七話-5 帝都へ
帝都に入城した我が軍は、バイヤメン辺境伯邸跡地に陣地を構えた。焼け落ちてそのままになっていたからね。片付ければ結構広い。アスタームのこの辺りは皮肉が効いている。
帝国軍は帝都各地に散って帝都の掌握へと動き始めた。その際、無理やり集めた新兵は解散して、五千の古参兵だけを残す。混乱を起こさないためと、帝国軍を弱体化させるためだ。この期に及んで帝国軍が裏切るとは思わないが、皇帝陛下の出方によっては我が軍と対立する可能性は無いとは言えない。
その上で帝都の治安維持に努め、城門を解放し、市民生活を平常に戻す。帝都市民からの不満が私に向いて、暴動でも起これば私は帝都の主人になれなくなる。幸い、市民生活はすぐに平常に戻り南北交易も元通りになって、私への不満の声はほとんど聞かれなかったようだ。
その上で私は帝宮区域を軍勢で包囲した。その際に帝宮守備兵を帝国軍の将軍によって投降させ、帝宮を無防備状態にする。
帝宮は巨大な施設であり、平民を含む使用人が物凄い人数働いている。住み込み以外にも通いで働いている者も多いのだ。そういう使用人達の出入りが滞ると帝宮が維持出来なくなるため、私はこれを妨げないように厳命した。
これには使用人に紛れて帝宮に住み混んでいたエリマーレ派の貴族の脱出を黙認するという意味合いもあった。完全に封鎖して彼らを追い詰めてしまい、エリマーレ様と団結して暴発する危険を招くよりは、脱出を黙認してエリマーレ様を孤立させた方が良いとの判断だ。
事によればエリマーレ様本人が脱出してくれないか、と密かに願っていた程だ。エリマーレ様が脱出して地方に下り、そこから再起を図ってくれた方が私の心理的に楽なのだ。しかし、誇り高きエリマーレ様は、我が軍が帝都に接近した時にも脱出を勧める者があったものを、断固として拒否したというくらいだから、おそらく使用人に扮してコソコソ脱出するなどという事はしないだろう。
こうして帝宮を完全に包囲して孤立させた上で、私はベルリュージュ軍を帝宮に入れる。そして警備兵の代わりに各所を警備するという形で制圧し、帝宮を完全に保護下に置いた。
そしてそれから、ようやく私とアスタームは帝宮の壮麗な門を潜ったのである。
あまりにも迂遠な手順にアスタームなどは呆れ顔で「正面からぶち破ってエリマーレ様の前に騎馬で乗りつければ良いではないか」などと言ったものだ。でも、私はそうしたく無かった。そんな事をすればエリマーレ様はヒステリーを起こして帝宮に火を掛けかねない。
それに皇帝陛下と母のいる離宮の事がある。広大な帝宮の一角にある母の離宮は、エリマーレ様の手勢が護っていてまだ掌握出来ていない。攻め落とす事は十分に可能だったが、どんな仕掛けがあるとも分からないから手を出してはいなかった。
それと私はエリマーレ様に、自分の意思で即位を取り消して、皇帝陛下に復位するよう手配して欲しかったのだ。簒奪の事実を無かったことにするにはそれしかないからだ。
私はエリマーレ様に簒奪者の汚名を着せたまま処罰したく無かったのだ。処罰するのは仕方が無いが、歴史に残る悪行を為した愚か者と、エリマーレ様が呼ばれるのはどうにも忍び難かったのである。
帝都に入城した私たちは、帝宮内の別館の一つに入りこれを仮宮とした。そしてエリマーレ様に面会を要求したのである。
これにもアスタームは不満顔だった。
「今更エリマーレ様と何の話があるというのだ。もう交わす言葉などいらなかろう。後は剣あるのみ」
「ダメです。剣にて帝位を奪ったという事実を残すわけにはいきません」
それはクーデターの公認になってしまうからだ。武力に優った者が帝位を受け継ぐ事が出来るという前例を作ってしまうと、帝国では今後、何度でも武力クーデターを企む皇族が現れてしまう事になるだろう。
形式的にでも話し合いで、武力を背景にしても直接行使する事なく、エリマーレ様と決着を着けねばならない。
帝国法において、私にはエリマーレ様を罰する権利は無い。臣下の勤めとして簒奪を行なったエリマーレ様を諌め(武力を使ってでも)、翻意させる事は許されるとしても、皇族であるエリマーレ様を罰する事が出来るのは皇帝陛下だけである。
エリマーレ様と交渉して皇帝陛下を解放してもらい、皇帝陛下にエリマーレ様を罰して頂かなくてはならない。私がそう言うとアスタームは嫌そうな顔で舌打ちをした。
「お為ごかしだ。ごまかしだ。君は自分の責任を回避したいだけなのだ」
……図星である。私は俯いてしまう。そう私は、私の手でエリマーレ様を断罪することにどうしても躊躇いがあるのだ。一時は姉と慕った人を処刑するなんて、あまりにも心理的負担が大きすぎる。
しょんぼりした私を見てアスタームが慌て出す。彼は私を抱き寄せて後頭部を不器用に撫でた。
「すまぬ。君が無理だと言うのなら、私が兵を率いて方を付けても良いのだぞ?」
同じ事だ。それに、そんな事をアスタームにさせたら、私はアスタームに理不尽な恨みを抱いてしまうかもしれない。これは私が決着を付けるべき事だ。アスタームといえど任せられない。
「大丈夫です。いよいよとなれば、私が自らの剣で始末を付けます」
◇◇◇
帝宮に入って二日後、エリマーレ様が面会に応じるとの連絡が入った。何度も使者をやり取りし、貴族達に仲介に入ってもらった末の事だ。
事前に、離宮を解放して皇帝陛下を面会に立ち合わせる事を求めたのだがこれは拒否された。人質、という事なのだろう。
面会は帝宮の第一謁見室で行われる事になった。大ホールに匹敵する広さを持つ、国家行事や国賓との接見に使う謁見室で、当然皇帝陛下にしか使う事は出来ない。
エリマーレ様は皇帝陛下として、私と接見するつもりなのだろう。最早ほとんど兵を持たないこの状況で、その誇り高さはいっそあっぱれではある。
私は条件を承諾し、正装に身を固めて、アスタームと共に第一謁見室に向かった。
「ベルリュージュ皇女殿下及びバイヤメン辺境伯嫡男アスターム様ご入来!」
呼び出しの声と同時に複雑な彫刻が施された白い大きなドアがゆっくりと開かれ、謁見室の様子が明らかになる。
ほとんど円形の謁見室はドーム天井になっており、騎士達が勇ましく戦う天井画が描かれている、その下にシャンデリアが何十個も輝いていて、その下は真昼の明るさだ。赤に黄色で複雑な紋様が描かれた絨毯を踏んで私とアスタームは進み出る。
絨毯の左右には帝国の貴族達が何十人も夫人同伴で並んでいた。これにはエリマーレ様の派閥の貴族と、私に付き従っていた領主貴族達が両方含まれている。彼らの目がワクワクと輝いているのは、まぁ、錯覚ではあるまい。無理もないことだ。
私はアスタームの左手に右手を掛けているが、あんまりくっつかず、彼の後ろではなく真横にいる。私の方がアスタームよりも上位であるためだ。
正面、六階の階の上に皇帝の玉座があるが、まだそこには誰もいない。
皇帝の謁見にはレベルがあり、格下の者を相手にする場合は、謁見する相手が入場して跪いて待つところに皇帝が入場する。親愛を示す場合、友好的な相手と会う場合には最初から皇帝が玉座に座っている、帝国皇帝にはほぼあり得ない事だが、相手が格上の場合は、席に付かず立っているか、階を降りて下で立って出迎える。
つまり私は格下の相手であると見なされた事になる。ほとんど生殺与奪の権限を握られた相手に対して良い度胸ではある。ただ、エリマーレ様ならそうするだろうと分かっていたので私には何の感想も無かった。
「帝国の偉大なる太陽! 輝ける至高の君! 過去から未来、東西南北を統治なさる偉大なる皇帝、エリマーレ陛下のご光来!」
呼び出しが高らかにエリマーレ様の入場を告げ、楽団が皇帝陛下を讃える曲を演奏し始める。謁見室にいた貴族達は一斉に跪いたが、私とアスタームだけは平然と立ったままだ。エリマーレ様もまさか私が跪くとは思っていないだろうから構うまい。
階の後ろのカーテンが開かれて、エリマーレ様が姿を表した。豪奢な金髪とグレーの瞳。大柄でグラマー。そして、私を憎み切ったその表情。何もかもが今や懐かしい。二年前までは毎日目にしていたのに。
エリマーレ様は緋色のマントを翻し、頭には宝石がこれでもかと輝く帝冠を被っていた。そして玉座に乱暴に腰を下ろすと、私を指さしていきなり叫んだ。
「よくもおめおめと私の前に出られたものねベルリュージュ! なぜ私に跪かぬ! この皇帝である私に!」
キンキン響くこのお声も懐かしい。私は完璧なお作法の笑顔でエリマーレ様のお言葉を受け流した。
「お久しぶりでございますねエリマーレ様。お元気そうでなによりでございます」
エリマーレ様は鼻白んだようなお顔をなさった。侍女時代の私は、エリマーレ様がお怒りになったらひたすら頭を下げて恐縮していたからだろう。このように彼女の怒りを受け取らないという事は無かったのだ。
エリマーレ様は怒らせるだけ怒らせた方がご機嫌が早く直る。だから下手な反論はぜず黙ってお怒りを受け止めていただけなのである。今はもう私はエリマーレ様のご機嫌を取らなければならない侍女ではない。立場が変われば対応も変わる。
そして私はもう、エリマーレ様がお怒りになれば悲しかった妹でもない。エリマーレ様が怒ろうが喚こうが私にはもう何の感情も無い。
「さて、エリマーレ様。貴方様にはその玉座を降りていただかなければなりません」
私がきっぱりと言うと、エリマーレ様の表情が引き攣った。私は構わず続ける。
「エリマーレ様にはその資格が無いからです。皇帝の座は皇帝陛下のもの。たとえ皇女であろうと勝手に座る事は許されません」
私の言葉にエリマーレ様は激昂した。
「私は今や皇帝です!」
「ならば皇帝陛下をここにお呼びして、それを証明してくださいませ。皇帝陛下がご健在であるにもかかわらず、位をエリマーレ様に譲ると正式に表明なされたのであれば、私も認めましょう」
エリマーレ様は真っ青なお顔で首を横に振った。
「そのような必要はありません! 私がこの帝国の皇帝なのです!」
「そのような事は誰も認めませぬ。そう。帝国中の、誰も」
私は残酷な事実を冷然と告げる。既に帝国の南部の領主からも私への忠誠を誓う書簡が届いているし、この場にいるエリマーレ派の貴族諸卿も私に忠誠を誓うとの誓約を取っている。もうエリマーレ様には味方はいないのだ。
エリマーレ様は全身を振るわせ、立ち上がると叫んだ。
「こ、この無礼者! 誰か! この者を反乱の罪で捕らえよ!」
しかし、エリマーレ様の絶叫によって、何かが起こることは無かった。誰も動かず、誰も声すら発しない。エリマーレ様は流石に戸惑ったようだ。貴族が動かぬのは予想していただろうけど、エリマーレ様を守る儀仗兵や謁見の間を守る衛兵まで身動きもしないという事は異常である。
だが、私にとっては異常でも何でもない。当然の事である。既に帝宮の警備兵は全てベルリュージュ軍の者と入れ替えてある。この謁見を警備する兵士もだ。近衛騎士すらとっくに全員入れ替わっている。儀仗兵は近衛騎士から出るので、ここにいる全員が私の兵士なのである。
つまり、既にエリマーレ様は私の兵士に囲まれて生活なさっているという事である。兵を差し向けるまでも無い。私が一言、言えば、エリマーレ様の命運は尽きる。エリマーレ様は兵士の顔になど興味がないから気が付いていなかったのだろう。
事態を悟ったエリマーレ様はガタガタと震え出した。顔中に汗をかいている。私はそれを無感動に眺めながら、事更ににっこりと微笑んだ。
「三日、の猶予をお与えします。自ら玉座を降りられるか、名もなき者に引き摺り下ろされるか、お選び下さいませ」
そして私はエリマーレ様のお返事を待たずに、踵を返した。アスタームが少し戸惑ったように言う。
「良いのか?」
私は返事をしなかった。
謁見室を出る直前、エリマーレ様の呪詛のような叫び声が聞こえた。
「ベルリュージュ!」
私は必死に感情を殺しながら、エリマーレ様の罵声を背に感じながら、足早に仮宮へと戻ったのだった。
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