014【放棄】
「う……ん」
純白のシーツに包まれたセレステは珍しく、のんびりと寝返りを打った。枕にしていたものが頭の下でずれると、セレステはぼんやりとしたまま目を開けた。一瞬にして、まぶたが柔らかい感触に押され、もう一度まぶたを閉じなければならなくなった。
「もうちょっと寝てな、お嬢さん」
その低い声でセレステは少し目を覚まし、はっと顔を上げると、自分がイヴァンの腕の中で丸くなり、顔を寄せ合い、息を合わせている自分に気づいた。
セレステの狼狽した表情を見て、イヴァンは穏やかな口調で「おはよう、どこか痛いのか?」と聞いた。
セレステは口を開けたまま、言葉をだせなかった。しかも、二人がまだ裸で密着している状態だった。そして、イヴァンはいたずら心で、逃げようとする彼女の体を掴んで抱きしめた。
「黙ってると、チェックしちゃおうか」
「だ、大丈夫だから。イヴァンさん」セレステはイヴァンを突き飛ばすと、俯いた顔を赤くした。「大丈夫というより…… と、とってもいい体験だった、です」と言った。
今度はイヴァンが固まった。この少女は娼婦よりも魅惑的で、「今度そんなことを言ったら、ベッドから出られないようにしてやるから」と囁いたのだ。
「え?」セレステは信じられない思いで顔を上げ、無邪気に彼を見ていた。
「大丈夫、そのまま横になっていい。朝ごはんが出来たら呼ぶからさ」
イヴァンは床に落ちているズボンを拾って履き、ドアのほうへふらふらと歩いていった。セレステは、自分のひっかき傷が残ったイヴァンの背中を見て、また頬を熱くした。
朝食と言いながら、二人が起きた時間はもう午後だった。
イヴァンは食べ物を買ってきて、帰ってきたときは、セレステが温かいスープを用意して待っていた。
二人がテーブルで食事中、イヴァンが鶏ドラムスティックをかじるのを見ながら、セレステは両手に頬杖をついてテーブルの向いに座っているイヴァンを見つめ、彼の異常なまでの食欲がどこから来るのか、やっと理解した。いつもご飯のおかわりを欲している目の前の男が、何も味わえないということを、セレステは、まだ信じられなかった。
素手で焼き台を出したり、季節の花の香りを嗅いでおきなさいと言ったり、肩が掴まれたときにもう少し強く掴んでくれと言ったり。
これまでの何気ない言葉の意味が、突然理解できるようになり、胸が張り裂けそうになった。
セレステは伸ばした手をイヴァンの手の甲にそっと置き、その顔を悲しげにしかめた。
「イヴァンさん……本当に何も感じないのですか?」
イヴァンは色白の手を見ると、それを押し退け、ナイフを手に取って掌に押した。「もう一度やってほしいなら、アンコールを」
「ダメ!やめて、お願い!」セレステは慌ててイヴァンを止めた。「私は……イヴァンさんに感覚がないなんて思えないの」
イヴァンはナイフを置くと笑いだした。「ははは、どうだい?俺の演技ならアカデミー賞を獲れるかもしれないよ」
セレステは、甘酸っぱいトマトとふわふわのジャガイモが入ったボウルをしばらく見つめていた。
「なんか残酷です……」セレステは言った。「そうやって死神の感覚を奪うのは」
「収奪じゃないさ」
イヴァンはスープを一口飲んで、「お嬢さん、自殺を決意した瞬間に、もう全てを放棄したことになるんだ」と言った。
その言葉はセレステの心を強く打ち、まるで失敗を叱られるのをびくびくしている子供のように、手足が冷たくなり、心臓の鼓動が早くなった。麻痺していた感覚が覚醒し、ようやく現実を認識した。
そう、それは自分が放棄したものだった。
「イヴァンさんはなぜ契約者に第五条のことを話さなかったんですか?そして、死神の世界はそんなに……苦しいことを」
「もし俺は人生が楽しいと言ったら、お前さんは生きられるのか?」
イヴァンの問い返しに、セレステも唖然とした。セレステはまた考えてみた。もし誰かが、今の世界は死後の世界よりいいと言ったとしても、やはりセレステは信じなかっただろう。
沈黙するセレステを見て、イヴァンは「俺たちは今の痛みが一番苦しいんだ」と言い添えた。
セレステはイヴァンを見て、彼の目にどんな痛ましい光景が浮かんだのか、想像してみた。
「昔はな……」
イヴァンの冒頭の言葉にセレステは集中した。「契約者に第五条のことを伝えたんだ」
セレステは、期待していた話が聞けなかったことをがっくりしながら、黙って聞いていた。
「第五条の内容を教えても、俺がどんなに止めようとも、あいつらは躊躇することなくサインしたんだ。後になってから、自分たちの手によってさらに苦しい奈落の底に突き落とされたことに気づき、心が壊れてしまったんだ」
イヴァンはボトルを取り出して酒をごくりと飲んで、残された食事の入ったボウルをぼんやりと見つめた。しばらく経つと、イヴァンはそう言った。「俺がそうしなくなった後、せめて契約者は俺のせいにすることができる」
「人間は自分の命に責任を持つことを学べないからさ」
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