七話-6 帝都へ

 私はエリマーレ様を遂に追い詰めた。


 領地も領主も帝国軍も帝都も家臣たちもそして帝宮さえも、私は奪い取った。私はエリマーレ様のほとんど全てを奪ったのである。エリマーレ様に残されたのは命と、偽りの玉座のみだと言って良い。


 もしもエリマーレ様が名誉を重んずる方であったら。この時点で自害を選んだのではないかと思う。私はそれくらい、エリマーレ様の名誉をグリグリと踏み躙ったのだ。


 本当は、この時点でエリマーレ様が自死を選んで下されば良いと私は思っていた。エリマーレ様はプライドが高い方だし、もはや名誉を守る方法はそれしかないのだから、そうすべきだ。


 しかしエリマーレ様は現実を直視せず、帝宮の自室に戻ってから(我が軍の兵士に囲まれているのだから、実質軟禁だ)も、周囲に無茶な要求をし続けているようだ。曰く、南部の領主に遣いを出して救援を要求しろ。海の向こうの国に侵攻するよう勧めろ、北の大国にバイヤメン辺境伯領を襲わせろ。いずれも実現の可能性はもちろん無い。そもそも、実現に動こうとする者さえもういない。


 味方のいない偽物の皇帝。幼少時から皇帝の第一皇女として皇帝になるべく懸命に努力してきたその結果たどり着いたのがそんな玉座だとは本当に哀れだと思う。


 一時は姉と慕ったエリマーレ様の没落は私にとっても悲しい事だった。その全てが私に由縁があるのだとしても、私は本当に悲しかったのだ。


 私は、これ以上エリマーレ様が生き恥を晒し、周囲から嘲られる事が許せなかった。エリマーレ様は私がいなければ普通に皇帝になって帝国を普通に統治していった事だろう。エリマーレ様が「お前がいなければ」と私を呪詛するのは当たり前だ。事実としてそうなのだから。


 だが、私はエリマーレ様のために尽くすと誓いながら、それでも彼女のために死ぬ事だけは出来なかった。


 思えば私は生への執着が強過ぎたのである。幼少時から刺客に襲われ、毒を飲まされ、何度も九死に一生を得てきた。その度毎に私は「死にたくない」と強く願ったのだ。


 おそらくそれが私の生への執着の根本なのだろう。私は死にたく無いと思い、生きるためには戦わなければならない事を体感として知っていた。生きるために戦い続ける事を選んだ結果、私は遂にエリマーレ様を追い詰めてしまったのである。


 私には責任がある。


 姉と慕い、忠誠を誓ったエリマーレ様よりも自分の生を選び、アスタームと共に至高の座を目指し、エリマーレ様の夢を打ち砕いた責任がある。


 故に私は、私の手でエリマーレ様を殺さねばならない。


  ◇◇◇


 私はサーシャと他三名を連れて、アスタームにも内緒で帝宮を密かに移動した。


 とは言っても別にコソコソしたわけではない。私は濃紺色のドレスを身に纏い、サーシャは侍女服、他の者は警護の部分鎧姿だ。私の腰にはスティレットが下がっているが、これはいつものことである。


 建物間の移動。特にエリマーレ様がお住まいの帝宮内宮への立ち入りは制限されていて、出入りには私の印章を押した許可証が必要だが、もちろん私には必要無い。


 こんなに堂々としていて内緒なのかと言われそうだけど、時間は夜遅く、私の移動には先触れや通達が事前に出先に出されるのが常なのにそれも無く、アスタームにも連絡していないのは十分内緒だと言える。私の立場だとそうなのだ。


 実際、内宮を守る警備兵は訝しんだ。


「エリマーレ様はお休みになっていると思いますが」


「構いません」


 私の言葉にただならぬ物を感じたのだろう、警備兵は表情をこわばらせたが、私の移動を妨げる権限は、彼にはもちろん無い。


 勝手知ったる内宮を歩く。もう就寝時間を過ぎているので、廊下の明かりは全て消されていて、前を歩くサーシャの持つランプの灯りが頼りだが、迷う懸念はない。侍女時代にはこの時間にも仕事でよく歩き回ったものなのだ。


 エリマーレ様は皇帝になられても居室を皇女時代から移動なされなかったようだ。その暇が無かったのだろう。私はエリマーレ様の部屋を警護していた兵を下がらせて、ドアをノックした。


 とんでもない時間に来訪した無作法者への怒りに満ちた表情で侍女が顔を出す。しかし、すぐにその表情は驚愕に変わった。エリマーレ様の主任侍女である彼女とは顔見知りだ。エリマーレ様の意を汲んだ彼女にはずいぶんいびられたものだ。


「べ、ベルリュージュ! 貴女……!」


「下がりなさいコローネ」


 私が言って、私の護衛が彼女を強制的にエリマーレ様の部屋から追い出す。それから私は静かにエリマーレ様の部屋に入った。


 前室を通り過ぎ、広いエリマーレ様の私室に入る。派手好みのエリマーレ様に合わせた壮麗な装飾が施されたお部屋だが、今は夜の闇に沈んでいてよく見えない。


 ……予想はしていたけどエリマーレ様は起きていらした。窓際の椅子に座って月明かりにうっすら見える庭園を眺めていらっしゃる。熟睡していたなら、そのままスティレットを一思いに突き刺して、全てを終わりにする気だったんだけど。


「なんの用なのコローネ」


 刺々しい口調で言って、入ってきたのが一人ではないと気がついたようだ。エリマーレ様は立ち上がると叫んだ。


「だ、誰だ!」


 私は進み出る。窓からの月明かりで私の顔が闇の中に浮かび上がった事だろう。エリマーレ様が「ヒッ!」と悲鳴をあげる。


 私はそんなエリマーレ様を無感動に見つめた、金髪でグレーの瞳。大柄で豊満な体付き。小柄で細身。赤毛で緑の瞳の私とは全く似ていない。でも、彼女は間違い無く私の姉だったのだ。


 驚愕から覚めると、エリマーレ様は物凄い表情で私を睨んだ。


「……私を殺しに来たのですか?」


 エリマーレ様は歯軋りするように言った。私はすぐに答える。


「そうです」


 エリマーレ様は憎悪に満ちた視線で私を串刺しにしながら吐き捨てる。


「ならばサッサと殺すが良いでしょう! さぞかし私を恨んでいるでしょうからね!」


 恨んでいる? そうだろうか? 私にはエリマーレ様への恨みなど無いと思う。この期におよんでも。


 だた、やむを得なかったのだという諦念と、疑念だけがある。私は言った。


「エリマーレ様は、なぜ私をそんなにも憎むのですか? 私には全く心当たりが無いのですけど」


 以前からそれが疑問だった。皇妃様がお亡くなりになるまでは、私を妹としてあれほど可愛がってくれていたエリマーレ様が、突然豹変してしまった理由が。


 私の言葉に、エリマーレ様が唖然としたようなお顔をなさった。彼女が私に憎しみ以外の表情を見せるなんてずいぶんと久しぶりの事だった。


「まさか、貴女、知らないのですか?」


 呆然としたようなお声だった、何だろう。信じられないというような、裏切られたというようなご様子だ。


「何がです?」


「私と貴女が姉妹ではないいうことです」


 私は首を傾げる。帝都を逃げ出す時に、エリマーレ様との姉妹の縁は私が一方的に切ったのだけど、彼女がそれを知っている筈は無いし。


「それは、母親が違うのですから、厳密にはそうかもしれませんけど、同じ皇帝陛下のお子であれば……」


「違います」


 エリマーレ様は壁を感じさせるようなキッパリとした口調で仰った。


「違うのです」


 違う? 私は混乱する。同時に、エリマーレ様が何を言いたいかが分かり掛けてきた。え? そんな。まさか……。


 エリマーレ様は自嘲するように微笑んだ。私は彼女のそんな顔は見たことが無かった。


「私と貴女は父親も異なるのです。だから、赤の他人なのですよ」


 私はあまりの衝撃に立ち尽くす。とんでもない話だった。


「そ、そんな筈はありません! 私の母は……!」


 私の母は男勝りの騎士団長で、乱暴者で人の命など雑草のように思っている人だが、貞操観念はちゃんとしている人だ。


 離宮入り前はどうだったか知らなけれど、皇帝陛下のご愛妾になってからは陛下以外に身を委ねるとは考え難い。そして私は母が離宮入りしてから生まれている。


 母も「貴女は皇帝陛下の娘です」と言っていた。母はそういう事で嘘を吐く性格でもない筈だ。


 私がそう言うと、エリマーレ様は笑みを深めた。


「クレミュリーユ様ならそうでしょうね」


 ……え? 私の頭の中は真っ白になってしまう。


「私の母はそうでは無かった、という事です」


 つまりエリマーレ様の母である皇妃様の貞操観念はちゃんとしていなかった、という事である。私の顔から音を立てて血の気が引いて行くのが分かった。


「私は、皇帝陛下のお子では無いのですよ」


 この時、エリマーレ様は詳しく説明して下さらなかったのだが、後で知った事情はこうである。


 お父様ウルバール一世陛下と皇妃様であるブーシェリン様は完全なる政略結婚で、全然愛情が無かったらしい。傍系皇族出身の皇妃様は小男でイケメンでも無かった皇太子時代のウルバール殿下を嫌い、ほとんど閨を共にする事が無かったらしい。


 もちろんそんな皇妃様を皇帝陛下もお嫌いになり、お互いの関係は険悪だった。そしてお互いに愛人を大いに作ったと、そういう話のようなのだ。


 貴族であればよくある話で、さして非難されるような話でもないというのが恐ろしい話なのだが、問題は、皇帝陛下が愛妾を作って子を産ませても、その子は陛下のお子として庶子という形で公認されるのに対して、皇妃様が別の殿方との子を作っても、その子は私生児として場合によっては闇に葬り去られる存在になってしまう事だった。


 エリマーレ様の場合は微妙だったらしい。陛下のお子でもおかしくないタイミングで閨を共にされた(皇帝と皇妃の義務として、定期的に嫌い合う相手と身体を合わなければならないというのは凄まじい話だが)事があったようだ。


 なので皇妃様はエリマーレ様を陛下のお子だと主張して、皇妃が私生児を産んだなどという醜聞を消したかった皇帝陛下も我が子とお認めになったのだが、エリマーレ様のご容姿は成長すればするほど陛下のご容姿から遠ざかった。皇妃様の愛人の一人によく似ているという。


 そのため、皇帝陛下はエリマーレ様を陛下のお子と信じなかったそうだ。だから陛下がエリマーレ様に対してあのような余所余所しい態度だったのか。


 エリマーレ様のご出産の時に事故が起こり、皇妃様は次のお子が望めないお身体になってしまったらしい。こうなると、皇妃様にとってのエリマーレ様の価値は、ただの娘ではなく自らの地位を保全するための重要な存在に変わる。


 皇妃様が皇女であるエリマーレ様以外の子供が産めない以上、ご愛妾が男の子を産み、国母になられるような事があると、皇妃様は自らの地位を保てなくなる可能性が出てくる。だからあれほど必死にご愛妾の出産を妨害したのだろう。


 結果的にはその妨害は成功し、陛下はエリマーレ様と私以外のお子を得る事が出来なかった。しかし、この事で皇妃様と皇帝陛下の確執は深まってしまい、最終的には皇帝陛下が皇妃様を毒によって暗殺なさったようだ。


 エリマーレ様はその辺の事情を皇妃様の死に際に聞いたらしい。それが私への態度の豹変に繋がったようだ。


 エリマーレ様は恐れた。実は皇帝陛下のお子では無いかもしれない自分よりもベルリュージュの方が女帝に相応しいという意見が出てしまう事を。そうすれば自分は皇女であることさえ否定されて何者でも無くなってしまうかもしれない。


 皇帝陛下は明らかに私の方を寵愛していてその資質を常々褒めてもいる。エリマーレ様は危機感を強めた。そして私を何としても排除しようと躍起になったのだが、これ以上私を狙うなら皇妃様と同じ運命を辿ることになると陛下に脅され、私を侍女として身辺に置くことで監視する事にしたのだという。


 だが、結局、アスタームのしでかしがその状況を壊してしまった。エリマーレ様には「女帝の配偶者に」とやってきたアスタームがベルリュージュを選んだことは、ベルリュージュが女帝に選ばれたと解釈出来る事だったからだ。


 そして実際には皇帝陛下もエリマーレ様ではなく私を次期皇帝に擬し、エリマーレ様をアスタームと結婚させてバイヤメン辺境伯領に押し込んで女帝への道を断とうと考えたのではないかという節がある。なぜならアスタームは陛下から「次期辺境伯」であると公認されている。これを女帝の配偶者に定めるなんておかしな話だからだ。


 こうして事態は破局を迎えたというわけだった。


「母は皇族でしたから、私に女帝になる権利が無いわけではありませんけどね」


 それに、皇帝陛下もエリマーレ様を正式に我が子とお認めになっている。公的にはエリマーレ様の皇位継承には何の問題も無い。ただ、皇帝陛下に愛されず、自分でも陛下のお子だと信じられないエリマーレ様にとって、帝位への道は薄氷の橋を渡るかのように見えた事だろう。


「結局、皇帝陛下の思い通りになるのですね。母を愛さなかったあの男の、母を裏切り続けたあの男の思い通りに」


 実際は皇妃様こそ陛下をお嫌いになっていたのだけど、エリマーレ様はそこまでご存じでは無かったようだ。


「さぁ、私を殺しなさい! 貴女にはその権利があります、ベルリュージュ! 私も貴女の命を狙ったのですからね!」


 そうね。一度と言わず何度も狙われた。エリマーレ様がなぜ豹変してしまったのか、なぜ私の命を執拗に狙うのか、疑問だったのだけどようやく腑に落ちた。私はエリマーレ様の存在を全否定する存在だったのだ。それは、殺したくもなるだろう。


 しかし、私はここで、エリマーレ様に言わねばならなかった。


 エリマーレ様はご自分が女帝になるためにずいぶん無茶苦茶なことをやった。私兵を調えるために公費横領を物凄い額やり、帝都市民を強制的に攫って帝国軍に押し込んだり、犯罪者組織に逮捕とバーターで従軍を強要したり、貴族の幼い子女を誘拐して人質にして強制的に従わせるような事までしたようだ。


 本当はそんな事をする事は無かったのだ。皇太女ではなくともエリマーレ様は次期皇帝筆頭候補だったのであり、そのお立場は圧倒的だった。


 エリマーレ様が普通に良い皇帝になるべく研鑽なさり、努力と実績を積み重ねていれば、皇帝陛下が何をどうしたってエリマーレ様は周囲に押し上げられて帝位へと上った事だろう。実際、エリマーレ様は努力もなさり実績を積み重ねる能力もあったと思う。


 しかし、エリマーレ様はそれをご自分で台無しにした。帝国の民を苦しめ、貴族領を荒らし、外患誘致までしでかした。エリマーレ様にも事情はあったかもしれない。でも、エリマーレ様の評判が暴落し、誰もが彼女ではなく私を皇帝にと望むようになってしまったのは、誰のせいでもないエリマーレ様の責任なのだ。


 でもエリマーレ様はそれが分からず、何もかもが私のせいだと決め付けて、そう思い込んだまま死のうとしている。そんな事は許されなかった。彼女の命令で死に、苦しめられた者たちのために、そして何も知らずにエリマーレ様に裏切られた過去の私のために、私は言った。


「エリマーレ様は弱かったのです」


 私の言葉にエリマーレ様の笑みが消えた。


「エリマーレ様は私よりも弱かった。弱かったから負けた。それだけではありませんか。それ以外は言い訳に過ぎません。お姉様。貴女は負けたのです」


 私はエリマーレ様が私の姉ではないという事を否定した。否定しなければならなかった。エリマーレ様は公的には間違い無く私の姉である、これからもずっとそうであろう。


「私はお姉様に勝ったから、皇帝になるのです。血筋が勝るからでも無く、皇帝陛下に選ばれたからでもなく。お姉様と帝位を争って勝ったから、私が皇帝になるのです。その事を間違えて欲しくありません」


 エリマーレ様は屈辱にブルブルと震え出した。その様子を見た私には分かった。ああ、私はまた奪ってしまった。


 エリマーレ様の最後の拠り所である言い訳。自分は本当は皇帝の娘では無く私よりも不利な立場であったのだという言い訳。それはエリマーレ様の行動を支えるアイデンティティであり、最後のプライドでもあっただろう。


 しかし私はそれを打ち砕いてしまった。関係無い。それならエリマーレ様が勝てば良かったでは無いかと。最初はエリマーレ様の方が圧倒的に有利だった筈で、私がそれを一つ一つ覆したのだ。


 エリマーレ様は私より弱く劣っていた。だからあれほど優位だったのに負けた。その事実を突き付ける事で私はエリマーレ様の最後のプライドを打ち砕いたのだ。


 ……もう、エリマーレ様には何も残ってはいないだろう。これ以上は忍びない。


 私はスティレットを抜いた。


「お別れです。エリマーレ様。お姉様。これで本当に」


 剣先を向けられてもエリマーレ様は何だか呆然として動かなかった。何をお考えになっているのか。それとも、何もかもを奪われて、何かをお考えになる気力がもう無いのか。


 構わない。これで終わる。私はスティレットを腰だめに構えて、エリマーレ様に襲い掛かろうとした。


 瞬間、後ろから何者かに抱き付かれた。驚くが、動けなくなってしまう。いくら攻撃に意識が行っていたとはいえ、後ろからの接近に私が気がつかないとは。そして私が動けない程の膂力。それで私はこれが誰だか気が付いた。


 そしてその通りに、アスタームが鋭く命令を発する。


「サーシャ、行け!」


 その声と同時に、サーシャが私の前に出る。手には短剣。サーシャは鋭い目つきでエリマーレ様を睨む。


「お覚悟を」


 サーシャが何をしようとしているかが分かって、私は真っ青になる。


「ダメ! 止めなさい! サーシャ!」


 しかしサーシャは私の声を無視して地面を蹴ると、エリマーレ様に向かって突っ込んだ。エリマーレ様は反応を示さない。ふと、私の事をうっすら光るグレーの瞳で、確かに見た。


 次の瞬間、サーシャの短剣はエリマーレ様の胸に突き立った。エリマーレ様の身体は後ろに押され、椅子にぶつかり、そして崩れ落ちた。


「お姉様ー!」


 私は絶叫した、身を捩ってアスタームを振り解こうとするが出来ない。血溜まりに倒れるエリマーレ様の首筋に、無表情のサーシャが指を当てる。しばらくして、サーシャは頷いた。


「間違いなく、お亡くなりになりました」


 その瞬間、私は膝が震えだす。どうして、なぜ、私が殺そうと思ったのに、私が殺さなければならなかったのに。


 私が殺したかったのに。


「サーシャ、なぜ……」


「やめよ。ベル。サーシャでは無い。私が、命じたのだ」


 アスタームがゆっくりと私に言い聞かせるように言った。


「君に直接殺させるわけにはいかない。新たなる皇帝に君がなるためには、その手を姉の血で汚させるわけにはいかぬ」


 理屈は分かるけど感情が追いつかない。誰よりも信じ誰よりも愛し、そして誰よりも憎いエリマーレ様を殺すのは私でなければならなかったのに。


「ベルリュージュ様」


 エリマーレ様の返り血に塗れたサーシャが私の前に跪く。


「姉君を殺した罪。いかなる処分をも受ける覚悟でございます。何なりとお命じ下さいませ」


 アスタームとしても苦肉の策だったのだろう。私に直接エリマーレ様を殺させれば、私に姉殺しの大罪を負わせる事になってしまう。


 アスタームが殺せば、彼は皇族殺し、義理の姉を殺した罪を負うことになる。彼を皇帝の配偶者にする際の障害になってしまうかもしれない。


 では名も無き者に暗殺させた場合、私が納得出来なくなってしまうだろう。悲しみと憎しみと恨みが暴走して何が起こるか分からない。


 なので私の面前で、私と非常に近しい(バイヤメン辺境伯領以来、最も信用し信頼している侍女かつ護衛が彼女だ)サーシャに手を下させるのが、私にとって一番納得し易いと思ったのだろう。


 ……私はガックリと俯いた、アスタームが正しい。彼はいつだって私の事を一番に考えてくれる。もしも私が直接エリマーレ様を殺したら、それはそれで私は自分自身が許せなくなってしまったことだろう。


「……許します。サーシャ。よくやってくれました。辛いことを、させましたね」


「ベルリュージュ様……」


 サーシャは私の言葉に涙を流し始めた。


「アスターム。もう、大丈夫です」


 それを聞いてアスタームが私を解放した。おそらくサーシャから連絡を受けて駆けつけたんだろうね。そして彼しか、私を抑える事は出来ないと考えたのだろう。


 私はフラフラと、血溜まりの中に仰向けに倒れるエリマーレ様に近付いた。月明かりを浴びて青白く輝くその姿は、優雅で優美で、エリマーレ様に相応しい死に姿だと、思った。


 私はしゃがんで、エリマーレ様の頬に口付けた。姉妹で遊んでいた時は良くお互いにキスをしあったものだ。あの頃と同じ香りがした。


「お姉様。これで私達は、ずっと姉妹でいられますね。ずっと。私のお姉様として……」


 エリマーレ様の死に顔の上に私の涙が落ちる。私は感情の赴くままに、しばらくそうして咽び泣いたのだった。


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