第十章 殺人鬼(5)

 白清夙は数秒固って、駱洋のほうを見ると、また刺し貫かれた彼の手を見て、陸子涼を苦しませる主原因を判別しようとしている。すぐに、彼は何かに気づいた。

「私のせいです」

「……違います。あなたのせいではありません。この体はもともと壊れそうになっています」陸子涼は微笑んで言った。

「君とセックスをした後にとっくに予感がしています。さっき王銘勝と殴り合いをしなければよかったです。いろんなところを傷つけすぎました……」

「君の死体が──」

「大丈夫です。もうどうでもいいですから」

「君のこの体はもうすぐ──」

「シーッ、大丈夫ですよ」陸子涼は小声で言った。彼は口元の血を拭き取り、立ち直ると白清夙を見つめた。蒼白で凛々しい顔には、意外にも温かい笑みが見えた。

 陸子涼が突然聞いた。「俺は子供の頃から多くの危険に遭遇して、何度も死にかけましたが……なぜいつも生き延びることができましたか、あなたはわかりますか?」

 白清夙の目は赤くなり、喉が詰まって声が全く出せなかった。

「なぜなら、俺はいつもいい人に出会えたからです」

 彼はゆっくりと傷ついていないほうの手を上げ、白清夙の顔を抱えた。「例えば、あの梁という苗字の先輩と、俺のコーチと……それにあなたです。特にあなた。あなたは俺が陸家から追い出された後に出会った、最初のいい人でした。あの日、俺がお腹が空いてどれほど絶望していたのか、あなたは知るわけないでしょう。もともと私もお坊ちゃんだったのに……俺はあの日すごく死にたかったでした、本当に」

 彼は白清夙の目尻に触れて、湿ったものをなでた。「あなたは自分の頭の中によく悪念が出ると言いましたよね。自分は悪い人だと言いましたけど、実はあなたはいい人ですよ、白清夙。誰もが二つの面がありますから、あなたは……自分の明るい面を無視してはいけませんよ」

 巨大な疲労感が襲って来た。陸子涼は完全に自分を支える力を失い、白清夙の体の上に倒れた。

 白清夙は彼を抱え、再び近くの叩き壊された死体へ目を向けた。彼のいつもの氷山の如き顔の上に、初めて鮮明な恐怖が現れた。

「私が君の死体を修復してあげたら大丈夫ですか?いけるのですか?」

 もちろん無理だ。

 陸子涼は白清夙を抱き、あごを彼の肩に当てた。体の痛みがだんだん消え、自分の魂が間もなくこのぼろぼろな紙人形から脱け出すように感じた。

 結局は失敗したんだとは思わなかった。

 陸子涼が目を閉じると、白清夙の激しい拍動の音が耳元に聞こえた。あまりにも近くて、まるで自分の胸の中で拍動しているようだ。

 瀕死の時に誰かが彼のそばにいてくれるのは初めてだ。

 陸子涼の血のついた口元には、微笑みが浮かんでいた。

「死体はもう修復しなくてもいいですよ。あなたは……俺を解剖してください」陸子涼はボソボソと「思い出した。王銘勝が浴槽に水を溜めている時に、電話に出るため外に出ました。俺は逃げようとして、カメラにぶつかりました。カメラが床に倒してしまったら、メモリーカードが出てきまして……俺はそれを飲み込みました」と言った。

 白清夙は息を詰まらせながら言った。「いやです。君を解剖したくありません」

「メモリーカードの中には絶対……彼の犯罪の証拠が保存してありますから」陸子涼の声はどんどん小さくなっていく。「真相が明るみに出る日を待っている被害者がまだいますよ……」

 白清夙はまるで失うのを恐れているように陸子涼の体を抱きしめずにはいられなかった。彼の心は巨大な自責と恐怖の念に満たされている。もともと猛威を振るっていた暗闇と邪念はかえって最下層に抑えられて地上に出られない。彼は慌てて正神さえに助けてもらおうと思った。「あの城隍廟です。あの廟にいる神様が君を助けてくれているのですね?私が君を連れて行きます。今すぐ君を連れて行きます!倉庫にはまだたくさんの紙人形がありますから、絶対にまだ何とかできます」

 陸子涼は彼の服を掴み、動かないようにさせた。

「白清夙……俺は一つお願いがあります」

「約束します。何でも約束しますから」

「あなたの初めての被害者になりたいのです」

 白清夙は呆然とし、体は激しく震えはじめた。陸子涼が彼の首にキスしたのを感じた。彼を慰めるようでもあり、彼に別れを告げるようでもある。

「あなたがもともと思っていた通りに、自分の手で俺の体を切り開いて、俺を殺す前に、あなたは誰も殺しちゃだめですよ……」

 白清夙の呼吸は詰まり、ほとんど止まりそうになった。

 陸子涼が小声で「いいかな?」と言った。

「……」

「いい?」

 白清夙は薄い唇を少し開け、しばらく後に、「いいです」と、一つの言葉を絞り出すことしかできなかった。

 陸子涼は笑ったようだった。彼はごくわずかの笑い声を出した。

 それから、しばらくの間静かになった。

「小涼?」

 白清夙は陸子涼の微動だにしない体を抱え、陸子涼の後頭部をやさしくなでた。

「小涼?」

 薄暗く寒い回廊には、人を窒息させる沈黙が広がっていた。

 しばらくして、警察が現場に到着した。

 警察たちはぼうぜんと一面の散乱を眺めた。ここで一体何が起きたのか想像もつかなかった。

 惨死したスタッフ、回廊に溢れる赤い血、冷凍庫から盗み出され叩き壊された死体、重体を負った殺人犯の王銘勝……それから、奇妙な紙人形を抱え、壁にもたれ掛かってぼうっとしている白監察医。

 白監察医に近づこうとするものはいない。

 白監察医の顔色と、彼の腕に抱かれたぼろぼろで笑顔が奇妙な紙人形は、百戦錬磨たる警察たちをもひどく怖がらせた。

 誰もが側で躊躇していて、手を着けられなかった。幸いなことに、彼らが待ち望んだ救世主がやって来た。

「梁検察官!」

 刑事がバリケードテープを持ち上げ、梁舒任を急いで入らせた。「郭隊長は救急車について病院へ行きました。我々が白監察医にどれだけ説得しても彼には聞こえていないみたいで、いやはや……」

「俺が行ってみる」

 梁舒任は早足でセンターに入った。現場に近づけば近づくほど彼の表情は重々しくなった。白清夙が何かを抱えているのを見ると、彼の顔色はさらに青白さを極めた。

「清夙」

 沈黙。

「白清夙」

 相変わらず沈黙。

 梁舒任は身をかがめたが、白清夙には触れず、彼の腕に抱かれた紙人形も動かさなかった。「そろそろ陸子涼の死体を移動するよ。しばらく葬儀場に運んでおくけど、起きて手伝わないか?」

 陸子涼という名前を聞くと、白清夙はついに反応を見せた。

 彼のまつ毛は軽く震え、ぼんやりとした瞳に強烈な感情が湧いてきた。腕に力を入れると、腕の中の紙人形からパサッと紙の音が響いた。彼はしわがれた声で「小涼が教えてくれた。彼がカメラのメモリーカードを飲み込んだ。その中に王銘勝が彼にした凶行の過程が保存されている、と」

 梁舒任は黙っていた。陸子涼がどうやって彼に教えたのかも問わなかった。ただやさしく「陸子涼には連絡を取れる家族がいないから、君が同意すれば俺が解剖を手配する。なぜなら、王銘勝の案件は比較的切迫していて、民衆も上司も関心を寄せているから、もしかすると、明日にも行わなければならないかもしれない。別の監察医を呼ぶ必要があるかもしれないけど、君は大丈夫?」と言った。

 梁舒任は正直なところ少し気が気でなかった。彼は、白清夙が陸子涼に対してある種病的な執着があることを知っていた。もしかすると自分が解剖に加わることを譲らないかもしれない。

 しかし、意外なことに白清夙は反対しなかった。

 彼はただ恐ろしい紙人形を抱えたまま、ゆっくりと立ち上がった。

 そして、「王銘勝はどこに行った?」と尋ねた。

 時を同じくして、山腹にある城隍廟では。

 ギィ──

 月下老人を祀る偏殿の木門が開けられた。

 全身赤の服をまとった少年が歩み出てきた。視線を落とし、一人で階段の下に立っている青年を見つめた。

 月下老人は眉をひそめ、口をすぼめ、複雑な表情で陸子涼を見つめた。紙人形の体を失った陸子涼は、非常に弱っているように見える。力を使い果たしてしまったようだ。

「前の廟の門が閉まっていないのは、わざわざ僕に残してくれた門なんだろう」

 陸子涼は月老に向かって笑った。

「俺は失敗したんだね」

 月下老人は目を閉じ、軽くため息をついた。「入りなさい」

 陸子涼はぐずぐずと偏殿に入った。あの相変わらずテーブルに置かれた天秤型の法器を見ると、彼の目は思わず幾許かそこに留まった。それから、やっと目を移した。彼は偏殿のあのよく知った角にぱっと座り込み、息を吐いた。

「あなたはさっきどれほど刺激的だったか知らないだろう!」

 再びこのどうにもならない境地に零落したのに、こともあろうに陸子涼は笑えてきた。彼は笑いながら、さっき起こったことをすっかり全て月下老人に話した。

「……あの一撃は痛くてもう少しで死にそうだった!あ、今はもう痛くないけど、突然何でこんなに疲れたんだろうと思った……」

 彼が眠たそうなのを見て月下老人がついに口を開けた。「後悔していないのか?やっとのことで生き返る機会を手に入れたのに、他人のために自分は諦めた」

 陸子涼は頭を木門にもたれ、目を細めて考えてみた。

「そうか。この世には俺を後悔させない人がいたんだね」

 さっきの苦戦のためか、陸子涼のまぶたは異常に重く、眠たくて目をつぶった。「心残りがあるけど、とても大きな心残りだけど、本当に後悔していない。俺はそんなに冷淡じゃなくなったということだろうか……ウゥ、グェツァイに迎えに来てもらう前に少し眠らせてくれないか?少しだけ……」

 月下老人は何も言わずに彼を見つめた。陸子涼がぐっすり眠った後になって、「おやすみ」と言った。

 月老は門の外をちらっと見た。

「誰も君の眠りを邪魔しないよ」

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