アイドルの父①
娘がゲームの世界へ籠もってから、1ヶ月が経った。
最近ネットでよく目にする、『現実逃避するな』とか『ゲームの世界へ逃げるなんて甘えだ』なんて考えたこともない。
ただ、私は失敗してしまったのだろうかと、後悔していた。
娘は可愛かった。
親目線を抜きにしても、美しいと言う美貌を持って生まれた。
私は妻と結婚して良かったと思う。
最愛の妻と、可愛い娘を見守りながら日々を過ごしていた。
娘が高校生になった頃、私はハラハラしていた。
『娘に恋人ができたらどうしよう』
『私は彼氏と紹介された男を、純粋な目で判断できるだろうか』
そうウジウジ悩んでいた。
妻に『大丈夫よ』
『変な男に引っ掛からないよう、育て上げましたから』と怖いセリフを言い返されたことは、未だに覚えている。
そして、小さい頃から将来の夢が『公務員』だったのが『アイドル』へ変わり始めた時期だった。
私に隠れて娘がコソコソと何かをやっていたのは知っている。
ただそれが、高校卒業と同時に東京へ上京だなんて思いもしなかった。
だから、反対してしまった。
「アイドルなんて危険だ。確かに見る側はキラキラ輝いているように見えるだろう。だが、魅せる側はたゆまぬ努力をしている。裏の努力や苦労、失敗や後悔などお客さんには見せない。それは想像しているよりも難しく、自分を壊すものだ。それに、芸能界は闇深いという噂が絶えない。もう少し世界を見知ってからでも、いいんじゃないか?」
娘は長々と喋った私の話をよく聞き、それでもなお決心を曲げなかった。
「うん。お父さんの話もよく分かる。たぶんそのほうが正しいと思う。……でもね、一度だけでいいから叶えてみたいんだ。18歳でも遅いくらいって言われているけど、目指してみたいんだ。本当は少し、いや結構怖いけど、1人で頑張ってみるから応援してくれない?」
根負けしたのは私だった。
本当は私も着いていきたいのだが、妻に止められた。
『そろそろ親離れの時期よ』
『東京には私が行くから、安心しなさい?』
こことぞばかりに有給を使うべきだと思ったが、笑顔で却下されてしまった。
そうして娘が東京へ行き、1ヶ月ほど経った。
その間に私は調べ物をしていた。
アイドルになるためには色々な道があるらしい。
「芸能事務所……オーディションを受ければ可能性は上がるか? 養成所はお金がかかるし、桜夢は行かないだろう。費用くらい出してやりたいが断りそうだ。……スカウトは言語道断だな。男ならナンパ目的にしか思えん。やはりオーディションか。……信用できるかの判断は妻が教えているから大丈夫だろう」
妻は娘がアイドルとしての下地が出来るまで、一緒に暮らしているようだ。
と言っても甘やかしているわけではなく、一人暮らしの部屋選びや事務所選びなど娘に選ばせてから、用心しなければいけない部分を教えているようだ。
妻からの報告でそろそろ事務所決めも終わるという。
あとは無事にオーディションに受かればいいが……。
娘からオーディションに受かったと連絡があった時、嬉しく思った。
同時に不安も湧き出たが、桜夢ならやれるだろうと様子を見守ることにした。
妻も帰ってくるし、大丈夫だろう。
あれから半年ほど経ち、同時期に事務所に入った子と仲良くなったらしい。
その子とグループを組むことになったとも。
SNSを開設し、日々をファンに向けて報告するようになったようだ。
ペアの子と仲良くやっているようだった。
ある日、東京へ赴く仕事があった。
東京で働いている同僚と話をしていると、桜夢の話題が上がった。
「地下アイドルって知っていますか? 最近話題の子がいましてね。『SAKURA』という子と『KAEDE』という子でして、2人で『ツリージェム』って言うユニットを組んでいるんですよ」
飲んでいるコーヒーを吹き出すところだった。
知っているも何も、SAKURAは娘だし、SNSをを毎日欠かさず見ている。
そういえばこいつ、アイドルオタクだった。
「……SNSで話題になっているらしいな」
「そうなんですよ。彼女らは毎日頑張っているんです。なのに地下アイドルってだけで邪推する者がいるわ、貶すものがいるわでフラストレーションが溜まりまくりです」
「無関心でいられないだけなんだろ。ほっとけ」
「確かに好きの反対は無関心って言いますけど……ぐぬぬぬぬ」
握りこぶしを作って、何かを耐えている同僚。
仕方ない。話題に付き合ってやるか。
「そのツリージェムは何が魅力的なんだ?」
「おっ、気になりますか? やっぱ2人の相性ですね。そもそも2人のいる事務所はアイドル事務所としては珍しく、仲の良い子たちだけでユニットを組ませるんですよ。仕事だからって険悪な仲の人たちと組ませないのが良心的なんです。なので不仲説が流れることもないですし、流す者はファンじゃないって分かるんですよ。あと一緒のマンションに住むことを推奨していて、そこがとてつもなくセキュリティが高い芸能人向けのマンションなんですよ。太っ腹ですよね。アイドルを道具だと思っていない良い事務所なんです。彼女たちがいる『デュオツリー』は」
「君の悪い癖が出ている。話が脱線しているぞ」
「おっと、そうでした。ツリージェムは2人の仲の良さが異常なんですよ。相手をよく観察していて、周りが気づかなかったことにも気づける。まるで信頼しあった夫婦みたいに」
「夫婦ねぇ……」
「この子がSAKURAで、この子がKAEDEです。……というわけでこのあとライブ行きましょう!」
「いきなりだな」
「チケット確保したんで! ね? 先輩!」
「俺に先輩って言ったら周りの人に怒られるぞ」
「いいんです。言わせておけばいい。でしょ?」
思わず笑ってしまった。
こいつは社内の立場なんて気にしないやつだった。
御曹司なのに。
「皆さん。今日は来てくれてありがとう。1時間よろしくお願いします!」
「アイドルのライブってこういうものなのか?」
夜の18時から1時間の公演という、短いのか長いのかもわからない。
「デュオツリーに所属している子たちが定期的にやる発表会みたいなものです。彼らは持ち曲を1曲ずつ持ってはいますが、流石に1時間全部歌うわけではなくて、トークで場繋ぎをするのも成長の見せ場なんですよ」
5組いるから30分ほどは歌を歌うのだろうか。
にしても事務所名にある通り2人組のアイドルしかいないな。
『AOKI』と『IBUKI』の男性ユニット『樹の幹』
『イヌガヤ』と『ネコシデ』の男女ユニット『犬猫の集い』
『梅』と『栗』の女性ユニット『たわわなる実』
『山椒』と『七竃』の男女ユニット『七三分け』
そして『SAKURA』と『KAEDE』の女性ユニット『ツリージェム』
「こう見ると何かしらの法則性がありそうだな……」
「事務所が樹が大好きなのは伝わったと思うんですけど、樹の幹は事務所初のアイドルユニットだったので願掛けも込めてその名前にしたそうです。あとはまぁ、本人たちのお遊びですね。ツリージェムだけは社長が名付けたそうです」
彼らの歌と踊りを見ていたが、文化祭レベルだと思っていた偏見の塊はいつしか無くなっていた。
一瞬も気を緩めることなく踊り、表情を作りながら歌い、自然とファンサービスをしてくれる。
「これは……どうしてテレビに出てないんだ?」
「やっぱ先輩もそう思いますよね。正直、入れ替わりの激しい某アイドルグループよりも魅せる力はあると思うんです。ただ如何せん事務所が弱小なので、地上波にまだ行けないんですよ」
「SNSの力を持ってしても無理なのか……?」
「たぶん打診はされてそうですけど、社長がそういう一過性のものがお嫌いなので」
なるほど。
確かにぽっと出は叩かれやすいし、何よりアイドル本人たちの労力が凄そうだ。
良い事務所なんだな。
アイドルたちの歌が終わり、トークも締めに入ったようだ。
「このあと握手会があるので、行きませんか?」
「いや……こんなおっさんと手を繋ぎたくないだろ」
「何言ってるんですか!? こんな素敵な50代いませんよ!? 身体はほどよく筋肉が付いていて痩せていて、清潔感たっぷりの見た目をしていて、尚且つ性格は見守る父性タイプ!」
「……声大きいぞ。それと買いかぶり過ぎだ」
結局無理やり押されて握手会に参加することになった。
皆、アイドルらしく笑顔を振りまいてくれた。
「あ、お客様は初めてですね!」
娘の手を握るのは少しばかり緊張する。
幸い父親だと気づいていないらしい。というかファンの顔を覚えているんだな。
一言二言交わさなければいけないらしく、一観客として応援することにした。
「えぇ。同僚に連れられて。……これからも応援しています」
「え。……あ、ありがとうございます」
さすがに声でバレたか。変装しても声は偽れない。
……そろそろ手を離してもいいんじゃないかい?
「……あとで説明」
おっと。
小声で睨まれてしまった。
妻譲りのその技は少し怖くもあるが。
それとペアのKAEDEという子が私をすごく睨んでいるよ。
目が笑っていない笑顔で。
「なるほど。そういうことね」
あのあと同僚と別れ、1人ホテルへ帰ろうとしたところ、桜夢から連絡があり、事務所の住所を送るから来てくれとのことだった。
大人しく行き、桜夢とKAEDEという子同席の元、事情を話した。
「変装しなくても良かったんじゃないの?」
「バレたくなかったからね。握手会の前に帰るつもりでいたし」
先ほどから応答しているKAEDEさんは花楓というらしい。
桜夢はずっと俯いていた。
「ふーん? 桜夢から聞いてた話とだいぶ違いそう」
「どんなことを聞いていたのか、聞いても良いかい?」
「……お父さんはアイドルに反対しているから、絶対に見に来ないって」
「まぁ反対はしたよね。今はそうでもないけど」
「――本当?!」
ずっと俯いていた桜夢がバッと顔を上げ、驚いた表情をしている。
「こんなに良い事務所があるとは思わなかったし、何より桜夢自身が辛く無さそうだからね」
応対もそうだけれど、事務所の場所も内装も弱小とは思えないものだった。
タクシー代払いますと受付の人に言われたときは、さすがに断った。徒歩で来たしね。
「ただお父さんとしては、辛くなったらいつでも戻ってきていいからねって伝えたいな」
つい癖で桜夢の頭を撫でてしまった。
桜夢も嬉しそうな顔で受け入れてくれるのが、とても喜ばしかった。
「……なんだ。良い父親じゃん」
「花楓さんも娘のためにありがとうね。これからも仲良くしてくれるとありがたいな」
「もちろん! 桜夢は私のだからね」
「おや。娘は取られてしまったようだ」
花楓さんは桜夢の首に抱きついて、独占欲を露わにしている。
嫉妬されてしまったかな?
「では、そろそろ帰るよ」
「お父さん、いつまで東京にいる?」
「……明日には発つんだ」
「……そっか。元気でね」
「あぁ。2人ともね」
そんなこんなで娘と別れ、ホテルまで歩いて帰ることに。
2人にどんな話をされているか知らずに――。
「……めっちゃ良い人じゃん。桜夢のお父さん」
「あはは。たぶん花楓ちゃんも娘認定されたよ」
「え!?」
「お父さんは線引が厳しいから、他人に元気を願うことってあまりなかったんだ」
「あれ社交辞令じゃないの!?」
「お父さんは社交辞令を言っているように見せかけて、本心だから」
「うぇえ……。めっちゃ恥ずかしい」
「んふふ。守ってくれてありがとね」
それから2年後に娘は耳が聞こえなくなった。
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