第12話 鉄の獣

 

 レイヴン達がサバイバル訓練を初めて4日目。

 今日も森での戦闘訓練が行われていた。


 初めは新しい環境での訓練にワクワクしていた生徒たちも、さすがに四日目ともなれば新鮮味を失い、明らかに気を抜いている生徒も見受けられるようになっていく。なにしろレイダーたちが森に入って以降は、まるで森の王様のように恐れられ、野生の動物を見かける事があっても怖がってすぐに逃げ出してしまうのだ。これでは緊張感を保てといっても難しかった。


 どうしたものだろうか。ルウは木々の隙間から見える雲を見つめて頭を悩ませていた。そして雲の流れが明らかに早い事に気づいた。


「あれっ? イオス先生……これひょっとして嵐が来るんじゃないですか?」

「……確かに。念のためもある。早めに切り上げるぞ。集合っ!」


 そうして生徒たちに嵐の可能性を告げて避難するように指示をだす。だがサバイバル訓練を中止するわけではない。任務中にもこういったことは想定されている。


 生徒たちは森で焚き火用の枯れ木を集め、川に戻ると食料の調達とテントの撤収を開始。荷物を持って移動すると川の上流に向かい、訓練中に発見した急斜面の土崖を掘り始めた。今夜というより、嵐が通り過ぎるまでの仮宿にしようという訳だ。子供たちは寝床になるほどの大きさの横穴を掘ると、イオスとルウも手伝って補強作業を進めていった。


 屈強な体と高い身体能力を誇るレイダーであっても、自然の力を侮ってはいけない。雨に降られれば風邪を引くことだってあるし、子供の体重など強い風が吹けば一瞬で飛ばされてしまう。それを避ける為には安全地帯を作ってやり過ごすしかない。だが生徒たちには嵐が来る前に最後にやり残したことがあった。


 トイレである。


 急遽作った洞窟にはトイレ用の壺も用意できていない。となれば出したが最後、嵐がおさまるまで待つか、外に捨てる事しかできない。うんこが大好きな子供たちでもそんなことはしたくないだろう。


「みんな! 急いでトイレに行くのよ!!」


 トイレ事情に気づいたヒメタンの声が辺りに響くと生徒たちが一斉に茂みに広がっていった。


 ちなみに洞窟は距離を空けて班ごとに分かれて掘っている。大きな洞窟を掘ればクラス全員が一緒にいられるが、それだと強度の心配があったので小さな洞窟を複数掘って負荷を分散させる必要があったのだ。


 生徒たちがトイレから戻ってすぐに雨が降りだし始めた。辺りが暗くなり、激しい雨風の音が洞窟内に鳴り響く。


 レイヴンたち第五班は、最初は間近で経験する嵐に盛り上がっていたが、激しい雨音にかき消されて会話ができずに、一人また一人と体を休めるために眠りについた。


 それからどれだけの時間が過ぎただろうか。洞窟内の焚き火が消え、寒さで目を覚ましたレイヴンは洞窟の入口を見つめていた。風の音は消えているものの、まだ雨は降り続けている。


「あれっ? 風が弱くなってる?」


 レイヴンは急におしっこがしたくなり入口の方へ向かって行った。要を済ませたレイヴンが顔をあげると小さく光る点がいくつも並んでいるのに気づく。レイヴンは不思議に思い、昔取った杵柄で――そういうには早すぎるが――夜目を効かせるとすぐにその正体を理解した。それは獲物を狙うヤヌヒの群れだった。


 レイヴンは仲間に状況を知らせるために後ろを振り返った。


「みんな起きて! 囲まれてるよ」

「うーん、なんだよ、レイヴン」


 トトがそう言った直後、レイヴンの死角から一匹のヤヌヒが近づいてレイヴンの鎖骨の辺りに噛みついた。


「いだっ!」


 雨音にまぎれて接近に気づかなかったレイヴンはそのまま引きずられて、あっけなく連れ去られてしまった。


 それを目撃したトトは一気に覚醒すると、入口から目を離さずに静かに仲間に手を触れて起こしていく。


「おい、起きろ。囲まれてるぞ……」


 最初はなんのことを言っているのか理解できなかった五班のメンバーたちも、自分たちを見つめる瞳を感じて理解した。自分たちは捕食者に狙われているのだと。だがロコニャンには疑問があった。


「ヤヌヒは慎重な動物なんだ。人間を襲う事は滅多にないんだ……」

「知るかよ、んなこと。ありのままを受け入れるだけだ。光る点は……十八ってことは九匹だな」


 そしてトトは気づく。暗闇の中で五班の洞窟から扇状に広がって取り囲むヤヌヒの鉄色に輝く牙を。つまり相手はレイダーの力を持った獣、鉄獣ビーストレイダーだと。


 鉄獣とはレイダーの死骸を食べて強化され、金属化能力を得た獣のことだ。レイダーコアを食べた獣の多くはそのまま死んでしまうが、稀に生き残ることが報告されていた。その場合にはすぐさま抹殺命令が下される。しかしそれはロコニャンたちの故郷であるシルワールの森に限った話であり、これまでグローリア周辺に現れたことは一度としてなかった。


 知識としては知っていたが初めての接触に緊張感が増していく。そしてハーフとはいえ迂闊に鉄獣に攻撃はできない。いくら自分を成長させるために危機的状況を望んでいたとしても、あくまで生存できることが前提条件だ。


 トトをどう戦うべきか頭をフル回転させていた。洞窟の中で戦えば狭い場所でヤヌヒはスピードを活かせないかもしれない。だがその分密度が高くなり混戦でやられる恐れもある。外ならばそれは避けられるし、助けを呼びに行くこともできる。その分不安定な足場で戦わなければならないというリスクもあるが、そちらの方が勝つ可能性が高いと判断した。


 それにレイヴンのことも気がかりだ。レイヴンにはまだまだ強くなってもらわなければ困る。だが助けに行くよりはまず自分たちのこと。レイヴンの相手は恐らく一匹だけなのに対して、ここには九匹のヤヌヒがいるのだ。いずれにせよ、それぞれが力を発揮して窮地を脱するしかない。


 トトの指示で四人はゆっくりと洞窟の入口まで歩を進めていった。そして四人とヤヌヒは向かい合って互いを観察しつつ隙を窺っていた。


「おい、真ん中のでかい奴がたぶんボスのはずだ。注意しろよ」


 トトの忠告に他の三人は無言で頷く。戦いになったら雨音にかき消されて、他の者の声など聞こえなくなるだろう。


 戦いの火ぶたは意外なことを契機に切って落とされた。

 突如としてエッジが膝をついて苦しみだし咳き込み始めたのだ。

 大きなヤヌヒを除いた八匹のヤヌヒはそれを見逃さずに一斉に突進してきた。


「チッ!」


 トトは苛立ちを隠さず、エッジを洞窟の奥に蹴り飛ばした。


「そこで大人しくしてろっ! クソが!!」


 残された三人は洞窟内にヤヌヒを入れないように必死に戦った。そのせいで助けを呼ぶこともできない。状況を遠くから見守る大きなヤヌヒを残して八匹は連携してトトたちを追い詰めていった。




 

 こんなはずじゃなかった。


 トトの気持ちを代弁するならこの言葉が適切だろう。

 本来であれば攻撃を華麗に避けつつ、一匹づつ優雅に止めを刺すつもりだった。

 それが実際にはどうだ。


 泥だらけになり、足を滑らせながらも、致命傷だけは避けようと必死に傷ついた体を動かす。時折洞窟のエッジに迫ろうとする無防備なヤヌヒに対して攻撃を繰り出すのが精いっぱいだ。


 ロコニャンとニコミァンは周囲の木々を利用して躱しつつ、意表をついた攻撃を繰り出している。自分よりも弱いはずの二人が環境を利用して上手くやっているのだ。それが余計にトトを苛立たせていた。


 何よりも悔しかったのは、異変に気付いたイオスが助けにやってきたことにホッとしてしまったことだった。


「お前らは牽制に専念しろ!その間に俺がこいつらを始末する!」


 四匹のヤヌヒがイオスを警戒してグルグルと周囲をまわり始める。

 獣人の二人は指示に従ってヤヌヒを引き付けつつ、回避に専念していた。

 だが怒りに我を忘れたトトは洞窟のエッジのことを忘れて、近くのヤヌヒに突撃していった。


 トトは他の生徒よりも年上とはいえまだ九歳の少年だ。

 経験の浅い彼が最適な行動をとれるはずもない。

 むしろ、ここまでエッジをよくぞ守ったと言うべきだろう。


 漸く攻撃に専念できるようになったトトは、ヤヌヒの爪を回避しつつ顔を両手で掴むと、自らの頭部を金属化させ、怒りをぶつけるように何度も頭突きを食らわせてヤヌヒを戦闘不能に陥らせた。


 一方、洞窟内のエッジは奥の岩壁に寄りかかりながら、迫りくるヤヌヒを見つめていた。まだ呼吸が整えられていなかったが、漸く意識は戦闘に向けられるほど回復していた。


 ヤヌヒは大きな口を開けてエッジの喉に噛みつこうと飛びかかった。だがその正確さが仇となる。エッジは右手をヤヌヒの口に差し出すと瞬時に金属化。そのまま喉の肉を掴むと内部から破壊して絶命させた。


 残りの六匹はイオスが瞬く間に倒したことで、とりあえずの勝利を得た。


「お前ら、鉄獣相手によくやった」


 正規のナイトレイダーでさえめったに戦う事のない鉄獣。それに対して突然の遭遇戦に持ちこたえた五班の動きは称賛されるべきものだ。これがもし他の班だったら全滅すらありえただろう。


「ねえ、みんな見て」


 そういったのは奥に控えていたヤヌヒをいつの間にか倒してきたルウだった。


「たぶんこの子たちの母親だと思う。鉄獣じゃなくて普通の獣だよ。でも子供はハーフだよね?」


 その言葉の意味に真っ先に気づいたのはイオスだった。

 レイダーの子供にはレイダーコアも遺伝するのではないかとの説があるのだ。


 これまでは魔法王国イグレアスとの戦闘を重視していたため、そんな実験で前線要員を減らすわけにはいかずに実例は無かったが、仮説としては存在していた。その説によると、親がレイダー同士ならレイダーの才能が、レイダーとノーマルの子供ならハーフレイダーの才能が遺伝するという。


 ならばハーフの子供の母親がノーマルだとしたら、父親はハーフではなく完全なレイダーの資質を持った存在だということだ。


「それなら、このヤヌヒの父親は全身金属化できるってことですか?」

「そういうことになるな。……それよりお前ら、レイヴンはどうした?」


 これまでの流れを考えれば、最初にレイヴンを連れて行ったヤヌヒは父親だろうことはすぐに理解できる。トトはレイヴンのことを心配しつつも見たことを淡々と答えた。


「レイヴンは大きめのヤヌヒに連れて行かれました……」


 その呟きにイオスは即座に反応した。


「レイヴンは俺が探しに行く。お前らは他の班の所に行って休んでいろ。ルウ、警戒は任せたぞ」

「はい、任せて下さい。イオス先生こそお願いしますね」


 そうしてイオスは即座にその場を離れた。五班のメンバーもレイヴンを助けに行きたかったが流石にそれは不可能だった。戦闘中は気にならなかった損傷と疲労が押し寄せてきたことで動きが鈍くなり、本気になったイオスに付いて行く事など到底できるはずがなかった。

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