第五話-3 色々な思惑
アスタームはすぐに船を出して、領都から兵と馬を送らせた。バイヤメン辺境伯領の場合、領都に一千の兵を常時駐留させているし、家臣に声を掛ければすぐに五千くらいの兵は集まるのだそうだ。血の気が多すぎるわね。
装備を整えて、私たちは馬に乗って崖沿いに造られた街道を北へと下っていった。私も馬を借りて騎乗している。当たり前のように皇女であり貴族令嬢である私が馬に乗っていても誰も不思議に思っていないようなのは、流石は辺境伯軍よね。
ちなみに乗馬技術も母に習った。それこそ生まれる前から離宮に作らせた馬場で馬に乗っている。でも、馬は平気なのに船はダメっていうのも変よね。同じように揺れるのに。
今回は全軍を騎兵に統一したので、速度は早く、朝早くに出て朝露が乾き切る前には目的地に到着した。山賊が出る位置はここよりももう少し下の方。街道が小さな丘と丘の間を通過する場所で、確かに盗賊が隊商を襲うには都合が良い地形だということだった。
この近くの廃集落に盗賊は潜んでいるらしい。二百騎のバイヤメン辺境伯軍は、約束の場所でブルックナーの一族の騎兵二百と合流する。バイヤメン辺境伯軍を見て、ブルックナーは少し不満そうだった。
「なんだ。少ないな。倍くらいは連れてくると思ったのに」
アスタームは苦笑した。
「無茶を言うな。昨日の今日だぞ? それに数十人を相手にするなら十分な筈だ」
そしてブルックナーは軽装鎧に身を固めて騎乗している私を見て驚いた様子だった。
「なんと! 婚約者も連れて来たのか?」
「戦見物がしたいと言うから連れてきたのだ」
いやいや、無理があるでしょう。普通、貴族令嬢は馬になんか乗れないし、戦見物がしたいとも言わないわよ。でも、ブルックナーは疑わなかったようだ。蛮族の女性なら普通の考え方なのかも知れないわね。
そして両軍は打ち合わせた。バイヤメン辺境伯軍が上、つまり辺境伯領側から。下、つまり森の民の領域側からブルックナーの軍が向かい挟み撃ちにして殲滅する。ブルックナーの軍は街道の谷間で待ち伏せする。バイヤメン辺境伯軍が山賊を根拠地から追い出して、罠に追い込む役目だ。ブルックナーが提案して、アスタームが了承した。
山賊は日が一番高い時間は寝ている筈ということで、その時間までに配置に付くことになった。ふむ。移動しながら、私とアスタームは馬を並べて歩かせて少し話す。
「ずいぶん適当ね」
「そうだな。粗雑だ。ただ、森の民の企みなどこんなものだ」
バイヤメン辺境伯軍は配置に付き、時間を待った。
そして、太陽が一番高くなった時に動き出した。バイヤメン辺境伯領から続く巨大なU字谷は、巨人が指で削り取ったかのようにこのまま麓まで延々と続いているらしい。岩と草原と森が入り交じっていて、変化に富んでいる。何度もバイヤメンと森の民の戦いが行われていて、巻き込まれているので、廃集落も多いのだとか。山賊はそういう廃墟に巣くっているという。
移動しながらアスタームは鋭い視線を周囲に向けて放っていた。私もそれとなく観察する。やっぱり思った通り、あちこちで気配がした。
バイヤメン辺境伯軍が山賊がいるという廃墟に、特に身も隠さず近付くと、あっという間に発見された。ここは発見されても良いのだ。逃げさせて、目標地点で挟み撃ちして殲滅するのが目的なのだから。
山賊達は大騒ぎで馬を用意しては飛び乗って逃げ始める。大騒ぎだ。慌てている。それが分かる。うーん。
「三文芝居ね。酷いわ」
「まぁ、プロの役者じゃ無いんだから見逃してやれ」
ということで、辺境伯領軍は特に何もせず山賊どもが泡を食って逃げるのを見逃し、ゆっくりと追撃に移った。
「慌てることは無い。陣列を乱すな。周囲を警戒せよ」
アスタームはそう言って、自分の真っ黒な鎧の兜を被った。鎧のひさしの隙間から赤い目がギラッと輝いた。
「もう良いぞ。ベル。好きにやれ」
あらそう? 今日はアスタームの背中を護る事に専念しようと思っていたんだけど。
「君に背中を任せたら、いつ背中から刺されるかと気が気ではない。サーシャと護衛二人を付ける」
そういう事なら。私はサーシャ(当たり前のように馬に乗っている)と他若者二人を連れて森の中でこっそり辺境伯軍から別れた。サーシャが不思議がる。
「どういうことですか? どこに行くのです?」
そうね。私はポクポクと馬を歩かせながらサーシャに説明した。
「今回の戦いが、ブルックナーと森の民の仕掛けた罠だってことはサーシャにも分かってるわよね?」
サーシャの目が点になる。
「は? どういう事なんですか? そんな事は知りませんよ!」
護衛の二人も目を丸くしている。あら。そこから解説が必要か。
「森の民としては、湖のこちら側にバイヤメン辺境伯の勢力圏が拡大することは防ぎたい筈よね? なのに、こちらに辺境伯軍を呼び込んだ。これがもう既におかしいのよ」
バイヤメン辺境伯はイコール帝国軍だ。森の民、というより北の大国は帝国が北側に拡大することに、非常に神経質に警戒している筈なのである。これは帝都のいる頃に、何度か皇帝陛下の元に北の大国の使者がやってきて、その口上をエリマーレ様の後ろに控えながら聞いたから知っている。何度帝国が否定しても「帝国は常に北への野心を持っている」と批難されたものだ。まぁ、アスタームが戦いの度に森の民の領域で暴れ回ったせいもあるんだろうけど。
だから、バイヤメン辺境伯軍が少数でも軍を率いて森の民の領域に侵入することは、警戒されて当たり前の行為なのである。それなのにブルックナーはアスタームに援軍を要請した。山賊退治というもっともらしい理由があったとしても、これは森の民と北の大国にとっては非常に危険な行為だ。
アスタームにその気があれば、この山賊騒ぎをきっかけに大軍を送り込んでもおかしくはなかった。兵を出すのにはきっかけがいる。ブルックナーの要請で軍を送り込むというのは立派な名目になる。もちろん、当面バイヤメン辺境伯には北へ領域を拡大するつもりは無いし、その余裕もない。しかし、大軍を呼び込んでしまう危険性を考えずにバイヤメン辺境伯領に援軍を要求するという事が、北の大国の視点に立てばまずあり得ない。
「だから、それなのにあえてバイヤメン辺境伯軍を呼び込んだという事は、何か企みがあると考えざるを得ないのよ」
必要が無いのに、危険な軍勢を自分たちの領域に呼び込みはしないわよね、普通。その必要とは、辺境伯軍にダメージを与える事だ。それが出来る状況が出来上がったから、辺境伯軍を呼び出した。アスタームとも旧知であり、辺境伯と関係が良いはずのブルックナーを使って。
辺境伯軍を殲滅してナルスールの街を占拠する。そうすれば辺境伯領、ひいては帝国は大ダメージを被る。恐らくそれを狙っているのでしょうね。かなり大規模な企みだから、数百の兵も容易には動かせないという森の民だけの策とは思えない。恐らく北の大国の思惑と援助があると思うのよね。援軍も出ているでしょう。
私達はちょっと森を伝って谷の西側の高いところまで上った。そこからは谷底の様子がよく見えた。中央付近を街道が通っていて、北の、下の方に街道が丘の間を通過する部分が見える。
「多分、山賊があの丘の間を通過して、それを辺境伯軍が追撃したら、丘の上から森の民の軍が攻撃して、更にその後ろ、あの辺の森に潜んでいる軍勢が飛び出して後背を塞いで包囲、そして殲滅するという作戦だと思うわ」
サーシャが驚愕の表情を浮かべる。
「そ、そんな事をされたら我が軍は大変な事になります! アスターム様でも切り抜けられるかどうか」
無理ね。ここからよく見ると、森の中に潜んでいる軍勢がちらほら見えるけど、多分千人じゃきかない位の軍勢がいるようだもの。二百の兵ではどうにもならないだろう。ブルックナーが兵の少なさに文句を言ったのは、この作戦でもっとバイヤメン辺境伯領軍を減らすつもりがあったからだろうね。つまりそれくらいの伏兵がいるのだ。
「ど、どうしましょう! ベルリュージュ様!」
サーシャが焦っているけど、私が言ったことはアスタームはとうにお見通しで、対策も考えている。ただ、思ったよりも敵の数が多そうだ。対策で間に合うのかどうか。
それで気が付いた。アスタームが私を自分の側から離したのは、思ったよりも苦戦しそうで危ないから、私を包囲される戦場から離すためだったのではないだろうか。不器用な気遣いだ。……いや、どうかな。あの男なら私のやりそうな事などお見通しの気もするけど。
遠目に見ていると、バイヤメン辺境伯軍が山賊を追って丘の方に駆けて行くと同時に、その後ろで森からわらわらと兵士や馬が走り出てきた。数は恐らく、バイヤメン辺境伯軍の十倍はいよう。つまり二千くらいだ。やはり私が考えていたよりも多い。
「対策」では間に合わないかもしれない。アスタームの剛勇とバイヤメン辺境伯軍の強さなら何とかしてしまうのかも知れないが、戦であるから何が起こるか分からない。ここで私をエリマーレ様から護ってくれているバイヤメン辺境伯軍が大敗して、勢力を衰微させられるのは困る。せっかく少しは良い雰囲気になってきた婚約者を失うのも避けたいところだ。
よし。やっぱり私も働こう。バイヤメン辺境伯の次期夫人としての初仕事だ。戦場での。
私は馬首を巡らせて坂道を駆け下り始めた。サーシャが慌てて追従しながら叫ぶ。
「何をするおつもりですか! ベルリュージュ様!」
私は何でも無いような口調で言った。
「敵の大将を暗殺するのよ」
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