第一章 命をかけたとんでもない恋(1)

 激しく降る雨が小さい通気窓を叩いている。

 狭くて老朽化した浴室の中で、陸子涼が目を開けた。

 闇の中、街灯の微かな光だけが通気窓から射し込んでくる。彼は寒い床に横たわって、ぼんやりとした眼差しをしている。

 体が寒い。そして、なんとなく不快感を感じている。陸子涼は起き上がって床に座った。今どこにいるのか思い出せなく、頭がくらくらしている。そして胸にある種の強い恐怖感がたまり、未だに収まっていない。

 胸に手を当てて、陸子涼は細長い眉毛を軽く顰めた。

「つらい。二日酔いかな……おかしいなぁ、先まで何をしていたのだろうか記憶がない。ここは……もう、灯りはどこにある」

 手足が力を出せなくて、陸子涼は目を細めて、暗闇の中でむやみに手を伸ばし、やっと横にある浴槽に触れた。それを掴まって立ち上がりをしようとする途端、手が滑って、不意に濡れた髪の毛を掴んだ。

「――!」

 彼は大きく驚いて、反射で手を引っ込めると体がもう一度床に転んだ。ほのかな光で状況を確認すると、浴槽の縁に乗せてる人の頭があることを気づいた。その頭頂部の髪がじっとりして、水の粒が滴り落ちっている。

 浴槽に人がいる。

 陸子涼がびっくりして、頭がしゃんとした。「うわっ!びっくりした。なんで暗闇の中でお風呂に入っているか!」

 浴槽の中にいる人は無反応だった。

「あの、灯りはどこだ。ここはあなたの家?」

 陸子涼が最後の力をこめて、ふらふらと立ち上がった。

 体はなぜか弱い。眉を寄せて、数十キロを連続して泳いだように、体力の消耗が度を越した疲労感を感じた。しかし、プロのアスリートとして、体力を調整することは長い間彼の本能に刻まれており、必要がなければ、これほど気力を失せた状態にすることはしない。それに、ここはプールではなく、見慣れない暗い浴室だ。

 陸子涼は今の状況を不思議に思う。

 もしかして自分は酔い潰れて、見知らぬ人とその家に帰ったのか?

 こういう事ってたまにはあるよね。

 思う存分に浴槽に浸かっているあの人は無反応のままだ。恐らく彼も酔い潰れてしまっただろう。陸子涼は体の辛さを我慢して、目を細くして見回して、灯りのスイッチを探しながら、「そろそろ目を覚めないと、今は真冬で、お湯が冷めただろう。このまま浸かったら凍死してしまうよ」と言った。

 浴槽の中にいる人からは相変わらず反応がない。

「ちぇっ」陸子涼は舌打ちして、一旦灯りを探すのをやめた。彼は視線を浴槽に向かった。その人が風呂で死ぬ前に救い出そうと思った。

 けれども、目に入ったことにまた大きく驚いた。浴槽の中にいる人は静かに浴槽の壁にもたれ掛かっていて、口も鼻も水に浸かっていた。

 陸子涼は瞳孔が縮まり、その人の背中を掴んで水から引き上げようとした。しかし、自分が気力を尽くした状態にあることを忘れ、突然に力を入れると、彼の手足から再び強烈な脱力感が湧き出した。体がふらっとして、浴槽に落ちかけたところだった。

 彼はすぐに浴槽の壁を支え、その人を掴んでいる手をしっかりと握り、言葉を自然口から吐いた。「あの、聞こえますか?あなた――」

 話は途中で止まった。

 腕に抱いている体は氷のように硬くて冷たい。

 その人は力なく仰いだまま、髪の先から冷たい水が滴っている。もろい首元を無防備にさらけ出し、胸に波の起伏がない。

「……」陸子涼の視線がその人の顔に戻り、そして彼は固まった。

 薄暗い光の中に、陸子涼はその顔の輪郭に見覚えがあった。見覚えがありすぎて、彼は意識する前に全身に鳥肌が立った。

 ちょうどその時、雷雨の中で稲妻が空を横切り、銀色のまぶしい光が通気窓から射し込んだ。老朽した浴室の中はそれで一瞬明るく照らされた!

 腕に抱いている人の顔は瞬時にくっきり見えた。

 柔らかな黒髪、ほっそりとした眉、濃いまつ毛、まっすぐな鼻、細くて美しい唇……。

 陸子涼の瞳が震えた。

 ……これは自分の顔だ!

 目覚めたときから胸に溜め込んでいた強烈な恐怖感はいきなりに爆発し、脳裏に怖ろしい画面が次から次へと閃いた。

 生々しい血。

 激しい痛み。

 引きずられた体。

 次第に口と鼻に充満する息苦しさ……。

 陸子涼が突然手を引っ込めると、死体は水しぶきとともに浴槽に戻り、冷たい水が彼の全身に飛び散った!

 しかし、彼はそれを避けようともせず、頭がフリーズしたようにしばらく何も考えられなかった。「どういうこと?何だよこれ……」と呟いた。

 彼は震える両手を上げて確認してから、自分の体を見下ろした。呆然とした表情になっていた。

 途端、何かを思いついたように恐怖を感じた表情が浮かび上がり、彼は再び腕を冷たい水の中に入れ、死体の上半身を持ち上げた。服の襟を引きちぎり、視線を左肩に向けたら――。

 書きなぐった文字のような赤いタトゥーが目に入った。

 陸子涼はほっとした表情で言った。「別人ではない。確かに俺自身だもの……」

 しかし、この安堵感はほんの数秒しか現れず、言葉では言い表せない恐怖と当惑に変わった。

 自分は殺された。

 ……だから自分は今、幽霊なの?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る