#11 それが運命だから

 林又夏は自分の感情をよくわかっている。


 はじめて陳晞に会ったのが、彼女にとっては昔、かなり昔の前の話だ。最初の陳晞、という呼び方はちょっとおかしいかもしれないが、林又夏には他にいい呼び方を思いつかなかった。とにかく、あの時の出会いは今まで忘れたことはない。


 あの時の林又夏は院長のおばあちゃんと大喧嘩をして、勢いに任せて孤児院を飛び出していた。外には土砂降りの雨が降っていたが、彼女は何も持ってきていなかった。傘は言うまでもなく、足に履いてたのもアニメキャラクターのサンダルだった。多分予晴のと間違って履いちゃったのだろう。


 なぜそこまで怒ったのか、今の林又夏にはよく覚えていない。何分本当にかなり経っていたのだから、例え年齢は今とそう変わらなくても、彼女にとっては一世紀前のような遠い昔の話だ。


 あの時の彼女たちもあの信号機の下で出会った。というよりは毎回そうである。


 その髪が乱れて。はしゃいだ子供の姿に反して、林又夏は大人しく歩道の前で信号が赤から変わるのを待っていた。小紅人の頭上の数字は七十からカウントダウンし、無慈悲に頭に落ちた雨はまるで弱まる気配がなかった。当時怒りで一杯の彼女にはそこまで気にしていなかった。ただ時々手を挙げて、顔に残った雨水を拭いただけ。


 彼女は静止して動かない小紅人をじっと見つめて、能力を発動したい衝動を我慢していた。そしたら、突然雨が体に落ちる感覚が消えて、代わりに傘に落ちてくる音が聞こえた。


 林又夏は顔を上げると、青色の傘が見えてきて、自分の隣に黒髪の少女一人が増えた。見た目からして自分とは年齢が近いように見えた。その幼い顔に何か言いたそうな表情をしていた。


 林又夏が口を開く前、少女はおどおどしながら「あの、どこに行くのですか?」と聞いた。


「えっ?」


 赤い数字は四十になった。傘を差してくれる人のおかげで、林又夏の濡れ切った身体はこれ以上雨の攻撃を受けなかった。


「同じ道だったら、一緒に行きますよ」


 陳晞の丸顔を見て、彼女の震えた声をより幼く聞こえた。多分あの時から彼女が人見知りであるということを認知した。ただ人見知りというか、人との付き合い方がわからないというのが正確かも。


 彼女の好きなところは多くて、これもその一つである。林又夏にはそれが可愛く見える。そのせいで偶に刺々しく見えて、付き合いにくいと思うかもしれないが、嫌気を感じていない。


 不器用さの裏に隠れた優しさは、彼女の右肩を知らない人のために濡れさせた。


「同じ道じゃなかったら?」


「えっ?」陳晞は唖然とした。開いた口をぱくりと閉じて、まるで頭の中で適切な言葉を考えているようで、結局一言も喋らなかった。


 だが林又夏にはわかっている。例え答えは全く逆方向にある場所であっても、この人なら多分何も言わず、ただ黙って付き合うのだろう。


 恐らくこの時から林又夏は陳晞のことを面白いと思い始めたから、故に彼女をからかうという悪い癖がついた。彼女の表情が自分の仕草一つや言葉一つで変わるのを見てると、この人のこと本当に好きだなって思う。


 好き。これは林又夏が最初から自覚した陳晞に対する感情だ。


「じゃあなたは?どこに行くの?」


「わ、私ですか?」


「ここにはあなたと私しかいないよ」


「私はかき氷屋に行くところです」


 この辺りのかき氷屋ならあの一軒しかないだろう。


「じゃ一緒に行こう!」


 その時がちょうど中学生から高校生になる夏休みで、林又夏はちょうど寄宿制の魔法使いの学校からこの町に戻ったばかりだった。洪姉さんが大学の卒業後にかき氷屋を開いたことを聞いたが、まだ行ったことがない。


 ちょうど夏なのもあって、かき氷屋の店長をしている洪さんも仕事で忙しくて、孤児院には戻らなかったので、数えたら二、三年ぐらいは会っていない。


 洪姉さんが生まれてすぐ、生みの両親にダンボールに置かれて、孤児院の前に捨てられた。あの日は特別寒い冬の日だったと聞いた。何の防寒対策も施されていないダンボールで一人で一夜を乗り越えて、体温を失わなかったのは本当にすごく幸運なことだった。林又夏は毎回院長からこのお話を聞いた時、いつも優しい話し方からおばあちゃんの神様に対する感謝を感じる。


 練習に練習を重ねて、洪姉さんは微量ながら魔力を使うコツを掴んだ。だから氷を作る能力をかき氷屋の運営に使える。たとえ性格が少しチャラくて、よく院長に心配させたとは言え、林又夏は心の底から諦めずに努力した洪姉さんのことを尊敬している。


 一緒にかき氷屋に行く途中、陳晞は何度も林又夏の自分が傘を持つ要求を断った。それは恐らく身長からして、自分が持つべきと考えたのだろう。初対面とはいえ、林又夏の直感が彼女にこの人と親しくしてもいいと告げて、そして彼女自身もそうしたかった。


 もっと俗っぽい言い方をすると、これがいわゆる一目惚れなのかもしれない。それを認めるのは恥ずかしくないが、そのことを気にしたのは恋人になった陳晞だけだった。


「小晞、来た――えっ?又夏?」


 洪姉さんの当時の反応を、林又夏はよく覚えている。あのドラマチックな表情を忘れるのも難しいだろう。


 陳晞がかき氷屋の新しいバイトさんと知った時、林又夏の心の中にはまるで『万歳』と叫びたかっている小人が騒いでいるようになった。彼女は何度もこっそり洪姉さんに頼んで、給料をもらわなくてもいいっという約束もして、やっと自分がかき氷屋で手伝うことの許可をもらった。


 ただ、その時空には機械使いが存在していなかった。彼女と洪姉さんが孤児院で育ったのも無能力者という身分のせいではなかった。


 あの時空の陳晞は何の能力も持たない、ただの十五歳の女の子だ。裕福な家庭に生まれたとはいえ、家にいても暇なだけで、することのない休み期間でお小遣いでも稼ごうと、かき氷屋でバイトすることに決めた。


 魔力の受け継ぎは遺伝子によるものではない、人の魂に付着している記憶の欠片によるものだ。


 もし林又夏の仮説が間違っていないなら、そのような魂を持つ人間が各平行時空に分散していて、それで各時空で能力を持つ人数も均等じゃなくなっている。


 違う時空の陳晞は同じ魂を共有しているが、彼女たち全員が記憶の欠片を持っているわけではない。林又夏はそう理解している。


 だが同時に同じ運命も共有している。林又夏と陳晞は常に出会っているのも、それを証明している。


 陳晞の選択の違いによって、彼女たちは違う関係になる。クラスメイト、普通の友達、或いは本心を語れる親友、恋人だったりも――これらは全部陳晞があの雨の日に出かけるかどうか、或いは林又夏に話しかけるかどうかによって決まる。


 今回だけが例外である。林又夏はそんなにも早く陳晞に出会うとは思ってもいなかった。これには彼女も少し驚いて、また新鮮に感じている。もしかして今回の状況は本当に違うかもしれない。消えかかった希望は、日差しの下で陳晞に会ったその時に再びついた。


 陳晞とどんな関係になろうと、自分は最終的に彼女を好きになると林又夏はわかっている。それが運命だからだ。


 ※


 危うく捕まるところだった。


 陳晞は荒い呼吸をして夢から覚めた。目を開けた最初の瞬間、自分が馴染んだ環境にいたのに気付いてかなり安心して、すぐに落ち着くことができた。


 彼女は体を起こそうとしたら、薄い布団の左側にうつぶせた人に抑えられていることに気付いた。彼女の動きは制限されたが、陳晞はその人を起こそうとはしなかった。


 慎重に自分のポースを調整して、陳晞はタンスの上に置いてある携帯を手に取ったら、静かに布団の中に戻った。


 林又夏はベッドの縁にうつ伏せで寝ていた。茶色い長い髪は白いシーツに広げていて、ベッドライトの暗く黄色い光に照らされて暖かい色を映した。


 彼女の寝顔は穏やかで、眠っていても整った容姿をしていた。それを見て陳晞は少し不公平に思えてきた。だってさっきの自分はきっとひどい寝顔をしていたに違いない。


 馴染んだ環境とはいえ、ここは陳晞の部屋ではなく、かき氷屋の休憩室だ。これはまだマシな言い方だ。普段は店長さんがこの白い木製ドアの中に入れば、魔力を使いきって眠りたくて、或いは単にサボりたいのかもしれないとわかっている。


 手を伸ばし、だが本当にその茶色い髪の頭に触れるのに躊躇って、結局陳晞はそのまま手を引っ込めた。


「ありがとう」と、彼女は小声で言った。意識を失う前に聞いた声は記憶に新しいであって、その声の主はまごうことなく、今穏やかに眠っている者だ。


『闇』の能力に関する噂は教科書で読んだことはあるが、学校の先生がそれを言及した時にただ適当に済ませていた。なにせこの世界でその能力を持つ者はすでにいないと思われているから、それ以上詳しく説明する必要もなかった。


 教科書の中にあるあのページのレイアウトはまだ陳晞の頭の中に残っている。『闇』と『光』の能力二つは一緒に並べられていた。その下の説明欄は空っぽで、能力の内容については詳しく書かれていなかった。機械使いである彼女も、その魔法使いしか持てない二つの能力について詳しく知ろうとしなかった。


 もし当時に歴史の先生にもっと詳しく聞けばよかったって、彼女は心の中で後悔した。


 では『時間』は?突然その疑問が生じた。なぜすでに消えた能力ですら記載されているのに、林又夏が持つ能力をキーワードで検索しても、適切な単語が見当たらないのか?


 携帯のブラウザ画面を眺めていると、そこにあるのは一つまた一つのタイムマシンに関するコンテンツファームからの文章だけだ。陳晞は自分の中の疑問がさらに増えたと感じた。でも林又夏は何時もちゃんと答えようとせずにはぐらかすから、これにちょっと不満を感じている。


 心の中で愚痴ってるうちに、眠っているあの子が体を少し動かした。多分腕の上で寝ているから、腕が痺れたのだろう。その顔には少し辛い表情が出て、それを見て陳晞は少しだけすっきりした気がした。


「起きた?」


 林又夏は目をこすって「ん……?陳晞?」と言った。


「私だよ」


「陳晞!」その言葉で林又夏は突然目が覚めて、床から跳び上がった。ベッドの上の陳晞を驚かせた。「大丈夫なの?!」


 呆れた顔で握られた自分の手を見つめて、陳晞は首を振って、「特に問題がない」と言った。


「よかった」林又夏は言いながら木製の床に座り直した。「心配したのよ。戻ったらあなたが地面に倒れているの見て、呼んでも起きないし」


 その重荷を下ろしたような顔を見て、陳晞は少しためらった。でもやはり言うことみ決めた。「さっき、あなたも遭ったの?」


「ん?」


「あの、ん~皆が居なくなって、それで暗くなって」林又夏の困惑した表情を見て、陳晞は頭の中でバラバラの言葉を組み立てようとしたが、その結果は失敗のように見えたけど。


 そのような意味不明な言葉を林又夏が理解できるとは思っていなかったが、この時の陳晞にはそれより良い言い方を浮かばなかった。なにせ自分にも一体何がどうなっているのか理解できなかった。ただ自分が一人で暗い場所に閉じ込められて、何も見えずに、まるで世界中に自分だけが取り残された感じしかわからなかった。


 怖い気持ちを認めるのはそう難しくないことであって、あのような怖い現象に遭った後なら尚更だ。自分の手を握った両手がさらに強く握ったのを感じ、陳晞は林又夏と視線が合った。


「大丈夫だ」


 陳晞は時々、自分が林又夏の前でおかしくなると感じる。特に彼女がそう言うのを聞いてから、突然安心した気持ちが唐突に思えるが、嫌な気分にならなかった。


 これが友達ということなのか?彼女は心の中で考え込んで、それで林又夏が呟いたことをよく聞いていなかった。それでも「ずっと傍にいるから」みたいな言葉が聞こえた。


 この子はいつも顔色変えずにそんな恥ずかしいことを言えるな。


 でも、どうしても嫌いにはなれないな。

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