#10 運命はやがて魂を最適の地へと導く
遺伝に確率があるように、すべての能力がそのまま受け継がれるわけではなく、失われた能力も数多くある。『時間』や『闇』、『光』などに関する能力は、今では見ることができない。
一説によると、それらの能力の所有者はかつて異端者として扱われていた。絞首刑に処されるか、或いは自ら隠居し、日の目を見ない生活をしていたとか。このような悲惨な境遇に遭っていたのなら、子孫を育てることなんて夢物語でしかなかった。
現代では、『時間』は当代の機械使いたちにとって大事な研究目標の一つとされている。深く知ろうとしただけでなく、あの手この手で色んな理論を基づいてたタイムマシンを作り出そうと試みた。ただ未来に進むため、或いは過去へ戻るために。
だが彼らは知らない。時間系能力の所有者にとって、それらはすべてたやすいことである。
林又夏から見れば、時間は縦方向と横方向に分けられている。平行する時空を超えることは馬鹿らしく聞こえるが、それが彼女の能力の一つである――少なくとも彼女自身はそう認識している。同じ時空の時間を進むのと戻るのはそう難しくはないが、ただ大抵大きな変化は望めない。
運命とはそういうものかもしれない。
「『暗闇』なのか……」林又夏は外の暗くなった空を見て、今どんな行動を取るべきかを考えた。
彼女はポケットに入れた携帯を取り出した。携帯の画面は激しくちらついていて、少し眩しい。画面上のアンテナは一本しかない。試しに連絡先のアイコンをタップすると画面が変わったから、どうやら正常に機能しているらしい。
彼女は迷わずに陳晞の名前を押して、携帯を耳元に近づけた。向こうから普段通りのとぅるる音がして、林又夏は軽く眉をひそめた。これは彼女にとっては予想外のことだ。
『時間の所有者』という身分に含められた意味と同じように、彼女は時間に干渉でき、自分の所在地もコントロールできる。一番の障害は、彼女には一体幾つの時空があるのかが見えない。火災を起こさせない方法を見つけるのは大海の底に落ちた針をすくいあげるようなもので、色んな要素も合わさって、彼女は相当手間をかけてやっと今の時空に辿り着いた。
何度も諦め、何度も探した。
電話の向こうに冷たい女の声がして、林又夏は大きくため息をし、心の中で愚痴った。どうやら陳晞は電話に出られる状況なのに、今は出なかったようだ。立ち上がって会議室の門を開いた。外は相変わらず誰もいない。彼女は深呼吸をして、さっき感じなかった緊張感が背中に登ってきた。
彼女は忘れかけていた、このような状況に遭遇したのは初めてではないことを。以前経験した幾つの時空でも、このような状況に遭遇した。だが陳晞の電話はさっきのように繋がったことがなく、留守電に繋がることもない。まるで空気に掛けたようだった。
なにか未知の力が自分と同じように、色んな時空を彷徨っていた。はたしてこれは単なる『現象』なのか、あるいはなんらかの尋常ならざる能力を持つ者が彼女の後について来たのか、林又夏は断定できない。唯一確信できたのは、周囲が暗闇に包まれ後、世界は消えたのと同じだ。
大抵の場合は何ともないが、何度かは正常に戻った後に問題が発生した。孤児院が丸ごと消えたとか、陳晞が無残に死亡していたとか。これらの状況に遭遇すれば、林又夏は再び能力を発動し、少し前の時間に戻って、そしてこの時空から去る。これが一番確実なやり方だ。こうすることでしか、陳晞と孤児院の子供たちの安全を確保できない。
これは多分、自分に向かってきたものだ。林又夏にはそれがわかる。しかし、同時に手の施しようがないことも知っている。
「無事でいてくれ……」ガラスドアを通して空を見上げ、彼女はそっと呟いた。
林又夏は頭を高速回転させていた。陳晞の携帯が繋がるということは、もしかしたら今回の彼女には影響を及ぼしていない可能性があるかもしれない。だがどうして?今まではこうではなかった。彼女は俯いて、携帯で洪姉さんの番号をかけてみたら、案の定の結果が出た。これは林又夏の疑惑をさらに深めた。
数少ない時空では、彼女は陳晞と友達になれた。だが多くの場合彼女とはただのクラスメイトだった。そしてかつて一度だけ、彼女たちは友達以上の関係になった。いや、それは林又夏にとって重要じゃない。一番大事なのは、どの時空でも陳晞がいたことだ。これはかなり手間を省いた。
なにせ苦労してやっと見つけた火災が発生しない時空に、陳晞が存在していないことはまっぴらごめんだ。もし今陳晞を失ったら、彼女がここに居続ける意味もなくなる。
力ずくで警察署の自動ドアをこじ開け、外の雰囲気は非常に不気味で、林又夏に恐怖を感じさせた。道に車一台もなく、梢も静止し、周囲は静寂に包まれていた。耳に聞こえるのは息を切らしている自分の呼吸だけで、目の前は一面の闇しかない。
『怖いか?』というと、それは当然だ。なにせ林又夏はまだ十六歳の女の子でしかない。
彼女は深く息を吸って、かき氷屋に向かって足を踏み出した。
ここの陳晞は他の時空にいた陳晞と少し違っていた。具体的に何が違うのかは林又夏にも言語化できないが、自分を泊めてくれる陳晞は、これが唯一の一人だ――恋人であったあの陳晞を除けば。
彼女はすでに一回諦めたのだ。どんなことがあっても、二度とそんなことをしたくない。
見知らぬ関係から知り合いになるまで、無関係の他人から友達に、何度も何度も。自分が陳晞の目から向けられたあの冷たい視線を耐え続けられるとは思えない。それはあまりにも残酷で、辛すぎる。
林又夏はほとんど走るように、かき氷屋の向こうの街道まで来た。窓ガラスを通して中にいるその人を視認した時、彼女は思わず泣きそうになった。
陳晞は何時も優しい。そのことを林又夏は誰よりもわかっている。自分が諦めたあの時空ですら、彼女は自分に対して文句の一つも出なかった。
呼吸を整えて、林又夏は再び足を踏み出す。どうして今回の陳晞は店長や警察たちのように消えなかったのかをちっとも気にせずに、ただ今回は自分一人で向き合わなくて良いとだけはわかっている。
本当は、二度と一人で向き合いたくはない。
※
背中に伝わる痛みと共に意識は体に戻った。陳晞は両目を開き、自分が冷たい地面に倒れていたことに気付いた。なんとか藻掻いて体を起こし、頭から伝わる激痛のせいで彼女は思わず声を出した。
「スッ……」彼女は自分の手で頭を数回叩いて、それで不快感が少し軽減された。
周囲を見回すと、彼女には何も見えていない。まるで空間認識力が彼女から取り除かれたように、周囲にはただ際限なく広がる暗闇しか存在しない。自分の体が見えるが、それ以外のものはなにも見えない。
私、死んじゃったのか?いや、違う。人を死なせるようなことが起きていないはずだ。それに、死んでもこのエプロンを着たままなのは流石に可哀そうすぎるだろう。
機械使いとして、子供の頃から受けた教育は事実を基づき真実を追求することだ。例え魔法が存在する世界で暮らしているとしても、多くのものが物理法則に基づいている。つまり非合理的なことは起きるべきではないのだ。
例えばこの世界には火系の魔法があるとはいえ、強い魔力を持つ火系能力者が体に直接降りかかる水に抵抗できるわけではない。ひどい例えではあるが、そんなどうでもいいことを考えることで、陳晞は自分を少しずつ落ち着かせた。
心が落ち着いてから、陳晞は少し時間を使って意識を失う前に遭遇したことを整理した。
異常に気付いた後、間もなく携帯に着信が来た。彼女はポケットから携帯を取り出し、画面に映った名前を確認したら、意識を失った……いや、それだけではない。
――あの客だ
最後に見たのは、黒いオーラを発した拳が、陳晞の顔に襲い掛かってきた光景だ。
彼女はあのような魔力の流れを見たことがない。あれが人に与える印象も尋常じゃなく、危険とでも言うべきか。数々の事象を見て、彼女の無意識は自分に逃げるべきと教えたが、体はその客と視線が合った瞬間に動けなくなって、それからは何も感じられなくなった。
「……又夏!」意識を失う前に携帯の画面に映った名前を思い出して、陳晞は慌ててポケットを触った。でも当然、そこには何もない。なにせ意識を失う前に携帯を自分の手に取っていたのだからだ。
自分以外のものは何も見えない。彼女は地面にうつ伏せたまま手を伸ばして探している。それはまるでコンタクトでも無くした強度近視の人のようだ。もしこの光景が誰かに見られたら、かなり滑稽だと思われるのだろう。だが今の陳晞にはそんなことを気にする余裕はない。
暫く時間がかかって、陳晞はようやくその冷たい薄いブロックに触れた。指に触れた瞬間、携帯の形が目に映るようになった。横のボタンを押して、すぐに画面が明るくなった。だが彼女の顔以外、周囲は相変わらず真っ暗であった。ライト機能を起動してもどうにもならなかった。その光はまるで最初から存在しなかったように、無情にも周囲の闇に飲み込まれていた。
着信はとっくに切れていて、画面に映ったのは先ほど見ていた通販のページだ。その商品はユニコーンの形をしたナイトライトだ。あの時はこれさえあれば、林又夏が一人で寝れるようになった時、もっと安心感を与えるであろうと考えていた。
暗闇の中にいる恐怖感ってこんな感じか。
手を伸ばしても自分の指すら見えなく、呼吸さえも息苦しく感じる。その闇の奥から化け物が飛び出して自分を襲うかもしれないような気がした。周囲には悪意に満ちていて、気をしっかり保てないと、心が潰されそうだった。
急にめまいに襲われ、陳晞は携帯が自分の脱力のせいで落としそうになった途端、死ぬ気で懐に抱きしめていた。
意識が再び消えかけた際、懐にある携帯が振動し始めた。彼女は最後の力を振り絞って目を開け、苦しそうに親指を動かして、その緑の通話ボタンを押した。
スピーカーを通して、電話の向こう側から聞き慣れた声が聞こえた。慌てているように聞こえたが、特別な安心感を与えて、まるで夜に輝くナイトライトのようだ。
周囲にはまだ人を飲み込むような暗闇に包まれているのかわからなく、瞼にとっくに力が入らないからだ。でも自分を抱きしめている温かさは心から明るく感じさせた。恐怖も抱きしめられた瞬間に一掃された。
「もう大丈夫、大丈夫だから」聞き覚えのある声はそう囁いていた。
林又夏は今までで一番大きい力を出して、意識を失った陳晞を引きずりながらかき氷屋の奥まで移動した、店長がサボるや仮眠する時によく使うあの部屋に。背の高い女の子に毛布を掛けたら、林又夏は彼女が必死で携帯を握っていたことに気付いた。その画面には自分の名前が映っていた。
林又夏は眉をひそめて、一本ずつ慎重に陳晞の指を解いて、青いケースの携帯を手にした。
彼女は機械を自分の耳に当てて「もしもし?」と言った。
電話の向こうにいる人はなんか慌てているようだった。向こうから激しい物音がして、どうやら色んな物にぶつかって落とした音のようで、そして通話はそのまま切れた。
『運命はやがて魂を最適の地へと導く』陳晞の携帯を握りしめ、林又夏の頭の中にこの言葉が浮かんだ。
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