アイドルの父② ※閲覧注意
娘はあのあとも順調にアイドルとして頑張っているようだった。
成人のときも盛大にお祝いしてもらえていたようだし、地上波への進出もそろそろ可能だという頃。
娘から『耳が聞こえなくなった』とメールが来た。
妻と相談して一先ず、東京へ迎えに行こうという話になった。
耳が聞こえないのでは、生活もままならないだろう。
出来る限りの情報を集めることにした。
どうやら娘から聞くに、ダンスの練習中にいきなり耳鳴りがしたと思ったら、パツンと周りの音がシャットアウトされたようだ。
花楓さんが異変に気づき、病院へ伴ったところ原因不明のものだと診断されたと。
これではアイドルどころか日常生活も今まで通りにはできないと言われ、桜夢は現在平衡感覚を掴むために、歩行の練習中だという。
事務所からの発表はまだ何もなく、けれど桜夢から連絡があったのは、これからの人生をどうするかの話し合いも込めてだろう。
「本当に申し訳ございません」
事務所に来て早々、社長から直々に謝られた。
と言っても原因不明なのだから怒りようもない。
「まぁ、顔を上げてくださいな。まずは娘の状態を見てから判断します」
こういう時に一番怖いのは妻だったり。
娘に与えられている休憩室に入ると、花楓さんと一緒に歩く練習をしているようだった。
花楓さんに肩を叩かれ、こちらに気づくと走って抱きついてきた。
一旦娘を妻に任せ、社長と花楓さんと別室で話し合いをすることにした。
「桜夢にはあとで聞きますけれども、社長さんと花楓さんはこれからどうされるおつもりですか?」
「まずは花楓から話しなさい」
「……私は桜夢がアイドルを諦めないつもりならそれに従う。でも辞めたいとか、諦めるつもりなら私も一緒に辞める」
「どうしてそこまで桜夢に固執するのかな? 君1人でもアイドルになれる力はあるだろう?」
「桜夢は……私の心を、人生を救ってくれたんです。投げやりで入ったこの事務所で唯一、私を見捨てずに付き合ってくれました。なので次は私が……救えなくても、一緒に側に居たいんです」
「なるほど。……社長さんはどのようなお考えで?」
「弊社としましてはSAKURAがいなくなるのは大きな損失です。ユニットという縛りがある以上、KAEDEのペアの子を新しく探し出さないといけません。KAEDEが辞めるというのも言語道断です。……しかし私一個人としては、桜夢には病養という目的でご実家に一時帰宅していただき、花楓には謹慎を言い渡すのが丸く収まるのではと考えています」
「謹慎?……何か悪いことでも?」
「いえ。花楓本人というよりも、ご家族がKAEDEを悪用しようと騒いでいまして」
「あぁ。連れ戻そうとしているんですね。……大変なご両親を持って辛かったね」
あ、つい娘にやる癖で花楓さんの頭を撫でてしまった。
「!…………どうして優しく……」
静かに泣いてしまった。
社長さんも優しい目で貴女のことを見ているよ。
見捨てられていたわけじゃないってこと、気づいてほしいな。
「失礼ながら、貴方のことも調べさせていただきました。……花楓を任せてもよろしいでしょうか」
「えぇ。任せてください」
私のことを調べられたなら話は早い。
本当にこの事務所はやり手だな。
「たとえ桜夢がアイドルを辞めたいと言っても、籍は残したままにしておくつもりです。それに出張版が叶うかもしれませんし」
「出張版……ですか」
「はい。こちらのゲームはご存知でしょうか。最近CMが解禁され話題沸騰中の『神の理想郷』というゲームです」
そう言って紙の資料を渡された。
そこにはゲーム機の値段や仕組み、ゲームのイメージ絵があった。
「あっ、これSNSでトップに上がってた……」
どうやら花楓も興味があるようで、涙から復活していた。
「新たに子供時代から始める第二の人生、というコンセプトの元開発されたゲームです。ここでなら『アイドル』の形も未知数なので、桜夢でも活躍できるのではと考えています」
「そっか。アイドルっていう職業がないから、歌って踊って笑顔にするのがアイドルとは誰も思わないのか。何なら踊るだけでも、アイドルって自称しちゃえばアイドルになれるかも」
「ふむ。……桜夢にゲームをやらせるということですか」
「はい。桜夢は強い子です。耳が聞こえなくなっても、希望を見出せばまた輝いてくれるだろうと考えています」
「娘が落ち着いて先のことが考えられるようになるまでは、保留にしても良いでしょうか?」
「もちろんです。桜夢には元気になって欲しいですから」
「……少し妻と娘の様子を見てきます」
桜夢の休憩室に入ると、困った様子の妻がいた。
「どうしたんだい?」
「それが……」
妻が振り返ったからか桜夢も私に気づき、目を合わせてくれた。
しかしその目は、嫌な予感のするものだった。
「……社長さんと花楓さんが応対室にいるから、話をつけてきて。私は桜夢とじっくり話し合う」
「お願いするわ。……私よりもあなたのほうが適任だものね」
先ほどの会話を端的にまとめた紙を、妻に渡す。
一瞥した妻は扉を締め、2人きりにしてくれた。
私が今まで生きてきた中で、今の桜夢と同じような目をした者がいた。
その目は自分の信じてきたものが壊れ、先の生き方が分からなくなり、自滅する者の目。
幸い、皆死ぬことはなく周りに助けられ、今では強かに生きている。
桜夢は成人したとはいえ、まだ20歳の若者だ。
中学、高校と思春期を迎えたときには用心したが、自殺するような行動は無いままだった。
予想はしていたが、結構心にくるものがあるな。
高校に入ってからアイドルという道を見つけ、それを叶えるためにひたすら頑張ってきたんだ。
その道が崩れて復旧の見込みも無い状態では、死にたくもなるのだろうな。
娘に話が伝わるように、ノートに文字を書く。
手話はまだわからないだろうから。
〈桜夢、今の気持ちを率直に聞かせてほしい〉
口を開きかけた桜夢は、気づいたようにペンを握った。
〈これからどうすればいいのかわからない。アイドルはもうできないし、そもそも生きていけるのかすらわからないから、正直生きてる価値があるのかわからない〉
〈死にたいかい?〉
あまりこういう会話をする家庭は少ないだろう。
死というものは遠いからこそ、身近な存在の者が発言した場合には、急に近いものに感じられて怖気づく。
しかし大事な場面で聞かなければ、娘は容易くその命を終わらせるだろう。
恥とか上辺を取り繕っている場合ではないのだ。
〈その気持ちはちょっとある。でも、今まで出会ってきた人との関係を絶ちたいとは思わない〉
今このときは、生きる気持ちに余裕があるように見えても、何がきっかけで一気に死へと向かうのかわからないのが怖いところだ。
親や兄弟、先生や友人、恋人や近所の人など、きっかけはいくらでもあるのだ。
私の何気ない一言が、娘の心に深い傷を残す可能性ももちろんある。
慎重にならなければ。
〈では、この先のことについて話しても構わないかい?〉
こくり。と肯いてくれたので、わかりやすく書いていく。
〈桜夢は一旦実家へ連れて帰る。建前は『病養のためアイドル活動を一時休止し、回復するまで復帰は未定』ということになる。この処分に何か不満はあるかい?〉
ブンブン。と頭を横に振ってくれたため、話を続ける。
〈桜夢とユニットを組んできた花楓さんも我が家へ連れて帰る。建前は『謹慎処分のためアイドル活動を一時休止し、当面の復帰は未定』ということになる。これに不満はあるかい?〉
桜夢も花楓の両親のことは聞いているのだろう。
ただ予想外なことが書かれていて固まっているようだ。
〈一緒なの?〉
〈花楓さんは桜夢と共に歩みたいみたいだから〉
その文字を読んだあと、桜夢は困ったように笑った。
少し安心した。
笑える気力があるということは、まだ希望が残されているということだからだ。
〈『神の理想郷』というゲームは知ってるかい?〉
こくり。と肯く。
若者は情報取得が早い。花楓さんと同じようにSNSで見たのだろう。
〈そこで桜夢には『アイドル』を広めてもらう。もちろん嫌なら断って構わないよ〉
〈耳聞こえないのに?〉
〈歌って踊るだけがアイドルじゃないだろう?〉
目がキラキラしだした。
元々桜夢は好奇心旺盛な子なのだ。
〈それじゃあ、応接室へ行こうか〉
「――だから、なぜそこまでする必要があるのですか!」
どうやら応接室で社長さんと誰かが言い争っているようだ。
娘もざわざわとした空気に異変を感じ、私の腕を握る手を強めた。
「これは……どういう状況で?」
「社長とオーナーが、桜夢のことについて揉めてるんです」
廊下に立っていた花楓さんと妻と合流する。
「話し合いが終わって団らんしてたら、オーナーと呼ばれる人が入ってきたのよ」
娘が腕をちょんちょんと引っ張ってくるので、簡潔に状況を書く。
どうやら桜夢もため息をつきたいようだった。
〈オーナーは厄介。基本的に社長の意見を聞かないし、事務所の資金提供者だから社長よりもほんの少し発言力があって、社長も困ってる〉
なるほど。
この事務所の唯一の欠点かもな。
喧騒に他のアイドルの子たちも廊下に出てきたようだ。
娘を妻と花楓さんに任せて、私は仲介に入るとしよう。
聞いていると無性に苛立ってくるんでね。
「一時休止で良いではないですか! わざわざ契約解除や追放処分にする意味が分かりかねます!」
「そんなのあいつが使い物にならないからだろ」
「アイドルは道具じゃありません! それに耳が聞こえなくたって他の道があります!」
「どうだかな。ゲームの世界なんて所詮は馬鹿がいるところだ。そんな奴らの支持を集めたって無意味だ」
「どうしてあなたって人はそこまで桜夢に拘るんです?」
「別に拘ってないさ。ただ――」
「そこまでにしたらどうです? アイドルの子たちが見てますよ」
「誰だお前。部外者は黙ってろ」
「……申し訳ありません。お見苦しいところをお見せして」
「いえ。大体お話は見えましたので。……桜夢と花楓さんは連れて帰ります。社長さんも早くそこのオーナーと手を切ったほうが良いですよ。……彼は花楓さんのご両親と繋がっています」
最後の方を小声で伝えれば、社長さんは名案を思いついたのだろう。
ニヤリと悪い顔で笑っていた。
「ふん。勝手にしろ」
そんなこんなで桜夢と花楓さんは私たちと共に田舎へ帰り、ゲームをする下準備を整えた。
桜夢は発売の数日後にゲームの世界へと籠もり、1ヶ月経った今、こちらに帰ってきてはいなかった。
「楽しく暮らしているのかな? それとも……」
「らしくないですね。お義父さん」
花楓がお茶を持ってきてくれた。
あれから事務所も花楓のご両親も色々とゴタゴタがあり、それが下火となった今、花楓は実の娘のように馴染んでくれていた。
『愛情をくれる家族ってこんなにも温かいんですね』と言われた際には、泣きそうになった。
「お義母さんも今はお仕事で忙しそうですし、私が見てきましょうか?」
「いいのかい?」
「はい! お手伝いしたいですし、桜夢のことが気になるのは私も一緒ですから」
『定期的に報告しに戻ります!』と言ってゲームの世界へ行ってしまった。
行動力は桜夢と似ているところが微笑ましい。
しかし、耳が聞こえない桜夢を本当に『神の理想郷』へ送り出しても良かったのだろうか。
心から楽しんでいるのだろうか。
そう毎日悩んでいた。
「……妻が帰ってきたら、私たちも見に行こうか」
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