第十章 殺人鬼(4)

 陸子涼を押さえつけている顔が潰された幽霊たちは皆ぶるぶる震え始めた。

 陸子涼も同じくぶるっと震えると、機に乗じて振り切り、白清夙のほうへ走った。「やめろ!」

 白清夙は陸子涼に目を向けた。

 陸子涼は白清夙の腕を掴み、赤レンガを奪った。「あなた、ゲホッゲホッ、ちょっと殴りつけるだけでいい。これは使うな、人が死んでしまう!」

 白清夙は彼にレンガを奪われるに任せ、手を伸ばして彼の顔を触った。「血が出ています」真っ黒な瞳を王銘勝の方へ向けた。「死体が冷凍庫にないことに気づいた時、私を待てばよかったのに」

「大丈夫、大丈夫だ」陸子涼は、自分を慰めているのか、それとも白清夙を慰めているのか自分でもわからなかった。「とにかく、もう死体は取り戻しましたし!行こう、早く行こう!まずは、死体を安全な場所へ持っていきます……」

 白清夙は動かなかった。彼から漂い出た暗闇のオーラは周囲の色に染みることができるようだった。強大かつ残忍な殺意が広がっていき、音も気配もなく、空気は凝縮し一本の張り詰めた弦のようになった。

 天井の蛍光灯がチカチカ光っている。

 陸子涼は胸が詰まった。この種の戦慄させる恐怖の匂いは、「黒い水」の底にある邪川と全く同じだ。彼は、白清夙の腕をぐっと掴んだ。「落ち着いて!死体を取り戻すことこそ僕たちの本来の目的だ。覚えてます?王銘勝と出会ったのはただの偶然だった。彼に影響されるな!あいつは今はまだ立ち直れないから、先に死体を持っていこう。あとは警察に任せたら──」

「こいつを殺したいです」

「だめだ!」陸子涼は怒鳴った。彼は白清夙を引っ張り自分のほうに向かせた。「王銘勝はあなたを刺激して、制御を失わせたいんですよ。あいつの思い通りにしちゃだめだ!あなたは三十年近くかけて自分の人間性を証明してきたのに、ここで全てを無駄にする気ですか?」

「ヒッ……無駄?お前まさか無駄という言葉を使うのか?」

 彼らがさっと振り向くと、なんと王銘勝がゆっくり起き上がり座るのが見えた。

 王銘勝はさっきの一撃で頭が割れ血を流していたが、白清夙に会えてこの上なく喜んでいるようだ。「それは自由です!まったくの自由です!あなた様は自分の本質を表すだけでいいんですよ。なぜあれら弱いもののために自分を抑える必要があるんですか?あなた様が誰か殺したい人がいれば、誰か痛めつけたい人がいれば、我々が全てあなた様の目の前に送り届けます。我々はあなた様をずっと待っていたのです──」

「クソったれ黙れ!」

 陸子涼は王銘勝を蹴り倒した。彼の心に不吉な予感が限りなく広がった。

 彼はさっき「黒水」に沈んだ時に、王銘勝の暴行に興奮して騒いでいた悪鬼の群れたちを思い出した。

 凶暴な行為に拍手喝采するなんて。白清夙も制御を失ったらあんな存在になるのか?

 人間性を失い、凶暴で残虐になるのか?

 さらには、彼らの神となり、彼らの凶暴な欲望を満たす信仰となってしまうのか?

 だめだ。

 絶対だめだ!

 陸子涼は突然白清夙を引っ張ると前へ走った!

 まずここから離れなければならない。まずこの極めて大きな刺激の源である王銘勝から離れるのだ。

 近くには陸子涼の死体を安置してある担架がある、しかし駱洋がちょうどそこを守っている。

 王銘勝がしわがれた声で怒鳴った。「死体を壊せ!壊せ──」

 もともと白清夙のオーラで動けなくなっていた駱洋が急に動きはじめた。

 駱洋が担架の上の死体を持ち上げ、床に落とそうとした時、陸子涼の心臓は一拍遅れ、手元の赤いレンガを駱洋の顔へ投げつけた──

「ウワー!」

 顔に命中した!

 陸子涼は床に落ちるぎりぎりのところで死体を受け止めた。白清夙と共に死体を安置すると、担架を掴み、前へ押した!

 回廊の一番奥にはセンターを出ることができる裏門がある。「振り返るな!早く出よう!俺に生き延びてほしくないのですか?」陸子涼は白清夙に言った。

 白清夙は担架の末端を押しながら小声で彼に聞いた。「君はあいつに死んでほしくないのですか」

 陸子涼は歯ぎしりした。もちろんだ。

 彼は王銘勝が塵ひとつ残さず消えてほしいと夢に見るほど望んでいる。

 しかし、陸子涼は「それより俺は生き延びたい。俺を捨てない家が欲しいんだ。やっとのことであなたと出会えました。俺はあなたと一緒にきちんと生活したい……」と言った。

「ゴホッ、アアアアアア──」

 陸子涼はぞっとして立ち止まった。

 彼が振り返ると、白清夙はすでにいなくなっていた。

「……」陸子涼の鼓動は失速し、ガバッと身を翻すと、白清夙が王銘勝の目の前に立っていることに気づいた。

 白清夙の手にはいつの間にか解剖刀があり、ちょうど今王銘勝の肩を刺して、じっくりと血肉の奥へと押し込んでいく!

 そこは致命的な場所ではない。

 白清夙は人を痛めつける快感を楽しんでいるのだ。

「それならもっと君を守らないと。このような君を傷つける人は、存在するわけにはいかない」

 王銘勝は生者とは思えぬ悲鳴を上げた。白清夙は、それをたっぷりと聞くと、ゆっくりと刀を抜いて血が湧き出る素晴らしい景色を楽しんでから、二刀目は王銘勝の心臓を狙っている。

 陸子涼は白清夙の顔の上に笑みが浮かぶのを見た。

 彼はこれまで白清夙のこんなにはっきりとした笑顔を見たことはなかった。

 白清夙は冷静に見えるが、もう制御を失っている。

 ──彼は本気で王銘勝を殺そうとしている。

 陸子涼は毛骨悚然たる思いで、身体中寒気がした。

 人を殺す味わいを一回でも知ってしまったら、改心するわけがない。

 悪鬼たちは、まもなく願い通りに彼らの神様を手に入れるだろう。

 白清夙が今にも刀を刺そうとしているところで、陸子涼は担架の金属手すりを離した。

 彼は白清夙へ突っ込んだ──

 バキッ……!

 白清夙は突然近くから変な音が伝わって来るのを聞いた。

 すぐにまた音が出た。

 バキッ!

 わずかに凍った骨肉が叩き割られて出た粘っこい音のようだ。

 白清夙の殺意と狂気に捕われた理性が一瞬の間戻った。

 彼は振り向くと、変だと思ったその方向へ目を向けた。あの駱洋という被害者が赤レンガで何かを叩いていることに気づいた。

 白清夙の目つきが少し暗くなった。

 担架に寝ている死体は、様子がすっかり変わるほど叩かれていた。

「……」

 白清夙はにわかにぎょっとした。

 駱洋が赤いレンガを持ち上げ、もう一度叩いた──

 バキッ!

「……ゴホッ!」

 なにか熱く湿ったものが白清夙の胸の前の服に撥ね掛かった。白清夙がこわばりながら振り向くと、陸子涼がいつの間にか自分の前に立ち塞がっていることに気付いた。手で解剖刀を握ると、鋭い刀はそのまま陸子涼の手のひらを刺し貫いた。

 陸子涼は顔をしかめると、耐えられずに口一杯の血を吐いた。

「クソ、」陸子涼は軽く咳をし、「なんでこんなに痛いんだよ……」と言うとすぐに倒れた。

 その刀は手に刺しているのに、まるで彼の心を思いきり裂いたようだった!

 陸子涼は痛みで意識がぼんやりした。突然、彼は、昔、陸子秋が焦って彼に叫んだことを思い出した。白清夙に殺されたら永遠に魂が消えて無くなると言い、彼を白清夙に近づかないようにさせた。

 彼は以前はまだ誇張だと思っていたが、白清夙が本当に殺意を覚えた時に、威力が本当にこれほど恐ろしいなんて。ただ手に傷がついただけで、直接に胸を刺し貫かれたみたいだ。紙の体は人間の血肉のほど丈夫ではなく、王銘勝は一刺しに耐えられたが、陸子涼は直に血を吐いた。

 この紙人形の体は完全にだめになった。

 しまった。陸子涼は思った。ここまで考えなかった。

 白清夙はすっかり呆然とした。彼は倒れた陸子涼の体に手を添えた。真っ黒な瞳が徐々に戻り、まれに見るほど度を失って見えた。

「小涼……?」白清夙の声は落ち着きを失っている。陸子涼がまた顔を俯かせて血を吐くのを見ると、本能的に陸子涼の体を確認しようとしたが、陸子涼に止められた。

 陸子涼は苦しく喘ぎ、額を白清夙の胸に当て「大丈夫」と囁いた。

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