六話-1 ベルリュージュ南征

 バイヤメン辺境伯領から峠道を降りた五千の軍勢は、近接するステッセル伯爵の領地に入った。その領都でステッセル伯爵と面会すると、伯爵は泣かんばかりに喜んだ。


「良く来て下さいました! ベルリュージュ様!」


 大歓迎である。何でもエリマーレ様からの脅迫がドンドン酷くなり、エリマーレ様の軍勢がやってきたらどうなってしまうかと戦々恐々としていたのだそうだ。


 そこで聞いたのは、エリマーレ様の私兵は帝都近郊の領主から借りた兵や帝都で集めた兵を合計して、一万人に達しているという事だった。……一万人?


 帝都に駐留している帝国軍は常時五千人の筈(帝都城壁を警備している兵士を含めればもっと多いけど)だから、その倍は凄い。ただ、そんなに急激に数を増やしたとなると……。


「烏合の衆だ。恐るに足らぬ」


 アスタームがフンと鼻息を噴いた。そうね。数は集まっても碌な訓練をしていない軍勢だもの。実際の戦闘の役に立つかどうかは微妙よね。


 ただし、その烏合の衆さ加減がステッセル伯爵の懸念材料だったのだそうだ。それもそうよね。統制も取れていない武装集団なんてもっとも質の悪い侵入者だ。山賊よりも酷い。


 私はステッセル伯爵にエリマーレ軍がやってきたら撃退すると約束した。ただ、数が倍なのは問題なので、近隣の領主達にも連絡をして軍勢を集めてくれるようにお願いした。ステッセル伯爵は二つ返事で了承してくれたわね。


「どうも、おかしいな」


 私とアスタームはステッセル伯爵のお屋敷に部屋をお借りした(寝室は別よ)。晩餐をステッセル伯爵と一緒に摂った後、二人でくつろいでいる時にアスタームが呟いたのだった。


「何が?」


「エリマーレ様は何を焦っておるのだ?」


 焦っている? エリマーレ様が? 意味がよく分からず首を傾げる私にアスタームは言った。


「エリマーレ様は次期皇帝の第一候補。第二候補の君が帝都を離れた今、このまま順調に推移すれば、彼女が女帝になる。そうだな?」


 そうね。そもそも庶子である私は候補でも無かったし、公爵家の二殿下も推す人が僅かにいるくらいで、エリマーレ様が唯一の候補であったと言っても良い。


「ならば、君をバイヤメンに押し込めておき、即位して、それでも君を殺したいなら、正式に帝国軍を発してバイヤメンを攻撃すれば良いではないか。なぜ、この段階で無理な方法で私兵を集めて進軍せねばならぬのだ」


 その疑問はもっともだし、私も同様に思う。エリマーレ様が癇癪持ちで病的に恨み深く、私に対して執着的な殺意を持っているとしてもだ。即位まで待てば正式に帝国軍や隠密組織を活用出来るのだからそれまで待てばいいではないか。私としては、皇帝陛下が亡くなるまでまだ十年以上はあると思っていて、それまでにエリマーレ様の勘気が解ける事を期待していたんだけどね。


「まるで、君をこれ以上野放しにすると、自分が皇帝になれぬと恐れているようではないか」


「? 何を恐れるというの?」


「それが分からぬから、悩んでおるのでは無いか」


 エリマーレ様が皇帝になれない可能性があるとすればなんだろうね。


 考えられるのはやはり、女帝である事を問題視された場合だ。帝国の歴史には既に二人の偉大な女帝がいて、前例が無いわけでは無いから、大きな声にはなっていないけど、やはり軍を率いることもある皇帝には男性が相応しいという意見も根強いからね。傍系皇族である公爵家に殿下が二人いらっしゃるのだから、どうしてもそちらをという意見があるにはある。ただ、現在のところ大きくは無い。


 素行不良を問題視されて反対意見が強くなれば、というのもある。ただ、エリマーレ様は癇癪持ちで残忍で浪費家ではあるけど、歴代皇帝にはもっと酷い方がいたし、エリマーレ様はこれまで関わってきた政治的な案件や人事調整については真っ当にこなしてきた。これも大きな声にはなりにくい。


 一番大きな可能性は、皇帝陛下が後継者としてエリマーレ様を指名しなかったら、というものだろう。皇帝陛下はエリマーレ様を未だに皇太女に任命していない。陛下がエリマーレ様以外、私か公爵家の殿下を後継者として指名した場合、皇帝陛下の命令は絶対なので、エリマーレ様の手から皇帝の座は失われる事になる。


 しかしながら、長子であり、皇妃様の唯一のお子であるエリマーレ様を後継者指名しないためには相応の理由がいる。前述の通りエリマーレ様は皇帝として不適格とまでは言えない方だし、貴族の間には味方も多い。理由も無しに後継者としないのでは帝国内部に不和の種を巻く事になる。


 と、私がつらつらと自分の考えを口にすると、アスタームが頷いた。


「理由としては弱いが、エリマーレ様が恐れているのは、君が味方を増やし実力を蓄える事かも知れぬな」


「どういう事?」


「ふむ。君はバイヤメン辺境伯領に入ってすぐに、近隣の領主と結んだな。その時点で君の支持層は帝都のエリマーレ様に匹敵する規模になっている」


 確かに、辺境の領主の領域は大きい事が多い。そして街道沿いの領地は交易も盛んで豊か。国境に近くて蛮族との戦いを繰り返してきた事から(かつてはバイヤメン王国と頻繁に戦っていた)軍事力的にも優れている。


 帝都の貴族は辺境の田舎の野蛮人と馬鹿にするが、その実力は帝都貴族を上回る面も多いのである。その領主を複数味方に付け、しかも一王国規模であるバイヤメン辺境伯に嫁入り予定の私の勢力は、既にエリマーレ様を上回っている可能性がある。勿論、エリマーレ様が皇帝になれば違うけどね。皇帝には広大な直轄領地があるし、帝国軍もあるから。


「君がこれ以上勢力を拡大する前に叩き潰してしまいたい、とエリマーレ様が思っても不思議では無いな。だが……。さて……」


 アスタームはまだ納得がいかないというように考え込んでいる。だが、私としてはそんな事よりももっと前に考えるべき事がある気がするんだけど。


「そんな事よりもエリマーレ様の軍隊が来たらどう迎撃するつもりなの? 一万人の軍隊だから、烏合の衆とはいえ侮れないと思うんだけど」


「大した問題では無いな。急募した兵なら騎兵は当然多くないだろう。それに対してバイヤメンの兵は騎兵が多い。機動力、攻撃力、練度に優れた我が軍に、雑兵を倍連れて来たからと言って勝てるものか。それよりも、敵が素直にステッセル伯爵領に来るかどうかが問題だな」


 ? どういうことなのか。驚く私にアスタームは少し真面目な顔をして言った。


「確かに帝都から街道を遡ってくるのならここに到着する道理だが、我が軍が待ち受けているのに真っ直ぐここにやってくるものかな?」


 確かに、それはその通りかもしれない。と、私はこの時考えたのだけど、実際にはもっと酷いことになったのだった。


 数日後、ステッセル伯爵領の南側、帝都寄りに領地を持つロックス伯爵から連絡があった。彼は皇帝陛下に忠実な貴族で、私への支持を明言していなかった。そのロックス伯爵が私、というかバイヤメン辺境伯軍に助けを求めてきたのだ。


「エリマーレ様の私兵が領地で好き放題に暴れて大変な事になっている。助けて欲しい」


 どうやら、ステッセル伯爵の懸念は当たって、統制が全然取れていないごろつき集団であるエリマーレ軍は、ロックス伯爵領で略奪暴行を行って領民が大被害を被っているらしい。驚き慌てた伯爵は、帝都に急使を派遣してエリマーレ様に私兵の行動を掣肘するようにお願いしたのだが、まったく無視されたとのこと。


 伯爵領の領民はエリマーレ軍を恐れて逃げ出す騒ぎになっているらしく、それを良いことにエリマーレ軍は村を焼き払うというような蛮族顔負けの事までしているそうだ。万策尽きたロックス伯爵は私を支持するのでどうか助けて欲しいと願い出てきたのである。


 ……これは酷い。私にはもう、エリマーレ様が何を考えているのか分からない。自分の味方であった筈のロックス伯爵の領地を荒らすなどという事をしてしまえば、後でご自分が困るとは思わなかったのだろうか。エリマーレ様はそこまで損得の計算が出来ない方では無かったはずなのだが。


 しかし、アスタームは救援要請にすぐには首を縦に振らなかった。


「罠かも知れぬ」


 罠は食い破る方が好みだというこの狼にしては珍しい事を言う。私がそんな風に思っている事が分かったのか、アスタームは苦笑して言った。


「罠の種類が分からないのでは牙も立てられぬ。このステッセル伯爵領での迎撃計画は十分に立てたが、ロックス伯爵領は情報が少なくて地形も状況も分からぬ」


 アスタームは勇敢だが無謀では無い。確かに、碌な情報も持たないロックス伯爵領に乗り込んで罠に嵌められる可能性が無くは無い。ロックス伯爵は私の味方であると確定していない領主だ。バイヤメン辺境伯軍を罠に呼び込むように画策している可能性だってある。


「だが、助けを求めて来た者を見捨てては、君の今後に関わるからな……」


「私の今後?」


「女帝になった時に『あの時ロックス伯爵を見捨てた』と言う評判が立っても困るだろう」


 ……私が女帝になるのなら確かにそうだね。アスタームはこうやって私に、女帝になる事について度々覚悟を求めてくるのだが、無理強いはしない。最初は強引だっんだけど、段々と私のことを認めて尊重してくれるようになったのだ。


 しかし、女帝は兎も角として、エリマーレ様との争いを有利にするという意味では、ロックス伯爵の要請は断れないものがある。横暴なエリマーレ様に対して誠実な私という対比が出来れば、様子を伺っている領主貴族達が私の方に与してくれる可能性が高まる。アスタームが言ったように、私が仲間を増やし実力を持てば持つほど、エリマーレ様は私に手が出し辛くなる。まぁ、それは私が女帝に近付いて行く事を意味するんだけども。


 結局、私とアスタームはロックス伯爵領の救援を決断し、近隣領主の軍を集めて七千に達した軍勢を率いて、ロックス伯爵領に進軍した。ちなみにこの軍勢は既にバイヤメン辺境伯軍だけでは無い連合軍であるため「ベルリージュ軍」と仮に呼ぶことになる。……あんまり呼びたくは無いわね。

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