①性被害「下着の見えた写真を撮られること」の何が怖いのか?を考えてみた
私は幼い頃1人でいる時に見知らぬ人間から声をかけられ
「自転車にまたがっている姿」の写真を撮られました
私はとにかく怖くて怖くて身動きできませんでした
「なぜ逃げなかったのか」と何度も何度も何度も何度も後悔して生きてきました
後からわかったのですが
おそらくスカートの中から下着が見えている姿を写真に撮られたのだろう
ということでした
どうですか?
今読まれていて「それほど<たいしたことでもない>」という感想でしょうか
私も自分自身の体験でなかったら
他の誰かの体験であったのなら
そんなふうに感じていたのではないか?と考えます
また
最近あることから
やはり他の人からすれば「そんなに<たいした被害でもない>」と思われるのだ
と実感いたしました
それで考えたのです
私自身は「下着が見えている写真を撮られたこと」をどのように恐怖に感じていた(いる)のか?と
そのことを他の誰かにもっとうまく説明できれば「私自身が傷つかなくてすむ」のではないのか?と
それでは
<下着が見えた状態で自転車にまたがっている姿を写真に撮られたことの何がどう怖いのか?>を
考えていきたいと思います
その日
私はまだおそらく6、7歳?だったと思います
ひとりで補助輪付きの自転車に乗って
家の近くの道をうろうろしていたと思います
私は人見知りで友達もおらずよくひとりでいました
いた場所は人通りもなく車もめったに通りません
それは突然でした
「写真撮っていい?」
顔も声も何も覚えていません
ただ恐怖したことだけは覚えています
私は身動きできず何も答えもせず
ただ自転車にまたがったままです
「少し顔を上に上げて」
そう言われて
少し顔を上げたような気もしますがよく思い出せません
このあとすぐにその人物はいなくなりました
ただ
くも膜下出血になってから
このことを頻繁に思い出すようになりました
すると「黒い人がた」の影が浮かんでくるようになりました
そしてなぜか笑っているように思えます
また
「スカートの中見えていないよね?」とペダルにかけている足が気になったこと
足を動かそうとしたが恐怖からかまったく動かせなかったこと
そして太ももに脂汗をかいたこと
などの記憶も思い出しました
ここまででどうですか?
やはり
「そんなにたいしたことではない」という感想でしょうか?
②では
もう少しこの時の「私の心」がどのようなものだったのか
掘り下げてみたいと思います
ホオジロ
脳心
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