第九章 全部はあなたのため

 一般的に、陰間の旅とは、法師が側で幽体離脱した魂を冥界へ導き、旅を連れて行くこと。成功率は七分の一程度であると言われている。


 冥府で唯一の心理カウンセラーとして、私の『陰間の旅』は、直接目を閉じて、冥官に幽鬼を捕まるロープで縛られ、引っ張られると私の体から魂が分離した。


 冥官の理屈は私たち人間とは全く異なる。初めて閻魔大王に陰間の旅に誘われたとき、私は帰れるのか、何も用意しなくて本当にいいなのか、他の人はお香や祭壇を用意して赤い布で目を覆うが私はしなくていいのかと愚問を発した。


「準備はいいか?」連れて行ってくれるのはいつも通りに処刑人兼私の助手である宋昱軒だ。彼はすでにロープで私を縛った。


「大丈夫」ベッドに横になり、蒼藍が念力を込めた抱き枕をぎゅっと抱きしめながら、目を閉じた。ロープがきつく締まり、引く力に加えると、その瞬間私の頭が破裂しそうになって、心臓の鼓動も速くなり、より多くの空気を吸い込むのに肺臓が苦労した──けどこの不快感はすぐに消えた。


 半透明になった自分を、そしてベッドの上にいる『わたし』を見つめた。


 抱き枕について説明したほうがいいよね。蒼藍は、私が心理カウンセリングのために陰間の旅をして冥府に連れて行かれたのを知ったとき、宋昱軒を脇へ連れて行って叱った。(おそらく喧嘩もしたかもしれない。二人が戻ってきた時に両方とも怪我をしていたが、宋昱軒の方が大変だった。しかし処刑人の黒いローブはどれくらい怪我したのか見てもわからなかった。)そして彼は、私の体に魂がいない間に、私の体を少し保護するように、抱き枕をプレゼントしてくれた。


 私の体はしっかりと呼吸をしており、眠っているように見えた。


 この時、宋昱軒は別のロープを取り出して私の手首に巻きつけ、体を縛った麻ロープを解いてくれた。そうしないと毎回陰間の旅をするたびに、いつも捕まえた幽鬼に見えてしまう。


「いつもの通りに、ロープを解かな──」


「はいはい。手首のロープを解かないで」私は思わず白目をむいた。「あなたは最近どんどんうるさくなってきてるね」


「これは言わないといけない。解いたら戻れないのを知っているよね?」


「十分承知しております」


 宋昱軒は再びロープを引っ張ると、目の前はすぐに霧に覆われ、霧の後ろには黒と赤の光点がぼんやりと見えた。霧が晴れた時、私は……私の魂はすでに冥府の奈何橋ナイホオキオ(三途の川橋)にいた。橋の上で孟婆に孟婆湯を勧められたり、または飲まされたりした亡霊がたくさんいた。孟婆たちが私と宋昱軒に会うと、いつも親切に挨拶してくる。


「簡さん、こんばんは!」


「簡さんはなんで今日ここを通りかかったのですか?また大王さまに飲みに誘われましたか?」


「今日彼女は相談小屋に来たわけじゃないので、孟婆お姉さんたち脇へ寄ってください……」


 宋昱軒は私の手首のロープを引っ張り、慎重に孟婆や亡霊を避け、私が今まで行ったことのない方向へ向かった。この前清慕希チンムーシーは私を傷付けるつもりがあったため、宋昱軒はあえて彼女を直接人間界に連れてくることをしなかった。冥府の相談小屋にも連れて行かれず、私を冥府の監獄へ連れて行き、彼女とゆっくり話をした。


 清慕希は書涵ちゃんに憑いていた女処刑人の名前だ。彼女とゆっくり話すより、彼女が自分の動機を言うまでにゆっくり時間をかけるというほうが事実に近い。宋昱軒が聞いた話によると、その女性冥官は何も言いたがらず、ただ自分を拷問した同僚に人間界に戻させてと懇願しただけだった。


「着いた」昱軒と冥府監獄の警備員に挨拶した後、警備員は私たちを中に入れてくれた。監獄の見た目は、他の冥府建築と同じように見え、大きな違いはなかった。普段ここを通り過ぎたら、おそらくどこかの事務所か倉庫だと思うかもしれない。中に入ると、冥府の他の建物よりここはもっと静かで色調が暗い。鉄格子として使われている木材は、強い陰気がかすかに滲んでいるが悪意のあるものではないため、それ以上恐ろしい事はないはず。「冥官が法術で逃げられないためここの鉄格子は全て法術をかけられた。」先導していた宋昱軒が淡々と説明した


 私は不思議そうに周りを見回した。「私は冥府で五年間カウンセリングを行ってきましたが、冥府の監獄があることを初めて知りました」


「冥官が入獄することは滅多にない。通常は警備員すらいない」


 なるほど……でも、そもそも最初から冥府監獄が設置されたのか不思議だ。しかも牢屋数も少なくはない。


「冥官は滅多に間違いを犯さない、たとえ間違いを犯したとしても、通常は上司に罰せられる。しかし、今回清慕希は人間に嫌がらせをし、及び意図的に危害を加えることは大きなタブーで、大王さまによって尋問されなければならない」


 昱軒は振り返り、その表情はいつもより真剣だった。「我々は彷徨う亡霊や怨霊との唯一の違いは、我々が自己の意識を持っていることだ」


 冥官、彷徨う亡霊、怨霊は全て幽鬼である。


 では、自己意識を持っている冥官が人間を傷つける時は、故意で行うこと。自分自身をコントロールできない怨霊よりも悪くて罪が深い。


 しかし、宋昱軒がこの言葉を言った時、少し悲しみがあったような感じだ。


「……じゃあ、前回蒼藍と喧嘩したのはどういうこと?」


「……自己防衛は論外だ」


 つまり、あれは蒼藍が先に攻撃したということだよね。


「ここだ」


 宋昱軒が教えなくても、ここだとわかった。牢屋の隅で、清慕希は不安そうに膝を抱え、見知らぬ人の息を感じると顔を上げた。


「私は心理カウンセリングのサービスを要求していません」と彼女は冷たく言った後、再び膝の間に顔を埋めた。


「強制当たりだと思ってください」と私が言い、鉄格子を軽く叩いた。「私が入るから開けてください」


「前回は危うく攻撃されそうになったじゃないか!」私を救ってくれた恩人として、もちろん危険人物に関わってほしくない。


「でも、怪我をしていなかったじゃない?」


 カウンセリングは信頼関係を築くのが最も重要だ。鉄格子の外に立っていたら、せっかくのカウンセリングは台無しになってしまう。クライエントに信じてもらう前に、まずクライエントを信じなければならない。


 昱軒はまだ私に入ってほしくないが、私の態度はかなり固かったので、宋昱軒は仕方なく鍵を取ってドアを開けてくれた。


 昱軒を視界の外に居てもらった。魂を繋ぐロープの片端が彼の手にあるので、無理だと感じたらロープを引っ張って彼を呼ぶ事ができる。


「慕希」私は友人と雑談をしているように、女性冥官の隣に座っていた。「書涵ちゃんはどのような人なのかを教えていただけますか?」


「書涵、彼女は……」この数日間、清慕希はずっと拷問を受け、人間に嫌がらせをする理由を説明するよう強迫されたはずだ。だから私はこちら側から入ることはせず、彼女が興味を持っている、または共有したい話から始めた。


「書涵はごく普通の女の子です。家庭はやや裕福。父親はサラリーマンで、母親は専業主婦です」


 清慕希はまだあまり話したくない態度をとっているので、試し続けるしかなかった。「書涵はとても頭がいいですよね?テストで満点を取ったと聞きましたよ!」


 自分の娘が満点を取ったように、女処刑人は誇らしげに微笑み、親としての誇りに満ちている顔だった。


 しかし、どう見ても彼女の娘ではない。


「あなたの表情を見ると、とても満足しているようですね。彼女を助けましたか?」簡単な回答だったが、少なくとも良いスタートであった。清慕希はすぐに回答せず、私は独り言を言い続けた。


「私もそうですけど、時々、自分はあまりにも運が良すぎるから、冥官がくじ引きを密に手伝ってくれているかなと思って──」


「そんなことしていません!書涵は頭がいいから、私が手伝う必要がない」


 清慕希の霊力が一瞬不安定になり、手首に巻いているロープも少し引き締められた。


「あなたの手伝いは、正当なやり方ですよね?あなたはよく彼女の勉強に付き添っていると書涵から聞きました」


 勉強に付き添うのは控えめな言い方だけどね!書涵の話によると、あれは勉強を『強要』していた。


「彼女の頭はいいですが、怠け者です。もう少し頑張れば、成績はもっと上がります」


「そうですか?」彼女と会話の流れに沿って話を続けた。「彼女は今高校生なので、もっと頑張るべきですね。そうしないと、大学受験でうまくいかなければ、将来は大変でしょう。私みたいに、大学受験の時自然科で引っかかって、もっといい学部には入れませんでした──」


 清慕希は私の発言をとても認めているようで、狂ったように頷いた。


「──でも、同時に私もとても嬉しいです。今の仕事にとても満足しています」


 拷問を受けた女処刑人の傷は骨が見えるほど深く、肉が幾重にも削げていた。ぱっと見ると、彼女を緊急救命室に引きずり、ミイラのように包帯で巻いてあげたい衝動があった。でも冥官の傷は出血しなかった。手術台でよく見てたのように、いつくかの開口があるが、出血はしない。


「私は人と触れ合い、人を助けるのが好きです。だから高校時代に医者か看護師のどちらかになると決めました。両親は私の出願書類を見た時、めちゃくちゃ怒りましたよ。医学部と看護学部の間にある薬学、理学療法、作業療法など普通理科コースの学生が選ぶような専門は何も記入していませんでした。その時の両親の表情がすごかったですね!特に成績が出た時、絶対に理学療法学科に入れるくらいの点数を取っていたので、両親はずっと泣いていました!」


 他の学部も人々を助けることができるが、そういう形は私の好みではなかった。


 女処刑人は唖然とした。私の出願書類を理解できなかった周りにいる多くの人々のように、疑惑の眼差しで私を見た。私の両親はどうして私がしょっちゅう城隍廟に行く理由を理解できないのと同じだった。


「私の両親は私を理解してくれませんでしたし、私が『あなたたち』を見えることも認めてくれませんでした。それで、私は長い間両親との連絡を絶ちました」


 親の近況は弟から聞いており、給料の一部は定期的に家へ送金しているが、それだけだ。


「でも今はとても幸せです」救命看護師と冥府の心理カウンセラーの掛け持ちをしている日々は、寝不足でたまに命にかかわることもあるが、本当に幸せだ。


 私は清慕希に優しく微笑んだ。「ひょっとして書涵が本当に欲しいのはどんなものってよく見たらわかるかもしれない」


 女処刑人はしばらく黙っていたが、「でも、私は彼女のためにやったのよ!」と頑固に言った。


「佳芬、今日は外出禁止!これからも一人での外出禁止!」


「なんでよ!」その夜は、冥官とおしゃべりしようと約束した。


「あなたが毎晩どこに行ったのか私が知らないと思っているの?」向かいの中年女性は怒鳴っていた。「近所さんはもう噂話を始めている!あなたがいつも城隍廟の後ろの石のテーブルで座って一人で喋っているって!そのような話が広まれば、あなたの名誉はどうなるの!」


「私が霊視者であることを教えたらいいじゃん!」


「この世に幽鬼なんていない!いつもこう言うから、お母さんはすごく悲しいのを知ってる?」


 中年女性は私の前で涙を流した。「どうして行かなきゃいけないの?普通の人でいるのはダメなの?友達とかくれんぼするとかはダメなの?」


 でも、お母さん、知ってる?私は学校で仲間外れにされ、近所の子供たちも私から遠ざかっていった。だって、私が子供の頃、あなたは私を医者、児童心理学者とお寺ツアーなどあちこちに連れて行き、符水やお守りを求めることは誰かがペラペラとバラした。今、すべての人は後ろから同情と偏見の眼差しで私を見ている。私がサイコであることを同情するか、私がサイコであることについて文句を言うだけだ。


 冥官以外の友達はいない。


「あなたは彼女ではないのに、あなたがした全ての事が彼女にとって本当にいい事だとどうしてわかりますか?」私は言った。「あなたが介入してから、書涵は前より幸せになりましたか?」


「この時期に一生懸命勉強させたことは、将来彼女はきっと感謝してくれる!」


「もし、将来彼女が感謝しなかったらどうします?逆に彼女は、自分の人生を台無しにしたってあなたを責めたらどうしますか?」


「……」清慕希は口を開いたが、声が出なかった。彼女の目は遠くに漂うように見え、彼女の周りの緑色の光も微かに揺れていた。


 今の私は霊体状態なので、冥官の肩を叩く事ができた。「彼女自身に選んでもらって、冥官のあなたと違い、彼女の人生はたった一回だけです」


 私が言える事はここまでなので、後は清慕希に任せて考えてもらうしかない。ここまで言ってもこのようなモンスターペアレントを目覚めさせる事が出来ないなら、書涵ちゃんのために冥官除けのお守りを蒼藍に作ってもらうしかない……


 わざと家から遠く離れた学校や職場を選んだ事と同じだ。


 冥府監獄は静まり返ったが、私は彼女に催促せず、辛抱強く待っていた。


 最後に、清慕希の涙が二筋、頰を伝って落ちた。彼女は涙にむせんだ。「わ、わたしはただ、自分みたいに平凡になってほしくなくて──」


 血は出ないが涙は出る。冥官は本当に悲しい存在なのだ。


 自分の子供に対する支配欲を減らせと他のモンスターペアレントを説得できるのに、自分の両親を説得することができない私は、ある意味でかわいそうだよね?


「あなたも書涵ちゃんも、心を落ち着かせよう。書涵はあなたのことを許してくれるかどうかはわかりませんが、彼女に謝りたいときは付き添ってあげますよ」


 そうでなければ、今の書涵ちゃんはおそらく慕希を見た瞬間から悲鳴を上げるしかできないと思う。傍観者の私がこのように介入するのはよくないが、書涵ちゃんも『見える』人なので、幽鬼を恐れていると、将来の生活には影響を与えるでしょう。


 ……書涵ちゃんが私を便利屋として扱わないことを願うばかりだ。


 牢屋で懺悔している女処刑人を残し、宋昱軒と私は冥府監獄を出た。


「今回のカウンセリングは想像以上に優しいね!」いつも異なったやり方に宋昱軒は思わずに聞いてしまった。普段のやり方は暴力的だったせいで、私の言葉を理解できなければ平手で叩き、それでも理解できなければほうきやモップを出す。そんな……優しいカウンセリングに、宋昱軒は慣れない気持ちになった。


「彼女はそういうのには向いていない」とにかく、他の処刑人はすでに悪役を担当したので、私は善役の担当でしょう。


「他の人を選ばずにあの人間の女の子に憑いていた理由を最初から最後まで清慕希に尋ねなかったよね」宋昱軒が質問した。「僕は清慕希の本名を知らないので、過去に遡れない──」


「それは重要なの?」私は聞き返した。「彼女が何を間違えたかと彼女に知らせたから、それで十分じゃない?」


 その答えを聞いた後、宋昱軒はそれ以上質問をしなかった。多分、ターゲットは誰であるかが全く重要じゃない理由を考えていた。


 心理カウンセリングを行うが、必要のない限り、私は知る必要のないことを聞かない。しかも、さっきの話によると、これはおそらく慕希の生前のことに関係があり、私が触れるべきではないプライバシーである。


 まだ真剣に考えている処刑人を見て、面白くて仕方がなかった。


「坊や、あなたにはまだ早いんだよ!」


「……僕は唐王朝の人なのに、『坊や』って呼んでいるのか?」


「心理カウンセリングについては、私より甘いんだよ」ふと我に返り、隣にいた処刑人に、「あなたは宋王朝生まれじゃないの?」と驚いて尋ねた。


「僕は唐王朝の末期に生まれたけど──どうでもいいだろ!」宋昱軒はぶっきらぼうに言ったが、私は楽しく笑っていたので、彼の抗議に全く耳を貸さなかった。拷問された魂の悲鳴と嘆きが時々遠くから聞こえる冥府の小径では、私の笑い声はとても目立った。


 ええ、私は今とても幸せだ。


「ところで、閻魔大王さまは後で彼のところに集まろうと言った。お酒とおかずと人を全部用意できたので、佳芬は出席だけでいい」


 くそっ!やられた!断れないほど準備が整っているじゃん!


 まあ、いいか。たまにおしゃべりをしに行ってもいいけど…



清慕希

初期診断:原因不明の束縛魔

処置: クライエントに生者と冥官の違いを説明しており、それを受け入れて反省する姿が見られる。被害者に謝罪するよう手配する予定、要観察。

備考:束縛魔になった理由はクライエントの生前とは関係があるようだ。本人プライバシーの関係でこれ以上問わない。

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