第9話 あの日から、君でいっぱい

「はぁ……和泉君……」


 私、桃瀬碧は自室にて一人、つい先ほどまで大好きな人が座っていたベッドに寝っ転がりながら彼の名を呟く。


 そのままゴロゴロしていると全身鏡に映る私の姿が目に入った。


 自分でもそこそこ自身のある整った顔立ちに長い髪。私の容姿は数年前まではこんな感じではなかった。


 長く艶のあるこの髪はぼさぼさで短く、装着しているコンタクトもその時は眼鏡だった。


 和泉君、君が初めて声をかけてくれたあの日から、私の中は君で一杯なんだよ。


 あれは中学校に入学して間もない頃だった。


 当時、いわゆる陰キャの見た目をしていた私は、外見だけでなく中身も実際に陰キャで人と話すときはいつも緊張するような人だった。

 小学生時代から友達も出来なかった私が、中学生になって他人と仲良くなれるわけもなくいつもと変わらない日常生活を送っているある日のこと。


 一人で移動教室のために廊下を歩いていたとき、角から数人の男子生徒が勢いよく飛び出して来て、そのうちの一人と私は衝突してしまった。


 互いに床に尻餅をつき、私は持っていた教科書やノートがあたりに散らばってしまった。


「いってぇ……あ、ごめん。だいじょ……っ!?」


 ぶつかった相手の謝る言葉は、最後まで続かずに途中で途切れる。

 そして私と目が合うと、驚きと軽蔑が交わったような表情になった。


 その後ろに立っていた男子たちが続いて言った。


「じ、地味子だ!」

「おいおい。関わったら俺たちまで地味な人生送ることになるぞ!」


 そうして同じ姿勢だった目の前の彼は立ち上がると、仲間と共に勢いよくどこかへと走っていった。


 私はその時、自身が陰でそんな名前をつけられて何の根拠もないうわさが広まっていたことに気づき、ぽろぽろと涙を流した。


「一体全体何故人はあんなことするんだろうね」

「え……?」


 横からの聞き覚えのない声のした方へと、涙を拭いながら視線を移すと、そこにいたのは私の教科書やら筆箱を拾い上げている男子生徒だった。


「はいこれ」

「あ、ありがとう……和泉君……」


 教科書たちを受け取ると、私は立ちあがる。


「名前覚えててくれたんだ」


 記憶が正しければ覚えていたわけではなく、胸元のネームプレートを見て言ったはずである。


「確か……桃瀬さんだったよね?」

「そ、そう……だけど……覚えてくれてる人、いたんだ……」


 同じように、和泉君もネームプレートを見て私の名を口にしただけだったのかもしれない。


「まあ、一応クラスメイトの名前くらいはなんとか覚えようと頑張ったから……」


 苦笑いしながらそう言う和泉君に、私は一気に惹かれた。

 ずっと一人で暗闇の中を彷徨っていた私の前に、光を灯しながら現れた一人の男の子……そんな感覚だった。


 その日以来、和泉君とは度々話すようになった。話題がなかったとしても挨拶だけは必ずした。


 ただ元々根暗だった私が和泉君に想いを告げられるはずもなく、するのはただの他愛もない会話だけだったけど。

 だけど少しでも和泉君に女子として意識してもらいたいと思い、陰から和泉君が他の男子たちとしている会話を盗み聞きした。


 その結果わかったことは、和泉君は長髪で眼鏡をかけていない人が好みであるということだった。

 その日から私は眼鏡を外しコンタクトへと変え、長かった髪もひたすらに伸ばし続けた。

 

 そうして見た目を変えることには成功したけれど、生憎と圧倒的に欠如している自信は何一つ変わらなかった。


 その一方で和泉君に対する思いだけは常に肥大し続け、気が付けば私の中は彼で一杯になり、彼以外のことはどうでもよくなり、彼がいない世界なんて考えられなくなっていった。


 和泉君のことが大好きで愛しているのは私だけであり、彼を独占する権限を持ち合わせているのも私だけ。

 そう思っていたのに、あの日それは現れた。


 つい先日までは赤の他人であるはずの天童さんが、和泉君の前に現れたかと思うといきなり身体を密着させて挙句の果てには前日から付き合ったのだとか。


 今にも暴走しそうな恋心を必死で抑制……なんてするはずもなく、気が付けば私は和泉君たちの前に立っていた。


 でも今日彼の言葉を聞いて、少しは安心した。

 

 和泉君が私のことを大好きと言ってくれたことである。


 他の事情はどうだっていい。

 その言葉で、私はまだ君とこの世界で生きていけるのだから。


 そうだとしても、やっぱり好きな人が他の子と付き合っているのは嫌だ。

 ここはやはり天童さんをなんとかするしか……。


「いやいや踏ん張れ私! 必ず告白してくれるって言ってたんだから!」


 私は今にでも暴れ出しそうな恋心と葛藤するように、ベッドでただ一人身体をうじうじさせるのだった。


 ☆☆


 桃瀬さんとのデートを終え迎えた平日の朝。


 ここは体育館裏という告白には持ってこいの場所である。


 しかし今僕が直面している状況はそんなものではない。

 壁ドンをしている……のではなくされているこの状況。


 目の前には怒りをあらわにした表情で僕の顔を睨む一人の女子。

 綺麗な紺色の髪を肩付近まで伸ばしている彼女は口を開けて言った。


「これ、どういうこと?」


 おそらく怒りが籠っているその声に、全身に鳥肌が立つのを感じる。


 壁ドンをしていない方の手にはスマホが握られており、画面には一枚の写真が写っていた。

 僕がニコニコで桃瀬さんと手を繋ぎながら歩いている写真だった。


 一言で言えば、僕が桃瀬さんとデートしたことを盗撮されてしまっていたということである。


 そう。僕は盛大にフラグを回収してしまったのだ。




追記

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