第13話 ボロボロの勝利
時は少し遡る。
レイヴンは1m以上はある巨躯のヤヌヒに森の中を引きづられて移動していた。反撃の機会というよりも、まずは牙を外す機会を窺うために、地面や木々に頭を打ち付けられながらもなんとか意識を保っていた。
「(僕を引き摺ってるのに早すぎる!)」
レイヴンは脚の速さに自信を持っていたが、あくまで同級生の中でのこと。実際にはイオスやルウに遠く及ばない。それでは仮に隙をついて逃げれたとしてもすぐに追いつかれる未来しかない浮かんでこなかった。
何れにしろ、まずは牙を抜いて態勢を整える事が必要だ。レイヴンは一瞬スピードが緩んだ際に左足を立てて蹴りあげた。その反動で右足をあげてヤヌヒの胴に巻き付き、同時に上半身も捻って首に抱き着くことに成功する。
「ぐあっ!」
体を捻じったことで、刺さった牙で皮膚がさらに抉れる。
しかしその痛みに耐えなければ勝機は無い。
レイヴンは唇を噛みしめて力いっぱい腕をロックしていく。
―――― ハッ!ハッ!ハッ! ――――
ヤヌヒの呼吸が荒くなる。
レイヴン必死のしがみつきは偶然にもヤヌヒの気道閉塞を引き起こしていた。
「(これっ、ひょっとしてこのまま行けるんじゃ……)」
だが現実はそう甘くない。
呼吸困難に陥ったヤヌヒは、大きく口を開けて一息吸うと垂直にジャンプ。
対するレイヴンは牙を完全に抜き、胴体を金属化して衝撃に備えた。
着地に合わせて横転して起き上がると、痛みに堪えてすぐさまパンチを打ち込む。
「これでお終いっ! って嘘っ!?」
レイヴンは思わず目を見開いて攻撃を中断。
それまで灰色だった毛が突然鉄色に輝きだしたのだ。
それも牙だけでなく全身が鋼鉄の鎧で覆われ、急所のはずの顔面部分もしっかりとガードされていた。
「……これって獣のレイダーってこと?」
その問いに答える者はいないし、助けてくれる者もいない。
一瞬の戸惑いがあったものの、レイヴンは行動を再開。
突然の事に驚きはしたが、攻撃しなければ勝てないことに変わりはない。
そして敵が止まっている今こそ最大のチャンスなのだ。
「くらえっ!」
レイヴンの右拳がヤヌヒを捉えた。
だが痛んでいるのはレイヴンの方だった。
「く~っ、硬すぎ!」
不意にヤヌヒと目が合う。
恐怖で身がすくむような感覚。
「もしかして笑ってる……?」
レイヴンは寒気を覚えた。
負けるはずがない、大丈夫だろうという根拠のない自信。
それが音を立てて崩れ落ちた瞬間だった。
ヤヌヒが高速でレイヴンの周りを駆けだす。
レイヴンにとって、それは予想外の選択だった。今の攻撃でレイヴンの打撃はダメージにならないことを悟ったはずだ。それならば一気呵成に攻めてもおかしくない。
レイヴンは攻撃が通じないと分かった瞬間に思考を切り替えていた。力が足りないなら相手に借りてしまえばよい。二倍以上の体重差があるとしても、カウンターならばダメージを与えられるはずだ。突撃して来た所を合わせる。それがレイヴンの狙いだった。
そんなレイヴンの思惑とは反対に、ヤヌヒは慎重に事を進めていた。先程の首絞めのせいもあるだろう。高速で動きながらレイヴンの死角を突いて少しづつダメージを与えていく。レイヴンはそのスピードについていけずに防御するのが精いっぱい。
「くっ、このままじゃ……」
何もさせてもらえずにやられるだけだろう。
攻撃は通じず、急所を守るので精一杯。
素の能力でも上回られ、レイダーとしての硬度も相手が上。
レイヴンの脳裏をよぎったのは、惨めに倒れる自分の姿だった。
「(い、嫌だっ!死にたくない……死にたくない………………………死にたくない!!!!)」
その瞬間レイヴンの中で何かが弾けた。
突然ヤヌヒの動きに合わせて加速していく。これまでにない速さで走る。
レイヴンの新たな才能が突然開花したわけではないし、眠っていた力が目覚めたわけでもない。
レイダーとしての力を100%発揮しているだけだ。
ただ、この煌めきは諸刃の剣だった。
レイダーとハーフレイダーの最大の違い、それはどれだけ表面を金属化/硬化できるかであり、持っている運動能力自体に違いはない。しかし実際には両者の間には大きな能力の隔たりが存在する。それは耐久力の差とも言い換えられる。
ハーフレイダーが最大パワーを出そうとしても、無意識のうちに制限がかかって能力を発揮することはできない。自らの動きに体が付いてこれないため、力をセーブしてしまうのだ。反対にレイダーはその頑強な肉体で負荷に耐えながら、能力を引きだすことができる。
今、死の恐怖に直面したレイヴンは、その無意識の壁を破り限界突破を起こしていた。
限界突破を起こしたハーフレイダーは過去に誰一人としていない。七年近いレイダーの歴史で初めての事だった。当然、目の前で突然スピードが上がったことを目にしたヤヌヒも驚きを隠せない。レイヴンはその隙を見逃さずに飛びついた。
ヤヌヒは一瞬遅れて動きだす。そのせいでレイヴンはお尻の方を見る形で背中に乗ることに成功した。一方ヤヌヒは振り落とそうと走りだした。
レイヴンは必死に捕まりながら少しづつヤヌヒの後ろ脚に手を伸ばしていく。
狙いは関節だ。
レイダーが誕生した当初、その突出した能力を存分に使った打撃によって魔導士に勝利してきたが、裏切者のレイダーが誕生して以来、関節技が使用されることが増えていった。肉体が強化されているレイダーといえど、関節を外されれば弱体化は避けられない。そのため訓練学校でも積極的に関節技の講義が取り入れられていた。
レイヴンはミシミシと自分の体から響いてくる痛みに耐えながら、後ろ脚を目指していると、ヤヌヒが大きく跳躍した。直下には雨で増水した川が流れている。
「(これだ!)」
レイヴンは機を逃さずに攻撃すると、空中で上から力を加えられたヤヌヒは向こう岸まで届かず川に落ちていく。レイヴンは大きく息を吸い込み、同時にヤヌヒの足の関節を強引に外していった。
ヤヌヒが苦痛に満ちた悲鳴をあげると同時に着水。
レイヴンに捕まれ、さらに後ろ脚の関節を外されたヤヌヒは水面に顔をあげる事すらできずに抵抗むなしく流されて行く。
「(後は我慢比べだ!)」
大きく息を吸い込んで準備していたレイヴンと、走り続けていたヤヌヒ。
意気込むレイヴンの想いとは反対に既に勝負は決していた。
それに気づかずにヤヌヒに必死にしがみつくレイヴンを、イオスが見つけたのはそれから二分後の事だった。
その頃、洞窟付近で警戒態勢をとっていたルウに対して、ヒメタンは自分たちもレイヴンを探しに行くべきだとせっついていた。それでもルウは首を縦に振らない。他にも敵が潜んでいる可能性がある以上、迂闊に動き回る危険は冒せない。しびれを切らしたヒメタンは、他の生徒の同意をとって圧力をかけようと試みていた。
「先生、絶対レイヴンを探しに行くべきだって! みんなもそう思うでしょ?!」
だがその問いかけに答える者は僅かだった。返事をしたのはアッシュとエッジだけ。他の生徒はボロボロになった五班の様子を見て怖気づいていた。
トトはレイヴンの事を信じている部分もあるし、戦いたい気持ちもある。それでも自分の状態を考えればこれ以上の無理はできないとの結論に至っていた。彼が本気だったらルウを無視してでも行くだろう。
そんなトトの顔がほころび、そして悔しそうな表情に変わっていった。
レイヴンの帰還である。
「みんな、ただいま」
レイヴンはイオスに背負われて戻って来たものの、疲れ切った表情とは裏腹に自信が垣間見えている。トトはそれを察してレイヴンの勝利を確信した。そしてイオスが持ってきた巨躯のヤヌヒこそレイヴンが倒した相手であることを理解すると、自分の獲物と比べて惨めな気持ちになっていった。
イオスは一旦レイヴンを降ろして生徒に集合をかける。
エッジとヒメタンは心配そうにレイヴンに駆け寄っていった。
「レイヴン、よく無事だったわね!」
「ぐぎゃああ!!」
軽く触れられただけの衝撃で倒れ込れそうになるレイヴンを見て、ヒメタンは申し訳なさそうな顔つきでエッジと共に左右から肩を貸しだした。
「ご、ごめんっ!」
「……レイヴン、そんなに痛むのか?」
「ちょっと無理しちゃって……」
ちょっと所ではないことは二人共理解していた。そしてレイヴンが心配をかけないようにしていることも。レイヴンの体は限界を越えて負荷をかけた影響で傷ついた見た目以上に疲弊していた。
「そんなに痛いなら痛そうな顔してればいいのに……レイヴンも男の子だったのね!」
「ははっ(ヒメタンは僕の事なんだと思ってたんだろう)」
苦笑いで返すレイヴンであったが、こんなバカ話が嬉しかった。つい先程までは死の恐怖と戦っていたのだ。安心して力が抜けるのも仕方のない事だった。
そんな三人に割って入るように、イオスが大きな声で生徒たちに指示を出し始めていた。
「さあ、これから撤収するぞ! 五班の荷物はみんなで持ってやれ」
サバイバル訓練はここで中止となった。
今回は生徒の頑張りで危機を回避できたが、本来であれば鉄獣の討伐は、正式にナイトレイダーとなってから挑むような任務である。そんな敵が襲ってくるかもしれない恐怖の中で授業などしても、頭に入ってくるはずがない。
そしてイオスは今回襲撃して来た十匹のヤヌヒを分担して運ばせる事にした。このまま放置すれば再び他の獣が食べてしまい、別の鉄獣が生まれる可能性もあるので回収しなければならないのだ。イオス自身は広い背中で再びレイヴンを背負う。
嵐が去りすっかり晴れ渡った空の下、生徒たちはグローリアに戻っていった。
それから一週間が経過した。
レイヴンは戻ってきた当初こそ、新聞記者に囲まれるアクシデントがあったものの、現在は穏やかに過ごしていた……というよりむしろ穏やか過ぎて暇を持て余していた。グローリアに戻ってきた五班は病院に直行。怪我の治療や検査を受けるとそのまま一泊して退院した。ただ一人レイヴンを残して。
擦り傷や打撲が中心だった他の生徒とは違い、レイヴンの僧帽筋には牙が深く刺さった影響で二つの大きな穴があいていた。長期間の治療を余儀なくされたのも仕方ない事だろう。
「暇だ……」
そう言って教養の教科書を捲りながらも、レイヴンは別の事を考えていた。
回復を求めている自分の体とは正反対に、レイヴンの精神はトレーニングを求めていた。戦いの時に限界を越えて酷使した体は確かに疲弊していたが、同時にもう一度あの時のように動きたい、もっと強くなれるのではないかという気持ちが沸いてきていたのだ。
レイヴンが眠る病室から少し離れた一室では、レイダー改造手術の責任者クンド・サハルが総司令グレイク・マッダスに説明を行っていた。病院関係者でない彼らがいるのは当然レイヴンに関係するからである。
「それではこちらをご覧ください」
そういって写真を壁に貼り付けていく。
「こちらは彼が戻ってきた当初の外傷の写真ですねぇ。次にこれが今日の午前中に撮った写真……」
二つの写真を見比べてグレイクは驚愕していた。体中に切り傷がつき、大きな穴が目立つ一枚目の写真に比べて、二枚目の写真はなんと綺麗な体をしていることか。死線を越えて戦ってきた体とはとても思えない。
「博士……これはどういうことだ? レイダーの体は頑丈にできているが、傷が治るなんて聞いた事がないぞ」
クンド博士は両手をクルクル回して、お手上げの意を示した。
「さっぱりですねぇ。過去にもこんな事例はありませんし、実験させてもらえれば何か判明するかもしれませんが……」
期待するような視線を向けるクンドの提案をグレイクは一蹴。
「駄目だ」
そして文句を言う隙を与えないように話しを続けた。
「これはあの黒い金属によるものか? あるいは彼の体が元々特異なのか……レイヴン・ソルバーノは鉱山で育ったと報告にあった。それならば怪我の一つや二つあったとしてもおかしくないはずだ」
「それにつきましては彼の育ての親に既に連絡を出したので、もうじき戻ってくるでしょう。ですがジル・ソルバーノですか? 彼の人物評を聞く限りはあまり信用がならない気がしますがねぇ」
「ううむ」
グレイクは改造手術時にレイヴンを見てから、彼の生まれ育ちについて部下に調査させていた。レイヴンは両親不明の孤児で、最低限の仕事はするがチャランポランな男に育てられた。そういった報告がされていたため、ジルに対する信用は限りなく小さかった。
その評価は概ね当たっていたが、ジルなりに愛情を持ってレイヴンに接していたことは確かである。ただ一日中面倒を見ていたわけではないので、今回の質問には答えられず、ジルの評価が改められることにはならないだろう。
「……その話はひとまず置いておくとしてだ。どの程度の回復力だったのだ? 回復に至った正確な時間は?」
「それがですねぇ……包帯を取り替えていた看護士によると毎日少しづつ治っていったとしか報告がされていないのですよ」
「大した仕事ぶりだな」
グレイクは病院に圧力をかけて改善するさせる必要があるなと思いつつ、再びクンドに向き直った。
「だがそれでレイヴンの価値が下がったとは思わん」
「ええ、その通りです。戦場ですぐに回復せずとも、これだけの傷がわずか一週間で元に戻るのです。戦士としての価値は計り知れません」
「…………」
グレイクが言いたいのはそういうことではない。総司令という重要な役職である以上好き勝手なことばかり言えないが、少し感傷的になって最強のレイダーという浪漫を追い求めたくなっていた。
自ら戦場に立つことのなくなったグレイクにとって、レイヴンは自分の代わりにそれを体現して夢を見させてくれる存在であり、その想いは戦力になることとは別に大きくなっていった。
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