#7 それはあなたがあなたからだよ
陳晞がこの孤児院に来たのはこれで二度目である。
広大な空間には真っ黒に焦げた家具しか残っていない。前来た時の静謐さよりも、ホラー映画のような雰囲気になっていた。空気中に不快な焦げた匂いが漂っている。ここに踏み入れた時から、白い手袋をしてずっと陳晞の服の裾を掴んでいる林又夏は、さらにその手できつく掴んでいた。
一体どれだけ大きく燃えたのか?陳晞は想像するだけで、思わず震いそうになったが、ぎりぎりなところで何とか自制し、なるべく恐怖を顔に出さないようにした。なにせ恐怖と言えば、その身でこの火事を経験した林又夏の方が誰よりも怖がったのであろうからだ。
「鑑識課の現場検証はすでに済んでいますが、なるべく現場を壊さないでくださいね」
二人の後ろに警察と消防局の人がついていた、多少プレッシャーを感じるが、それも必要なことだ。たとえ陳晞がこのような事件の処理の流れに詳しくなくても、ドラマや映画の中で多少見たことはあるから、一応理解はできる。
二人が階段の前に止まって、ここに入る前に、木造の階段は火に焼かれて今にも壊れそうだから、二階へは行かないように忠告されたことを思い出した。
二階の方を向いて、林又夏は思わずため息をした。「でも大事な物は全部二階にあるのよ」
「通帳とかでしょ?」陳晞は少し考えていた。「それなら私が外から登ろうか?」
「危険すぎるよ!」
金を引き出す方法なんて、銀行に行けばいくらでもある。今なら携帯電話を使って送金、取り出すこともできる。金の問題は簡単に解決できるって陳晞は知っていた。もし本当に何か問題があったら、自分が手を貸せばいい。あるいは、同じ孤児院出身の店長さんなら喜んで手伝ってくれるはずだ。
陳晞は林又夏の表情を見て、友達の中に誰かの能力が飛行関連の者はないのか、何とか頭の中から絞り出そうとしたが、そんな者はいなかった。友達と呼べる者たちは全部機械使いで、何の役にも立たない。
だから、機械使いは一体何のために存在するのか?陳晞は思わずそう考えていた。
どんな人であれ、お金より大事な物はあるでしょ。例えばアルバムや手紙などとか。林又夏だって例外じゃないはずだと陳晞は思っていた。
先日ベッドを借りた時に、つい壁の上に貼られていた写真を見てしまった。詳しく見ているわけではないが、あんなに丁寧に飾っているということは、きっとあの一枚一枚の記録は、すべて大切な瞬間であったはずだ。
「でも――」あなたのそんな顔を見たくない。腹から出そうになったその言葉を、陳晞は無理矢理抑えた。どう考えても、普通の人間が言うような言葉ではないからだ。
「見えなくても存在している物もあるのよ」
林又夏は屈んで、陳晞の足元にある黒く焦げたハンカチを拾った。彼女はその上にあった焦げた粉末を拭くと、白い布地が露わになった。ハンカチにはぐにゃぐにゃした文字があって、どうやら手作りで縫い付けられていたようだ。その出来は荒っぽいが、製作者の気持ちを感じるのは難しくない。
「でも、人の記憶はもろいものなのだ。だから多くの手がかりで自分を思い出させる必要があるの。もし私ですら忘れてしまったら、それらのものは存在しなかったことになるから。きっと寂しいよね」
一つ一つの文字やそれらで構成した言葉はそう難しくはない。だがすべて合わさると、陳晞によく理解できなかった。わかるようでわかってないようで、ただ頷いた。林又夏は思わず苦笑いをした。
「聞かなかったことにしてね」
「できればちゃんと解説してほしいな」陳晞は頭を掻いた。「でないと眠れなくなる」
「私が気になるから、それともさっきの言葉が?」
「もちろんさっきの言葉ね」危険を感じて、陳晞は素早く答えた。
「とにかく、私のせいで眠れなくなる、でしょ?」
「違う」
まだ何かを言いたい林又夏を気にせずに、陳晞は振り向いて警察にさっきのハンカチを持っていってもいいのか聞いた。肯定の答えを得てから、彼女は満足そうに本心からの笑顔をした林又夏を見ていた。
林又夏って人はずっと笑ってるほうがいい。そうでないと体中おかしくなりそうだ。
孤児院を出る時に、林又夏は振り向いて、玄関の門に向かって深くお辞儀をした。陳晞は邪魔しないように、数歩先の距離から黙って見ていた。
林又夏にとって、この場所こそが自分の居場所で、そして確かに彼女の家でもあった。この先またここに戻れる機会はあるのかわからないが、陳晞は彼女にこの場所と少し二人っきりにさせたかった。
たとえこの世界では真に他人と共感できる人はいなくても、それでも自分はほん少しだけでも、林又夏が抱えた辛い気持ちを分かち合えるならいいなと思った。
何せ寂しさなんて、陳晞も現在進行形で味わっているからだ。例え全く同じでないにしても、何か役に立てるのならば、もしかするとその寂しさも少しは減らせるかもしれない。でも、具体的にどうすれば役に立てるのか?心当たりはない。耐えながら待ち続ければいずれ見つかるだろう。
林又夏は身を起こしてから、顔を拭いた。陳晞はそれを見なかったふりをして、彼女が自分の方へ歩いてきてから、視線を道端の花から戻した。
「陳晞、行きたい場所があるの。付き合ってくれないかな?」
※
たしかは去年からだろう、政府はMRTのシステムを大幅にアップデートして、単純な電力駆動から科学技術と魔法を結合させた混合装置に改良した。広い世界から見ても、偉業と称しても過言じゃない。それを進めた者がまさに陳晞の両親である。
彼らは魔力を入れる容器の開発に成功し、さらに磁気効果を利用した魔力を動力に変える変換器を作った。装置の大きさのせいで、まだ完全に原子力の代わりにはなれないが、乗り物に供給する分に問題はない。
陳晞が知ってるのはここまでだ。毎回学校で先生が新しいMRTの話題について話す度に、彼女が帰宅したら両親からさらに詳しい答えを得ようとしたが、結局はその都度に『おまえにはまだ早い』って言葉で誤魔化されてた。
外の景色はすごい速さで後ろに飛んでいった。今日の天気は良好で、青々とした森でも、遠くにいる海岸でも、日差しの元ではっきり見えていた。
『次の駅は――』
林又夏は窓側の席に座り、静かに風景を眺めていた。
「海は好きなの?」彼女は突然口を開いて、ぼーとしていた陳晞をびっくりさせた。
「嫌いじゃないよ」
「ならよかった。実は行きたくなかったらどうしようかと」
彼女たちは各々がアルバイトしている店に一日の休暇をもらった。元々今日のスケジュールは、孤児院に戻る他に、一番の目的は林又夏の日常用品を買いに行くことだ。最後は何故かMRTの列車に乗っていたけど。
林又夏があの話をする時に、断れない口調で喋っていたからかもしれない。それに、その泣いたばかり目を誰が断れるのだろう?
前回海に行ったのは、もう小学の頃のことだ。それはある年の夏休みってこと。陳晞はまだ覚えている。それ以降は、彼女の両親は研究で忙しくなり、三人で一緒に晩ご飯を食べれるのも珍しいことで、ましてや家族で遊びに行く回数なんて指で数えるぐらいだ。大半の休みの時間は常に部屋で部品と共に過ごしていた。
「そんなに難しいことでもないし」
「私ってわがままでしょ?」
『そうだけど』陳晞はそう言いたい衝動をこらえた。林又夏はわがままではあるが、陳晞はそれが嫌いではない。というよりは、もしこの子が突然従順になったら、知らない子になる。
また、厳密に言うと林又夏はそこまでわがままでもない。
「それにしても、どうしてあなたの能力を使わないの?」
二人の間は暫く沈黙が続いた。今は勤務時間でもあるため、列車内の乗客はほとんどいなくて、彼女たちがいる車両には他の人すらいない。陳晞の耳に入るのはもはや列車の運行音しか残っていない。
何か間違ったことを言ったのか?彼女は林又夏の平静な横顔を見て、頭をフル回転させた。
「試したのよ」かなり経ってから、その言葉が林又夏の口から出てきた。「でも毎回同じで、これがすでに最善の結果なんだよ、陳晞」
今でも林又夏が持っている能力は何なのか、陳晞にはわかっていない。
林又夏が能力を隠していた理由は明白だ。それは夏の日孤児院に残るためだ。なぜならあそこは無能力者を収容する施設で、もし能力を――それも尋常ならざる能力を持っていることを知られたら、養子にされるところか、政府に『徴収』される可能性すらある。
物を扱うような言葉に聞こえるかもしれないが、陳晞は特殊な能力を持つ人が政府に連れ去られた事例をたくさん聞いていた。クラスメイトの間でこんなことを話している時は、いつも『徴収』という言葉を使っていた。
他人と少しだけ違うってだけで物扱いされる。大人たちは常にあの手この手で彼らにとって都合のいい能力を複製しようとしている。それがこの社会の真の姿である。適性の発展や多元化教育などと、現実から見ればすべて上辺だけの言葉だ。
その管理があんまりにも非人道的なせいで、徴収機構から戻った人たちは、大体人が変わったようになる。それだけでなく、彼らの身には一生『制約』を刻まれることになり、一挙手一投足が監視されるようになる。制約の強さによって、さまざまの後遺症も残る。
「どうしてそこまで私を信じられる?」
それを聞き、林又夏は首を傾け、陳晞と視線を合わせた。
これは初めて彼女が林又夏に対して心から知りたい、そして知るべき質問をしたかもしれない。そして今度はまた両親が自分にしてきたように誤魔化されたくない。
「それはあなたがあなたからだよ」
「どういう意味?」
「あなたは青色が好きな陳晞だから、あなたを信じるの」
「冗談で言っているんじゃないのよ」
「わかってます」林又夏は陳晞の手を握りしめて「私も冗談で言っていない」
冷たい感触が指先から伝わってきた。林又夏の茶色の瞳を見て、陳晞はその澄んだ目からは冗談の欠片もみつけられなかった。
どうして手を繋ぐの?女の子はどんな時に手を繋ぐのか、どんな時に繋がないのか?このような疑問は陳晞の頭の中をよぎった。まるでずっと、ずっと前にも同じような質問をして、さらに微かな記憶の中で林又夏が『繋ぎたいとき繋ぐのよ』って言う欠片が見つけた。
違う。病院の時でもこの問題について考えていたが、口にしてはいなかった。論理的に考えれば、そう答えた者が林又夏のはずがない。だが彼女でなければならない。
「本当に眠れなくなりそうだ」
「いつか答えが得られるのよ、きっと」その言葉をする時の彼女の口調は強くて、まるで何かに誓っているようだった。
ならどうして直接答えを教えてくれないの?陳晞は我慢した。その言葉を出さなかった。一体何時まで我慢できるのか、彼女自身もわからない。その『いつか』が果たして存在するのかと同じで、彼女自身も何もわかっていなかった。
不公平だ!どうして私だけ何も知らないの。
林又夏を見つめて、その非難をする言葉を言えなかった。
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