第八章 幽霊に尋ねる(3)

 陸子涼はずっと俯いたままにいた。暫くしてから、「彼は……もうすぐ消えるのか?彼の魂はもうすぐに散ってしまうのか?神格が破裂した……せいで?」と言った。

「あなたの死を促成した人を……心配しているのか?」

 月下老人は少し納得できなかった。彼は外を眺めた。天を震わすような打楽器の音は彼によって、偏殿の外に隔てており、微かな光しかドアの隙間から入り込めなかった。

「神格が破裂した神霊にとって、人身供儀は通過し難い生死の瀬戸際だ。さっき見たのは、恐らく彼の最後の姿かもしれない」

「……」

 陸子涼は変に思われるほどに静かだった。

 月下老人はようやく何かがおかしいと気づいた。自分の立場を気にせずにしゃがみ、細かく彼を見つめた。そうしたら古い床にはいくつかの水滴が落ちているのを見た。

 陸子涼は泣いていた。

 月下老人は少し驚き、口をパクパクと開いた。

「な、なにを泣いている?あなたたちは数十年も会っていない、とっくに感情がないはずだから、そんなに悲しむ必要はないだろう?彼はあなたを傷ついた張本人だ」

 陸子涼は僅かに震えて、手を上げて目を覆った。

 月下老人は珍しく手も足も出ない状態になった。彼を慰めようと手を伸ばしたが、どこにも置き場所がなかった。

「なんだよ……自分が死んだ時でさえ泣いていないのに、何で他人のために泣くのか?」

「俺も元々はあるんだ」陸子涼は微かに涙に咽んだ。「兄貴、父母、たくさんの家族……俺にも元々はあった」

 月下老人は少し固まった。

「俺も彼らの子供で、更に陸子秋とそっくりなのに、彼らは陸子秋のために俺を見捨てた。それから、俺の生死を気にしたことがなかった」陸子涼は軽く鼻を吸った。「その日から、俺は陸家の人間と二度と関わらないと誓った。俺は自分を大切に思って、彼らが俺を見捨てたとしても、俺は自分を自重すると言い聞かせた。俺は自分で自分を守れるし、自分の力で生きられて、更に優秀な人になれる」

 陸子涼は少し顔を上げた。潤ったまつ毛の下に、涙が真珠のように落ちていった。

 陸子涼は元からイケメンだった。ふさふさした眉毛は心が痛むような弧度に曲がって、その潤った瞳は深い壊れそうな感じをしていた。その無力な眼差しに見られると、月下老人の心も一緒にチクチクと痛んで、陸子涼が受けた不公平のために、怒りに感じてしまった。

「俺は必死で生きようと、例え死んだとしても生きたかった……俺は自分のために必死になっているのに、何故陸子秋が死んだと知った途端、俺は……これまでの努力が無駄になったという感覚を覚えてしまったのか?」と陸子涼は泣きながら笑って言った。

 陸子涼は振り返って、顔を上げて供え物のテーブルの上の天秤法器を見た。

 前日に見た時、天秤はまだ希望に満ちた宝物なのに、今更見ては何とも思わなくなってしまった。

「何で?何で俺はこうなった?」

 月下老人は黙然とした。

「自分が殺されたことに気づいた時、俺は本当に怖かった。死ぬほどに怖かった。それは人類が死を恐れる本能だと思って、犯人を恐れて、自分の死と関係する全ての物に恐れていた……今考えてみれば、ハッ、ハハハッ……本当は陸子秋が死ぬのを怖がっていたのか?俺が盾していなければ、彼が傷つくかもしれない。彼が俺の死に気づくと、生を諦めてしまうことに恐れていた……」と陸子涼は涙に咽びながら言った。

 陸子涼は笑い出した。陸子涼が笑えば笑うほどに、涙が零れ落ちていった。

「直接にあなたの廟のドアを叩いて、神に合理的な説明を求めに来たなんて、あの時の俺は正気じゃない……普通誰がそんなことをする!陸子秋が死んだことを知って、これまでの必死に生を求める意志が、急に散ってしまい、何の意味もなくなった。俺は最初から陸子秋のためだったのか?俺は最初から彼のためだったのか……」

 陸子涼は自分の髪を掴み、激しく笑っていた。

「そんなはずじゃないだろう?俺は彼のためにやるわけにはいかなかった……それじゃまるで、俺も本気で自分を大切に思っているわけではないじゃないか?俺は自分が彼の一部であることを覚えていたからこそ、自分を守ることに執着しているのか……ハッ、ハハッ……これは一体何なんだ?自己欺瞞?俺は彼が居ない状況で生きていく資格がないと、本気で思っていたのか……」

 月下老人は眉をひそめた。

 月下老人は陸子涼が自暴自棄になって、泣いては笑っている姿を見て、陸子涼の後頸部を強く掴み、陸子涼の頭を上げさせた。

「どの魂も唯一無二の存在だ。誰も他の人の付属品ではない」と月下老人は目を落としながら陸子涼に教えた。

 陸子涼の瞳孔は焦点が定まらず、まるで正気に戻れないかのようだった。

 初めて会ってから、月下老人は陸子涼がこのように情緒不安定になったのを初めて見た。死に直面した時でさえ落ち着いて進む道を見つけ、生きるチャンスを掴んだ人が、自分を最も傷ついた人のために、生を諦めるなんて。月下老人は思ってもみなかった。

 自分は間違っていたと、月下老人は心の中でそう思った。

 陸子涼は利己的な人ではなかった。

 陸子涼は自分に極度な劣等感を持っている人だった。

 陸子涼の冷たさは、全て自分に対する冷たさだった。

 月下老人は彼の顔に手を添えて、「あなたは独自で成長したのなら、あなたの心の中の誇りは自分で守らないと、誰かが死んだせいで屈服しないで、それじゃかつて努力した自分に合わせる顔がない」と陸子涼に教えた。

 陸子涼の潤ったまつ毛は震えた。

「私の目には、あなたがよりポテンシャルに映っていた。残念なことに、あなたの家族は陸子秋ばかり注意していた。あなたの長所を見つけることができなかった。陸子涼、あなたは単独の個体だ。陸子秋がどうなろうと、あなたが勝ち取った生きるチャンスはあなた自身のものだ。なぜ一夜を過ぎただけで、これだけ絶望になっているのかわからない。しかしあなたの生きるチャンスは未だに存在しているし、選択肢も依然としてあなたの手に持っていた」

 月下老人は指を握り締め、陸子涼の注意を集中させた。

「命を取り戻すのなら、現世で取り戻さないと意味がないとあなたは言った。あなたに借りがある人が例え死んだとしても、あなたに借りがあるままにいた。あなたは依然として無駄死にした命を取り戻せることができる。あなたはその邪悪なものの所に戻って、引き続き彼の愛を獲得するのか?」

 陸子涼はゆっくりと瞬きをして、視線は徐々に焦点を合わせた。

 陸子涼は白清夙を思い出した。

 白清夙が夜中にベッドの傍に立ち、ナイフを持って、殺意を丸出しにしている姿を思いついた……

 陸子涼の瞳の底に深い恐怖がよぎって、無意識に震えてしまった。

 月下老人はまた眉をひそめた。月下老人は陸子涼の側頭部のガーゼに視線を送り、その声は酷く冷たくなった。「彼はあなたを傷ついたのか?」

 陸子涼の美しい形をしている唇は少し動いたが、声を発さずにただ頭を振った。

 自分を傷ついていないのか、それとも白清夙の家に戻る気がないことを意味しているのかわからない。

 月下老人の心の底の怒りは再び湧きあがった。月下老人は何時しか陸子涼に仲間意識を覚えたのかわからないが、毎回陸子涼が虐められるのを見ると、月下老人は表では冷たく見えたが、本当は内心がムカついていた。

 しかし自分は単なる縁組を司る月下老人に過ぎなかった。

 無辜な被害者が何度も体と心のダメージを負っているのを見て、月下老人にはどうしようもなかった。

 それはそれでよかったのかもしれない。月下老人は心の中でそう思った。

 その当初、月下老人は同僚兼上司になる陸子秋の頼みと上に逆らう楽しさによって、その禁忌な天秤法器を取り出した。しかし、月下老人は紙紮人形を傷ついてしまう要素をわざと陸子涼に教えなかった。

 月下老人は最初から陸子涼に成功してほしくなかった。

 だってもし陸子涼が本当に万の中に一つしかない可能性を勝ち取ったとしても、陸子涼が生き返った後に、未だに悪鬼と悪しき神たちに苦しめられ続けることを知っていた。

 更に、以前よりも活発になっていくだろう。

 月下老人は表では言っていないが、本当は心を鬼にすることができなかった。

 月下老人はある小さいナイフを陸子涼の手に置いた。

 それは全体が朱色をしているナイフ、木質な穏やかな手触り、刃は研いでいないが、凛冽の気が含まれていた。

 陸子涼は暫く茫然としており、少し疑惑に思いながら彼を見つめていた。

「続きたくないのなら、赤い糸を切ろう」

 月下老人はその幼い声でそっと彼に教えた。

「来世は二度とあなたをそんな家族の中に生まれ変わらないよ。約束する」

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