「命は助かりますが物事を理解できなくなる可能性があります」と言われたら あなたはどう感じますか?

世の中には

仕事や

友人など

外で抱えたストレスを

家族に暴言を吐いたり

家族に暴力をふるったりと

「家族にあたる」ことで解消している人間がいます


しかし

ドラマを見ると

上記のような人物もいますが

反対に

「家族がいるからがんばれる」と

そのストレスを

「家族を大切にする」ことで解消している人間が描かれていたりします


この2種類の人間の違いはどこから生まれてくるのだろう?

小さな頃から疑問に思っていました

もし子供に生まれるのなら

絶対に「家族を大切にする」人間のもとに生まれたいと思います


家族でなくても

「家族にあたる」人とは関わり合いになりたくありませんし

「家族以外」に 職場でも「弱い人間」にあたっているかもしれません


なぜこんな違いが同じ人間なのにでるのでしょう?

以前から疑問に思っていました

そして

くも膜下出血になり

「人格の変化・凶暴化」を体験して思いました


なぜ「脳の病気」で起きた「人格の変化」などの後遺症を

脳を治すことで治療しないのか?と

なぜ「脳の病気」で起きた「人格の変化」を

「心の病(精神科)」として治療するのだろう?と

☆私自身は一時的なものでしたので治療というものはしておりません


様々な問題があるのは承知しています

しかし

それでも

「脳の病気」によって起こる人格の変化といった後遺症について

もっと人類全体で考えるべきなのでは?

感じます


「治療後命は助かりますが物事を理解できなくなる可能性があります」

という状態になったとき

あなたならどう思われますか?


私もこうやって書いている今も悩んでいますが

ほんの少しでも健康な心で治る可能性があるのなら....とも思いますが

そうでなかった場合

家族の負担などを考えると答えが出ません

物事を理解できない状態になってしまったら

もう何も考えられないだろうから

その場合は

「そのような姿を誰か知り合いに見せたりしないでほしい」

と伝えておく必要があるかと考えたりもしますが

まずそのような状態になるのが耐えられないですしね


脳の病気を治していらっしゃる脳神経外科医のお医者様

脳の病気を研究していらっしゃる脳科学者のみなさん

どのように考えていらっしゃるのかな

と思います



脳心(のうこ)




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