#1 初対面

 高校入試当日の寝坊ほど悲惨なことはない。


 機械使いでも、未成年が免許を取れることを意味しているわけではない——だから陳晞は通り抜けられる壁を飛び越えて、危ない近道を通って、自分の中学の制服を着て街の中を駆け抜けると、白いシャツが汗でずぶ濡れになった。


 赤信号で九十秒待たされ、顔に流れる汗を感じると、空飛ぶ魔法使いが心底羨ましかった。長距離飛行なら、さすがに飛行機を使えるけど、普通に寝坊したらすぐ遅れを取り戻すことができるに違いない。


 どれだけ自分の外見を気にしなくても、陳晞は今の自分が十分狼狽えていることを自覚していた。


 内心、海外で働いている両親に申し訳ないと思った。空港で見送ったとき、陳晞は自分の面倒は自分で見るとハッキリと誓った。

 それなのに、非常に馬鹿げた失敗をしたのだ。


 陳晞は晴れた空を見上げ、高気温を感じながら、赤信号と残り1分付き合うつもりだった。


「あの……」


「はい?」


 振り返ると、陳晞は隣に自分より少し小柄な女の子が立っていることに気づいた。女の子は見慣れないセーラー服を着ていたが、恐らく地元の学生だろう。

 十分失礼のない返事をしたのだが、突然自分に話しかけてきた見知らぬ人に少し警戒して力がこもり、それは顔の表情に表れないようにした。


「あなたも試験ですか?」


 今日は土曜日、早朝に中学生が制服を着ているなら間違いなく、一年に一度の高校入試を受験することは明らかだった。


「はい」


「もう、大分遅れてるかな?」


「うん」


 言われなくても知ってるよ。そう思ったのだが、目の前の女の子に対してきつい言葉を言う気にならなかった。


 歩行者側の信号機に映る『小紅人シャオホンレン』の上のカウントダウンが四十秒を切って、陳晞は素早く何も障害物のない交差点を素早く抜けることができ、悲惨な目に遭いながら、試験会場に向けて走り続けると思っていた。


 そうだ、そうだ、私はなんて浅はかな人間だろう。陳晞はそう思いながら、平気で人を見てくる視線を逸らした。


「だったら、一緒に行きますか?」


「え?」


「あなた、」言葉に詰まる陳晞を見て、女の子はちょっとためらって、「喋るの苦手な人ですか?」と言った


「別にコミュ障じゃないし」


 障害があるというなら、女の子とうまく話せないことだろう。たとえ、自分が正真正銘の女の子でも、陳晞は数少ない女機械使いとして、幼稚園卒園後に男子と一緒に通学し、生活圏も母を除けば大半が男で占められていた。


 赤い数字が残り二十秒を切った。


「そうなんですね」女の子は意味深にうなずいて、陳晞に向かって手を伸ばして、「行こう!」と言った。


 陳晞の視線は相手の襟の赤いバッジに向けて、自分のバッジが銀色で中央にレンチのマークだ。機械使いは全て銀色のバッジを使って、その違いは上に表示された黒い文字の記号だけだった。どうやら、大人が違う学生の能力を識別するためのようだ。


 なぜ、バッジに何のマークもないのか聞こうと思ったが、それはプライバシー侵害だと思った。相手は知り合って1分にも満たない見知らぬ人間なのだ。


 私と手をつなごうとしているのか?


 陳晞が反応しない様子を見て、女の子は指を少し動かした。


「そうしないと、本当に間に合わないですよ?」


 危険なことはないよね?どうせ間に合わないのだ。破れかぶれで、陳晞は女の子の自分より一寸小さな手を握った。


「行きますよ!」


 次に、『小紅人』が緑に変わったら一緒に走ろうと思って、駆け出す準備をしていると、陳晞は見えない手で自分の胃が掴まれているように感じた。奇妙な感覚が湧き上がり、痛みを感じるレベルではなかったが、やはり好きではなかった。


 この世界には色んな不思議な能力が存在している。この子の能力は相手の臓器を盗むことができるのだろうか?彼女の頭に突然、臓器売買のニュースがよぎった。


 奇妙な感覚を忘れるために、陳晞は力を込めて両目を閉じて、深呼吸をした。再び目を開けると、女の子は熱い空気と一緒に消えていた。肌に襲った予期せぬ涼しさに彼女は驚いて声を上げそうになった。


 幸い、本当に声を出さなかった。そうでなければ、間違いなく試験監督の先生につまみだされていただろう。陳晞は腕時計に目を向けた。時刻は八時五十五分だった。彼女は落ち着いて自分の名前と受験番号が貼られた席に座り、ペンも握っていた。問題用紙だけがまだ配られなかった。

 陳晞はお腹を触ってみて、自分の臓器がまだあるかどうかを確認しようとしたが、奇妙な感覚はもうなくなっていた。


 何だろう……?


 誰かが自分を見ていることに気づいたので、陳晞は視線の方向を見ると、見覚えのある目が視線の先にあって、思わず大きく口を開けてしまった。隣に座っている女の子が微笑みながら、唇の前に人差し指を立てて、「シーッ」のポーズをした。


 小学校の頃、ある授業中に空白のバッジについて習ったことを思い出した。どうやらそれは無能力者を表しているもののようだ。無能力者の体に微量の魔力の流れがあるから、定められた義務教育期間で自分の能力が見つかるように、魔法使いとして分類されるという。


 いずれにせよ、先ほど起きたことは無能力者ができることじゃない。陳晞も神様に誓った、あれは絶対自分がやったことじゃないと。なによりも自分が機械使いということを誰よりも理解していた。


 ※


 試験、やらかしたな。


 試験の最後の科目が終わると、陳晞は疲れた足取りで、試験会場を出ていった。


 午前中の試験は共通科目であり、機械使いも魔法使いも受験する。午後の試験は各専門に分かれて試験を行い、筆記試験も実技試験もある。昼の休憩時間に、陳晞はお礼したかったが、セーラー服を着た女の子はチャイムが鳴った後見かけなかった。恐らく他の教室に行ったのだろう。試験会場はこの学校の各エリアに分かれるため、誰かを探すことは海中から針を見つけるようなものだった。ましてや、名前を知らないのに特定の人物を見つけることはより困難だった。


 自分に対して不思議な能力が使われた陳晞は午前中ずっと、驚きと混乱の感情に支配されていたが、やはりお礼を言うべきだ。遅刻して試験会場からつまみ出されるより、成績を落とすだけは確実に良かったのだから。


 校門を出たころには、既に日没の時間だった。午前中の熱さが和らいだが、夏の湿度は不快に感じた。唯一嬉しかったのは、準備していた試験がようやく終わったことだ。今することは成績と合格発表を待つだけだ。


 両親は二人とも国直属の研究員だが、二人は陳晞の成績に対して口を挟まなかったから、彼女も試験に落ちても何も感じないだろう。ただ、今日の手ごたえに対して、おそらく両親の母校に順調に進学できないことについては、多少罪悪感があった。


 全部は起きることができなかった自分の体のせいだ。リュックの肩のベルトに押しつぶされる髪を出して、大きくため息をついた。夏が来たから、ショートヘアも本気で考えるべきだろう。


 街角を歩いていると、陳晞は黄色く暗く光る街灯の下にいる人影に目を奪われた。


 え?この人は?


 女の子は少ししてから陳晞に気が付いた。先ほどの無表情な顏は瞬く間に笑顔に包まれた。二人の距離はそんなに遠くないのに、大手を振ってくれた。まるで自分に気が付かないことを恐れているように。


「待ってました!」


「え?」


「試験、順調ですか?」


 陳晞は心の中に多くの疑問を押し殺して、ただうなずいて、少し間が空いてから、また首を横に振った。


 女の子は陳晞の暗い表情を見て、同じように頭をうなずいた。「私も。たぶん成績はひどいんです」


「あの」


「うん!」


「今朝、ありがとうね」


 街灯が薄暗く、女の子の表情が良く見えなかったが、陳晞はこの態度からして、彼女は機嫌がよく、試験の成績が悪かったとは少しも見えなかった。


「何でもないですよ。私も遅れたんですし、大したことではないですよ」


「うん……でも——」


「なんかお礼してくれるのですか?」女の子は歩道の真ん中にスキップしながら行った。「絶対要りませんからね。友達同士はこんなことしませんよ」


「え?」


 友達?いつ友達になったんだろう?言葉を交わしたとしても、まだ少ししか話してないのに?陳晞の頭には再び疑問符が何度も飛び出て、なんて答えればいいかすぐ出てこなかった。


 目の前のこの人は魔法使い、それもまだ能力のない魔法使いに見えた。事実はそうじゃないと思ったけど。


 陳晞にとって、見知らぬ魔法使いはみんな危険だ。なぜなら、彼らがどのような力を持っているかわからないからだ。彼女はいつも無意識に逃げて一人になろうと思っていた。しかし、この女の子にはそのような危険な雰囲気がなかった。


 朝と同じように、女の子は手を伸ばした。「私は林又夏です。私と友達になりましょう!」


「なんで?」ポロッと出たこの言葉に陳晞自身も驚いた。


 しかし、林又夏も気に留めてないようで、手を戻してから、首を傾けて、何か考えているようだった。角度を変えると街灯の光が彼女を照らし、彼女の顔はより立体的に見えて、長い茶髪が一際光沢を放っていた。


「え、だってあなたと友達になりたいですから?」林又夏はもう一度手を伸ばして、「でも、あなたの同意をも得ないとダメですね」


 友達になったら、何ができるのだろう?そう聞きたい陳晞は、その問いを口にできなかった。彼女は呆気にとられたまま、今朝のように自分の手より小さな手を握った。そして、林又夏は嬉しそうに笑った。ライトブラウンの両目が輝き、陳晞ははにかみながら視線を逸らした。


 たとえ殴られても、この時ちょっと嬉しかったことを、陳晞は絶対認めないだろう。


「今後ともよろしくね、陳晞」

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