赤い糸で結ばれた殺人鬼

冰殊靛/KadoKado 角角者

序章

 深夜、激しい雨が降ってきた。

 広大な明石潭メイセキタンの水面に細かいさざ波を走らせ、湖の魚は水の深みに潜り、万物の輪郭がぼやけてきた。

 潭畔にある山の中腹に一つボロボロの小さな廟が立ち、そこの灯りが点灯した。

 九十歳目前の年老いた廟公ビョウコウ(住職に当たる者)が分厚いアウターに身を包まれて、白い息を吐きながら廊下を渡り、トイレからいくつかのプラスチック製の洗面器を取り出し、雨が降ったとき必ず雨漏りする場所に設置しようとしている。

 そんな彼が忙しくしているとき、突然、側殿の方から変な音がした。

 その音が低く、聞こえたり聞こえなかったりして……。

 老廟公の疲れた足が止まった。

 じっくり聞くと、笑い声が聞こえたような気がした。

 老廟公は呟いた。「えー、誰が、笑っているのか?」プラスチック製の洗面器を手に取って、その声の方向に向かってのろのろ歩いてゆく。

 ちょうどそのとき、銀白色の稲妻が走り、空と大地が一瞬明るくなった。ゴロゴロ鳴る雷のなか、老いた廟公が廊下の角を曲がると、一人の高身長な男が目に入ってきた。

 雨が滝のように軒先からパラパラと降り、その男は雨水が跳ねかけられる石製の手洗い器の前に立ち留まり、手を洗っているように見えた。

 老廟公は濁った目を細めた。

 真冬にアウターも着ていないこの男は、びっしょりになった黒い長袖フード付きのスウェットだけを着ている。大きな帽子に覆われている顔は濃い影の中、面貌が見にくい。その男の後ろの窓から暗赤色の光が男の背中に差し込み、彼の姿全体がまるで血にまみれてねばねばしたお化けのように見えた。この寒い雨の夜に非常に不吉に見える。

 男は老廟公の存在を気付かず、顔を下に向けて手を蛇口の下に伸ばし、こすり洗いを続いていた。

 手を洗いながら、男の喉から怪しい笑い声を漏らし、上機嫌そうだった。

 夜中にどうしてここに手を洗っているのか、なおさら上機嫌そうに洗っているのか、老廟公はなかなか理解できなかった。

 とはいえ、老廟公は一つの可能性を思いつき、優しく声をかけた。「えー、雨宿りに……来ているのか?」と。

 いきなり声をかけられ、男は一瞬手を止めた。

 とはいえ、男は身を振り向けようもしなかった。そして、彼は顔を下に向けたままで爪と指の間をこすり洗い続け、返事をした。その声は大雨の中に大きくなったり小さくなったりした。「いいえ、雨とは関係ないです。今、この時にここに来たいから来ました。えっと……」彼は突然興奮して笑った。笑いながら体が震えていた。「ここの月下老人は霊験あらたかですね。この時点で廟が閉門しているのは知ぅていますけど、感謝を言いたくて急いで来ました。本当に、ハハハッ、本当に霊験あらたかです」

 その話を聞いて老廟公も笑った。顔に散在するシワはその笑いによって怖いほど深い溝が浮いてきた。彼は老いたかすれ声で親切に答えた。「そうか。良縁を……手にしたようだね」

 深い影にいる男は手洗い器に置かれている空ボトルを持ち上げ、オレンジジュースのラベルを外してから、気を付けて水で濯いでいた。

「そうですね。よい縁組でした……」

 男は何かを回想しているように指先をこすって、満足げなため息をついた。

「素晴らしかったですよ」

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