?極悪非道なことをやらかす自分に人間性はあるって言うの!?人権について話す前にまずは『人間』になりなさいっていうのよ!冥府が受刑亡霊に対して残酷だということを生者みんなが知ることができれば、人間界の犯罪率は低くなるかもしれないじゃない!」
そうじゃなかったら、ニュースチャンネルが毎日絶え間なく放送している政治と社会のニュースは、本当に世界に対する絶望を与えることになるよ。ニュースを見るより、アニマルプラネットを見るほうがまだマシだ。少なくとも動物はかわいいからね。
私は思いやりを込めて孜澄の肩を叩いた。「あなたたちは生者の心の拠り所なんですよ。世界の平和はあなたたちにかかっているんです」
「任せてください!」宋孜澄は机を叩いて立ち上がると、私に敬意を表して敬礼した。「私めはこれにて失礼させていただきます!」そして勢いよくドアから飛び出すと、今すぐ痛めつけに行きたくてたまらない――オホン!つまり義侠心があるということだ!
この光景を見たアシスタントはほとんどやれやれといった感じで首を振った。「このままだと、いずれ舌抜き地獄に落ちても不思議はないね」
「まぁ……私も死んだあとに楽しい日々を過ごせるとは思ってなかったから、とりあえずこれでいいでしょ!」
意外なことに、二人してしばらく沈黙に陥ってしまった。宋昱軒が真っ先にこの気まずい静寂をぶち破った。
「蒼藍が、あなたは縛霊縄が切れたあとのことを覚えてる、って言ってたけど」宋昱軒はできる限り淡々と、少しも気にしてない風を装って言ったけど、その声を聞く限りちょっと緊張しているみたいだ。
私もそうだ。なぜなら次の質問が完全に予測できたから。
「あなたは……僕たちが怖い?」
やっぱり気づいた?でもその質問にどう答えろって言うのよ?本当のことを言う?ウソをつく?かわいそうなふりをして、死んだらそんな残酷なことしないで、って要求する?
「あとで拷問されるかもしれないって思うと、やっぱりちょっと怖いかな、」怖くない奴なんかいるのかよ!けど……
「――でも同時にあんたたちもいろんなことに悩んでるんだし、そう考えるとすごくかわいいよね!ギャップ萌えが一番好きだし!」
宋昱軒は『お前の頭の中にはいったい何が詰まってるんだ?』という目で私を見ていた。おおかた私の頭に問題があるって思っているんでしょ?
ちょっと待て、私の話はまだ終わってないんだ。
「でもあんたたちはもっと辛いでしょ?受刑亡霊が私と知っていながら私を痛めつけなきゃならないなんて」私はヤツに優しく微笑んだ。その笑顔がちょっと物悲しくて……冥官のために心を痛めた。
「そのときが来たら、忘れずにまたカウンセリングに来なさいよ!」
よくよく考えたら、この泣けるハナシが実現しないようにもっと善いことをしたほうがいいし、さもなきゃ蒼藍にお願いして方法を考えてもらうのもアリかもしれない。
–
宋孜澄
初期診断:言葉でひどく傷つく優しい小さな心。
処置:クライエントの仕事が人間にもたらす利点を指摘。クライエントは明らかに自分を取り戻しており、もはや受刑亡霊の言葉に惑わされることはないと思われる。次回の再診時にその効果を評価。要観察。
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