紫陽花の花びら

第1話

 真夜中突然目が覚めた。

いつもは蹴飛ばされても起きないのに。

隣で気持ち良く眠る相棒の鼻を摘まみ、仕方なしにトイレへ行き、ベッドに戻ったが最早無理だった。そっとカーテンを捲ると、

月が笑ったように見えた。

どうせ眠れやしない。

とりあえず散歩でも行くか。

俺は家を出ると、近くの遊歩道を目指しぶらぶら歩いていた。

ふと胸の当たりを優しく掴まれるような香り。あぁやっぱりこの香りは大好きだ。

まるで君が隣にいるような気がして年甲斐もなくときめいた。

 遠い昔、携帯もネット一般的では無かった頃、俺たちは出逢い恋に落ちた。

 大学生だった俺は、バイト上がりに飲むノンアルビールが楽しみだった。飲めない男が一端にグイッと格好つけて飲み干す。

「冷て~うめ~」

誰もいない深夜の公園のはずが

突如人の声……。

「見ちゃった! 見ちゃった!」

振り返るとそこには白いワンピースを着た二十歳ぐらいの女性が立っていた。

「見ちゃったって、それがなに」

「怖いなぁ。いつも美味しそうだなあって思っいただけ」

「怖いのはそっちだろう。突然声かけて来てさ。それに見てたっていつも見てたんだよ。嘘言うな」

彼女が笑いながら隣に座ると甘い香りが漂う。

「うん? 良い香り為るなぁ。香水かなんか?」

「……沈丁花の香り。この香り好き?」

「沈丁花って もしかして~あれのこと?」

俺は公園の入口に咲いている白い花を指した。

「そう、この季節この瞬間、誰にも負けないくらいの存在感でしょ! 私」

名残惜しいきもしたがこのままいるのも妙な気がして、俺は立ち上がった。

「腹減ったなぁ」

「帰るの? また明日来る?」

「うん……かもね」

「かもなの?」

来ないわけないだろう。

それから俺達は毎日逢っていた。

「最近元気ないなあ。具合悪い?」

「ううん。気のせい」

「なあ今度映画観ない?」 

「映画? どんなの?」

「リバイバルで、ある愛の……って言うの。知ってるだろ? 女性は絶対泣くって」

「見たいなぁ……」

「見よう! おれのバイトが休みの明後日は?」

「明後日? 多分行……私あなたが大好き」

突然の告白に焦った俺は、

「お、俺も好きだ。付き合うか?」

「本当?……凄く嬉しい」

思わず抱き締めると、彼女は存在を感じさせないほどに儚く柔らだった。

彼女にとはその夜が最後だった。

あれほど甘い香りを放っていた

公園の沈丁花は、盛りを終えていた。五感に記憶されたものが、時として俺を過去に連れ戻す。

 さてと、帰ってあいつの耳でも引っ張るか。



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紫陽花の花びら @hina311311

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