犬も歩けば喋りだす

小池 宮音

第1話

「それでね、奥田君、三つ子の妹がいたの」


 丑三つ時の散歩道。私はペットでチワワの丸蔵まるぞうとお母さんの三人で散歩をしていた。普段、こんな時間に散歩することはない。今日は昨日の夕方から色々なことが重なって眠れなかったので、同じ時間に起きてきたお母さんと丸蔵と「散歩でもするか」と示し合わせて外に出た。


 深夜の外は、当たり前だが暗い。車や人気はなく、静まり返った夜道に私と母の声だけが響いている。


 昨日の放課後、理数科で帰宅部の私が帰っていると後ろから走ってきた普通科の奥田君という同級生に捕まり、「暇なら手伝って」と言われた。ひょんなことで知り合った奥田君というキャラクターだが謎が多く、研究者になりたかった私は彼の謎を解くために付いていったわけだが、ひどく後悔した。奥田君の家に招かれ、あろうことかぐちゃぐちゃな部屋の片づけをお願いされたのだ。奥田君は妹の迎えに行ってしまい、一人片づけているところに四人が帰ってきた。まさか三つ子だとは聞いてなかったので驚いた。晩ご飯ご馳走するから三つ子の相手をしてくれ、と言われそうしたが、かなり疲れた。


「三つ子? 珍しいわね。奥田君はその三つ子ちゃんたちの面倒を見てるってこと?」

「うん、そうみたい。ご両親はいつも帰りが遅いから、掃除洗濯料理、大体の家事を奥田君がやるんだって」

「へぇ。偉いわねぇ」


 丸蔵が街灯の下で歩みを止め、匂いを嗅ぐ。後ろ脚を片方持ち上げておしっこを始めた。それが終わると私は持っていた散歩グッズのカバンからペットボトルの水を取り出し、おしっこにかける。


「三つ子ちゃんたちがすっごく元気で、ネジの壊れたからくり人形みたいにあちこちに動くの。彼女らの辞書には『疲れ』っていう言葉がないみたい。走り回っては『あれしろこれしろ』って、たった数時間相手にしただけでへとへとになった」

「まぁ、子どもは遊ぶのが仕事だからね。言っとくけどあんたもそうだったんだから」

「ですよねー」


 丸蔵が歩き始めたので私とお母さんも進む。お母さんは丸蔵のお尻を見ながら言った。


「っていうか奥田君って何者? お母さん何も聞いてないんだけど」

「え、そうだっけ? あぁ、最初は興味なかったから話題にすらしなかったんだ。えーと、奥田君っていうのは……」


 普通科の同級生で帰りに寄った本屋で会ってぬいぐるみを自分で作れる変人だと、かいつまんで説明した。


「彼は本屋で何を探してたの?」

「エロ本」

「……本屋には売ってなさそうね」

「うん、だからネットで買ったって言ってた」

「え、それ三つ子ちゃんがいる家に届いたの?」

「いや、知らないけどそうでしょ」

「どこに隠してるのかしらね」

「……確かに」


 アパートのあの家に奥田君専用の部屋というのはなかった気がする。ベッドもなく、リビングに布団を敷いて雑魚寝するって言ってたから王道の隠し場所はない。一体どこに仕舞っているのだろう。


「その奥田君はぬいぐるみも作ってるの?」

「うん。某テーマパークのお土産で売ってそうな手のひらサイズのクマを、手作りだって言ってもらった。いや、逆か。もらった後で手作りだって言われた」

「それ、返せないやつね。捨てられもしないし」

「そうなの! 困っててさぁ。とりあえず机の上に飾ってるけど」

「見るたびに思い出しちゃうわね、奥田君のこと」


 あらー、なんて口元に手を当ててニヤニヤし始めたお母さんに、私は特大のため息をついた。


「そうだね。エロ本の在りかを、考えちゃうね」


 いつもの散歩コースの折り返し地点に差しかかったので、三人でくるり回転して来た道を戻る。


 家ごと就寝していて街は本当に静かだ。時々切れかかった街灯がパチパチと瞬きをして一瞬だけ本当の暗闇になる。ひとりだと怖いけど、お母さんと丸蔵がいるから安心だ。チワワの丸蔵は番犬には向かないけど。


 空が急に明るくなった。見上げると先ほどまで見えなかった月が顔を出している。雲に隠れていたのだろうか。キレイに丸い形をした月で、今日は満月だと知った。


「ねぇお母さん、月がキレイだよ」

「そうね。月がキレイね」


 文豪の夏目漱石が訳した意味ではなく、ストレートな意味で言い合った。一応丸蔵にも「月がキレイだよー」と指を差した。


「丸蔵も何かを見て『キレイだ』って思うことがあるのかな」

「そりゃ犬だって感情はあるわよ。嬉しい時には尻尾を振るし、悲しい時には尻尾を下げて窓の外を眺めてたりするし」

「そっかー。丸蔵、月、キレイ?」

「…………」


 彼は私の声にチラリと目を合わせたけれど、舌を出して「ハッハッ」と息をする以外何も言わなかった。


 時々、丸蔵とお喋りしてみたいと思うことがある。丸蔵が何を考え、何をして欲しいのか聞いてみたいのだ。彼は結構大人しく、私たちの言うことをよく聞く。人間みたいだと思うこともしょっちゅうあった。頭の中で勝手に作り上げて擬人化した丸蔵の姿は、メガネはかけていないものの生徒会長を務めそうな真面目一辺倒、って感じの男の子で滅多に笑わない堅物だけど、信頼している人に見せる笑顔がたまらなくいい、クール系男子だ。


「あんたも奥田君見習って掃除洗濯料理、しなさいよ」

「うへぇ」


 家の前まで帰ってきた。玄関で丸蔵の足を拭く。あぁ、小さな前足と後ろ足がたまらなく可愛い——


「月、キレイだよ」


 男の子の声がした。こんな時間にほっつき歩いている子がいるのか、と思って辺りをキョロキョロするも、見当たらない。するとお母さんが「丸蔵」と呟いた。


「今、丸蔵が、喋った?」

「え? 何言ってんのお母さん。そんなわけないじゃん。犬だよ、犬。喋んないのがルールでしょ」


 つぶらな瞳でこちらを見上げる丸蔵。尻尾を振って喜んでいる。その口が、開いた。


「月、キレイだよ」


 持っていたタオルがはらりと落ちた。錆だらけのロボットのような動きで母を見上げる。


「「丸蔵が喋った……」」


 流れる雲に月が隠れ、再び顔を出したがそれ以上丸蔵が喋ることはなかった。


Continue……

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