第五夜:吸血鬼(1)転ぶのが俺の趣味みたいに言わないでくれよ

 硬くてざらざらした感触が皮膚に伝わり、冷徹な寒気が骨の髄まで染み込んだ。

 井千陽はゆっくりと目を覚まし、自分がまだ生きていることと、石造りの地面に自分が横たわっていて、人狼の胃袋の中にいないことに気が付いた。

 まるで一日中同じ姿勢でいたように、全身がだるくて痛かった。その上、もうしばらく何も食べていないから、空腹感を覚えた。既に二十四時間以上過ぎたかもしれない。

 井千陽の最後の記憶は、自分と南宮樹が地下鉄の駅で人狼を退治する途中、誤って闇市に侵入し、そこで『闇市の商人』を自称する者に連れていかれた後、催眠ガスを吸わされて意識を失ったことだ。

 井千陽のマスクはまだ顔にしっかり装着されていたが、猟銃は既に無くなっていた。

 周囲は真っ暗だったが、マスクの暗視機能のおかげで、自分が牢獄のような場所にいることがわかった。

「あれ?ここはどこだ?」南宮樹も目を覚ました。「千陽!どこだ──」

「ここにいる」井千陽が小声で言った。「騒ぐな」

「え?他に誰かいるのか?」聞き慣れない声が質問をしてきた。

「よかった。俺一人じゃない!」別の方向から嬉しそうな声が聞こえてきた。

 周りから少しずつ違う人の声が聞こえてきた。ここには井千陽と南宮樹以外に十数人がいるようだ。

「ここは暗いんだよ。誰か携帯電話持ってないか?僕のが無くなったよ」

「俺のも消えた」「誰だよ、人の携帯持って行った奴は?」

「ライターならあるぞ」

 暗闇の中から「カチッ」という乾いた音が聞こえた後、小さな火が暗闇を照らし始めた。

 皆が周りを細かく見渡すと、ここには窓がなく、観音開きの鉄の扉しかなかった。天井の隅には監視カメラとスピーカーがあった。

 ここにいる人間は全て男性だ。井千陽と南宮樹の二人の高校生以外、全員が成人であり、二十代前半の青年から四十歳くらいの中年男性までいた。

 鉄の扉を開けようとした者もいたが、鉄の扉が非常に重くて、どれだけ力を加えても開けることができなかった。

「あれ?あんたたちは神民か?そのマスクを知ってるんだ」角顔の男が井千陽と南宮樹に話しかけた。「あんたたちはなんでここにいるんだ?」

「俺たちもよくわからないんです。目が覚めたらここにいました」南宮樹が苦笑いして言った。

「今のこの状況からすると、恐らくは……」赤髪の男の顔色が突然青白くなった。「クソっ、こんな場所に送られると先にわかっていたら、あの黒いローブの者から金借りたりなんかしなかったのに!」

「え?あんた、闇市の商人のことを言ってるんじゃないのか?」角顏の男が訊いた。「前に株で大損こいたとき、闇市の商人を名乗る奴が、金を貸してやると、審査は不要だが必ず期限までに返せ、さもなくば命で払ってもらうと言われたんだ」

「俺も闇市の商人から金を借りたぜ!」「俺もだ!」他の男も次々と同調した。

 井千陽と南宮樹は互いに目を合わせた。闇市の商人の仕事範囲が闇市の経営から、人身売買、市民への金貸しまでこんなに広いとは思わなかった。

「俺たちはどうやら同じ苦しみを分かち合う者同士のようだな」

 四十代に見える灰色の髪の男が苦笑いしながら言った。先のライターは彼の持ちものだ。

「俺の会社はこの前経営が傾いたんだが、そのとき、あの闇市の商人は明らかなに闇金だと知ってても、奴から金を借りて資金繰りしたんだ。結局、返済することができず、奴から身を隠してやり過ごそうとしたが、見つかっちまったんだ」

 皆がお互いの情報を交換すると、井千陽と南宮樹以外の人は全員、闇市の商人から金を借りて、返すことができなくてここに連れてこられた者だとわかった。

 皆のため息が止まない中、しばらく経つと、スピーカーから声が聞こえてきた。

「プレイヤー諸君、『満月の荘園』へようこそ」合成された音声は、「さて、諸君には『狩人』というゲームに参加してもらう。夜明けまで生き残ることができたら、このゲームの勝者になるのだ」と言った。

 次の瞬間、鉄の扉がゆっくりと開いた。

「ゲームスタートだ。グッドラック!」

 頭の中には疑問でいっぱいだったが、プレイヤーに質問する権利は与えられなかった。皆が乗り気ではなかったが牢獄を出るしかなかった。

 廊下にたどり着くと、牢獄が二か所存在することがわかった。各牢獄から人が出てきた。どうやら皆がゲームのプレイヤーのようで、合わせるとざっと四、五十人ほどいた。

 プレイヤーの集団は廊下を通って階段を上がると、遂に外の世界へ到達して、自由な空気を吸うことができた。

 彼らが先ほどまでいた場所は満月の荘園の地下牢だった。この荘園の外観は壮大で広々としていて、敷地内には多くのドームやアーチがある。このとき、あちこちに火を灯が灯されていて、話し声と笑い声が聞こえてきた。どうやら宴会が行われているようだった。

 荘園のバルコニーには遊牧民族を思わせる華やかな衣装を纏った招待客でいっぱいだった。彼らはプレイヤーたちをじっくり観察しながら、興奮気味に議論を交わしていた。

「男しかいないか?」「男は平均的に女よりスタミナがあるから、ゲームがすぐに終わらないためにそうしたんだ」

「でも、女が逃げ惑うのを見ても悪くないだろう」「あのマスクをつけている奴、神民だろう?これでゲームは面白くなるぞ」

 プレイヤーたちは何をすれば良いかわからず、途方に暮れてその場にただ立っていた。このゲームについてあまりにも知らされていなかった。

 次の瞬間、プレイヤーたちは突然、遠くから一匹の野獣が自分たちに向かってくるのが見えた。緑色に光る眼は暗闇の中で光る鬼火に似た燐光を放っていた。

 よく見ると、それは一匹の人狼だった。それから、他の人狼も次々と現れ、舌なめずりしながら、プレイヤーたちに悪意のこもった視線を向けた。

「じ……人狼だ!」「なんで人狼がいるんだ?」「これは一体どんなゲームなんだよ?」

 人狼たちは最初に遠吠えをすると、突然スピードを上げて、まるで手綱をほどいた馬のように猛然と突進してきた。

 プレイヤーたちはすぐさま蜘蛛の子を散らすように、全速力で逃げ出したが、チェック柄のシャツを着た男は足が遅く、人狼の群れが一斉に襲い掛かると、男は瞬く間にバラバラになった。

 このとき、プレイヤーたちは『狩人』ゲームの名称の意味――人狼が人間を狩るゲームだとようやく気づいた。

 この荘園は広々と木々が生い茂った森林に囲まれていたから、生き残ろうとするなら、森を抜けるか、ゲームのルールに従って、日の出前に人狼に捕まらない必要がある。

 井千陽は猟銃を無くしていたから、このとき、全く武器を持っていなかった。南宮樹は血の刃を作ることができたが、自分一人では全ての人狼を倒すことができなかったから、二人は他のプレイヤーと同じく森林の方向へ急いで走った。

 森に入ると、中の木はほとんどが杉と松で、しかも樹齢が千年近くの天まで届きそうな巨木であり、景色が壮観だった。

 ミラーズシティの首都区は高度に都市開発が進んだ地域であり、大きな森林がないから、井千陽と南宮樹は自分たちが既に首都区から連れ去られ、どこかの知らない森に運ばれたと推測した。

 二人はトランシーバーで教会へ救助を要請しようとしたが、ここが僻地であったため、信号がほとんど受信されなかった。

 今宵の月は白く光っていたが、照明の代わりにするにはまだ不十分だった。井千陽と南宮樹は幸いにクチバシがついたマスクを装着していた。これがなかったら、周りが見えない状況で夜の森の中で行動することは、まさに自殺行為だった。

 二人は道が見えたが、軽率な行動をとる勇気がなかった。周囲の暗闇にはどのような危険があるかわからないからだった。人狼は確かに恐ろしいが、他の野生動物も無視できなかった。万が一、穴や沼に落ちてしまったら目も当てられない。

「うわ!」

 森を歩いていると、南宮樹は突然木の根に引っかかり、危うく地面に倒れるところだったが、幸い、井千陽がタイミングよく彼を支えた。

「こんな場所ですら転ぶのか?」井千陽はやれやれと言った口調で言った。

「転ぶのが俺の趣味みたいに言わないでくれよ……」

「じゃ――」

 井千陽は話し終える前に口を閉じ、ある方向に目を向けるた。彼の全身の神経がすぐに緊張状態になった。

 松の木の枝葉が微かに揺れると、茶色と赤の二匹の人狼が木の後ろからやってきた。

「見つかったか?」茶色の人狼がニヤリと笑い、血のついた牙を露出した。「神民は本当にやるね」

「市民の肉はたくさん喰ったが、神民のはまだ喰ったことねえな」赤い人狼が「今、味見してやるよ」と言って、よだれを地面に垂らした。

 南宮樹はすぐ、井千陽の前に立ちふさがり、半液状で炎の形をしている刃を手のひらに出現させた。

 茶色の人狼は大きな口を開けて南宮樹に突進したが、先に予測していた南宮樹はすぐさまこれを躱し、鋭利な血の刃で相手の右目に斬りつけた。

 茶色の人狼は悲鳴を上げた。血の刃の傷に加え、魔女の毒にやられたから、もう長くは持たないだろう。

 次の瞬間、赤い人狼が咆哮して、南宮樹を地面に叩きつけると、大きく口を開けて彼の頸動脈に噛みつこうとした。

 南宮樹は力を振り絞ってこれを躱し、血の刃で反撃した。血の刃で相手を傷つけるだけで劣勢を逆転することができる。そして、赤い人狼もそれをわかっていたから、素直に南宮樹の思い通りにはさせなかった。

 双方が力で勝負していたとき、赤い人狼の背中が突然折れた木の幹に打たれて、鈍器のような音を発した。

 人狼の体は頑丈なため、このような攻撃は人狼にとって蚊に刺された程度だったが、注意を逸らすには十分すぎるほどだった。

 怒り心頭の赤い人狼は顔の向きを不意打ちした者に変えた。それがまさに井千陽だった。

 井千陽は赤い人狼が襲ってくる前に全力で逃げていたが、足元は湿ってて柔らかい泥ばっかりだったので、人間にスピードで勝る人狼は早くも彼に追いついた。

 井千陽は苔まみれの巨大な岩のそばにたどり着いた瞬間、赤い狼が襲い掛かってくると、井千陽はすんでのところでしゃがんでかわした。赤い人狼の攻撃は空振りになり、井千陽の頭上をかすめた。

 何かが水中に沈む音が聞こえると、井千陽は自分の作戦が成功、つまり、人狼が沼に落ちたことがわかった。

 先ほど、井千陽と南宮樹がここを通過した際、沼があることに気が付いたので、間違って沼に嵌まらないよう、付近の景色を記憶しておいたが、この情報が早くも役立つとは思わなかった。

 赤い人狼が沼でもがいている間に、井千陽と南宮樹は早々に逃げた。

 森の中では時折、人狼の咆哮と人間の悲鳴が聞こえてきて、生き残っているプレイヤーは恐らく多くないだろう。そして、日の出までまだ相当な時間があった。

 井千陽と南宮樹が互いに支えながら小川を越えると、どこからかこちらに向かう足音が聞こえてきた。

 二人はすぐさま振り向いたが、目の前に現れたのは人狼ではなく、手にライターを持った中年男性だった。

 この男はちょうど同じ牢獄に入れられていたプレイヤーだった。ひどく狼狽えている様子が見え、全身には引っ掻き傷と咬まれた傷がたくさんあり、明らかに人狼の仕業だった。

 南宮樹は魔女の薬を取り出して彼を治療すると、男は感激し、二人に対してひっきりなしに礼を言った。

「ありがとう!さっき、他のプレイヤーと人狼に遭遇したんだが皆人狼に捕まっちまって、ラッキーなことに俺は難を逃れたんだ。ホント、九死に一生を得たよ」

 井千陽は男が話すときに瞬きが多いことに気づいた。それがまるで本当のことを全て話していないようだったが、今は問い詰めるときではなかった。

「ライターをしまってください」井千陽が声を小さくして言った。「あと、喋るときは小声で」

 その後、三人が一緒に行動し、休むことなく何時間も歩いていたが、幸いなことに道中で人狼に再び遭遇せず、無事に森の端へとたどり着いた。

 前方に舗装された道路と思しき景色が見えると、中年の男は思わず大喜びしながら、大きな声で叫んだ。「やった!助かった!助かったぞ!」

 三人が引き続き前に進むと、突然、数匹の人狼が左右から出てきて、一行を包囲した。

 中年男性は素早く決断して、すぐさま南宮樹を地面に叩きつけると、自分で道路の方向に走った。どうやら、仲間を捨て石にしたことが彼が生き残った原因らしい。

 ズズズ——バシッ!

 しかし、道路にたどりつく前に男は感電し、全身が黒焦げになって地面に倒れた。

 井千陽と南宮樹が共に驚いた。よく見てみると、前方には大きな高電圧の金網が設置されていて、隙間もなく左右に伸びていた。恐らく森全体を囲っているのだろう。

 井千陽と南宮樹は高電圧の金網と人狼に挟まれたとき、ようやくあることに気づいた。このゲームは元々、プレイヤーに勝たせるつもりがなかった。ゲームスタートの時点から一方的な『人狩り』だったのだ。

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