第7章

「何?」ジョナサンは何秒間ポカンとした。「何を忘れた?」

 彼はハイリーの顔を見て、そして思い出した。ほんの一瞬で、ジョナサンは何も聞こえず、まるで耳鳴りがしたように、胃が痙攣した。さっき食べたアイスが彼の胃の中で転び、気持ちが苦しくなった。彼が半裸になっていた姿も肩に乗せた汗でびしょびしょにされたTシャツも信じられないほどにおかしく見えた。

 しかしハイリーの眼差しが彼を一番苦しめた。

 ジョナサンにはハイリーが傷ついているのか、怒っているのか、疑っているのか、それとも三つの感情を同時に抱いているのか分からなかった。確かなのは、ハイリーがこんな風に彼を見つめていると、彼はただ穴を見つけて中に隠れたいと考えた。彼女は何も言えず、ずっと彼を見つめていた。ジョナサンの足はまるでフローリングに張り付いたようで、そしてハイリーの視線は無数の弓矢のように、無慈悲に彼の体を突き抜いた。

 彼の両親はハイリーの両側に座り、同情かつ彼を責めている眼差しで彼を見つめた。オッオー、彼らの眼差しはまるで『大変なことになったな、ジョナサン』と言っているようだ。

 そうだ。ジョナサンは今更そう考えていた。大変なことになった。

「どこへ行ったの、ジョナサン?」とハイリーが問いかけた。

「僕は──」ジョナサンは何も言えなかった。どう説明すればいいのか分からなかった。だって彼は慶浩と一緒にいた。そのせいで完全に時間を忘れた。慶浩のことを言えば、ハイリーをより怒らせることを心の中で分かっていた。

「土曜日の午後一時、Forever21」ハイリーは一字一句、ゆっくりと話した。「あそこでどれだけ待ったのか知っている?」

 ジョナサンは頭を振った。

「一時間よ」とハイリーは言った。「一時間も待ったよ」

「僕に電話するべきだ。僕は──」とジョナサンは言った。

「あんたに電話する?」ハイリーは「ぱっ」と息を吐いて、それはまるで笑い声のように聞こえた。「あんたに電話する?ジョナサン、私はあんたに電話を十五回もかけたよ。でもあんたは一回も出ていない」

 ジョナサンは慌てて手をポケットに入れた。それから彼は固まった。彼のポケットには何もなかった。今朝出かける時、そもそも携帯電話を持っていなかったことを思い出した。

 ハイリーは明らかに彼の表情から答えを見出した。彼女は眉を上げ、『もうどうでもいい』という意味の表情を見せた。「うん、だから私はもう帰る」彼女は立ち上がり、振り向いてジョナサンの両親に会釈した。「ありがとうございます」

「待って、ハイリー……」とジョナサンは言った。でも彼はまた何を話せばいいのか分からなかった。

「あ、そうだ」とハイリーは彼に微笑んだ。「ありがとう、ジョナサン」

 この言葉はまるで強力なビンタのように、ジョナサンの顔に重く見舞った。ハイリーは彼のそばをすり抜け、振り返らずにドアに近づいた。ドアが閉まることを意味する金属のぶつかり合う音が鳴った時、彼は自分の足指がドアに挟まられたように、ただ頭を抱えて叫びたかった。

 その時、ジョナサンが知りたいことはたった一つだった。「僕は慶浩と一緒に出かけたことをハイリーに教えた?」と彼は両親に尋ねた。

 彼の母は悲しい表情で彼に向けて頷いた。ジョナサンは絶望的な叫びを上げた。

「ハイリーと約束したことを知らなかった」と父は言った。

「うん、知っている」ジョナサンは目を閉じながら言った。「ごめん。えっと、つまり──おお、神よ。終わった」

「晩ご飯を食べるの、ジョナサン?」と母がアドバイスした。

 ジョナサンはそれを断った。この夜、風呂に入った後に彼は自分を部屋に閉じ込め、ベッドに横になり、漆黒な天井を睨んでいた。彼は今の自分の姿が好きじゃないけど、涙が目じりから流れ出すことを止められなかった。彼には自分が何時に寝たのか分からないが、最後に見たものはカーテンの隙間から流れ込む微かな光だってことを覚えていた。

 翌日、ジョナサンが目を覚ますと、彼の目はチクチクと痛んだ。彼は踵を引きずりバスルームに入り、鏡から自分の赤く腫れた眼窩、充血した目と目の下にあるクマを見た。彼は試しにダイニングテーブルに座り、朝ご飯を食べようとしたが、目の前にあるサンドイッチを見て、一口も食べられなかった。まるで無数の蝶が彼の胃の中で羽をバタバタしているように、彼は食べ物を見ただけで吐き気がした。彼の両親は親切に何も聞かずにいたから、ジョナサンは彼らの気遣いを心から感謝している。

 昼ご飯前にジョナサンは勇気を出してハイリーに電話をかけた。一回目の時、コールを五回を鳴らした後に切られた。二回目を試したが、結局そのまま留守番電話になった。三回目、四回目も試したが、同じ結果だった。最後に彼は落ち込んだように携帯電話をベッドに投げ、顔を枕に埋めた。

 彼が焦燥で不安になった時、ジョナサンはできる限り慶浩のことを思い出させないように無理強いをした。でも止めれば止めるほど、慶浩が影のように、彼の頭に潜んでいた。気が緩んでしまえば、慶浩の存在を感じてしまう。

 慶浩と一緒に出掛けるべきじゃなかった。ジョナサンは殆ど後悔しているように考えた。「殆ど」だ。ジョナサンは罪悪感に満ちているにもかかわらず、もしもう一度選ぶことができれば、彼は慶浩と一緒にバスケをすることを選んでしまうだろう。でも彼は時間を覚え、約束の時間にハイリーと会うことを忘れないだろう。もし慶浩は彼がハイリーとの約束をすっぽかしたことを知ったら、彼はなんて言う?ジョナサンの頭は慶浩の嘲笑う顔を浮かべたが、それが彼の心拍数を乱した。

 これじゃダメだ。彼は手で顔を覆った。もしこんなことが女の子の身に起きたら、それがどういう状況なのか分かっていた──例え彼が落ちこぼれでも、学校で女の子たち同士が話している噂話を聞いたことがあった。男のために自分の友達を置き去りにした女の子、彼女たちは「ビッチ」と呼んでいた。もしかしたら、ハイリーはもう心の中で何百回もビッチと呼んだのかもしれないとジョナサンは悲しく思った。もしハイリーが面と向かって彼をそう呼んだとしても、彼は反論できないかもしれないと思った。

 幸いなことに、日曜日の時は慶浩に会うことがなかった。でないと、丸一日に彼は狂人のように、頭が混乱して、ロジックの欠片もなかった。ハイリーのことでもう頭がいっぱいで、慶浩に関わってほしくなかった。

 ジョナサンは彼が劇団から逃げ出す出口だと慶浩は言ったが、ジョナサンからすれば、ある面では彼にとって慶浩もそうだった。慶浩は彼が日常生活から逃げ出す出口で、ようやく自分がある重要人物になったと思えるきっかけだ。慶浩と一緒にいると、彼はもう何でもいいと思っているジョナサンじゃなくなった。彼が想像している慶浩と並ぶために、もっとよくなりたい、もっと見せたいと思うようになった。でも慶浩が彼に対して冷たい言葉を放つと思うと、ジョナサンは本当の自分ではいられなかった。

 それ故に、彼は慶浩とハイリーの間にバランスが取れなかった──二人の前に、彼はまるで全く違う人のようだ。彼にはどうやって両者を混ぜ合わせればいいのかまだわからなかった。

 月曜日の朝、ジョナサンは相変わらずに庭の中から自転車を引いた。フェンスの向こう側を見たが、ハイリーの自転車はもうそこにいなかった。ジョナサンはハイリーが彼を置いて先に行ったことに驚いていないが、この事実に彼の落ち込んでいた気持ちをより悲しませた。

 彼は昼ご飯時間前まではハイリーと話せなかった。ハイリーが廊下で彼を見かける度に──ジョナサンには彼女が彼を見たのか、確認すらできなかった──彼女はいつも本を抱えて速足で通り抜き、顎を上げながら、視線を前方に送り、徹底的にジョナサンを空気扱いにした。ジョナサンは廊下で気まずい場面を作りたくないから、彼は勇気を出して彼女を呼び止めることができなかった。

 しかし彼が食堂に入ろうとした時に、彼はもうこんな雰囲気に耐えられなかった。生徒たちは順番に食堂の扉を通り抜け、ジョナサンは扉のそばに立ち、ハイリーが通り過ぎるのを待っていた。彼は一目でグループになっていた生徒の中からハイリーの黒いカールが見えた。彼女は他の授業の同級生と一緒に歩いて、ある話題に盛り上がっていたようだ。彼女の表情は明るくて、いつもジョナサンと一緒にいる時のままだ。この想いでジョナサンはやきもちを焼き、彼は唇を噛んで、彼女が通り過ぎる時に彼女の肩を掴んだ。

 彼の動きでハイリーは神経質に振り向いて彼を見つめた。

「ハイリー、僕は──」

「離して」ハイリーは平然として言った。

 ジョナサンは歯を食いしばって、一口深呼吸をした。「本当に悪く思っている、ね?わざとすっぽかした訳じゃないんだ──」

「いや、違う」とハイリーは言った。「あなたはただ慶浩と遊ぶのが楽しくて、バカみたいな古い友人がショッピングモールの前で待っていることを忘れた。大丈夫、理解しているから、ね?今すぐに離して」

 この言葉がジョナサンの目をチクチクと痛むほどに突き刺し、彼は目を回して、頑張って瞼を開け、無理矢理に涙をこらえた。「そんなことを言わないで、ハイリー」と彼は願った。「ちゃんと話そう?」

「話す?私と話したいの?」ハイリーは大笑いを出した。でもその笑い声には楽しさが含まれず、むしろ彼女が「は」と叫んだように聞こえた。彼女は体の向きを変え、ジョナサンの方に向けて、強く彼の肩を押した。「何を話せばいいと思う?ん?あなたが劇団に入った後に、どのように私をゴミのように蹴落としたのか?それとも、あなたは本当に──」

 ハイリーの声が急に止まった。ジョナサンは瞬きをし、彼にはハイリーが何を言いたかったのか分からなかった。彼は彼女の頭上を通り越して見ると、行き交う生徒の好奇的な視線を感じた。

「一体何をしているのか分かってるの、ジョナサン?」とハイリーが小声で言った。「一体何のために時間をかけて、こんなことをしているのか、少しもわからないの?」

「僕はただ手伝えたいと考えただけ」ジョナサンの口が乾いた。「劇団に人手が必要だから僕は……」

 ハイリーは白目をむいて、彼の言葉を遮った。「そんな綺麗事を言うのをやめてもらえる?もう十分に聞いた。劇団がこうで、劇団がそうで、全部劇団ばかりだ。しかし劇団はあなたにとって、どれくらい大事なのかは神のみぞ知ることだ」彼女は真っ直ぐにジョナサンの目を睨んだ。「それは事実じゃない。あなたはよく知っているはずだ」

「それは──」

「話は終わった」とハイリーは平然として言った。「私はあなたが仲間を失った蟻のように自分の目標すらもわきまえずに、無駄に忙しくしているその様子はもう見飽きた。あなたが私に誠実にしているかどうかは気にしない、ジョナサン。でも私はあなたが自分を騙してなおいい気になるのを見たくない」

「ハイリー、よくわからない」ジョナサンは自分の声が野良犬よりも可哀想に聞こえた。

「なら尚更話す必要はない、わからないのか?ジョナサン」とハイリーは言った。「まずは心の中で何を考えているのかを問いかけてみて。一体何が欲しいのか」彼女は一口深呼吸して、彼女の肩を掴んでいるジョナサンの指を一本ずつにもぎ取った。「他人と争ってあなたの関心を得る必要はないと思う」

 最後の言葉にジョナサンはその場に固まった。彼はハイリーが彼の手を振り払い、食堂に入っていくのを見送って、彼自身はまだその場を立ち尽くしていた。

 そして彼はハイリーが言いかけた言葉を思い出した。彼は唇をすぼめ、目を閉じた。神よ。だからハイリーは知っていた。彼は慶浩が好きなことをハイリーは知っていた。

 でも彼女は彼に誠実であってほしい──自分に誠実になる──というのはどういう意味だろう?

「へい、ジョナサン」誰かが傍で呼んだが、ジョナサンは突然それが自分の名前だということを忘れたようだ。ある人が手を伸ばして彼の前に何回も振るまで、彼は自分の靴を見つめていた。

「へい、ジョナサン!どうした」

 ジョナサンは驚いたように頭を後ろに倒し、そしたら慶浩が両手をポケットに入れて、眉を上げながら彼を見つめているのを見た。

「どうした、なんか問題があるのか?」慶浩の口元は片方に傾いた。「ここで俺を待っていたのか?」

 ジョナサンの視線は慶浩の肩を通り越して、後ろにいた劇団メンバーはジョナサンに向けて微笑んだ。彼は額の角を抑え、頭を振った。「いや、何でもない」と彼は言った。「ハロー、慶浩」

「わ、何かあったのか?」慶浩は腕を伸ばして、ジョナサンの肩に回し、その動きでジョナサンはびっくりして飛び上がりそうだった。「もっと楽しそうにしているのかと思った」

「うん、頑張って試してみるよ」ジョナサンはできるだけ自分の口調を軽やかにしているが、あまり効果が良くなかった。

 慶浩は眉をひそめた。「おかしい。いや、マジでおかしい」

 彼の顔はジョナサンとほんの少ししか離れず、ジョナサンは顔を振り向けることすらできなかった。慶浩の香りは彼の鼻に充満して、呼吸が難しくなったのを感じた。

「本気で言うけどさ」慶浩の声が彼の耳元に囁いた。「どうなっているだ、あ?その友達と喧嘩した?」

 ジョナサンはもう少しで彼を押しのけそうになった。彼には慶浩がいたずらをしているのか、それとも本気で尋ねているのかわからないけど、慶浩の急所をついた質問にジョナサンは少し腹立たしくなった。

「今はそれを話したくない」とジョナサンはぶつぶつと答えた。

「わかったよ、ボス、君の言った通りにする」慶浩は腕を引っ込め、もう一度ポケットに入れた。ジョナサンはようやく一口深呼吸をすることができた。「俺らと一緒に座ろう、いいだろう?」

「うん」とジョナサンが答えた。

 この昼、ジョナサンは初めて慶浩の話を聞いていなかった。彼は会話に参加しようとした、もしくは彼らが何かを話しているのか理解しようとしたが、なかなか集中できなかった。彼はついハイリーとその友達のテーブルに視線を送り、そして彼女たちが話に盛り上がっているようで、笑いが止まらないのを見た。ジョナサンは驚きに感じせざるを得なかった──二人の間に一番相手が必要なのは彼であって、ハイリーじゃなかった。彼は悲しくなるべきなのか、それとも恥ずかしくなるべきなのか分からなかった。彼がいなくても、ハイリーは元気で居られた。でもハイリーがいなくなったら、ジョナサンは自分が半分の魂を欠けているように感じた。

 そして彼はハイリーが言った言葉は正しいことに気づいた。彼は自分が何をしたいのか理解しないと。彼には何で自分がハイリーと劇団──もしくは慶浩──の間にバランスが取れないのか分からなかった。それにハイリーの態度はより彼を困らせた。

 ジョナサンは向かいに座っている慶浩の視線がずっと自分の身にあることを感じたが、慶浩と目を合わせようとしなかった。今慶浩と話すと、ハイリーを裏切っているようで、まるでようやくハイリーを振り払ったことを無意識に喜んでいるようだ。

 圧迫した雰囲気で彼はもうこのまま食堂に座りたくなかった。チャイムが鳴る前に、ジョナサンはもうトレイを持って立ち上がった。

「どこへ行くの、ジョナサン?」と慶浩が尋ねた。

「えっと、次の授業の宿題を早めに出さないと」とジョナサンは適当に言って、席を跨いで離れた。

「本当に病気になっていないのか?」と慶浩は言った。「放課後に病院に連れて行くか?」

「大丈夫、ありがとう」とジョナサンは言った。

 彼がゴミ箱の傍まで近づき、トレイにあるものを捨てようとした時に、「約束だから、ジョナサン!放課後にまたね!病院に行くよ!」と彼は後ろで慶浩がそう言ったのを聞いた。

 ジョナサンは劇団のメンバーたちの笑い声が聞こえたのかわからないけど、彼は振り返らないことを決めた。もし慶浩は彼をからかっているのなら、絶対に思い通りにはさせない。

 しかし彼は慶浩を見誤った。

 放課後、ジョナサンが駐車場に足を踏み入れると、彼は彼の自転車の傍に立っている慶浩に驚かされた。

「ここで何をしている?」ジョナサンは彼を睨んだ。

 慶浩は自分の自転車を引いて、肩をすくめた。「病院に連れて行くと言ったはずだ」

「お、頼むから、慶浩。僕は──」

「黙って」と慶浩は言った。「乗れ」

 そしてジョナサンが答える前に、足をクッションに跨いで、駐車場を離れた。ジョナサンは彼の離れた後姿を見て、歯を食いしばって、自分の自転車に乗り、慶浩の後ろに付いて行った。

 慶浩はどこへ連れていくのか教えていないから、ジョナサンは案内してもらうしかなかった。意外なことに、最終的に来たのは土曜日にバスケをしたあのコミュニティ公園だった。

「何でここに来た?」

 ジョナサンと慶浩は自転車に鍵をかけ、コートへ向かった。慶浩はまるで彼の質問を聞いていないかのように、自分勝手にバスケコートへ向かった。ジョナサンはコート上に走り回っているいくつかの姿が遠くから見えて、足を止めた。

「いや、いや」とジョナサンは言った。「慶浩、今日はバスケをする気分じゃない」

「おう、選択肢を与えるつもりはない」慶浩は片手に彼の腕を掴んだ。「俺を信じろ。これは医者なんかよりもずっと効果的だ」

「慶浩、僕は本当に──」

 しかしジョナサンが話し切る前に、慶浩はコートに向けて「へい、ジェイコブ!人を連れてきた!」と大声で叫んだ。

 痩せた体型の黒人の子供は自分の名前を聞いた途端に振り返り、視線をジョナサンの身に落とし、微かな笑みを浮かんだ。

「おう、ハロー、ジョナサン」とジェイコブは言った。「まさかこんなに早くまた会えるとは思わなかった」

「ハロー」例え全然やる気がなくても、ジョナサンは無理して笑顔を作った。「正直に言うと、僕も思わなかった」

「こいつは病気になった」と慶浩は言った。「少し助けが必要だ」

「わかった、わかったよ」ジェイコブは手を伸ばして、友達から投げられたバスケットボールを受け取り、そしてジョナサンに向けて投げた。「これは効果的だ」

「一体何をしている、慶浩?」とジョナサンは言った。「僕は本当にしたくない──」彼は両手でボールを掴んで、眉をひそめた。

「そこで口うるさくするのをやめろ」慶浩はシャツのボタンを解き始め、そして脱いだ服とリュックを一緒にコートの傍に投げ捨てた。「早く、女の子のようにするな!」

「来い、ジョナサン」ジェイコブは顎を上げて彼を見た。「バスケはいつだって特効薬だ。やってみればわかる」

「もしバスケットコートにいなければ、何らかのドラックを勧めているように思う」とジョナサンが答えた。その言葉でジェイコブは大笑いを出した。

「いいから、コートに入れよ、兄貴」とジェイコブは言った。

 そしてジョナサンはコートに入った。

 彼の錯覚かどうかわからないけど、今回のストリートバスケは前回よりも激しくなった。人数は前回より半分くらい減ったけど、でも今回誰かがジョナサンの胸元にぶつかる度、自分の内臓が混ざり合うのを感じた。前回は全員ゲームを遊んでいるようだけど、今回彼らの態度はまるで本当の試合をしているようだ。全員のバスケットゴールと相手を見る眼差しはまるでレトリバーが獲物を見ているようだけど──ジョナサンは彼らの視線は自分の身に向けているように感じた。誰と同じチームなのかさえも分からなくなり、だって傍にいる全員は彼からボールを奪い取るように試みをし、何の気遣いもなく彼を押し、もしくは彼を一方に倒れそうになるまでぶつかった。何回か手を上げた途端、手を出す機会もなく、ボールが後ろから叩き落された。別の人からボールを奪おうとしたら、いつも何の躊躇もなく肘で打たれた。

 前回バスケをした時に味わった挫折感は自分の球技の悪さによるものなら、今回ジョナサンが感じたのはわざとらしい侮辱だ。慶浩でさえ彼の無能を嘲笑っているように、彼が手を下した力は他の人に勝っているようだ。

 ジョナサンには何で今日限って──彼の気分が一番悪い日を選ぶのか分からなかった。

 彼は人と衝突することは好んでいないかもしれないが、誰もが押したり、打ったりするようなサンドバックじゃない。

 慶浩がもう一度理不尽に彼を押しのけ、ジョナサンのディフェンスを突き破ろうとした時、ジョナサンは重心を失い、足首がもう一方に向け、体を歪みながら地面に倒れこんだ。彼の肩が先に着地して、首は慣性のままに片方に傾げ、肩が地面につく後、また反対側に大きく投げつけられた。自分の頸椎から恐ろしいガラ音が聞こえそうだった。彼の頭は少しくらくらして、ほんの一瞬で目の前が真っ黒になり、耳から怪しいブンブン音しか聞こえなかった。彼は横向きに地面に倒れこみ、必死に瞬きをし、足掻きながら大きく呼吸をしていた。

 彼の視覚が回復した時、コート上の全員がその場に止まり、じっと彼を見つめていた。それからある人が前へ踏み出し、彼と二歩を離れたところまで近づいた。

「それくらいしかできないのか?」慶浩の声が上から伝わってきた。「なんだ、ジョナサン?立ってよ。頼むから、それで死ぬなよ。立って」

 彼の声はまるで数キロ先から聞こえるようだ。ジョナサンは足掻きながら立ち上がったが、地面が揺れているように感じた。

「だからできるじゃん」と慶浩は言った。「君は女の子のように地面に寝そべってシクシク泣くのかと思った」

「それ以上に……そんな風に僕を言うな」とジョナサンは言った。

「何?」慶浩は大袈裟に手を耳に当て、目を細めながら彼に近づいた。「聞こえない。何か言った?」

「もう僕を嘲笑うな!」とジョナサンは叫んだ。

「お、そうか?」と慶浩は言った。「だから何?俺を噛むのか?」

 この時、ジョナサンは自分の頭の中に何かが砕けたように感じた。おかしなことに、そのおかげである妙な解放感を覚えた──ずっと彼を縛っているものが壊され、取り外され、ようやく彼は初めて自由に四肢を伸ばすことができた。

 彼は初めて感じた自由を慶浩の身に使うことを決めた。

 頭が反応するよりも先に、彼はもう走り出した。さっき転んだせいで足元はまだふらふらしているが、慶浩に重くぶつけることに影響を与えなかった。

 慶浩は驚いたようにフンという声を出し、それがジョナサンの心の底から愉快さに近い感覚を沸き上がらせた。慶浩は後ろに倒れ、急いで一歩後ろに下がり、体を安定させた。ジョナサンは自分の肩を慶浩の胸元にぶつけ、そして力強く彼を押した。

「僕のことを馬鹿にしないで!」とジョナサンは叫んだ。「君も、ハイリーも!劇団の全員もそうだ。まるで僕が何もかもうまくできないような……」

 慶浩は両手で彼の肩を掴んだ。ジョナサンは彼に押しのけるか、もしくは地面に叩きつけるかと思い、目を閉じて来るべき衝撃を受けようとしたが、何も起きなかった。ジョナサンは目を細めて慶浩をチラッと見ると、彼の顔に満面の笑みを浮かべているのが見えた。

「最高だ、そう来なくちゃ」と慶浩は言った。「君もちゃんと本音を言えるじゃん」

「どう……どういうこと?」

 口を開けば、ジョナサンは自分の声が尖ってかつ二股に分けられたことに気づき、咳払いをした。そんな時、他の黒人の子供たちはようやくまた動き始めた。

「バスケが効果的だって言ったはずだ」ジェイコブは近づいて、地面に落ちたバスケットボールを拾った。「内心どんな人でも、バスケを通して解放してくれる。バスケコートでは、偽装は通用しない、兄貴。全部本当だよ」

 ジョナサンは息を切らして、ジェイコブを見つめ、まるで彼が話しているのは英語じゃないようだ。それから彼の頭は徐々に回復した。ジェイコブが話した言葉は少しずつ彼の意識に浸透していった。

「もしかしたら君の言う通りかもしれない」とジョナサンは言った。

「もしかしたらじゃなくて」ジェイコブは微笑んだ。「俺はいつも正しい」

 慶浩は手を差し出した。「サンキュー、ジェイコブ」彼はジェイコブと複雑なハイタッチの手振りをした後、ジョナサンはジェイコブが慶浩に向けてウインクをしたのを見た。

「それじゃ」ジェイコブと慶浩は最後に肩をぶつかり合った。「そろそろいくだろう」

 ジョナサンは慶浩に振り向いた。「行くって?」と彼は尋ねた。「どこに?」

「アイス?」と慶浩は言った。

「いいよ、アイス」とジョナサンが答えた。

 だから彼らはまた同じコリアタウンに戻り、同じテラス席に座り、同じ味のアイスを食べていた。ジョナサンの頭はまだ通常の状態まで回復していない──彼は自分がまるでジェットコースターから降りたばかりの乗客のように、足がふらふらして、いつでも宙に浮かんでしまいそうな感覚だった。でもその同時に、彼は自分の心臓が速くなるのを感じ、アドレナリンの影響がまだ消えてなかった。彼は興奮して、空に向けて大声で叫んだり、大笑いをしたり、または何かを殴ったり、蹴ったりすることをしたかった。

「で、今はどんな感じ?」と慶浩は尋ねた。

「悪くない」とジョナサンは認めた。「バスケをする前のどんな時よりもずっといい」

 涼しいスイーツは彼の喉に沿って滑り落ち、ジョナサンは満足そうに目を閉じた。彼は傍から伝わる慶浩の低い笑い声が聞こえた。

「どうやら彼女さんによる悪い気分から救うことができた」

 この言葉を聞いてジョナサンはもう少しで口の中に入れたアイスにむせた。彼は強く飲み込み、そして眉をひそめた。「何?」

「ハイリーのことを言っているんだ」と慶浩は言った。「彼女じゃないとか言わないでよね」

「でも本当に彼女じゃない」とジョナサンは言った。

「そう、そう。まるで男の子の部屋に一人でいる女の子がいるかのように言わないで。偽善者ぶるなよ、ジョナサン」

「でも──」

「うん」と慶浩はゆっくりと言った。「もちろん、君がゲイじゃない限り」

 ジョナサンは彼の顔を見つめた。慶浩の眼差しは真っ直ぐで、避けることも、瞬くこともなかった。ジョナサンは急に自分の心臓が彼の胸骨に重くぶつかったように思った。

「彼女は僕の彼女じゃない」とジョナサンはできる限り冷静に言った。「僕たちは生まれてから隣人で、だからいい友達だ。家族のようなものだ」彼はため息をついた。「君が言ったように、家族は喧嘩するけど、僕たちは相変わらず家族だ。ただ彼女が僕を許してくれるかどうかわからないだけ」

「わかったよ、彼女じゃない」と慶浩は眉を上げた。「で、一体何の為に喧嘩した?まさか同じ男のためじゃないよね?」

「言葉の意味ではそうだ」とジョナサンは答えた。

 言ったきり彼は後悔した。彼の頭は正常に戻らず、さっき言った言葉は考えるよりも先に口に出てしまった。神よ。今何を言った?

 慶浩は声を出して爆笑した。「なんてこった」と彼は言った。「誰のために?」

「君には関係ない」とジョナサンが答えた。

「おい、それはないだろう」と慶浩は言った。「俺は口が堅いから信じて。教えて、絶対に他の人に教えないから。で、相手は誰だった?」

「君が考えているようなことじゃない」ジョナサンは白目をむいた。他に心配することはないだろう?彼はうっかり慶浩に一番疑わしいことを言ってしまった以上、それよりも悪いことはあるだろうか?「君のせいだ」彼は一口深呼吸して、抗議しているように言った。

「俺?」慶浩は大袈裟に後ろに倒れ、背もたれに寄りかかり、両手を上げた。「おう、おう、おう。まさか俺のためにやきもちを焼く人がいるとは思ってなかった」

「少し嬉しい過ぎるように見えるが」ジョナサンは彼を睨んだ。

「おう、そんなことはない」と慶浩は言った。

 でも彼は確かに嬉しそうにしていた。ジョナサンは彼の顔をじっくりと見て──慶浩の表情はまるでライトアップされたように、顔がキラキラと輝いているようだ。

 神よ。これはどういう意味?

「で、何で喧嘩したのか教えて?」慶浩の口調は平然としているように聞こえた。

 ジョナサンはため息をついた。「僕は彼女と土曜日の午後に一緒にショッピングモールへ行くと約束した。でも僕は君とここに来て、彼女との約束をすっぽかした。それだけ」

「おう」慶浩は口笛を吹いた。「どうやって説明した?」

「何も説明できなかった」とジョナサンは言った。「後で彼女はうちに来て、うちの両親は彼女に、僕は君と出かけたと言った。他に何か説明できる?彼女は全部知っている」

「当ててやろうか」と慶浩は言った。「だから、彼女は昼の時に君を俺らのテーブルに誘ったこともムカついている?」

「正解だ」

「でも何で?」

「何で彼女が怒っているのかってこと?」

「違う」慶浩は最後一口のアイスを口に入れ、そして紙コップを押しのけた。「つまり、彼女が怒るなら、何で君は俺の誘いに応じたのか?」

 ジョナサンはこの問題をどう答えればいいのか分からなかった。彼にはなんて言う?慶浩に断ることができないことを、彼に教えるというのか?彼は少しイライラしてそう考えた。

 例えハイリーと一緒に座っても、心ここにあらずであることをよく知っていた。でも劇団と一緒に座る時も、またハイリーを放っておくことはできなかった。両者の綱引きで気が狂いそうだった。

「わからない」ジョナサンは目をこすった。「これは少し複雑だ」

「そこまで複雑じゃない」と慶浩は言った。

 慶浩の彼を見る眼差しでジョナサンは心の中で警報を鳴らした。いや、そんなのあり得ない──慶浩は事実をしるはずがない。でも、何で彼は知るはずがないだろう?

 神よ。ジョナサンは今すぐ家に帰りたい。

 質問をしているような慶浩の眼差しは何秒間か続いて、そして彼は瞬きをし、肩をすくめた。

「ただ本当のことを言えないだけ、そうだろう?」慶浩はジョナサンに向けて歯を見せて笑った。

「誰だって言えない秘密くらいはある」とジョナサンは声を出さないで言った。「君もそうだ」

「おう、そうなのか?」慶浩は面白がっているように眉を上げ、彼に寄り添った。「例えば?」

「君が言っていないから、僕は知るはずがないだろう」とジョナサンが答えた。当然ながら慶浩にどんな秘密があるのか知らなかった。事実上、彼は慶浩のことを何も知らないからこそ、彼が謎だらけのように思った。そして人類はいつだって未知なことに対して、好奇心を抱くものだ。

「ふーん。なら教えてやるよ、ジョナサン。君は優先順位を間違っている」と慶浩は言った。「聞かれていないから、何を話せばいいと思う?」

「僕が聞いても、君が答えてくれるとは限らない」

「それはどうかな」慶浩は何かを考えているように彼を見つめた。「うん、なら試してみてよ。何が知りたい?」

 その瞬間、ジョナサンはその考えをどこから沸き上がったのか分からないけど、慶浩の眼差しの中から彼がずっと期待しているが、一度も信じられなかったものを見た気がした。

 ジョナサンは唾をのんだ。

 そして彼は怯んだ。

「何を聞けばいいのか分からない」ジョナサンは慶浩の眼差しを避けた。

「惜しい、ジョナサン」と慶浩はゆっくりと言った。「惜しいよ」

 慶浩はジョナサンと一緒に自転車に乗って帰った。ジョナサンが自転車を柵に鍵をかけた時、歩道に立っていた慶浩の視線はずっと彼に落としていた。

「うん、それじゃまた明日」ジョナサンは背筋を伸ばした。

「また明日」慶浩が微笑んだ。

 ジョナサンは急いで視線を逸らし、振り返って大急ぎで家の前の階段に登った。その時、慶浩は後ろから「ジョナサン」と呼んだ。

 ジョナサンは振り返った。「何?」

「何でもない」慶浩は肩をすくめ、自転車に跨いだ。そして彼はジョナサンに向けてウインクをした。「あまり俺のことを寂しく思うなよ」

「何──」

 でも慶浩はもうペダルを踏んで離れた。

 ジョナサンには自分がドアノブを掴んで、どれくらいそこに立っているのか分からず、そして彼はまだ鍵を出していないことに気づいた。この日の夜、彼は思わず慶浩の最後に言った言葉の意味を考えずにはいられなかった。それともし本当に彼が一番知りたい問題を聞いてしまったら、慶浩はどんな答えを出してくれるだろう。

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