第四章 吐血の鑑別診断

 二日目の朝スマホを見て、早朝頃に中部の山岳エリアで震度五の地震が発生したことを知った。今のところ死傷者はなしとの報道だけど、山岳エリアにある廃小学校が地震による山崩れで埋もれたらしい。地震の影響で中部山岳エリアの電力供給もストップしてしまったので、地元政府は人員を派遣して復旧作業にあたっている。


 ……


 ……これって私が間接的に起こしたわけじゃないよね?蒼藍は昨日私に外出しないよう言ったけど、私が外出したのもただ通り二つ向こうの台湾からあげの屋台に夜食を買いに行っただけで、まったくもって百キロ離れた山奥に行ったわけじゃない。それともヤツは本当に、私がバイクに乗って夜遊びしたあと突然中央山脈に現れると思ったのだろうか?


 実を言うと、私は蒼藍がどれだけ凄いのかよくわかってなくて、ヤツがどの程度できるのかも全然知らないんだよね……でも震度五の地震に加えて山崩れ、あと停電もそうかも……これ全部蒼藍がやったっていうの?


 ヤツはまだ十六歳で、お酒すら飲めないデブオタク高校生だよ!十六歳でこんなことができるなら、内境は世界を滅ぼすことができる魔法使いの集まりなんじゃないのか!?


 私は蒼藍のカウンセリング記録のノートを取り出すと、昨日のカウンセリング記録のあとに次回の再診の注意事項を付け加えた。


 少なくとも昨日のカウンセリングをどう解釈したのかは聞いてみよう……もし蒼藍が何の理由もなく山を破壊したのなら、絶対に耳を引っ張って罰を与えてやる!


「佳芬、昨日の地震気づいた?」


「いえまったく……爆睡してました」私は自分の中の罪悪感に気づいた……蒼藍の仕業であろうがなかろうが、どうして私が罪悪感を覚えなければならないんだ!


 今日救急外来に来る患者は比較的少ないので、私は小魚とナースステーションで雑談ができる。これはたぶん、私が救急看護師になってからの三年間で初めてのことだ。


「私たちはもともとあの村に災難演習に行かなきゃならなかったけど、どうやら無理そうね……ボスはこの機に乗じて海に変更したいみたいよ。毎年山に行くのもつまらないものね!」小魚が言う『ボス』とは、まさに私たち救急科の部長のことを指している。このときもパソコンの前に座り、地図を開いて演習地点を物色していた。


「そうだよ、私は何十回と山に行ったから、海を見に行くのも悪くはないね!東部が私たちの管轄に属してないのは残念だが、そうじゃなければ東部の海が一番綺麗なんだよ」


「島は?」


「テントを船に乗せるのは面倒だろう?」ボスはぶすっとして言った。「しかもほかの病院と場所を調整する必要があるから、ウチのような小さな病院が決められることじゃないだろう?」


「彼らに甘えればいいじゃないですか!」小魚のこういった建設性のかけらもない提案は当然、ボスの白い目を招くことになる。「いいかね、私にだってプライドがあるんだよ?」


「はい、プライドのあるボス、患者が来ました」カルテのボードが私たちの眼前に立ちはだかり、今がまだ仕事の時間であることを思い出させた。トリアージエリアの先輩は言った。「十六歳の男性です。授業の途中で突然吐血して昏倒したそうです。今は目を覚まして──幸いにも目を覚ましてます。そうでなかったら、彼をベッドに寝かせるのに六人は必要でしたよ?」


「あら、ウェイターリースーの制服じゃない!貴族学校のお坊ちゃまが来たわ!」


「ふざけるんじゃないぞ。もう冗談を言うのはやめなさい」ボスは小さな声で言った。患者が来たら私たちは一定の体裁を保たなくちゃならないのだ。私はトリアージの辺りでベッドに横たわっている患者を見て……


 ウェイターリースーの制服だけじゃない……あの体型は……


 私が患者の前に来ると、そもそもじっとしている気はなかったようで、私を見るなりヤツは逃げ出したそうな顔をした。


「あんたここに来て何やってるのよ?」私は遠慮なく言った。こんなひどい口調だったので同僚の注意を引いた。小魚は私をそっと肘でつついて、注意を促した。


 あんた自分で自分を治療できるんじゃないのか!病院に来て何するのよ?吐血して昏倒なんて、何があったんだ!


「アハハハそうそう、用はありませんので医療資源を無駄にすることはないですよ……受付のキャンセルできますか?」


「彼は教室でものすごい量の血を吐いたばかりですよ!私はそれを見て死ぬほどビックリしました……」そう話しているこの人は蒼藍の先生だろう。その血はよほどすごかったらしく、ウェイターリースーの先生はすでに「厳粛」という二文字さえ驚きで吹っ飛んでしまっている。


「あなたは彼の……」


「担任です。ジャオと言います」趙先生は私たちが記録できるように教師の名札を指さした。「すでに彼のご両親には連絡をとったんですが、比較的遠方に住んでいらっしゃるので来るのに少し時間がかかるかもしれないそうです──」


「何だって?親に連絡したんですか!?連絡しないよう言ったじゃないですか──」


 私は周りの目を無視して口出しした。「あんたはまだ未成年なんだから、いろんなことに対して両親の決定が必要なんだよ。それに治療費もあるし……とりあえず立て替えてとか言わないでよね!」


「佳芬姐さん、長い付き合いじゃないか……」


「佳芬、彼を知ってるの?」小魚が声をひそめて聞いてきた。私は仕方なく答えた。「不幸なことに、知ってます」


「気難しそうな子みたいだねえ……」


「その通り気難しいですよ」このあとの同僚の気持ちと心臓を考えて、私はまず小魚に予防線を張った。「あまり言うことをきかないと思うので、困ったときは呼んでください。お力になれるかと」


 ボスはすでに趙先生への質問が一通り終わり、ベッドにいる男の方を向いた。「君、名前は?」


「魏蒼藍……いや!俺の体は本当になんでもないんです。だから──佳芬姐さん拳をあげてどうしようってのさ、ここは病院なんだよぉー!」


「私は今制服を着ているからあんたを殴れないけど、大人しくしなかったら退院するときまとめて食らわせるからね!」


 病院に入るだけじゃ飽き足らず、ウチの医療スタッフにまで面倒をかけようっていうのか!


「佳芬!」小魚が私を押しのけた。「あなた今日はどうしたのよ!彼はウェイターリースーのお坊ちゃんなの。怒らせると面倒なことになるわよ……彼の先生だってそばで見てるんだし……」


 ボスはまた聞いた。「君は今日どうして病院に来たんだね?」


 私の警告が本当に効を奏したかもしれない。蒼藍はもう反抗せずに、礼儀正しく従順にボスの問診に答えた。「はい、授業の途中で突然血を吐いて、吐き終わったら気を失いました」


「それは喀血?それとも吐血?」


「吐血だと思いますよ?あまり咳のような感じではなかったですし……」


 趙先生は息を呑んでこの光景を見ながら、私を引っ張って言った。「あの、連絡先を教えていただけないですか?蒼藍は少ししつけの難しい子なので……」


 あんた普段いったいどんな問題児なんだよ!


 蒼藍が明らかに私の言うことをよく聞くからか、育玟後輩の頼みで担当ベッドを交換し、私が蒼藍の世話をすることになった。救急外来に来た際に測った体温、血圧、脈拍全部が正常でなかったから、私はボスの命を受けて測り直さざるを得なかった。


 私はヤツに血圧計のベルトを巻き付けて、『測量』のボタンを押した。


「正常値はどのくらい?」


「百二、八十以下、九十、六十以上」私は反射的に答えた。結果血圧計はいつものようにゆっくり上がって下がるのではなく、そのまま『110/70』の数字まで跳ね上がった。


 ……


「どうせどう測ったって正常にはならないよ!」


 私は声を低く抑え、たっぷり警告の意味合いを込めて言った。「じゃなかったらあんたの正常値を記録させなさいよ、以後参考にするから」


「今後二度と病院に来ることはないから安心して。今回はまったくの突発事故!」


「一度あることは二度あるんだよ。今すぐ測らせるの?測らせないの?」耳式体温計を持つ私のポーズと横暴さのレベルは、拳銃を持っているのと大差なかった。蒼藍は私に勝てないことがわかっているからジタバタするのも諦め、両手を頭の後ろに回して枕にすると言った。「今日はいつもの体の状態じゃないんだ。今度姐さんの家に行ったときに教えるよ」


「だから本当に内臓器官に問題あるんだよね」


 デブオタクが体を傾けたので、私はベッドをつかんでひっくり返らないようにしなければならなかった。


「呪いは防いだから、死んだりしないよ」


「蒼藍──」


「佳芬姐さん、俺にしかできないことがあるんだ」蒼藍は周囲に防音結界を張っているに違いない。さもなきゃあんな風に安心して話すこともないだろう。「もしすごい伝染病にかかっている病人がいて、触れたら間違いなく感染するとしよう。姐さんは助ける?」


「助ける。でも私は私自身を守るよ」防護服とN95マスクの着脱訓練は伊達じゃないだろう?


「だから俺は自分を守ったんだよ。生きて戻ってきたろう?」


 蒼藍がいきなり話を悲壮にしちゃうから、どう話を続けていいんだかわからなくなっちゃったよ。だからこんな風になっちゃった……


「……今から食事は禁止、あとで胃カメラを撮らなきゃならないからね。この容器は検便検査をするための──」


「佳芬姐さん!」


「あんたにしかできないことがあるけど、私にしかできないこともあるんだよ、あんたの体のケアとかね。今はあんたが横たわってるから、私はベッドがひっくり返らないか心配だよ」


 私が口うるさ過ぎるのだろう。蒼藍は話をしなくなり、スマホをいじり始めた。でも聞かなくちゃならないことを聞かねばなるまい。


「入院したことはあるの?」


「ない」


「手術したことは?」


「ない」


 ……


 あまりに協力的過ぎるので、蒼藍が動画に夢中になっている隙に耳を少し捻ってやった──


「イタタタ……何すんの!」


「あんたが病院に分身を置いて私に世話させてないか確認だよ!」私も似たような経験がないわけでもなかった。説教が長過ぎるときは、目の前に立っている人が本人なのか何かの式神もしくは分身でないかを確認するために、痛みによる反応でテストする必要があるのだ。


「佳芬姐さんを騙し通せないことはわかってるから、最初から逃げようなんて思ってないよ」


「それならよし」私はついででヤツにシーツをかけ、カーテンを開ける前に一言釘を刺すことを忘れなかった。「何かあったら呼んで。勝手に病院を離れるのはダメ、ベッドを離れるときも私に言うこと」


「わかってるよ……もう。佳芬姐さん、マジで口うるさいんだから!」


「もし患者がやさしく一回言うだけで言うこと聞くなら、こんな風に口うるさく言う必要ある?」やるべきことはやり終わったから、私はカーテンを開けると再度ナースカートを引いて離れた──


「えっ!」


 私は悲鳴をあげないように歯をギュッと食いしばった……後ろで『プッ』という笑い声が聞こえたということからすると、ヤツは故意にやったんだろう。


 ……あろうことか結界を解かずに私をぶつからせたのだ。これって仕返しでしょ!幼稚なヤツめ!


 しばらくすると、患者がものすごい勢いで緊急救命室になだれ込んできた。私も長年の旧友として蒼藍にのんびり付き添っている余裕はなかった。


「すいません、あなたは蒼藍の担当看護師さんですか?」


「はい、失礼ですがあなたは……」袋に入っている薬の調合中に顔を上げると、目に入ったのは普通の夫婦だった。あまりに普通過ぎて、しばらくこの二人が蒼藍のご両親だとは気づかなかった。


「蒼藍のお父さんお母さんですか?」私が少しためらいがちに聞くと、その夫婦は全力でうなずいた。「はい、はい!ウチの蒼藍を世話してくださって、本当にありがとうございます……病院から電話をもらったときは、死ぬほど驚きましたよ」


 果たしてこれは演技なのかそれとも……蒼藍のほうを見やると、両親の背後で猛烈に首を振っていた。


 つまり、あんたのご両親は自分たちが法力の優れた道士を産んだのを知らないってこと?じゃあ蒼藍あんたのあの法術はどこで学んだのよ?自分で覚えたの?


 蒼藍はやっぱり謎だ。


「これ、」魏ママはビニール袋を持ち上げ、中からドライフルーツを一袋取り出した。「ウチで作ったものです。蒼藍が口酸っぱく、医療スタッフの方にパイナップルを送ってはいけないと言っていましたので……ドライマンゴーなら大丈夫ですよね?」


「そんなに気を遣わないでください!」病室とは異なり、救急看護師が患者もしくはその家族から食べ物をもらう頻度は割と少ない。でも遠慮するシーンがみっともないのもわかっているし、高価なプレゼントでないこともあったので、『ありがとうございます』と言って受け取った。


 お父さんが心配そうに聞いてきた。「ウチの蒼藍は大丈夫ですか?」


「主治医に説明させますね!」私は夫妻に蒼藍のベッドに行って待つよう促し、ボスに電話して来るよう伝えた。


 蒼藍のご両親は本当に普通で……あまりに普通過ぎるのだ。お二人は田舎でドライフルーツ店を営んでいて、家には果樹園があり、自分たちで栽培・加工・販売をしているそうだ。蒼藍の背景がすごく特殊だから、祈祷師やどこの寺院の神主が来ても驚かなかった。ヤツのご両親が現代医学治療に反対するであろうことへの心の準備がとっくにできていたことは、神のみぞ知っている。ボスが来て蒼藍のご両親と話し合ったあと、病室で数日蒼藍の様子を見ることが確定した。全体的にとても協力的で、大切にすべき模範的な家族だ。


「佳芬姐さん、」私が点滴ボトルを交換しているときに蒼藍が声をかけてきた。「もし俺が病室に行ったら、姐さんが世話してくれるの?」


「ううん」私はそう言い、一言付け加えた。「でも明日仕事が終わったら様子を見にきてあげるよ」


 言わんとするところとしては、分身を残して山奥に消えたりしないで、大人しく待ってなさい、ってことだ。


 そういえば、昨日蒼藍が山を破壊したのかどうか聞いてなかった気がする……


 ……


 いいや、知ったところでなんの違いがあるのよ?いや、あるかも!少なくとも、人間に迷惑をかけないよう災害の範囲を抑えろと忠告する必要があることはわかっている。


 蒼藍が病室に戻ると、私もそろそろ退勤の時間だった。リュックを背負い、救急外来の正門へ向かって歩いていると、見慣れた黒い古代衣装の男性が外に立っているのに気がついた。


 日差しがまだ少し強いので、彼が焼け焦げないよう私は急ぎ足で病院を離れ、日陰の隅へと向かった。


「戻らなきゃいけないってまだ覚えてたんだ?」


「うん」宋昱軒はそう言うとかすかな笑みを浮かべた。


「冥府のことは片付いたの?」


「そりゃそうだよ?」彼は私が示唆した日陰を歩いた。「でも新たに追加されたカウンセリング記録を見たら、僕がいないときでもカウンセリングを受け付けていたんだね。一週間カウンセリングがなかったのはもどかしかった?」


「もちろん」


「じゃあ今夜カウンセリング部屋はいつものように営業できるはずだね。一週間休んでたから、クライエントがちょっと多いかも──」


「夕飯食べ終わったら行けるよ」早く行くことで、一つはカウンセリング時間の延長だけじゃなく今日まで延期になっていたクライエントを処理できるし、二つに私は宋昱軒のヤツが分散させることの意味をわかっているとは思えないから、一部のクライエントの予約を次回に回すよう宋昱軒に指導もしなきゃならない。


 処刑人を私のアシスタントにするというのは、本当に人材の無駄遣いだよなぁ……でももう昱軒に慣れているし、誰かと換えたいとも思わない。


 昱軒は私が物思いに耽っているのを見て、心配そうに聞いてきた。「どうしたの?」


「なんでもない」私は珍しく綺麗な夕焼けを眺めながら、異様なほど綺麗な心持ちになっていた。


「おかえり」

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