1-1 「お前はコンパニオンアンドロイドでも買って家に置こうか?」

 フォンワンがチャイムの音で起こされた時、ちょうど太陽が地平線に沈みかけたところだった。街灯やネオンの明かりはカーテンで遮られ、寝室全体が真っ暗になった。

 彼は目を細めて暗闇の中でベッドから起き上がり、玄関に行ってモニターをつけた。手のひらと同じサイズの画面には分厚い背中があって殺気が溢れている男が映っていた。

 この人の体勢、表情と服装──彼はスーツを着て、蝶ネクタイは少し緩み袖を手首まで捲り、チャイムをしっかりと押していた姿から判断すると、挨拶だけしに来た者ではないとわかった。冀楓晩はただ軽くため息をつき、目を閉じてしばらく立った後、ロックを解除してドアを開けた。

「ネットフラックスとのランチミーティングはうまく行ったか?」と冀楓晩が尋ねた。

「とてもよかった。『ベランダのポトスは騒ぎすぎ』ドラマの再生回数と新規契約者数は、彼らの予想を上回った。第二シーズンの更新を確定しただけでなく、制作費とライセンス料も引き上げた。『武道秘伝書三冊五十元でネギ付き』、『合金スーツケース』も売れた。原作者が参加すると約束していたにもかかわらずドタキャンされたこと以外に、すべてが完璧だった」

「それは非常に残念だ。貴社はこのクソ作者をブラックリストに入れて、直ちに契約を打ち切ってこれから一切通さないようにすべきだ」

「俺もそう思うけど、しかしこのクソ野郎のおかげで弊社は三年連続で二十ヶ月分のボーナスを支給することができたので、契約を切らせば、明日大ボスは俺を解雇するでしょう」

「五斗米のために腰を折らず、出版人の品性を持たないといけないよ」

「出版人でも飯を食わなければならないし、請求書を支払わなければならない。それに、俺はお金のためではなく、家庭や友達に腰を折ることだ」

 男は一秒ほど立ち止まり、極めてうんざりしている顔で冀楓晩を睨み、「いつまでここに立たせるつもり?冀大先生?」と尋ねた。

「僕は早く帰れと言い回しているのに気付いてない?」

 冀楓晩は眉を上げ、同じく一秒ほど沈黙した後、横を向きスペースを空けた。「どうぞ、リン‧五斗米‧大編集長」

 その男──冀楓晩の担当編集・林有思は挨拶の代わりに中指を立て、敷居を跨ぎ、革靴を脱いて自然にスリッパを取って履き替えた。

 冀楓晩はリビングに戻った時に指令を出した。「住宅システム、リビング、ダイニング、キッチンの電気をつけて」

 三つのペンダントライトがそれぞれ冀楓晩の声に反応し、彼が指令を出した三箇所の照明をつけた。彼はダイニングを通り抜けてオープンキッチンに行き、冷蔵庫を開けてキュウリとトマトが入った保存容器を取り出した。

「晩ご飯を持って来た」

 林有思リンヨースーはビニール袋をダイニングテーブルに置いた。冀楓晩がキュウリを取ってそのまま噛むのを見て、目を少し大きく開けて、「そのまま食べるの?」と聞いた。

「キュウリは生で食べられるよ」

 冀楓晩はキュウリをかじりながらダイニングテーブルまで行ってビニール袋をちらりと見た。「お肉増量の牛丼……本当に炭水化物と脂質が好きだね」

「文句があったら自分で買いに行ってよ!それに、冷蔵庫には常に二種類以上のお惣菜が入ってるじゃない?一緒に食べたら栄養バランスが取れるでしょう」

「あれは先々月のことだ。今はキュウリ、トマトとレタスしかない」

「……」

「あとキャベツもあるけど、まだ洗ってない」

 冀楓晩は再びキュウリを噛み、言葉がはっきりしなかった。「どれにする?」

 林有思は答えなかった。彼は唇を内側に巻き込んで、冀楓晩をしばらく注視し、椅子を引いて座った。「結構です。胃腸の調子を崩さないように気をつけて」

「ご心配なく。大半の野菜は生で食べた方が栄養摂れるから」

「ただ処理が面倒くさいだけでしょう!」

 林有思は袋から牛丼を取り出し、一つを自分の前に置き、もう一つは冀楓晩の前までに押し付け、親友の顔を見つめて真剣に尋ねた。「晩ちゃん、ネットフラックスの制作に不満があれば素直に教えて、契約解除について彼らと話しするから」

「別に。どうしてそう聞くの?」

「態度が変わりすぎたから!

 林有思の声は少々高くなった。「一年半前、ネットフラックスと契約した時、ほぼ毎日に一緒に台本、キャスティング、監督の話について打ち合わせをしていたし、差し入れするチャンスがあれば深夜便を乗っても必ず行って、制作チームとの飲み会も一回も欠席しなかった。でも今は……一体どうした?ネットフラックスに不満でもあるのか?それとも実写化して欲しくない?」

「実写化してほしくないわけじゃない」

「じゃ、なぜドタキャンしたの?」

 林有思は冀楓晩が口を開けた時に同時に喋った。「『今日は体調不良だ』とか言わないでよ、先生はどう見ても起きたばかりだ。『お前がいるから僕は出席しなくてもいい』も一緒だ、あれも褒め言葉で隠したサボる言い訳だ。本当の話を聞きたい」

 冀楓晩は太ももに置いた手を曲がり、しばらく黙った後、目をそらして言った。「ランチミーティングは浮華ホテルの蓬莱邸で行われることは、僕は本に書いてあった」

「だから?」

「だからこれが理由だ」冀楓晩は残りのキュウリを口に入れた。

 林有思は口角を真っ直ぐにし、冀楓晩が話を続ける意思はないと見て、牛丼の蓋を開けてから尋ねた。「お前はコンパニオンアンドロイドでも買って家に置こうか?」

「話題を変えるのは無理やりすぎるでしょう」

「話題を変えていないよ、これは同じ話題だ」

 林有思はお肉とご飯を乱暴に混ぜながら言った。「お前は何かに悩んでいるように見えるけど俺には教えない。それでもいい、俺もお前のゴミ箱になりたくない。でも、このままほっといてはいけないよ。人でも物でもストレス発散できる方法を探さないと」

「……突っ込み所が多すぎて、どこから突っ込んだらいいのかわからなくなった」

「真面目な話をしてる!悩みがなくても、自宅にアンドロイドがいると便利だよ。少なくとも、万が一死んでしまったら、次の締切日に俺に発見されるまで誰にも気付かれないことを防止できる」

「ここに来る人間はお前しかいないような言い方しないで」

「だって本当にそう思ってる!では、今月は俺以外の人間、何人と顔を合わせて交流したか?」

「二人」

「誰と誰?セフレは論外だ。あれは交流じゃない、交合だ」

「違うって。郵便とデリバリーの配達員だ」

「セフレよりやばくない?」

 林有思は眉間に手を当てて言った。「お前は本当に……他の人は大きくなればなるほど安定してくるが、お前は逆に年をとればとるほどビクビクさせるのはなぜだ?」

「ただ人付き合いしたくないだけだ」

 冀楓晩は肩をすくめ、割り箸を割って言った、「でも、アングループのオーナーと全く同じのアンドロイドがあれば、買いたいと思う」

「安科グループのオーナー……」

 林有思は一瞬トランス状態に陥って、沈んだ顔で言った。「彼らの最高経営責任者である安實臨アンシーリンのこと?それとも筆頭株主兼……」

「安實臨の弟、安科の筆頭株主兼開発本部長であるアンズォーウェーだ」

 冀楓晩は林有思の期待を容赦なく裏切り、片方の口角を上げて言った。「彼はファンタジー物語に登場する妖精のようで、繊細で賢くて他の人に比べられない位に透き通っている」

「彼は未成年だぞ!」

「今年で二十一歳、もう成人だ」

「お前は三十二歳だけど」

「この時代は同性すら結婚できるのに、年齢は問題ないだろ?」

 冀楓晩は少し立ち止まり、俯いて言った。「ああ、でも彼と僕は絶対無理に決まってる。僕を魅了した写真は彼が十八歳の頃に撮られたものだ。三年も経つと面変わりして完全に別人になってもおかしくない」

「確かに彼はALS(筋萎縮性側索硬化症)が再発して、過去二年間に寝込んでいることを覚えている。それはさすがに面変わりして全く別人になったでしょうね」

 林有思は肩を落とし、ため息をついた。「いわゆる神が窓を開けた時には、どこかのドアを閉じるわね。人工神経接続技術が成熟した今、ALS患者は移植の金さえあれば、99%完治する可能性があるけど、この稀有な天才はその残念な1%だ」

「神なんて存在しない」

 冀楓晩は沈んだ目で言ったが、すぐに感情を抑え、話題を変えた。「ちなみに、残念なお知らせがある──来週には原稿間に合わない」

「お前!」

「ごめん、殺してくれ、何も言わないから」冀楓晩は降伏するように手を挙げた。

 林有思は信号みたいに顔色がころころ変わり、怒った顔で冀楓晩をしばらく睨みつけた後、椅子にもたれかかって言った。「まあいいや、この二ヶ月間はドイツのブックフェアで忙しいから、提出されても処理する時間がないし」

「つまり、締め切りは二ヶ月延びても大丈夫?」

「そう。喜べ!それでも間に合わなかったら、お前を梱包してパソコンと一緒に出版社の倉庫に打ち込むよ」」

 林有思はギョロ目で冀楓晩を睨み、牛肉を箸で取って口を開けた。「そして、二ヶ月後ドラマ制作チームとの会食も参加しなさい。時間と場所は後日に送る、今度はお前が書いたことないレストランを選ぶから言い訳を変えるなら今しかない」

「あれは言い訳じゃない」

「はい、はい。そう言うならそうだ」

 林有思は下を向いてご飯を食べていた。恐ろしい速さでご飯と肉を呑み込み、空き容器を置き、テイッシュを取って口を拭いて言った。「次に会うのは俺がドイツから戻って来てからだ、その間に体調には気をつけて。何かあったら出版社に連絡して。通報の必要がある時もちゃんと警察に連絡して、いい?」

「出版社はいいけど、警察に通報する必要があることはないと思う」

「そう?誰のおかげで血まみれの刃物や経血付きのナプキンを受け取ったという実績を弊社に積み上げらせた?」

「あれはもう二年前の事だよ。僕から言わせると、貴社はオタクをイケメン男性作家というキャラ設定にしたことも責任半分を取らないといけないよ」

「あ、そう。お前の両親から受け継いだ桃花眼も弊社の責任だね。申し訳ないね」

「分かったらいいよ」

「よう言うよ」

 林有思は起き上がり、テイッシュをくしゃくしゃに丸めて冀楓晩に投げつけ、振り返って玄関に向かって行った。「じゃね!ドイツに行ってる間に、家で死なないで!」

「頑張ります」

 冀楓晩はのんびりして全く誠意のない口調で答えた。林有思がドアを開け閉めして姿が消えた瞬間、顔の笑顔が一瞬に崩れ、長く息を吐いてテーブルに突っ伏した。

 すごく疲れた。

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