終章:長い夜(3)コロセコロセコロセコロセ奴らを皆殺しにしろ
首都区にある教会本部が陥落して以降、ほかの地区の各支部も次々と陥落し死傷者が続出した。
教会は重要な基地と多くの神民を失ったあと、以前ほどの勢力はなくなったが依然抵抗を続け、人狼に対する徹底抗戦を誓った。
幸いにして生き残った神民たちは、廃教会を見つけまき直しを図った。辛うじて教会を再建し、騎士のソップティムであるトーマスを長老代行とした。
今夜神民はミラーズシティ各区に分散して人狼退治を行っていた。主力は首都区に集中しており、トーマスも自ら赴き指揮を執った。
「千陽、後ろ!」
相棒の袁士豪が警告してくれたおかげで、井千陽は後ろから襲いかかってきた人狼を間一髪で回避した。
ほかの神民たち同様、井千陽と袁士豪も中央メインストリートでの人狼退治を命じられた。
井千陽は次々と弾倉へ弾を装填し絶えずガントレットを引っ張りながら引き金を引いたが、人狼の数はどんどん増えていき、殺しても殺してもきりがなかった。
井千陽が茶色の人狼を射ち殺そうとしたちょうどそのとき、男が突然襲い掛かってきた。
「雪狼救世主様の敵め!死ね!」
その男は三割が人間で七割が獣のようであった。男は狂ったように叫び声をあげて井千陽に咬みつき、引っ掻き、そのさまはまるで狂人のようだった。
相手が人狼ではないため井千陽は男に銃を撃つことができず、袁士豪もどう手を下してよいのかわからなかった。井千陽がやっとのことで男を振りほどくと、全身が傷だらけであった。
「なんてこった、こいつらは何者なんだ……」袁士豪は信じられない様子で言った。
見渡す限り、人混みの中には人狼と一般市民以外にも、異形の人間が数多くいた。
彼らは人狼ではないものの人狼よりも不気味な上に、神民を見ると襲い掛かり死に物狂いで攻撃をしてくる。
「雪狼救世福音教信者の者たちよ!」
瘦せこけた女が群集に向けて大声で叫んだ。その眼球は飛び出ており、まるで禁断の薬物を服用したかのように、顔には狂気の表情が浮かんでいた。
井千陽はこの女を知っていた。彼女は林若草の姉、林若萱その人であった。
「我々は雪狼救世主様の軍隊になるのだ。人狼は我らの兄弟であり、神民は我らの敵だ。コロセコロセコロセコロセ奴らを皆殺しにしろ!」
雪狼救世福音教の信者はなりふり構わず妨害を加え、さらには自ら肉の盾となって人狼を守っていたため、神民の人狼退治の任務はますます困難を極めた。
たとえこの者たちが正気でない狂人であっても、彼らは依然として市民であり、神民が市民を殺害することは許されなかった。
数千人の雪狼信者は理由もなく現れたわけではなかった。彼らを統率するのは眼鏡をかけた男で、彼はまた井千陽が生涯で最も憎む相手でもあった。
顧逸庭はこのとき横倒しになった二階建てバスの上に立って、すべての生き物の行動を見下ろすような態度でこの情勢を眺めていた。その顔には薄笑いが浮かんでおり、自らが引き起こした騒乱にかなりの満足を感じているようであった。
彼のそばには左足を引きずった少年、寧遠がいた。
実の両親と養父母を殺された深い恨みに、さらには南宮樹の失踪が加わり、井千陽の顧逸庭に対する怒りは頂点に達していた。
彼は自分を落ち着かせるよう努めた。銃を持ち上げ顧逸庭の頭に狙いを定めると、この教師に向かって引き金を引くことに何のためらいもなかった。
人狼最強の殺し屋の名は伊達ではなく、顧逸庭はすぐさま井千陽を発見し、急速に発射された弾丸を躱した。
続けざまに顧逸庭は飛び降りると、一瞬にして井千陽に接近した。
「久しぶりですね」
顧逸庭の口調は穏やかだった。まるでここが安平高校一年C組の教室で、なおかつ学生のために授業の準備をしているかのようだった。
「南宮樹はどこだ?」井千陽は歯ぎしりをしながら問いかけた。
「前にお会いしませんでしたか?」顧逸庭は聞き返した。
「何?」
「あ、おそらくあれが彼だってわからなかったんですね?」
顧逸庭は軽く微笑んだ。
「どうでもいいことです。彼も今夜ここにやって来ます。このパーティーの主役ですからね。彼はもう、内側も外側もすっかり生まれ変わりました。のちほど彼を見ることができますよ――シュークラトを」
「シュークラト?」井千陽の言葉は訝しげだった。
次の瞬間、灰色の人狼と化した寧遠が井千陽に襲い掛かってきた。急所は避けた井千陽だったが、クチバシが付いたマスクを咬みちぎられた。
雪狼の信者たちが人狼のための肉の盾になろうと殺到し、井千陽は思うように攻撃ができなかった。全身のあちこちを寧遠に咬まれて血まみれとなり、骨の何本かにヒビが入っていた。
アンジェラ以外のほかの神民に、井千陽はいまだ自分の正体を明かしていない。できる限り衆目の前で吸血鬼に変身するのは避けたかった。しかしこうなってくると、もう選択の余地はなさそうだった。
今まさに翼を広げようとしたとき、突如何者かが井千陽の代わりに包囲を破った。
その猟銃を手にした男は銀の弾丸で寧遠を遠ざけると、容赦なく雪狼の信者を数名撃ち殺した。
井千陽は自分を救った男をつぶさに見た。格好は神民にきわめて似ていたが、明らかな違いがあった。男が顔に付けているのはクチバシのマスクではなく、フィルターが付いたガスマスクだった。
これらのガスマスクを付けた神民の数は多く、いつ来たのかはわからないもののすぐに事態を掌握した。
この者たちはむやみやたらに人狼退治をする以外にも、ためらいなく雪狼の信者たちを手にかけて殺した。彼らも市民であるということは、まったく気にかけていなかった。
この者たちを統率しているのは背が低く小さな修道女であった。黒いワンピースを身にまとい、膝までの長さの黒いベールで顔を覆っていた。
この修道女はまるで女王のように部下の人狼退治を指揮し、向かうところ敵なしだった。人狼は敗北の兆しを見せ始め、四方八方に逃げ惑った。
大局の指揮だけでなく、修道女もまた猟銃を手に人狼を撃ち殺した。ベールをかぶっていてもその射撃は正確で、的を外すことなく百発百中と言えた。
そのとき、人狼たちは何かに気づいたらしく一斉に立ち止まり、ある方向を見上げた。
ゴロゴロゴロ!
雷鳴が爆音を轟かせると、暗雲の中で脈打つ稲妻が、ショッピングセンターの屋上に立つ姿を照らし出した。
それは大きく強健な雪狼であった。その毛色は青白いというよりも青黒く、全身の毛は鋼の棘のように直立し、深遠な紫の瞳は冷たい光を放ち、まるで怪物のように不気味であった。
破滅した教会の基地で、井千陽はかつてこの狼に会っている。あのときが雪の精霊のようだったとしたら、今は雪夜叉だ。
そして雪狼は屋上から飛び降りると、人混みの中心へと来た。
雪狼が目の前を通るとき、人狼たちは無意識に平身低頭した。彼と目を合わすことができず、耳は下がり、毛は滑らかに体に貼りつき、尻尾は後ろ脚の間に垂れ下がっていた。
彼らは狼の群れの中で最も原始的で厳格な階級秩序に従う。雪狼の体から発せられるオーラが、決して怒らせてはならない対象であることを物語っている。
雪狼救世福音教の信者たちにとって、彼らの救世主を目にするのはこれが初めてだった。彼らはみな、イエスキリストの再臨を目にしたキリスト教徒の如く地面にひれ伏し頭を下げた。
市民たちは警戒と恐怖で息も漏らそうとはせず、神民でさえ任務を忘れて一心不乱にこの美しく恐ろしい、そして強大でもある雪狼を見つめていた。
降り続く雨音と時折鳴り響く雷鳴以外、周囲は静まり返っていた。
雪狼は落ち着いた足どりで前へと進んだ。四肢を引っ張る筋肉一つ一つがすべて力強く、その姿は優雅かつ危険をはらんでいた。
人狼、神民、市民……すべての者が、まるで苦難の道を歩むイエスキリストに道を譲るかのように、思わず道を開けていた。
だんだんと、雪狼はその歩を速めた。まるで飛んでいるかのように速く走ると、最後には弓から放たれた銀色の矢となり、標的――黒衣の修道女へとまっすぐ疾走した。
雪狼の距離が黒衣の修道女まで十メートルを切ったところでようやく、彼女の周りのガスマスクを付けた神民が長い夢から醒めたように行動を開始した。
ハンターの弾丸、魔女の血の刃に騎士の刀が同時に雪狼を攻撃したものの、さながら無人の地を進んでいるかの如く、それらはことごとく躱され、防がれた。
雪狼は大きく口を開け、鋭い歯で獲物に襲い掛かった。黒衣の修道女の手には猟銃があったがそれを使うことはなく、わずかに機敏な動きだけで間一髪攻撃を回避した。
修道女の顔にかかる黒いベールが引き裂かれ、その正体を目にした瞬間、井千陽は驚かずにはいられなかった。
「シスターアンジェラ?」
神民たちは四方八方から雪狼に包囲攻撃を仕掛けると、刀剣と弾丸の雨が彼を包み込んだ。
しかし、雪狼は動きが電光石火のように素早いだけではなく、その攻撃もまたブリザードのように圧倒的であった。
神民たちは誰一人として彼の敵ではなく、しばらくもしないうちに壊滅的な打撃を受けることとなった。
護衛をなぎ倒すと、雪狼はアンジェラの喉元に狙いを定めて襲い掛かった。それと同時に、頭の上を突如巨大な影が覆った。
それはまさに吸血鬼と化した井千陽であった。巨大な鎌のような翼を広げて突如上空から奇襲攻撃を仕掛け、鋭く長い爪を武器に雪狼の体に深い血痕を残すと、相手の反撃を待たずして再び空中へと舞い上がった。
井千陽は『ヒットアンドアウェイ』戦術を繰り返し、何度も攻撃に成功した。彼が致命的な一撃を加えようとしたそのとき、雪狼はその逃走ルートを見極めると素早く脛に咬みついて、彼を空中から引きずり落とした。
狼の口の強大な咬合力は骨を砕くのに十分であった。だが雪狼にそのつもりはないらしく、野獣としてその動作は温厚とすら言えた。彼は井千陽の足を咥えたまま半周振り回すと、遠くに放り投げた。
井千陽は店のショーウインドウに激突し、粉々になったガラスとともに店内へと転がり落ちた。
彼は起き上がろうと必死にもがいた。雪狼が再びアンジェラに襲い掛かろうとしているのを目にしたとき、再度彼らの間に突進して立ちはだかった。
「シスターアンジェラ、僕がこの人狼を食い止めるから、早く逃げて!」井千陽は叫んだ。
しかしアンジェラはその場を動かなかったので、井千陽は仕方なく彼女を抱きかかえると翼を羽ばたかせて宙へと舞い上がった。
獲物が逃げようとしているのを目にして、雪狼は怒号をあげた。
まず地上で助走してから跳び上がると、その瞬間まるで空中を旋回するように『飛び』始めた。
皆が息を殺して見守る中、雪狼は井千陽の左の翼に咬みついた。井千陽がいくらもがこうとも振りほどくことができず、ついには井千陽を空中から墜落させた。
井千陽がアンジェラを抱いたまま地上に墜落すると、雪狼が今度は容赦することなく大きな口を開けて彼の肩に咬みついた。犬歯が皮膚と筋肉に突き刺さり、裂肉歯が腱と結合組織を切断し、後臼歯が骨を砕いた。
「ああっ!」
井千陽は苦痛に悲鳴をあげ、その場でショック状態に陥りそうなほどであった。
このとき、大型のコウモリに似た影が突然戦いに乱入し、刀のような長い爪で容赦なく雪狼を斬りつけた。
この一撃を受けたのが人間か普通の人狼であったら、おそらく真っ二つに切断されていたことだろう。だが雪狼はわずかに毛皮と筋肉を切り裂かれ、鮮血が噴き出しただけだった。
雪狼は怒り狂い、チーターのように凄まじい速さでこの吸血鬼に襲い掛かると、相手は素早く高空へ飛び上がり難を逃れた。
「次は出る前に、まず俺にひと声かけてくれるか?イリアス」新たに来た吸血鬼――呉皓軒はやれやれといった感じで井千陽に言った。「いつもタイミングよく助けに来られるわけじゃないぞ」
「その名前で呼ぶな……」井千陽は肩口の傷を押さえながらフラフラと立ち上がった。「僕も助けてくれなんて頼んでないよ、先輩」
「お前を守る責任があるとはいえど、あまりムチャなことはしないでくれよ」呉皓軒は苦笑した。「もう一度言うが、お前もイリアスの名前に少しは慣れろ」
「じゃあ……この雪狼はひとまず任せた」
井千陽はそう言い放つと歯を食いしばってアンジェラを抱き起こし、翼を羽ばたかせて飛び上がった。
獲物が再び逃げるのを見て雪狼が喉の奥から怒りの咆哮を発すると、その場にいたすべての生物の鼓膜を震撼させた。
雪狼が再度井千陽に襲い掛かかると、呉皓軒が突進して彼の攻撃を阻止した。そして全力で翼を振り動かすと、強大な風圧を生み出し相手を後退させた。
雪狼は、粘り強くにじり寄ると、大きな口を開けて呉皓軒に襲い掛かった。呉皓軒は鋭い爪で雪狼の目に狙いを定めて反撃した。
雪狼と呉皓軒が止むことなく揉み合っている隙に、井千陽はアンジェラを連れて夜空に飛び立った。
翼のケガもあって井千陽は遠くまで飛ぶことはできなかったが、アンジェラを連れて繁華街から離れようと全力を尽くし、貨物ターミナルの方向へと飛んでいった。
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