第8話 編入生 トト・インサニア

 

 放課後、隔離棟からの引っ越しを許可されたレイヴンは、エッジと共に訓練学校の裏にある寮へ向かった。


 生徒の大半はここグローリアの出身で、近郊に住む生徒たちの多くも家族揃って首都にやってきている。これはレイダーの家族を人質とした事件から守るための措置である。レイヴンやエッジは孤児なので一人で中央にやってきて寮暮らしと決まっていた。


 寮では現在エッジの他に獣人の男女ロコニャンとニコミァンの二人の生徒が住んでいる。彼らはシルワールの森という大陸最西端にある広大な森林地帯からやってきている……のであるが、同じ種族という事もあって二人でいることが多く、クラスでも中々打ち解けていない存在だった。だがこれは彼ら二人だけの問題という訳ではない。


 人間と獣人は対魔法王国イグレアスという点では共通しているが、獣人はヒエラルキーの上では魔法を使えない人間たちよりもさらに下に見られている被差別種族であった。そのためエッジがいくら積極的に話しかけようとも、これまでの歴史が彼らに見えない壁を作りだしていた。


 二人がレイダーに選ばれたのも政治的な思惑が働いていたのは間違いない。表面的には平等ですよとアピールしているのだ。現在の状況では二人がクラスに馴染むのに時間が必要なのは仕方のない事だといえる。


 そんな理由もあり、エッジはレイヴンが友人であるという事情とは別に寮にやってくるのを心待ちにしていた訳だ。


 寮は学校から徒歩二分という非常に近い場所にある三階建ての建物を改装して使っている。生徒たちが本気で走れば十数秒で到着する距離だが、当然のことながら街中でそんなスピードで走ってはいけない。飾り気のない扉を開けて寮に入ると、奥から食欲をそそる香りがもわもわと漂ってきた。


「寮母のクララさんって料理が凄い上手なんだ」


 エッジの言葉に放課後の特訓でお腹を空かせているレイヴンは期待に胸を膨らませた。


「あっ、おかえりなさ~い」


 台所からひょこっと現れたクララは、ふんわりとした細眉で、肩に軽く振れる長さの髪を後ろでまとめたミディアムヘアの女性。柔和な雰囲気がレイヴンの印象に残った。


「君がレイヴン君?だよね。私はクララ・ライド。もうちょっとでご飯できるから先にシャワー浴びて待っててね」


 そういってクララは再び台所に引っ込んでいく。エッジはレイヴンを二階の個室で着替えを用意させて共同のシャワールームまで案内した。レイヴンは水シャワーを浴びながら、クララの笑顔を思い出して顔が熱くなっていくのを自覚していた。


 ヴァイスマインにいた頃世話になった乳母たちは、まさしく肝っ玉母ちゃんという言葉が良く似合う女性ばかり。クララは今までレイヴンが出会った事のない清楚な女性で、それでいて芯の強さを感じさせていた。


 レイヴン・ソルバーノ六歳。この時初めて異性を意識するようになる。だがクララは十七も年上の二十三歳。それも恋人のいる女性だったが、レイヴンはクララの気を引こうと朝晩たっぷりと食べるようになっていった。


 朝と夜の食事を提供するクララとは別にもう一人寮に携わる一般男性がいる。寮の管理人シャルテン・クストロビーニだ。三十代で中肉中背のシャルテンはどことなく覇気がなさそうに見えるが寮の管理人としては有能だ。簡単な設備不良などは自分で直してしまうし対応も早い。細かい変化にもすぐに気づく。


 ところが彼は見た目通りに全くやる気がなかった。生徒たちとの接触は最低限の挨拶だけで、ご飯も別々に食べる。仕事は生徒のいない昼間に寮にやって来て、パパッと終わらせて向かいにある住居に戻っていく。一日の最後の仕事、就寝前の点呼の時だけしか顔を合わせないこともしばしばだ。


 そんなシャルテンであったが、寮生たちからの評判は悪くなかった。終身時間は夜九時と定められているが、少しくらいなら明かりがついていても気にしないし、うるさく躾をすることもない。寮のルールも自分たちで決めるように指示を出し、遂には点呼にすら行かなくなった。


 だがこれは所在確認を放棄するという意味ではない。寮の大部屋から彼の部屋は見えるので、窓から誰がいるかを画いたボードを作って寮に設置して、指定の時間に窓から掲げるように命じたのだ。ただこれが思わぬ効果を生んだ。


 点呼自体はレイヴンたち寮生が自分でやるのだが、誰か一人に負担をかけるのは良くないとの結論に至り、四人が交代でシャルテンに知らせる班長をすることになった。その際、班長は形式的ではあるが全員の部屋を回ることになる。これによりレイヴン、エッジとロコニャン、ニコミァンは交流の機会が増え、徐々にではあるが時間をかけて溝が埋まっていったのだ。


 余談だが彼らを護衛するような存在はいない。メタリア人の宇宙船の周囲を警戒するナイトレイダーが昼間よりも多く必要としているという理由もあるのだが、彼ら自体が戦える戦士だからというのが大きい。正式なナイトレイダーではないし子供だが、四人のハーフレイダーが揃う学生寮を襲う愚か者はいないだろう。


 そんな風にレイヴンはグローリアでの生活に徐々に馴染んでいき、レイダー訓練学校に入学してから四カ月が経った。


 日の出が早くなってきたことで、レイヴンとエッジは朝練をするようになっていた。いつものように朝御飯を食べると校庭に向かい、格闘訓練やスピードを上げる訓練に励む。汗をだらだらとかいたので一端シャワーを浴びに寮に戻ろうとすると、イオスと見慣れぬ金髪の少年が校舎に入っていくのを目にした。


 レイヴンは少年のことが気になってエッジに聞いてみることにした。


「ねえ、今の子誰だろう?」

「うーん、あっ! そういえば前にルウ先生がもう一人遅れて入ってくるって言ってた気がする」


「そうだったっけ?」と空を見上げるレイヴンであったが、一向に思い出せなかった。聞かされた直後から運動能力テストやレイダー改造手術があったので仕方のないことだろう。


「あっ、やば。早く戻らないと遅刻しちゃうよ」


 二人がシャワーを浴びて再び登校すると、始業前の教室は噂の編入生で話題は持ちきりだった。あちこちから話が聞こえてくる。ヒメタンはエッジを見つけると近寄って話しかけにいった。


「ねえ、エッジ。編入生のこと聞いた?」

「なんか今朝イオス先生と一緒に来てたよ。俺達よりも背が高そうだし、結構強いかもね」

「へー、そーなんだ」


 同時刻、教室の反対側でアッシュ、ベルナール、ロンドンも同じ話で盛り上がっていた。


「2歳年上なんだろ?このクラスに入ってくるのかよ」

「そうそう。ってか何で同じクラス?それって留年ってことじゃん」

「ぷくく」


 レイヴンの耳には彼らの声が入ってきていた。


「(うわぁ、こいつら好き勝手いってるな……)」


 そんな話を聞いていると扉が開いてイオスと共に噂の編入生が教室に入ってきた。


「こんな時期ではあるが編入生を紹介する。二年前に改造手術して漸く普通に生活できるようになり、今日から合流することになった。よろしくやってくれ」


 イオスに促されて金髪の少年は一歩前に出た。


「……トト・インサニアです。よろしくはしなくていいです」

「(やっぱ聞こえてんじゃん……)」


 なんとも返答に困る挨拶を受けて静まるクラスメートたちを横切ってトトは着席した。


 それから数日が経過した。

 

 GAグラン・アーレの首都グローリアでは今日も住民たちが朝早くから出勤していた。これはGAが建国される以前、魔法王国に支配されていた時代と変わらぬ生活である。


 魔法王国の民は基本的に北大陸の都市から出てこず、それ以外の地域には現地に徴税官をおいて支配させてきた。これは魔水晶を利用できる遺伝子を他に与えないためという理由が大きい。そうでなければ無秩序な人口増加を招き、結果として水晶の数が人口よりも大幅に少なくなり取り合いになってしまう。ひいては内乱になる可能性を排除した、という意味だ。


 そのため被支配者たちは重税に苦しめられることはあっても、奴隷のような生活を送っていた訳ではなく、普通に経済活動を営んで暮らしてきた。現在のGAも戦争中であり、軍事費が嵩んでいるが、それでも人々の表情は以前よりもずっと明るい。商売も研究も以前よりも自由に行えるし、子供たちの教育にも力をいれられる。


 グローリアにはレイダー訓練学校の他にも一般の生徒たちが通える無料の学校もできた。六歳から六年間通って一般教養を学び、その後の二年間は見習い作業員として学びながら仕事を覚えることになっている。なお高度な技術や研究を必要とする分野においては、成績優秀者のみが新たに設置された国立大学への進学が認められ、分野によって四~六年の期間学んでいく。


 この仕組みはレイダー訓練学校にも取り入れられた。六年間の一般教養に加えてレイダーとしての教育の後、二年間の現場教育を経て一人前のナイトレイダーと認められることになった。


 開戦直後のレイダーは体が安定したら即時戦地に投入され、すぐに命を失う者も数多くいた。その反省から六年以上の訓練を課したわけだ。


 これには好戦的な派閥から促成教育をすべきとの意見もあったが、改造手術の年齢が六歳に引き下げられることが正式に決まったことで、反対の声も小さくなっていった。レイダーは普段から優遇されているので、一般の生徒と同じような教育、就職環境を整える事で不公平感を少しでも和らげようとする狙いもある。


 そんなわけでこれからの六年間を訓練学校で学ぶレイヴンたちであったが、現在生徒たちの話題はもっぱら編入生のトトについてだった。


 初日の経緯からかトトは他の者と必要以上に話すこともなく、授業以外では一人で過ごしている。これからの六年を思えばこのままではいけない。レイヴンはそう思っていたが、どのように接すれば良いのか分からずに困っていた。そこで寮の食事係のクララに相談することにした。


 レイヴンは放課後の自主練の後、急いで帰宅してシャワーを浴びると、最後の盛り付けや配膳などを普段から手伝うようになっていた。


「それでさ。トトはそれからずっと机に伏せって、誰とも話さないんだ」

「そうなんだ……トト君もどうすればいいのか分からないのかもしれないね」


「そうなの? 二歳も年上なのに」

「皆はもう友達で固まってるんでしょ? 話しかけづらいんじゃないかな。それでレイヴンは仲良くしたいの?」

「仲良くしたい……ってより、寂しそうだなって」


「じゃあ、話しかけて見る?」

「う~ん、そうしようかな」


 レイヴンはそうした方がクララは喜ぶのかなと考えて、翌日トトに話しかける事にした。だがクララとレイヴンのトトに関する見解は全くの見当外れだった。


 トトがレイダー改造手術を受けたのは今からおよそ二年前。その後彼は現場で教育を受けながらレイダーとして学んでいく予定だった。ところが改造手術の後遺症か、痛みがいつまでたっても治まらず、一年、そしてまた一年と経過してしまった。これにより当初の予定を変更して訓練学校の一期生として編入する事が決まったのだ。


 そんなトトの想いとしては、自分と同時期に手術を受けたレイダーたちがライバルであり、遅れを取り戻そう、追いつき追い越そうと必死だったのだ。そのため朝夕の自主練や予習復習は当たり前。授業以外の時間は体を休めると決めており、騒々しい年下の生徒たちを避けていたという訳だ。


 レイダー訓練学校では主に午前中は教養の授業、午後からレイダーとしての訓練が行われるので、レイヴンは休み時間になると午後の格闘訓練のコンビを組もうとトトに申し込むことにした。


「エッジ、今日の訓練は僕、トトのこと誘ってみるよ」

「えっ?」


 レイヴンを引き留めようとしたエッジに対して、ヒメタンが待ってましたと言わんばかりに二人の間に割り込んだ。


「じゃあエッジは今日……私と組も?」

「組まないよ。だって今日は格闘訓練じゃなくて定期の能力測定テストじゃん。」

「えーー!」


 エッジの言う通り、毎月能力の成長具合を測るテストが予定されていた。まだレイダー訓練校自体が始まったばかりの取り組みなので、来年以降の方針を決めるために毎月のデータが活かされるとこになっている。


 能力測定テストのことを忘れていたレイヴンもまたヒメタン同様に断られていた。


「君、忘れっぽいってよく言われない? 朝から先生が話してただろ」


 レイヴンとしてはクララへの誓いを果たすことで頭がいっぱいだったため、右から左に流れてしまっていた。


「じゃ、じゃあさ。明日の訓練一緒にやろうよ」


 トトはレイヴンを上から下まで観察して口を開いた。


「考えといてあげるよ」


 その言葉に怒ったのはレイヴンではなく、エッジと共に事態を見守っていたヒメタンだった。トトに物申そうとドスドスと近づいていく。


「ちょっとあんた何様のつもりよ! レイヴンがキョドりながら頑張って誘ったのに!」

「ヒメタン、僕は大丈夫だから……(っていうか、ヒメタンの言葉の方がトゲを感じるんだけど……)」


「ヒメタン、どうどうどう」

「私は馬じゃなーい!」


 エッジは荒ぶるヒメタンを抑え込もうと試みた。だが誰がどう見ても逆効果だった。トトが明後日の方向を向きながら、さらに火に油を注いでいく。


「パワーは馬以上だけどな」

「ムキィー!」


 確かにレイダーのパワーは人間離れしているが、まだ幼い乙女の心は刺激されて顔がどんどん紅潮していった。


「エッジ!! レイヴン!! 午後の能力テスト、あんな奴に絶~~~~対負けないでよね!!」


 そうは言っても、この年代で二歳の差は大きい。


「(ヒメタンだって僕らの成績とほとんど変わらないじゃん)」


 まだ男女差が大きく現れる年齢ではない。だったら自分でやればいいのにと思うレイヴンであったが、元はと言えば自分が庇われたのが事の発端なので頑張ってみた。


 結果、レイヴンたち(ヒメタン含む)はトトに次ぐ好成績を収める事に成功して、上から目線で「友達になってあげるよ」と言葉を貰って友人関係になった。もちろん、その言葉を受けてヒメタンがひと悶着起こすことになったのは言うまでもない。

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