最終話 女帝ベルリュージュ
エリマーレ様は、ご自分で退位の意を示された後、自害された。
という事になった。公式発表なのでこれが帝国史に事実として記載される事になるだろう。歴史とは勝者が記すものなのだ。
母の離宮はエリマーレ様の最後の手勢に占拠されたままにしていた。その手勢にエリマーレ様の死を告げると彼らはすぐに投降してきた。彼らはエリマーレ様の忠臣で、私を見るなり口汚く罵り、何人かは私の前で自らの喉を突いてみせたものだ。
エリマーレ様にも命懸けで戦ってくれる者が少しはいたのだな、と私は何となくホッとしたのだった。
皇帝陛下はすぐに離宮を出てこられた。
背は小さく、痩せ型。そして目は緑で私によく似ている。髪だけは母似の私と違って陛下は銀髪だが。歳はもう五十歳を超えている。
「おお、ベルリュージュよ。良くやってくれた」
私は黙って頭を下げる。幼き頃より可愛がられ、大好きな父親ではあるが、エリマーレ様のお話を聞いた後では複雑な感情を覚えてしまう。
母の方はいつも通りだった。大柄で赤い髪。四十歳を超えている筈だけど今だに現役騎士よりも遥かに強い。母は一応面会に応じてくれたのだけど「何しに来たの?」みたいな顔をしていたわね。
皇妃様もエリマーレ様もいない今、母は事実上の皇妃であり、次期皇帝の私の母として帝国女性の頂点に君臨する存在である。
私は母に帝宮の内宮に移ってはどうか? と勧めたのだけど、母はけんもほろろに「私はここが気に入っているのよ」と拒否した。
皇帝陛下は内宮にお戻りになり、皇帝位に復位した事を貴族達に宣言なさった。エリマーレ様の即位は無かった事になり、エリマーレ様は簒奪の罪で裁かれるところを、私の嘆願を入れて、既に亡くなっている事も考慮して、葬儀を行わないという罰に止められる事になった。
エリマーレ派の貴族にも厳しい罰は与えられなかったが、領地の一部没収や罰金などの罰を下された者もいた。あと、エリマーレ様が追放処分をしていた貴族は全て取り消されて帝都に復帰した。
これらは皇帝陛下のお名前で行われたが、実際には全て私とアスタームの意思で決められた事である。皇帝陛下も特に内戦の戦後処理についてご意思は示されず、全て私に丸投げになさった。
それどころか、皇帝陛下は「早くベルリュージュに位を譲りたい」と仰り始めていた。
「早く即位せねばベルリュージュが結婚して子供を産めまい」
それはそうなのだが、それは口実で、どうやら早く引退して母と仲良く暮らしたいという考えのようだった。軟禁されている間、誰憚る事なく母と過ごせて随分と楽しかったようだ。
皇帝陛下のお立場からすれば、長らく苦労したのだからただ一人残った愛妾である母と余生を楽しみたいのだ、という事なのだろうけど、なんだか随分と無責任な感じがする。
そもそも皇帝陛下は政務に熱心な方では無かった。そのために貴族達の間に勢力争いが起こり、その一派がエリマーレ様を担ぎ上げ、利用して政敵を追放に追い込んだ、という事情がある。なので私に従って帝都に復帰した貴族も言い方を変えれば、私を担ぎ上げて政局を逆転したという事が出来る。
皇帝陛下がもっと毅然とした方で、皇妃様やエリマーレ様にも貴族達にも、強力な指導力を発揮出来る方であれば、今回のような事態は起こらなかっただろう。父を悪く言いたくはないが、今回の内乱を招いた根本的な原因は皇帝陛下がしっかりしていなかったからだと言える。
陛下がエリマーレ様を後継者としない旨をはっきりと示して下されば。お姉様だって早くに諦めて違う人生を考えることが出来たのではないかと思うし、私だってこんな苦労はしなくて済んだのだ。
内乱の責任を多分に有するのにも関わらず、皇帝陛下が考える事が早くに楽隠居する事では、内乱で死んだ者達も浮かばれまい。もう少し帝国を背負う責任の重さを感じてほしいものだ。
「そうかも知れぬが、私たちにとっては都合が良かったではないか」
私が不満を漏らすと、アスタームが苦笑しながら言った。
「陛下が帝位にしがみつくのであれば、実力行使を含め検討せねばならなかったのだからな」
その通りで、現状、すべての貴族と帝国軍は既に私に忠誠を誓約している。この忠誠は本来、皇帝陛下にのみ捧げられるものだ。
まだ皇太女でもない私がその忠誠を得てしまっているというのは異常な事態である。皇帝陛下よりも多くの忠誠を集める臣下などいてはならない。しかし、この忠誠を皇帝陛下にお預けするというのもおかしな話である。この忠誠は私が実力と多くの血で贖ったものだ。誰に渡すわけにもいかない。
このままの状態は、帝国政界の不安定さを招く。解決するには陛下を帝位から追って、私が皇帝になるしかない。場合によっては陛下に強要しなければならないと思っていた譲位が、陛下のご意志でスムーズに行われるのなら何よりではある。
しかし、私は何と無く釈然としなかった。お姉様を死なせてまで手に入れる玉座である。それを無価値のようにポイと手渡されることに納得がいかなかったのかも知れない。
とにかく、皇帝陛下が譲位の意思を示された事はあっという間に貴族の間に広まり、帝国全体がその方向に動き始めた。
私の即位自体に反対する者はもう一人もおらず、帝配としてアスタームを迎える事にも異論は出なかった。ただ、時期が早いという者が少しいた。内戦の混乱をもう少し収めてから即位してはどうか、という意見だった。
ハイマンズ王国とサウラウル王国との関係は緊張していたし、北の大国も先の小競り合いついての抗議がてら帝都に来ていて、帝国の内部が内戦で混乱している事を掴んでいる。場合によっては大きな戦いがあるかも知れない。この状況で悠長に即位式を行い続けて私とアスタームの結婚式を行うのは危険であるというのだ。これは一理ある。
私は各国に至急の使者を送り、内戦の混乱は収まり、私が即位するので祝賀の使節を送ってくれると嬉しい、という書簡を届けた。この際、円満な譲位である事を示すために父のサインと印章も入れた。帝国には各国の隠密も入っているだろうから、帝国の内情がすっかり落ちついた事も知れているだろう。その結果、各国共に即位式に祝賀の使節を送ることを伝えてきた。外交的にはこれで一安心である。
これで意見の統一が成り、私の即位式は私の帝都入城から半年後の冬前に行われる事が決まった。随分急な即位式になるけど、これ以上期間を空けるのは現在は私を支持している貴族達の心変わりが心配だったのだ。
彼らは反エリマーレ派で私を純粋に支持している訳ではない者や、私が軍事侵攻を行った際に巻き込まれたくなくて私に降伏した者が多くいた。こういう者は一時的な方便で私を支持したに過ぎないので、一年も二年も間を開けると私への忠誠心を薄れさせ、私に対抗するために皇帝陛下や他の皇族を担ぎ上げようと画策する可能性があったのだ。
私が皇帝になり、強大な権限と帝国軍、そしてバイヤメン辺境伯領を強力な後ろ盾にすることによる莫大な交易利益を握れば、今度は皇帝権力によって貴族達を従わせる事が出来る。こうなれば私に実は少しの不満を持っている者も、引き続き私に忠誠を誓ってくれる事だろう。
帝国皇帝の即位式なのだから、それはそれは壮麗なもので、実際には半年程度で準備が済むものでは無い。
しかし、実はお姉様がご自分の正式な即位式を行うために、仮即位の時から準備を始めており、それが役に立った。儀式衣装やそれに伴う装飾品などは、エリマーレ様の為に制作途中だったものを私のために仕立て直す事で期間の短縮を図ったのである。私の方が小柄だったので助かった。
大神殿の整備や各国への来賓の招待なども手配し、準備は順調に整っていった。私も日々の政務の間に儀式について勉強し直して手順や儀式作法の復習を行って準備を進めた。そんな訳だから私はもう毎日毎日本当に忙しくしていた。帝配になる予定のアスタームも忙しく、次期辺境伯の地位は弟のカロッソに譲る事にしたそうだ。そもそも辺境伯になりたがっていたカロッソは喜んだことでしょう。
ただ、私もアスタームも、これまではかなり独立性の高かったバイヤメン辺境伯領を、もっと帝国に吸収する事を考えていた。今のままでは領主によっては帝国からの離反が考えられ、バイヤメン辺境伯領が帝国から離反すると交易利益に大きなダメージが出てしまう。
離反を防ぐためにはバイヤメン辺境伯領の強大な軍事力を奪う必要がある、というのが私とアスタームの考えだった。しかしながら北の国境を護る大事な戦力であるバイヤメン辺境伯軍を弱体化させることは出来ない。
なので、私はバイヤメン辺境伯領に大きな帝国軍駐屯地を置き、そこにバイヤメンの地で集めた帝国軍を置く事にしてバイヤメン辺境伯の軍事力の削減を図ることにした。そうして軍事力を奪い、行く行くは代官を置いて交易も帝国政府が管理する事にし、最終的にはバイヤメンの地は皇帝直轄地にするつもりである。あの地は、貴族に任せるには帝国にとっての重要性が高すぎる。
「それに、北の大国に攻め入る際の橋頭堡にせねばならんからな」
とアスタームは言って、バイヤメンの直轄化に積極的に賛成していた。彼は帝国軍を率いて北の大国に攻め入ることを既に決めており、その計画をいつも楽しそうに立てていたわね。
アスタームは帝配になったら、帝国の領域を拡大するために戦争を起こしたいと考えているらしかった。私としてはあんまり賛成しかねる考え方だったのだけど、彼はこう言って笑った。
「帝国は平和で暇すぎる。だから貴族どもが内紛を起こしたり緊張感の無い男が皇帝になったりするのだ。多少は戦争を起こして刺激を与えた方が国内は引き締まるだろうよ」
単に戦争をしたいための屁理屈にしか聞こえないわね。
ただ、アスタームはその目標のためか精力的に働き、貴族達や帝国軍の将軍をしっかり服従させていった。内戦で彼の指導力、指揮能力の高さは貴族や将軍にも知れ渡っており、帝国軍の兵士達からもその勇猛さに熱狂的な支持を集めていた。
これで以前のように彼が帝位への野心を持っていたら、私との確執が生まれかねないところだったのだが、彼は私の帝配になる事を強く強調してどんな場面でも私の事を立ててくれた。そのお陰で貴族達は当初アスタームによる帝位簒奪を警戒していたものの、段々とそんな声も聞こえなくなっていった。
私は不思議に思った。彼はかなり執念深い性格で、一度言い出したことはまず撤回しないし、執念深く実現に向けて食らいつく性格だ。
その割には随分とあっさり帝位を諦めたものだ。諦めてくれて良かったのだし、彼がその気になれば十分帝都を劫掠して帝位を力で勝ち取れたと思うのに、彼はそうせず私のサポートに徹してくれた。勿論彼がいなければ私の勝利は無かったし、今では私は公私ともに彼を信頼している。愛する無くてはならない存在だ。
しかし、彼がどうして自分の野望を諦めてまで私を助けてくれるのか、ということは気になっていた。私はある日、午後のお茶に彼を招きその辺の事を聞いてみた。
「理由など無い」
私が「なぜ帝位を諦めてなお、私の事を助けてくれるのか?」と問うと、アスタームはややぶっきら棒にこう答えた。私ももう彼とは長い付き合いだ。彼とあの血まみれのプロポーズの時に出会ってから三年近くの時間が経っている。今、彼は二十三歳、私は十九歳。
「婚約者を助けるのに理由はいるまい」
「それはそうでしょうけど……」
私が釈然としない顔をしていたからだろう。アスタームは少し悩んだ顔をした後にこう言った。
「確かに、私は皇女に婿入りして、自らが皇帝になる事を目論んではいたが、それは現皇帝やエリマーレ様よりも私の方が有能であり、皇帝に相応しいと思ったから、そう考えたのであって、自分より皇帝に相応しい君が現れたのだから、君に譲るのは当たり前の事では無いか」
随分と綺麗事を言うのね。私は更に微妙な顔になってしまう。私が彼の言葉を全然信用出来ていない事が分かったのか、アスタームは仕方なさそうに言った。
「嘘では無いぞ。君を見ているうちに、私は皇帝ではなく、帝配となって君を助けて行きたいと思うようになったのだ」
最初は私の事を利用する気しか無かったのだが、私と過ごす内に気が変わったらしい。
「君なら私の野心を普通に理解して共に戦ってくれそうだったしな。生涯の伴侶と理解し合い共に戦えるのであれば、何も自分が皇帝になることに拘る事はない」
不器用な言い方だけど、要するに私とは仲良くやれそうだと思ったから、私を立ててくれる気になったらしい。私を立てた方が確かに帝国は早く安定するだろうし、彼の真の野心である北の大国征伐も早期に実現するだろう。名を捨てて実を取ったという事なのだろうか。
「そもそも、貴方はなぜ皇帝になろうと思ったの? 北の大国を征討したかったから?」
「そうだな。それもあるが、何だろうな。幼い頃からそう決めていたのだ。理由は覚えていないのだが」
幼少時から「貴方は皇族の血を引いているのよ」とお義母様から教えられていたこと。皇女との結婚が取り沙汰されていた事(この場合は皇女がバイヤメン辺境伯に降嫁する想定だっただろうけど)が、その幼き誓いに影響を与えているのかも知れないわね。
「今の私は満足しているぞ。愛する君を皇帝位に就け、私はその夫としてその横に並ぶ。実にしっくりとくるではないか」
アスタームは本当に満足そうに笑った。彼が満足なのであればそれでも良い。若干疑問は残ったのだけど、この時は私もそれで納得したのだった。
しかしそれが、少し後に意外なところでアスタームの幼い頃の事情が明らかになったのである。
その日、私は母の離宮を訪れていた。母の離宮は私の実家でもある。エリマーレ様の侍女になる前は生まれてからずっとここに住んでいたのだ。
即位式と結婚式の準備が大分落ち着いたので、私は時間を作って懐かしい離宮を訪れたのだった。
もちろん、単なる里帰りではない。私が即位するにあたって、母には何か位を与えなければならなかったのである。
皇妃が退位すると上皇妃になるのだが、母は皇妃ではない。単なる皇帝の愛妾なら皇帝の退位に伴って帝宮を下り、伯爵夫人くらいの称号を与えられるのが普通だが、母はなにしろ新帝の私の母である。退位後の皇帝陛下が離宮で母と過ごしたいとの意向だし、帝宮を追い払うわけにもいかない。だから何らかの階位を与えて帝宮に残す理屈を捻り出さなければならないのだ。
その相談の意味もあって私は母とお茶をしに来たのだった。母のお気に入りの庭園に向いたサロンで、私と母はゆったりと向かい合った。母の好きな物凄く甘いケーキだとか、逆に物凄く渋いお茶が懐かしい。
母は濃い青のドレスに身を包み、その大きな身体をソファーに沈めていた。これで襲撃があると信じられないくらいの俊敏さで飛び出して、ソファーの横に立て掛けてある大剣で刺客を惨殺するのだ。
私もスティレットは手放さずに膝の上に置いている。これはもう習性みたいなもので、手元に武器が無いと落ち着かないのだ。
「今日は何の用なの?」
母は元々は伯爵家出身なのだが、長く騎士団で男と伍して生きてきただけに、口調が貴族女性としてはかなり乱暴だ。なので私も気を付けないと母譲りの口調が出てしまう。
「もうすぐ即位式だし、結婚式なんだから、そろそろお母様にも階位を決めて貰わないと。出席出来なくなってしまうわ」
「別に、貴方の即位式になんて出たくないからいらないわよ。ああ、でも結婚式には出たいかな」
どうも母は我が娘が皇帝になる事に全く興味が無いらしい。しかし、結婚についてはそうではないというのは少し意外ね。
「あの時の可愛い子でしょ? アスタームって。どんな美男子になってるか楽しみだからね」
はい? 私は首を傾げた。
「アスタームと面識があるの? お母様。一体いつ?」
「ああ、あなたは覚えているわけ無いわね。まだ赤ん坊の時だったから」
赤ん坊? 私は考え込み、ああ、と気が付く。そういえばアスタームは四歳か五歳かその頃に、一時的に帝都に住んでいた事があったのだ。
母によればその帝都滞在時、辺境伯ご夫妻とアスタームはたまにこの離宮を訪れていたのだそうだ。当時母は私を産んだばかりで、皇妃様の敵意が一番激しかった頃で、他の貴族は寄り付かなかったのだが、辺境伯は流石の剛直さで構わず離宮に来てくれて、母もそんな辺境伯ご一家が気に入って親しく付き合っていたのだそうだ。
アスタームは当時から美形で、そして武芸を好んでいたので、母が可愛がって(しごくてきな意味で)あげたのだそうだ。
「そういえばその頃に、バイヤメン辺境伯と『将来この二人結婚させちゃいましょうか』という話をしたっけね」
なんと! どうやらアスタームに皇女を娶らせるという話の根本はここにあったようだ。確かに、第一皇女たるエリマーレ様を嫁に貰うよりも、庶子である私の方が辺境伯夫人には適当だろう。最初からアスタームの相手は私だったのだ。
「赤ん坊の貴女を見せて『将来この子をお願いね』って言ったら『任せてください!』って言ってくれてたわね」
……アスタームは覚えているだろうか。いや、微妙かな。あの男なら覚えていてもしらを切りそうな気もするし、何食わぬ顔で覚えているぞ、と言いそうな気もする。
「まぁ、貴女がアスタームと結婚するなら私も肩の荷が降りたわ。これで私もお役御免ね」
母がやれやれとばかりに肩をコキコキ言わせながら言った。
「別に、今までも好き勝手にしていたでしょう?」
「何言ってんの。私がこんな離宮に閉じこもっていたのは何でだと思っているの? あんたのためでしょうが」
私は目をパチクリしてしまう。
「私が帝宮内にいなかったら、貴女はとっくに死んでたわよ」
母はフンと鼻息を吐いた。
「私が皇帝陛下のご機嫌を取っていたから、エリマーレも貴女に手を出しかねたのよ。貴女が死んだら私が陛下にエリマーレを殺してくれと願って、あの娘も殺されちゃうからね」
母曰く、母は私を産んでから子供を産んでいないが、それは意図して妊娠を控えていたからなのだそうだ。
もしも私を殺したら、次々子供を産んでやるぞ、なんなら男の子も! とエリマーレ様も皇妃様をも脅していたそうで、おかげで私の命が助かった面があるそうだ。
「でも、貴女が皇帝になるならもう良いでしょう。私の好きにさせてもらうわ」
「皇帝陛下はこの離宮でお母様と暮らしたいご意向ですけど」
「あの人もね。いい加減自分の思い通りにならない事もあるんだって事を分かって貰わないとね」
どうやら、母の父に対する思いには複雑なものがありそうだ。この離宮で二人仲良く余生を送る気などサラサラ無いという感じである。
「まぁ、上手くやんなさい。貴女がダメでもアスタームが何とかしてくれるわよ。いい旦那を貰えて貴女は幸せね」
どうも母のアスタームへの評価は私よりも随分高いようだ。子供の頃しか知らないくせに。ただ、いい旦那を貰った、という意見には賛成だ。ひどい出会いだったけど、色々二人で乗り越える内に私もそう思えるようになった。
「ええ。きっと幸せになってみせます。お母様もお元気で」
私が言うと、母は少し悔しそうにも見える表情で微笑んだのだった。
◇◇◇
こうして私は帝国の十九代目の皇帝、ベルリュージュ一世になった。
二階三階席まで鈴なり満員の大神殿の祭壇で、上皇様となられたお父様から帝冠を授かり頭に戴く。
荘厳な音楽が鳴り響く中、祭壇の前に据えられた玉座に座り、帝国四つの地方を象徴するという四色のガラスで作られた盾を持ち、帝国人民を象徴する宝石の散りばめられた王笏を持つ。
アスタームが帝国貴族を代表して叫んだ。
「帝国の偉大なる太陽! 輝ける至高の君! 過去から未来、東西南北を統治なさる偉大なる皇帝! ベルリュージュ一世陛下! 万歳!」
大神殿を埋め尽くした貴族たちが万歳を唱和する。すると大神殿を囲んでいた下位貴族や平民たちも続けて万歳を叫んだ。その大歓呼は大神殿を震わせ地面すらビリビリと唸った。
私は大音響に圧倒されながらもしっかりと謹厳な表情を保った。この時より、私は帝国の皇帝なのだ。全世界を統べる存在なのだ。そしてお姉様が望んで遂に辿り着かなかった地位に、この私が登り詰めたのだ。
私はその地位に相応しい存在にならなければならない。半神の存在と言われる皇帝として、私はこれから生きてゆかねばならないのだ。
私が緊張にその身を震わせていると、ふと、アスタームがニヤニヤとした表情で私を見上げているのが見えた。
あの男なら、私が何を考えているかなどお見通しだろう。「似合わないぞ。気楽に行け」という声まで聞こえてきそうではないか。
貴方だってすぐに帝配になり私の横に立つことになるんだからね。その時、そんな気楽な顔が出来るのかしらね。私はそう思い、アスタームが緊張で顔を引き攣らせている様を想像してしまって危うく吹き出し掛けた。
この即位式が終われば私は一度退出して、着替えてそれからまた今度は結婚式のためにアスタームと共に入場するのだ。いよいよ私とアスタームは夫婦になる。私としては即位式は緊張しただけだけど、結婚式は純粋に楽しみだった。
退出のために私は立ち上がり、階を下りて神官とアスタームの後ろを儀式用のゆっくりとした歩き方で進み始めた。
その時だった。
左右で頭を下げていた貴族達の列の中から三人の男が飛び出してきた。
「エリマーレ様の仇!」
と叫ぶと、三人は短剣を閃かせて私に、ではなくアスタームに襲いかかった。
アスタームは重苦しい儀式正装を着ている。それに儀式に出る者は非武装が常識だ。剛勇の誉高いアスタームを倒すにはこのタイミングしか無い、という事だったのだろう。
男達はおそらく元近衞騎士だったのだろう。近衞騎士なら伯爵辺りの階位の者もいるから、大神殿の中にいてもおかしくはない。彼らはかなり訓練された無駄のない動きで踏み込むと、アスタームに一斉に突きかかった。
気が付いた時には身体が動いていた。
私は刺客の一人の後頭部にスティレットを容赦無く突き込んだ。磨き抜かれた剣先は硬い頭蓋事を穿つ。まさか私に攻撃されるとは思わなかったのだろう。無警戒に攻撃を受けた刺客は「ぐあ!」というような声を出して動かなくなる。
その時にはアスタームは左右の拳で二人の刺客の顔面を叩き潰していた。一瞬だ。目にも止まらない。そして続け様に抜手で二人の喉を貫く。神聖な神殿に血飛沫の噴水が噴き上がった。当然、私とアスタームの豪奢な儀式正装は血塗れだ。
「なんだ。スティレットを持っていたのか」
アスタームが呆れたように言った。そう。私は儀式正装のマントの裏側にスティレットを潜ませていたのだ。非武装になる事があまりにも頼り無く思えたからだ。これはもう習性みたいなものだから仕方がないわよね。
「おかげで助かったんだから良いじゃない」
と私は言ったが、アスタームなら三人くらいなら素手でも軽く捻っただろう。それが分かっていても、つい最愛の婚約者の危機に身体が動いてしまったのだ。
「そうだな。ありがとう」
アスタームも自分だけでも大丈夫だと知りながらも私に礼を言ってくれた。私もアスタームも見詰めあってフフフっと微笑む。
まぁ、その時はあまりの大事件に周辺は大混乱。血塗れで笑う女帝とその婚約者にみんなドン引きしていたらしいんだけどね。いかにも私とアスタームの治世らしい、血生臭い始まり方だと、後々まで語り継がれてしまうだろうね。
ま、構わないわ。これで私とアスタームを生半可な方法で止める事は出来ない事が分かったでしょうよ。誰の仕業か知らないけれど。
私は真っ赤に染まったアスタームの腕を取ると、結婚式の準備に向かうべく出口の方へと歩き始めたのだった。
終わり
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暗殺女帝ベルリュージュ 〜虐げられし皇女は愛を得て成り上がる〜 宮前葵 @AOIKEN
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