第五話-4 色々な思惑
山賊を追ったバイヤメン辺境伯軍は、街道が丘の間を通る場所に差し掛かった。この丘の前方でブルックナーの軍が山賊を通せんぼし、それをバイヤメン辺境伯軍が後ろから攻撃して殲滅する事に、なっていたのだ。だから本来は、バイヤメン辺境伯軍は一気に丘の関門に突入する手筈だった。
しかしアスタームはのんびりと軍を動かして、丘の間には侵入しなかった。
「警戒せよ」
むしろ騎馬隊を密集させ、襲撃に備えさせる。
そして前方で山賊とブルックナーの軍勢の戦いが始まるはずが、これが幾ら待っても始まらなかったのだ。アスタームは予想が当たっても少しも嬉しくは無かっただろうね。
しばらく待つと、街道を遡ってブルックナーの軍勢がやってきた。……山賊どもと一緒に。ブルックナーはにこやかに笑っていたのだそうだ。
「なんだ、見抜かれていたか」
「貴様が仕掛けた罠に嵌まるのは牛や羊くらいであろう」
アスタームは辛辣に言ったが、ブルックナーは余裕の表情を消さなかった。
「貴様を誘い込んで鏖殺する予定だったんだがな。まぁ、いい。少し手順が繰り上がっただけだ」
アスタームはフンと鼻息を鳴らす。
「北の大国の援軍が我が軍の後方にいるのであろう? 他国の手を借りるとは、落ちぶれたものだ。森の民も」
流石にそのアスタームの台詞にはブルックナーも顔色を変える。
「な、なんだと? それも予測していたというのか? ならばどうしてそのままノコノコと出て来たのだ!」
「知れたこと」
アスタームは既に抜刀していた剣を天高く掲げた。ほとんど同時に、バイヤメン辺境伯軍全員が同じように武具を天に突き上げる。アスタームは辺り一帯を震わせるような大音声で怒鳴った。
「罠を避けるよりも食い破る方が性に合っているからだ! いくぞ! 全軍突撃! まずはあの馬鹿者を踏み潰せ!」
「おおう!」
バイヤメン辺境伯軍はアスタームを先頭に、突然ブルックナーの軍に襲い掛かった。この時、ブルックナーの軍は辺境伯軍を逃がさないために、丘の関門の周囲に薄く広がっていた。そこへ密集した辺境伯軍が殺到したのである。ブルックナーはまさかアスタームがこんなに思い切り良く襲い掛かってくると思っていなかったのだろうね。
ブルックナーは慌てて迎撃を命ずるが、遅かった。彼の元に黒い狼のような騎影が殺到する。
「貴様程度がこの私を陥れられると思うな! 死んでから後悔せよ!」
アスタームが大剣を振り払うと、ブルックナーは一合も合わせられず馬上から斬り落とされた。結構剛勇の人だったらしいんだけどね。慌てていたせいもあるのだろうけど、アスタームの強さは普通じゃないから。
「蹂躙したら反転! 本番は後方の敵ぞ! 深追いするな!」
辺境伯軍は一気に森の民の軍を追い散らすと、そのまま円を描くように反転して、今度は坂道を登り始めた。すると、前方に隊列を整えつつある軍勢が現れる。北の大国の軍勢だ。数は二千以上。辺境伯軍の十倍だ。
しかしアスタームは一瞬の躊躇もしなかった。
「突入せよ!」
喊声を上げて辺境伯軍騎馬隊は敵の中に突入した。隠れていた森から出て来たばかりで、また陣形が整っていなかった敵軍は対応が遅れた。そこを突いて辺境伯軍は騎馬を踊らせて乗り込んだ。槍を突き、剣を払い、馬蹄で歩兵を蹂躙する。
敵は大混乱に陥った。しかしそれにしても敵の数は十倍だ。一部が戦っている間に、他は落ち着いて態勢を整えれば良いだけである。北の大国の将軍はそう考え、戦いが起こっている部隊をそのままに他の部隊を後方へ引かせて、陣形の再編を試みた。そうして、槍先を整えた上で坂道を駆け下ってアスタームの軍を突き崩せば良いという作戦である。
そうして敵の軍勢が坂の上側に逃れ、陣形を整えていた、その時だった。
その更に上、ナルスールの街の方から現れた軍勢が、一気に駆け下って北の大国の軍勢に突入したのだ。騎兵と歩兵の混成部隊は見事な陣形を保ったまま、位置の有利を生かした勢いで突撃する。北の大国の軍勢は突然の背後からの強襲に大いに動揺した。
この突然現れた軍勢こそ「対策」だった。ブルックナーの作戦を読んだアスタームは、率いた二百の他に一千の軍勢を領都から呼び寄せていたのだ。そして、それを時間差でナルスールの街から出撃させ、北の大国の軍を挟み撃ちにしようと考えたのである。
ちなみに、この援軍を率いているのは何とお義父上である辺境伯その人だった。当然、アスタームの弟であるカーロッソも従軍している。この一族血の気が多すぎじゃないかしら?
辺境伯はさすが、鍛えられた軍勢を熟練の指揮で自在に操り、北の大国の軍勢をドンドン追い立て踏み潰して行く。歩兵主体の北の大国軍に対して辺境伯軍は騎兵が多い。アスタームの軍勢に至っては騎兵だけだ。騎兵の突撃力、機動力を十全に生かして辺境伯軍は敵を翻弄していた。
しかしながら、それでも北の大国の軍勢は数が多い。そして見る限りかなり訓練を積んだ兵士達のようだ。辺境伯軍に翻弄されながらも崩壊はせず、必死に戦いながら陣形を整えようとしている。陣形を整えられると、二千と千二百な訳だから、戦いの行方は分からなくなる。それに、一度は追い散らされた森の民の軍勢も戻ってきて態勢を整えつつあるようだ。
北の大国の軍勢を一気に崩壊させる何かを起こさないと、辺境伯軍の勝利は難しくなってしまうだろう。負けはしなくても膠着し、北の大国が援軍を呼んでこの地を占拠するような事態になっても面倒だ。出来ればここは圧倒的に勝って北の大国と森の民に「辺境伯軍恐るべし」という恐怖を持ち帰らせ、しばらく北の国境の情勢を安定させたい。
そうしないと、帝国の方に安心して専念出来ないからね。北の方を気にしている内に、背中をエリマーレ様に刺されるのは避けたいのだ。
私は馬を下りて、森の中を駆け下った。眼下には後退した北の大国の軍勢が陣形を必死に再編しようとしている様子が見えている。騎馬に乗って何やら大きな声で叫んでいる者が居る。あれが敵の将軍だろう。予想外の事態、強兵の強襲にもパニックにならず、冷静に陣形を整えて勝機を伺うとは、中々の名将と見える。
つまりあれが、北の大国の軍勢の要だ。私はスティレットを抜いて持ち、木々の間を駆け抜ける。
「サーシャ、危ないから付いてきてはいけませんよ」
「そ、そういう訳には!」
サーシャが悲鳴を上げるが、私が加速すると彼女は付いてこられなくなった。来ない方が良いのよ。ちょっとここからは危ないからね。
私は勢いを止めぬまま一気に森から駆けだし、敵の軍勢の中に突入した。一人だし、足音は立てないようにしていたから、敵軍の者はほとんど気が付かなかったようだ。そしてあっという間に軍勢の間に入り込んだから、対処の時間も無かっただろう。
私は身体を低くした姿勢で一気に走った。敵の歩兵の間をすり抜け、馬の腹の下を潜り、兵士の誰何の声を無視して駆ける。そして、そのまま騎馬で部下達に命令を発している、煌びやかな武具を着た将軍の元に到達した。
考えない。考えると遅くなる。躊躇は更に遅さを生んで命取りになる。長年の修練と実戦で染みついた動きに頼って、私は一切スピードを落とさぬまま、跳躍して馬上の将軍に襲い掛かった。
鎧を着ている将軍にはスティレットを突き刺す隙間は少なかったが、この時は命令を発するためか兜を被っていなかった。つまり、頭ががら空きだ。
私はスティレットを驚愕の表情を浮かべる将軍の口から差し込んで後頭部まで貫いた。「がう!」っと将軍は叫んで剣を振って私を斬ろうとしたが、その時には私はもう将軍の身体を蹴り飛ばし、その勢いで後方へ宙返りを決めると、着地してそのまま逃走に移っている。将軍の生死は確認しない。まぁ、あれなら死ななくても戦闘不能にはなったはず。
帰りは流石に敵の兵士が次々と襲い掛かってきた。私は攻撃を避け、スティレットを振るい、返り血を大いに浴びながら必死に逃げる。これは中々きついわね。数が多すぎる。兵士が大声でなにやら叫びながら掴み掛かってくるのを、突き刺し、蹴飛ばし、投げ飛ばす。すると、私の方に向かっていた兵士が出し抜けに倒れた。
「ベルリュージュ様!」
サーシャと護衛の者が来てくれたようだ。私は彼らと合流して血路を開くと、敵の中を抜け出して森の中に駆け込んだ。
「無茶苦茶ですよ!」
サーシャが泣きながら切れてきたけど、文句はアスタームに言ってよね。あの人の作戦の方が大概無茶苦茶だわよ。
将軍を暗殺されて指揮系統が崩壊してしまった北の大国軍は脆かった。辺境伯率いる軍勢に突き崩され、アスタームの騎馬隊に翻弄され、遂にバラバラになってしまった。こうなればもはや軍勢ではなく烏合の衆だ。辺境伯軍は容赦なく追い立て、撃ち倒し、殺戮した。巻き込まれた森の民の軍勢も同時に討たれながら、街道を逃げ下って行く。辺境伯軍はそれをその日の日が暮れるまで追撃して、結局半数以上の者を討ち取ったようだ。
こうして、この戦いは辺境伯軍の大勝利に終わったのだった。
◇◇◇
後で知った事情だが、北の大国は帝国の内情がゴタゴタしている事を掴んでおり、好機とみて侵攻してきたのだそうだ。あわよくばナルスールの街を占拠するつもりだったのだろうという。
それが逆に撃ち破られ、大損害を被った。お陰でこの後しばらくは北の大国は辺境伯領への手出しを控えるようになり、結果的には私もアスタームも後顧の憂い無く帝国での戦いに集中出来るようになったのだった。
私とサーシャ達は敵を追撃していってしまった辺境伯やアスタームには合流せず、そのままナルスールに戻り、公館に泊まった。辺境伯軍が意気揚々と引き上げて来たのは翌日だ。倍の敵を完全に打ち破ったのだから兵士たちはご機嫌だったわね。戦果自慢をする大きな声でナルスールの街は大変賑やかなことになった。
おそらく誰よりも敵を斬って戦果を挙げたのだと思しき我が婚約者は、異名通りの血まみれ姿だったが、私が近付くのを見ると兜のひさしを上げて微笑んだ。
「無事だったか。ベル」
「お互いに。お怪我はありませんでしたか?」
「ああ。そちらこそ、大丈夫だったのか? 敵が突然脆くなった、あれは君の仕業だろう?」
バレたか。私は何食わぬ顔で微笑んだ。
「さて、余計な事でしたかしら?」
「いや、意外に頑強に抵抗されて困っていた。助かったぞ。流石は我が婚約者」
アスタームはそう言うと私の手を握った。それは良かった。彼の役に立てたのなら、一宿一飯の礼くらいにはなったかしらね。私とアスタームが手を取り合って微笑み合っていると、銀色の鎧を身に付けたバイヤメン辺境伯がやってきてそれは楽しそうに言った。
「ベルリュージュ。この勝利は其方のお陰だ。其方の功績には厚く報いるぞ。何でも言うが良い」
いえいえ。別に何も求めるものなんて有りませんよ。既に良くして頂いておりますし。私はそう思ったのだが、それを聞いてアスタームの方が歯を見せて凶暴に微笑んだ。
「父上。そんな事を言ってベルリュージュが『女帝になるのに協力せよ』と言ったらどうします?」
そんな事は言いませんよ。私は呆れたのだが、辺境伯は真面目な表情でこう言った。
「ふむ。ベルリュージュの器は帝国を率いるのに十分だと、私も思う。だから、ベルリュージュが『望むのであれば』協力は惜しまぬ」
……私は望みませんよ。だが、アスタームはうんうんと満足そうに頷いた。
「その約束、忘れぬようにして下さい。父上」
この時の私は、私が女帝になりたいなんて言うはずが無いのだから、そんなお約束は意味がありませんよ、と思っていたのだった。しかしながら、結局はこの時の約束が、私と帝国の未来を大きく変えてしまう事になるのだった。
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