六話-2 ベルリュージュ南征
ロックス伯爵領に入ったベルリュージュ軍だが、この領地の情報はいまいち良く分からない。私は事前にロックス伯爵に領地の事をよく知る案内人を付けてくれるようにお願いしていた。
案内人曰く、エリマーレ軍は南部の村々を荒らし回っているそうだ。私は軍に命じて南部地域に軍を進めていった。これまでは全軍をアスタームが率いていたが、援軍として領主軍が加わっている以上、彼が指揮するわけにはいかない。形式的には私が指揮する必要がある。実際にはアスタームの考えた作戦を私が口で言うだけなんだけどね。
ロックッス伯爵領南部の状況は酷かった。確かに何カ所もの村が焼かれていて、死体も転がっている。エリマーレ様の名前を冠する軍隊が何という事をしてくれるのか。私は怒ったのだが、アスタームは惨状を見て少し違った感想を持ったようだった。
「……防衛した様子が無いな」
アスタームの言葉にハッとなる。
「どういうこと?」
「うむ。殺されて転がっている民衆の死体はあるが、民衆を護ろうと奮闘して死んだであろう兵士の遺体が一つも無い。つまり、戦いが起こった形跡が無い」
確かに、それはおかしい。各領地は一応、私兵を持っているがそれは近接した領地との境を護り、領内の治安維持を行うためのものだ。いざという時に領民を護るための軍隊である。
それが、エリマーレ軍が好き勝手やるのを黙って見ているなどあり得ない。村が襲われた時に戦っている筈なのである。それは、あまりにも数が多いエリマーレ軍に怖れをなして戦わなかった、という可能性はあるけど、戦った形跡がどこにも無いというのは流石におかしいのである。
「敵の数や勢力を正確に把握して、勝敗を見極め、戦わずして撤退するという判断は難しいからな。そんな名将の所業が出来たとは思えぬ」
そんな名将であれば、襲われる前に各村に連絡して、事前に避難させるくらいのことは出来ただろうね。実際、この後にロックス伯爵の私兵部隊と合流したのだけど、名将とは大違いの凡将がやってきた。四十過ぎのその男の率いる軍勢は一千。案の定全然戦った形跡は無かった。
「いやぁ、助かりました。我々では全然相手になりませんで」
と言うのだが、相手にならないかどうか戦ってもいないのである。見るところ敵は分散して略奪に走っているようだ。これを各個撃破する事は出来ただろうと思うのに。
単に怖れのあまり逃げたのかもしれないけど、妙に小綺麗なその軍勢の事が私は気になった。それと、エリマーレ軍は我が軍が近付いてきたのを察知すると、分散していたものが一つに集合し始めたようなのだ。その察しの良さも気に掛かる所だ。略奪に走り始めた軍隊の統制をやり直すのは難しい筈なのに。
私はアスタームと話し合った上で、全軍を敵が集合している町の方へと動かした。山間の盆地にある中規模の町だ。敵はそこで集合して我が軍を待ち受ける様子である。アスタームは事前に斥候を沢山放って情報収集を行っていた。そうして得た情報はバイヤメン辺境伯軍のみで秘匿する。各領主軍には内緒にしたのだ。
アスタームは情報を重視する。特にこんな未知の土地で戦うのだから斥候の情報は大事だ。ロックス伯爵から付けられた案内人や、領地守備軍から得た情報を鵜呑みにはしない。
そうして作戦を定めて、私は軍勢を盆地へ入る道へと進めた。
集合が終わっていないのか、敵の数は五千ほど。こちらは合計で八千。ここでこの五千を潰しておけば、エリマーレ軍に大きなダメージを与え、北進の意図を崩すことが出来る。作戦会議でロックス伯爵軍の指揮官は決戦を強く主張した。これ以上の領地での略奪を防ぎたいのだと訴える。なら、少しでも戦って略奪を妨害すれば良かったでしょ、と言いたくなる。
私もアスタームもここでの決戦には異論が無い。ただ、アスタームは「他の兵に逃げられても面倒だから、もう少し敵が集合するのを待ちたい」と主張した。それに対してロックス伯爵軍の指揮官は早期の決戦を主張した。
他の領主軍の指揮官も交えて色々話し合った結果、早期の決戦をしようという事になった。確かに、敵が集合して数がこちらよりも多くなってしまえば勝敗の行方は確定的では無くなってしまう。
「ふむ。どう思うね。ベル」
会議が終わり、二人だけになった時にアスタームが言う。
「もう決まりじゃ無くて?」
「であろうな。そうで無くても私や君の意見に反対するなど不遜だ。万死に値する」
ロックス伯爵軍の指揮官の事だ。色々とおかしい事があり過ぎる。この分だとロックス伯爵もグルかもね。まぁ、最初から彼がエリマーレ様寄りであるのは分かっていた事だから、首尾一貫しているということは出来る。
「ただ、あの男の率いている軍勢は惜しいな。千名は馬鹿にならぬ」
「じゃぁ、乗っ取っちゃいましょうか。別に兵士たちはあの男に忠誠心を抱いている訳じゃ無さそうだったし」
恐らく傭兵の類いで、お金で集められただけなのだろうから、誰に指揮されても文句は言わないと思う。私とアスタームは気軽な感じでやりとりして、方針を定めた。
そして翌朝、決戦のために陣を出立するロックス伯爵軍の指揮官は私になっていた。不思議そうな顔をするロックス伯爵軍の兵士達に私は馬上からにこやかに笑顔を振りまいた。
「今日から貴方達を率いるのは私になりました。よろしくね」
所詮は傭兵である。傭兵はお偉いさんの無茶振りには慣れているし、上から言われた通りに戦うだけだ。突然の指揮官変更にも「ああ、そういう事になったのか」という顔で黙って従ってくれた。これが昨日埋めてきたあの指揮官にもう少し人望があったなら、ちょっと面倒な事になるかもと思っていたので、何も起こらなくて私はちょっとホッとした。
夜の内にあの指揮官は私が暗殺してしまったのだ。あのまま行くとロックス伯爵軍が戦闘中に裏切る可能性は濃厚だと思われたので。そして当面、私がこの千名の指揮を執ることになった。軍勢の指揮なんてしたことは無いけど、アスタームの号令の通りに動けば良いんだから大丈夫でしょう。護衛の騎兵も付けてくれているし。
我が軍が前進すると敵も町から出て陣形を組み始めた。結構素早い動きで、それなりの練度はあるようだ。完全な烏合の衆ではないと見える。中央に歩兵の方陣を置き、左右に騎兵というオーソドックスな陣形だった。
ただ、こちらの方が数が多いのに、左右を広く取ったこちらを包囲しようとする陣形を構えているように見えた。これはあれね。アスタームの予想した通りだった。彼の考えた敵の作戦が当たっているとすれば……。
そして両軍は接近。そろそろ矢戦の距離になるかな? というタイミングで、黒い鎧のアスタームが右手を高く上げた。
「突撃せよ!」
アスタームが叫んで手を振り下ろすと同時に、バイヤメン辺境伯軍が誇る騎兵集団が雄叫びを上げながら一気に突入した。我が軍は中央に厚いバイヤメン騎兵集団。左右に領主軍を主体とする歩兵多めの部隊を配置している。私は左翼に配置されていて、突撃には加わっていない。
バイヤメン騎兵隊は敵の中央に一気に乗り入れると、これを爆砕した。突撃力、攻撃の破壊力共に、敵の傭兵集団が敵うはずが無い。その時、私の前方の敵集団が前進してきた。騎兵だがそれほど数は多くない。無造作に前進してきたその軍勢に、私は麾下の千名に命じて攻撃を仕掛ける。
「突入せよ!」
この敵が前進して後ろに回り込んでも困るからね。私の部隊の攻撃に、敵は何故か慌てたようだった。そうだろうね。この部隊はこの段階で裏切って、敵と一緒にアスタームを後方から襲う手筈になっていたのだろうから。私が敵を押し返している内に、アスタームは敵を決定的に撃ち破り、敵陣の中央を突破した。そして部隊を二つに分けて敵の左右両翼を背後から攻撃し始めたのである。
と、この時に、我が軍の後ろの山の中から敵軍が現れた。
これは集合に遅れたと見せかけて山に潜んだ敵の軍勢だった。我が軍が正面の部隊と戦い始めたら山から降りてきて、後方から襲いかかってくるつもりだったのだ。つまり我が軍は敵にこの盆地に誘い込まれたのである。当然、アスタームはそんな事は先刻承知だ。あの人は罠は噛み破る方針の男だからね。
敵の作戦はなかなか見事だったと思うわよ?
まず、ロックス伯爵領で略奪をして我が軍を呼び込む。この時にエリマーレ軍は統制の取れていない烏合の衆だという印象を強く持たせる。そして我が軍が接近したら集合してこの盆地に入る。そして半数を町に、半数を山の中に潜ませる。
そして、我が軍を盆地で包囲して殲滅する。その時にロックス伯爵の軍勢を我が軍に入り込ませ、裏切らせて我が軍を混乱させて勝率を上げるという算段だ。
アスタームが斥候で伏兵の様子を掴んでいなければ、上手く行ったと思うわよ? 怪しいと思って見ていたからロックス伯爵軍の指揮官の怪しさにも気が付いたわけだしね。
でも、作戦を完全に見抜いていれば、まず速攻で敵の正面軍を潰し、返す刀で後方の軍に相対すれば良いだけだ。裏切る筈のロックス伯爵軍を私が乗っ取ってしまえば敵の混乱を誘うことも出来る。
後方の敵が陣形を整える前に、前方の敵はアスタームによって包囲殲滅させられてしまっていた。バイヤメン辺境伯軍の強さは圧倒的だからね。そしてアスタームは残敵は放置して騎兵隊を集合させると、一気に前進して山から下りてまごまごしている敵軍に躍り込んだ。
アスタームが剣を振るう度に敵が血しぶきを上げて吹き飛び、それに続いて騎兵隊が槍を振るい剣を突く。敵は混乱して後退しようとする。
私は他の領主軍も動かして、その敵の後退を妨害した。包囲するつもりだった敵に、逆に包囲される事になった敵軍の心情は簡単に想像が出来るわよね。
混乱し、恐慌状態に陥ってしまった軍勢など、統制が取れる訳がない。逃げようとする者、戦おうとする者、どうしていいか分からない者の集合体となった敵は、アスタームの無慈悲な攻撃によって次々と死体へと変わっていった。
こうして僅か半日でエリマーレ軍は完全に壊滅した。ベルリュージュ軍の損害はほんの僅かである。この我が軍の一方的な勝利は帝国を震撼させ、この後の状況に大きな影響を与える事になる。
さて、そのまま盆地の町へ入り一晩休養した我が軍は、翌朝一気に進んでロックス伯爵領の領都へと向かった。南北街道沿いにある領都はかなりの人口を抱える城塞都市だったが、九千の軍勢であれば十分攻囲が可能だ。
突然領都を包囲されたロックス伯爵は驚き慌てて、私の元に意図を問う使者を寄越したが、自分の胸に聞いてみろと私は言いたい。
完全に包囲して逃げ道を塞いだところで、私はバイヤメンの隠密と共に密かに侵入して、ロックス伯爵を暗殺した。就寝中を襲ったのであっさりだったわね。その上で伯爵の家族は捕らえ、城門を開かせて我が軍を迎え入れた。
こうして完全に領都を占領した後で、私は領民にロックス伯爵は皇女である私に叛した罪で処刑したと発表した。領民からは特に怒りの声は聞こえなかったわね。まぁ、南部の村民を略奪されるまま見捨てるような領主だったしね。
私はとりあえずロックス伯爵領を私が預かる事にした。これも皇女としてだ。私はこれまであまり皇女であることを前面に出して来なかったつもりなのだが、領主の処分は本来皇帝の権限が無ければ出来ない事であり、最低でも皇女でなければ代行も出来ない事だったので、やむを得ず皇女であると公言したのだった。
こうしてロックス伯爵領は以降ベルリュージュ皇女領になり、我が軍の前進基地になったのである。この事は、私が遂にエリマーレ様と全面対決を決意したという、その意思を帝国中に示した事になってしまうのだった。
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