第四章 優しさと殺意(7)

 深い池のような黒い瞳の中は、ずっと抑えていた怪しい狂熱が沸き上がった。

 陸子涼の体は美しすぎる。

 薄いたこがついている白清夙の手はそっと陸子涼のセクシーな鎖骨、打撲傷がついている引き締まった胸元を撫で、美しくて上下する胸筋に沿って腹筋まで触れ、それからまた胸元に戻り、まるでお気に入りの獲物に最後の愛撫をしているようだ。

 それから、彼の手は突然止まった。

「やっぱり感触がちょっと違う」

 白清夙はそっと言った。

 朝に果樹園で出した結論と同じように、陸子涼を触れている感触は言葉にできないほどにおかしい。

 柔らかい肌のはずなのに、何か欠けているようだ。

 一体何が欠けているのか?

 白清夙は厳しい顔をしているけど、その目は狂っていた。手に持っているハサミはカチカチと開けては閉め、脳に這い登る病んでいる衝動を抑えられなさそうだ。

 彼は気になってたまらない。

 長年会っていないうちに、何で彼の小涼の感触が違ったのか?

 この目で確かめる必要がある。

 尖ったハサミをざっと閉じ、白清夙はナイフを握っているように持ち手を握って、片手はその美しい胸元を抑えた。彼の呼吸は興奮で荒くなり、ゆっくりとハサミを持ち上げ、刺さるその時に──

「う……ゴホゴホ……」

 白清夙は瞬時に動きが固まった!

 陸子涼は布団から長い時間を離れ、寒さのせいで軽く咳をした。彼は本能的に熱源を探し、ぼんやりとした時に自分の胸元を抑えていた手を掴み、柔らかい体を縮め、その腕を抱いた。額が小動物のように軽く腕をこすって、震えながら白清夙から暖を取った。

 尖ったハサミを挙げている白清夙は少し黙り込んだ。

 カタン。

 ハサミは一辺に置かれていた。

 彼は陸子涼に腕を抱かれ、殺意を捨て去った。ベッドに上がって厚い布団をかけ、陸子涼を囲んで自分の腕の中に収めた。

「あなたはまだ準備が出来ていません」

 白清夙は淡々とそう言って、腕の中にいる人の背中をそっと撫でた。

「早く健康になってください、小涼。もう大人になったでしょう」

 うとうとしている間に、陸子涼は自分が暖かい抱擁に包まれたように感じた。

 この抱擁は広くて厚い、かつしっかりとして、淡い香りを帯びて、安心感を与えていた……

 ずっと全身に纏う陰気な気配はいつしか消え去り、ピンと張った陸子涼の神経もようやく緩めることができ、より深い夢へと落ちていった。

 夢の中で、誰かが泣いているのが聞こえた。

 ある男の無力な泣き声だった。

 陸子涼は声がしたほうに振り向いて、湖の水が異常なほどに黒い明石潭と水の中から這い上がった姿が見えた。

「殺さないで……死にたくない……寒い……殺さないで……」

 水の中にいる男はこれらの言葉を繰り返し、岸辺まで懸命に上った。しかし凍えた体のせいで、うまく岸辺まで上ることが出来ず、まるで泥沼に嵌ったように、徒労に岸辺で足掻くことしかできなかった。男は苦境から逃れるために足を強く踏みつけたが、彼は突然何かを見つけたように、話す口調が慌てて始めた!

「足……僕の足は?うう、僕の左足がなくなった!僕の足は……どこに落ちてしまった……」

 陸子涼はそれを聞いてぞっとした。

 この景色は明らかにおかしい。無謀にあの水鬼に近づけば、恐らく水の中に連れ込まれるだろう。しかし絶望して水の中に閉じ込められた人がいることを思うと、どうしても耐えられなかった。

 それは自分のことを思い出してしまう。

 陸子涼は速足であの男の両腕を掴み、岸辺に引っ張り上げようとしたが、男は突然頭を上げた。

 あれは清楚でかっこいい顔だった。

 でも次の瞬間、はっきりとした五官はまるである種の重い物にぶん殴られたように突然凹み、顔の骨はパチッと折った音がして、血肉が飛び散った!

 陸子涼は驚いて、本能的に手を離したが、男はもう力強く彼を掴んだ!

「あなただ」

 男は声をからして言った。無力で慌てた声が急にひどく憤りになり、突然手に力を込めて、やはり彼を一緒に深い池に連れ込もうとした!

 しかし次の瞬間に、男は熱い溶岩に触れたように、ざっと陸子涼を離し、惨めな叫び声を出した!

 陸子涼は地面に転んだ。

 頭を上げると、男の死ぬほどに白くて腫れ上がった手のひらが一面に黒く焦げ、たった数秒で爛れたのを見た。彼は思わずに驚愕しながら自分を見て、「どういうこと?俺は幽霊にとって毒があるのか?」

 啞然とした時に、男は諦めきれずにもう一度上半身を起こし、腕を伸ばして陸子涼のズボンを掴んだ!

「あなたも……あなたも!彼に命を償わせてやる!彼に命を償わせてやる──」

 叫び声はまるで鼓膜を突き破るように惨めだった!

 陸子涼は驚きで両足を猛然と蹴り、その死ぬほどに白い手を振り払おうとしたが、その指はまるでペンチのように、しっかりと彼のズボンを掴んで離さなかった。

「離して!」と陸子涼は厳しく言った。

 腐った塊のような男の口は開けては閉め、彼に向けて声をからして叫び、「僕を手伝って!あなたも、僕を手伝わないと!あの殺人鬼……」と言った。

 陸子涼は少しポカンとして、瞳孔を縮め、「殺人鬼?」と言った。心臓の脈拍が激しく打ち、「殺人鬼は……誰?殺人鬼は誰だ?誰があなたを殺した!」

「それが──」

「ああああああぁぁぁぁ──」

 ひとしきり尖った怖い叫び声で夢は打ち砕かれた。

 陸子涼は猛然と目を覚ました!

 彼は茫然として辺りを見渡した。

 常夜灯はもう消して、微弱な冬の日の光が半開きしたカーテンから差し込んだ。

 今はもう明け方だ。

 陸子涼は少し呼吸を整え、苦しそうに何回か咳をした。暫く経っても我に返らずに、頭の中はまだその恐ろしい叫び声が響いていた。その叫び声は一体夢の中にあるのか、それとも現実にあるのか分からなかった。

「あああ……」

 耳元でまた微かな叫び声が聞こえた。

 ──現実にあった。

 陸子涼は直ぐに傍に視線を送った。

 いない。白清夙はもういない。

 彼は手を伸ばして触れてみて、布団の中はまだ温かさが残っており、多分起きたばかりだ。

 白清夙はどこへ行った?

 一体誰が叫んでいるの?あの叫び声は……白清夙によるものなのか?

 ……白清夙は何をやっている?!

 陸子涼は急にぞっとした。

 夢の中で惨めに死んだ男を思い出し、よろめきながらベッドを降りて客室から飛び出したら、厨房からまた物音がして、彼はダッシュしてそっちに駆け付けた──

 もうすぐで厨房に跨いで入る時に、陸子涼は突然足を止めた!

 いや。

 違う。

 陸子涼はその場に固まった。

 いや、もし白清夙が本当に人を殺めているのなら、尚更そそっかしく入る訳にはいかなかった。もし見ちゃいけないものでも見てしまったら、絶対に口止めされてしまう。何よりも──

 例え白清夙が本当に人を殺めているとしても、彼には何ができる?

 止める?

 昨夜白清夙がサッと彼を抱き上げた力から考えれば、必ずしも彼を止めることはできないかもしれない。止めることに失敗したうえ、トラブルに巻き込まれるなど、一番愚かなやり方だ。それにここは白清夙の家で、白清夙の勢力範囲だ。周囲には半分の山頂まで広がった果樹園に囲まれ、もし白清夙は彼が目撃したせいで手を出そうとしたら、絶対に誰にも気づかれずに死んでしまう。

 警察に通報する?

 もっとダメだ。

 もし白清夙が牢屋に入れられたら、彼はどうやって白清夙を攻略して、彼から十分な愛を得るというの?今の紙紮人形の体は水に浸かったせいで早々に消耗した。チャンスを掴まないと、彼の死も遠くはないはずだ。

 どっちを選んでも死んでしまう。

 生きたければ、唯一の方法は白清夙の共犯者になることだ。

 白清夙の殺意を刺激することも、白清夙が警察に捕まることもあってはならない。

 ──彼は白清夙が人を殺めることを見て見ぬふりをしなければならない。

 陸子涼の渾身は冷たくなった。

 彼は自分が思ったより優しくて正義感が強い人間ではないことに気づいた。彼の骨には利己的で冷徹、下限のない魂が宿っていた。もしかしたらいつの日にか、彼は自分の利益のために、もっと良心の欠片もないことをしてしまうだろう。

 こんな時、厨房にあった物音が止まった。

 足音がゆっくりと中から伝わり、彼の前に立ち止まった。

 無視できないほどの濃い血生臭い匂いが鼻を衝いた。

 陸子涼の視線はコントロールできずに下に落とし、体の傍に落ちている白清夙の手を見つめた。

 ゴム手袋をつけている細長い指に、白清夙は血に染まっているナイフを握っていた。

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