第5章

 ジョナサンはハイリーの家まで行って、玄関前の階段で焦りながら待っていた。

 劇場を離れた後、彼は直ぐにハイリーに電話を掛けた。もう一人でこんなストレスに耐えることができない。前日の夜と今日の争いの後、ハイリーとゆっくりと話す必要がある。どんな話でもいい、例えそれはハイリーが見たドラマの話でもいいのだ。

 でもハイリーは彼の一本目の電話に出てなかった。もっと正確に言うと、彼女は彼が掛けた電話を着信拒否した。ジョナサンは三回も鳴り続けたジリリリリン音の後、唐突な着信拒否の音声が聞こえた時に、二秒くらい固まって、まだ何が起きていたのかも分からなかった。そしたら、ハイリーが彼の電話を切ったことに気付いた。その事実に頭が痛くなり、まるで誰かに指で強くこめかみを抑えられたような感覚だった。だから彼は二回目も三回目も電話をかけ、ようやく三回目の時に、ハイリーが電話に出た。

「何?」とハイリーが問いかけた。

「お願い、ハイリー」とジョナサンは自分の自転車の傍に立って、小声で焦っているように言った。「ちょっと話し合う必要がある」

「必要がある?」とハイリーは言った。そして笑ったようなはっきりとしない声を出した。「何?劇団から飛ばされたのか?」

 ジョナサンは錯覚かどうか分からなかったけど──ハイリーの声から、微かな皮肉を感じた。でもそんなことよりも別の心配をすることに優先した。

「違うから」とジョナサンは言った。「お願いだから、ね?今そっちに行ってもいい?君と話がしたい」

 電話の向こう側にいるハイリーが何秒か黙って、その沈黙の長さに、ハイリーがまた彼の電話をもう一度切るかと思った。ジョナサンは彼女を急かせず、ただ片手で電話を掴んで、片手で自転車のハンドルを掴んでいた。最後に、ハイリーは一つため息をついた。「分かった。着いたらチャイムを鳴らすように」とハイリーは言った。

「ありがとう、ハイリー」とジョナサンは言った。「本当に」

 ハイリーはただ簡単に「じゃあ」と答え、そして電話を切った。

 ジョナサンはいつもよりもスピードを出した。事実上、彼はまるで命からがら逃げるように──学校から遠く離れたいし、劇団からも暫く遠く離れたい。彼らが住むその通りに着くと、彼はペダルを踏むペースをさらに上げた。ハイリーの家に到着すると、彼は自転車を前庭の柵の傍に止めた。鍵すらも掛けずに、急ぎ足で玄関の階段に上り、チャイムを鳴らした。

 頭を上げて二階の窓辺を見て、ハイリーの部屋のカーテンから光が透かして見えた。ジョナサンは焦りを隠しきれずに手をポケットに入れては出して、手のひらをズボンにこすって、手のひらに流れている汗を拭いた。

 何でハイリーはまだドアを開けに来ないの?もしかしたら彼女は──

 暫く金属のぶつかり合う音がした後、ドアが開かれた。ハイリーはショートパンツを履いて、ゆるいTシャツを着て、ドアの前にある絨毯の上に立っていた。

 ジョナサンは自分が本当に息を吐いたかどうか分からないけど、確かにハイリーを見た瞬間にほっとした。

「ありがとう、ハイリー」彼は本気で言った。

 ハイリーは口角を動かして変な笑顔を作った。「入ってよ。久しぶりすぎて、どうやって私の家に入るのも忘れた?」

 ハイリーは体を横向きにして、ジョナサンを家の中へ入らせた。彼が入った後にその後ろでドアを閉めた。

 ハイリー家のリビングルームは明かりがついてなく、隅に立っているフロアランプだけが明かりがついていた。廊下の突き当りにあるキッチンから黄色い明かりが見えた

「何か食べる?」ハイリーが尋ねた。「夕食はもう食べた?」

「まだ」ジョナサンは言った。「劇場から出たすぐに電話をした」

 ハイリーは手を伸ばしてキッチンに指差した。「冷蔵庫に何か食べられそうなものがあると思う」

 数分後、ジョナサンとハイリーは一緒にキッチンにあるカウンターテーブル前のスツールに座った。ジョナサンの前にはレトルト食品のミントソースパスタと一杯のオレンジジュースで、ハイリーの前には水が入っていたグラスがあった。

 ハイリーの家のキッチンがジョナサンにとっては、自宅のキッチンのように馴染んでいる。少なくともこの一週間前ではそうだった。ジョナサンはつい辺りを見渡して、彼は急にこの一週間が予想以上に時間が経つのが遅いことに気付いた。彼はついある東方の神話を思い出してしまった。ある者は海亀に深海にある神秘的な王国に連れ込まれて、あそこの時間の流れは陸上よりもずっと遅かった。あの者が再び陸上に戻った時に、あそこにいる三日間が現実世界の三十年であることに気付いた。ジョナサンはつい劇場とその海底王国と比較してしまった──劇場にいる数日間で、元の生活から随分とかけ離れたように思えた。目の前にいるハイリーを見て、まるでもう何か月間も話していなかったかのように思えた。

「私の顔に何か付いているのか?」とハイリーが尋ねた。

「えっ?」

「まるでお化けでも見たような表情をしているよ」ハイリーが笑った。「何か問題でもあるのか?」

「いや、僕はただ……」ジョナサンは一口サイズのパスタを掬い上げたけど、食べなかった。「ただ久しぶりに会ったなと思っただけ」

「おっと、ようやく気付いたね」とハイリーは言った。「いいね、ジョナサン。何時気付くのかなと考えているところよ」

 ジョナサンは瞬きをした。「違う──」

「いや、何も説明しなくてもいいんだよ」ハイリーはグラスを上げて、祝杯を挙げるポースを取っていた。「チアーズ。ジョナサンはようやく悟りを開いた」

 ジョナサンはフォークを置いた。ハイリーの表情に彼は気まずさを感じ、『気まずさ』という言葉自体すらも相当気まずい存在だ──彼とハイリーの間に一度も気まずくなったことはなかった。よく考えてみると、こんな風に長い間、ハイリーと一緒にいないことは一度もなかった。彼は幼稚園の時に、寝る時間になると必ずしも熊のぬいぐるみを抱いてないといけないことを思い出した。小学校に上がると、彼はその熊のぬいぐるみを本棚の上層部に置き、一人でそこに居座せた。暫くの間、彼が学校から戻って部屋のドアを開けると、ついその熊のぬいぐるみに対するすまない気持ちが湧き上がって、まるでその熊のぬいぐるみを必要としないことが悪いことだった。

 そして今、その昔懐かしい感覚が再び湧き上がった。

 だけど彼には理解できなかった。ハイリーは最初から友達と一緒にいないとダメな子ではなかった。ある意味、彼女も変人だけど、彼女はちっとも気にしなかった。ハイリーはイヤホンを付けて、部屋にこもって、丸一日に本を読み続けてもつまらないと思わないような人だ──彼女はいつだって一人の時間を楽しんでいた。彼女にとって、ジョナサンと一緒にいることはある種の習慣で、呼吸と同じような当然なことだ。彼女はジョナサンが消えたことで寂しがることはないと、彼は一番知っていた。

 だから、彼にもハイリーが怒った理由が分からなかった。

 それでも、彼は自分の言うべき言葉を知っていた。「すまない」とジョナサンは言った。

「ふーん」ハイリーは水を一口飲んで、一本の指を振った。「ジョナサン、あなたが謝る必要はないよ。なにせ私は一週間も昼食をタダで食べられたから、そうだろう?」

「でも──」しかし彼はまだすまないと思っていた。ジョナサンは自分が罪悪感に影響されやすいことを知っていた。それでも、ハイリーは必ず彼の言葉を遮ることも知っていた。

「本当にすまないと思ってる?」とハイリーが尋ねた。

「本当だよ」とジョナサンは保証した。

「ならいい」とハイリーが微笑んだ。「今週末はショッピングモールに行くつもりだ。荷物の運び役をやってくれたら、許してあげる」

 ジョナサンは瞬きをした。「ショッピングモール?」

「そうだよ。新しい服、靴、自転車と洗濯機を買いたい。誰か運ぶ人が欲しい」

 この瞬間にジョナサンはようやくハイリーが言いたいことが分かった。ハイリーは何も買うつもりがなく、ただいつものように一緒に週末の時間を過ごしたい。

「いいよ」とジョナサンは言った。「ついでに新しい食洗器と暖房器、もしくはピアノを買ってもいいよ。全部運ぶのを手伝うよ」

 ハイリーは眉をひそめた。「本当に?」

「本当だ、絶対に約束を破らない」とジョナサンは言った。

「わかった」とハイリーは言った。「土曜日の朝に用事があるから、午後一時でForever21側の出口で待ち合わせしよう」

「土曜日の午後一時、Forever21ね。分かった」とジョナサンは答えた。

 そしてハイリーは今晩初めての皮肉のない笑顔を見せた。彼女はジョナサンのお皿に指差した。

「あなたは先ず夕食に集中しな」とハイリーは言った。「私は先に部屋に戻る。パソコンで半分まで見たドラマが残っている」

 ジョナサンは感謝を胸に込めて、目の前のパスタを食べ切った。彼は空き皿を綺麗に洗って、手慣れているように水槽のそばにある棚に置いた。それから厨房の明かりを消し、二階に上がった。その過程の中で、彼はもう一度心の中で自分に言い聞かせた:土曜日の午後一時、メッシデパート。

 彼はもうハイリーを──彼の人生で一番仲のいい親友を──失望させない。

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