第五話-2 色々な思惑

 別にいきなりラブラブカップルになったわけではなかったけどね。私もアスタームもそういうタイプでは無い。


 ただ、この一件でアスタームが私を愛するつもりがある事が分かったのは大きかった。お互いに愛し合おうと務める約束するという事は、それは実際的にはもう愛し合っているのと同じようなものだ。


 そうなればよそよそしさは無くなるし、二人の空間の居心地は格段に良くなる。私たちはようやく、婚約者らしい雰囲気になってきたのだった。


 サーシャの話では、アスタームは以前はそれなりに女好きで、恋人も複数いた(これはゲームの質問でも聞いた)らしいのだが、婚約してからはそういう恋人との関係を絶っているらしい。彼にはそういう律儀さもある。


 こうして、僅かな悩みの種だったアスタームとの関係を改善した私は、ようやく将来に対する展望を考える余裕を得たのだった。これまではその場しのぎを続けていたに過ぎない。アスタームと上手くやって行けるのなら、辺境伯夫人としての展望を考える必要がある。


 バイヤメン辺境伯領は結構広い。領都があり、湖を挟んで向こう側にも街がある。そこもバイヤメン辺境伯領だ。


 北の大国から延々と繋がってきた街道は、湖の向こうの街で一旦終わり、そこから湖の上を船で渡り、そして領都でまた陸路になって、帝都まで続いて行く。なんでまたそんなに面倒な手順になっているのかと思うのだが、陸路で急峻な峠を越えるより湖を渡った方が楽だし早いのだそうだ。


 辺境伯領の大きな収入源がこの湖の通行料なのであり、辺境伯領にとってはこの湖の両端の街を確保することは経済的にも安全的でも非常に重要な事だった。同時に帝国全体で考えてもこの地の防衛は、北の蛮族や北の大国から帝国を守るためには重大な意味を持っている。


 私はアスタームが視察に出るのに付いて湖を渡って対岸の街まで行ってみることにした。街が形成出来るほど巨大なU字谷を埋め尽くす湖で、対岸の街までは順風で半日くらい掛かる。風が悪ければ櫂で漕いで進むから夜明けから日暮れまで掛かるそうだ。


 この時に判明したが、私は船に弱く、物凄い船酔いに襲われた。アスターム曰く大した揺れでは無いとの話だったのに、いとも容易くこの私が気持ち悪くなって伸びてしまった。まさかの弱点だ。アスタームが慰めてくれるには、何回も乗っている内に慣れるとの事だったが。


 ふらふらになりながら対岸の街に上陸する。陸地に上がってからもしばらくは平衡感覚がおかしかったわね。こんな状態で刺客に襲われたら大変だから、私は極力船には乗らないようにしようと心に誓った。


 対岸の街はナルスールいう名前で、湖の北の淵を取り巻くように広がっていた。街の端の城壁の向こうは急峻な崖で、街を北に広げる余地は無い。街道は辛うじて形成された桟道を通って街まで登って来るのだ。


 ちなみに、湖の北の出口は街の西側で大瀑布になっている。見事で雄大な景色だが、湖の水位が上がった時にはナルスールの街まで水がはみ出て、下手をすると城壁まで滝の一部になってしまうらしい。


 ナルスールから麓までは馬車で二日だというので、南の帝国側よりも掛かる。ただ、山の傾斜自体は帝国側よりも緩い。北の蛮族は騎馬民族でもあるので、馬を乗り換えつつここを一気に駆け上り、ナルスールの街は何度も戦場になっているらしい。


 バイヤメン家が帝国に帰順してから、ナルスールの街には北の蛮族が攻め寄せて何度も戦場になったが、街が陥落したことは無い。ここからアスターム以下辺境伯軍は飛び出して峠を駆け下り、北の蛮族を何度も撃ち破ってさえいる。


 さて、この北の蛮族だが、正直私は辺境伯料に来るまでよく知らなかったのだけど、アスタームや他の家臣たちから話を聞く限りでは「蛮族」というほど蛮族ではないようだ。まぁ、帝国では帝国にまつろわぬ民はみんな蛮族と呼び習わす習慣があるんだけど。


 正確には帝国とは違う文化圏の人々というべきであり、文化を持ち文明的な生活を送っているという意味では帝国の人々と変わらない。


 彼らは基本的には農耕をせず、狩猟採取生活を送っている。ただ、牧畜はしているそうで、定住して牧畜をしつつ、狩猟採取する者たちは町から数日掛けて遠征をするのだそうだ。


 森の恵みが豊かであることと、北の大国と帝国との通商路に住んでいて、その中間利益を得るようになった事で、農耕を必要としなくなったようだ。森で採れたものと穀物を取引すれば確かに農耕を自分たちでする必要は無い。


 食料を輸入する関係から北の大国との繋がりが強く、帝国側に付いたバイヤメンと争うようになってしまったが、元々の関係は悪くなかったそうである。確かにバイヤメン家の家臣たちには北の蛮族の血を引く事をしめす黒髪は多かった。


 バイヤメン家が湖の南側の、つまり帝国寄りに領都を定め、領地経営の比重を帝国寄りに置いたこと、この百年くらい帝国の情勢が安定し発展して、帝国との交易が増えたこと(つまり食料を帝国に依存するようになった)事が、現辺境伯が帝国に帰順した理由だったのだそうだ。


 そのため、心情的には北の勢力に近い家臣も多いらしい。帝都の風習を軟弱だと考えている家臣がそうなのだろうね。ただ、今更後戻りは出来ない。帝国編入以来のバイヤメン辺境伯領は帝国への依存を強めているので。


 視察を終え、また船に乗るのか、と私がガックリしていると、アスタームの元に一つの報告が入った。


 北の蛮族の一部族が使者を送ってきたという報告だった。そのような使者はよくやって来るそうだ。使者がナルスールに到着すると速船が領都に向かい、対応するために大体アスタームが出向くのだそう。


「手間が省けた。ちょうど良い」


 ということで、アスタームはナルスールにある辺境伯の公館に入って、使者を迎える事になった。ナルスールは土地の広さに制限がある土地柄のため、公館といえど小ぢんまりとした屋敷だった。石造りで装飾も何もあったものではない。ただ、方々に帝国から輸入した色鮮やかなタペストリが下げてある。


 接見室において使者を出迎える。アスタームと私は並べた椅子に座った。本来は最上位の皇女である私が少し高い位置に置いた椅子に座り、領主代理のアスタームは一段下に置いた椅子に座るべきだが、どうせそんな事は北の蛮族には分かるまい。同格の婚約者であるという事が示れば十分だろう。


 北の蛮族の使者は黒髪黒目で色黒。それほど大きくはないが体格はがっしりしていた。マントのような服を何枚か重ねて、頭には円筒形の帽子を被っている。マントは数色が使い分けられており、意外に色鮮やかだ。


「久しいな。アスターム殿」


 三十代半ばと思しき使者は随分と馴れ馴れしくアスタームに呼び掛けてきた。


「なんだ。ブルックナーではないか。もったいぶって使者だなどと言うから何者が来たかと思ったではないか」


 アスタームも破顔して立ち上がると、ズカズカとその男性、ブルックナーに近寄り、手の甲同士をゴツンとぶつけ合わせた。


「二年ぶりくらいか? よもや衰えてはおるまいな? ええ?」


「ぬかせ。まだ小童には引けはとらんさ。それよりヌルい帝国と付き合ったせいで貴様の方が衰えておらぬか心配だ」


 二人は挑発し合うと二人して大きな声で笑い合っていた。どうやら旧知の間柄で随分と仲が良いらしい。


「ベル。こいつはブルックナーだ。昔からの知り合いだ。ブルックナー。こちらはベルリュージュ。私の婚約者だ」


 あからさまに婚約者と言われると、ちょっとビクッとなるわね。ブルックナーは驚いた顔をして私をマジマジと眺めた。


「なんと! 嫁をもらうと言うのか! ほう……、すいぶんちんまりとした女ではないか。貴様の好みはもっとこう……」


 ブルックナーは手でなんか豊満な女性の曲線を描いていたけど、アスタームの好みがそういう女性だというのはこの間聞いたから知っているわよ。


「好みが変わったのだ」


 とアスタームは嘯いた後、ブルックナーに椅子を勧めた。


「ブルックナーの一族は『森の民』の中でもバイヤメンに近しい一族なのだ」


 北の蛮族の自称が「森の民」なのだという。森の民はいくつもの一族に分かれていて、互いに争ったり協力したりを繰り返しているらしい。


 ブルックナーの一族は森の民の中でも有力部族なのだそうで、それがバイヤメン辺境伯に味方しているという事実は大きい。つまり北の蛮族=森の民は全体がバイヤメン辺境伯、ひいては帝国に対抗しているわけではないという事だ。


 そのブルックナーの一族(ブルックナーは族長の息子だそうだけど)がバイヤメン辺境伯領に何の用なんだろうね。


「ちょっと手が借りたくてな」


 とブルックナーが何でもなさそうに話し始めた内容はこうだ。


 何でも、このナルスールから麓方向に半日ほど下った辺りに山賊が出ているらしい。それが交易商人を襲って困っているという話だった。


 人数は数十人で大したことは無いが、ブルックナーの一族の領域からは少し遠く、どちらかといえばバイヤメン辺境伯の領域に近い。


「なので、我が一族も協力するから、バイヤメンの者達で退治しないか」


 という事だった。つまりバイヤメン辺境伯軍と、ブルックナーの一族の兵で共闘して山賊を殲滅しようというのだ。


 私は色々おかしいな? と感じてはいたが黙っていた。私は当地の事情に詳しく無い。何か私の知らない取り決めや風習があると困る。


 アスタームは少し考え込んではいたが、やがて鷹揚に頷いた。


「良かろう。久しぶりにブルックナーの戦いぶりも見てみたいしな」


「おう、決まりだな!」


 と男二人は楽しそうに手を打ち合わせ、ブルックナーは機嫌良さそうに引き上げていった。


「さて、どう思うね? ベル」


 ブルックナーが去ると、アスタームは私の隣の椅子にドッカリと腰を下ろした。横目でニヤニヤと笑っている。私は肩を竦めた。


「罠でしょう? あれ」


「どうしてそう思う?」


 だって、どちらかといえばバイヤメン辺境伯の領域に近い場所に出没する盗賊を退治するのは、辺境伯軍の役目だ。困っているならブルックナーはアスタームに「盗賊がいるからなんとかしろ」と言えば良い。それなのにこちらも軍を出すから、そっちも出せというのは、中途半端でおかしいと思う。


 アスタームが盗賊退治する時に、共に戦うと見せて軍を出し、頃合いを見て裏切る。ありがちな罠よね。


「ふむ。そういう考えもあるか。ブルックナーの一族では数十人の盗賊を殲滅するのが難しいというのは本音だとも思うぞ」


 ブルックナーの一族が出せる戦士の数は最大で一千人が良いところだという。数十人の山賊を殲滅するには五百人くらいの兵力が欲しいが、この人数を派遣するには物凄い費用がかかる。それに男手がそんなに抜けたら派遣している間、一族の生産活動(彼らの場合は狩猟と牧畜)が止まってしまうだろう。


 でも、ならばなおさら辺境伯軍に全てを押し付ければ良いのでは無いだろうか?


「そうすると、山賊が出る山腹の一帯で、バイヤメン家が治安を守ったという実績が出来て、その一帯が辺境伯領と看做される事になる」


 その辺で牧畜をしている民は現在では森の民の一部族なのだが、これがバイヤメン辺境伯領民に組み入れられる結果になってしまうらしい。


 それを防ぐには双方が軍を出して協力したという状況が必要であるらしい。なるほどね。


「だから、その面ではおかしな事は無いと思うのだが、他にもおかしいところがある」


「そんなに近くに山賊が出ているのに、ナルスールの者達が知らなかったのはおかしいわね」


「そこだな」


 私とアスタームは今日、たまたまナルスールの街を視察し、この町を管理している家臣や、防衛している兵士、それに商人も呼んで要望などを聞いたのだ。その過程で、山賊の話は一度も出なかった。数十人規模の山賊が、森の民が困るくらいの被害を出していたのなら。噂ぐらいは聞こえただろう。


 つまり、山賊の話はちょっと臭いのだ。その嘘臭さがどの方面の企みによるものか、で対応が色々異なって来るんだけどね。


「まぁ、行けば分かる。速船を仕立てて領都から軍を呼ぶとしよう」


「誘いに乗るつもりなの?」


「罠があるなら撃ち破れば良いだけのこと。そうして隠れている黒幕を引き摺り出した方が、後々の面倒は少なくなるだろう」


 なんとも、自信過剰なのかただの阿呆なのか。私の婚約者は。臆病でないことだけは事実のようだけど。


「婚約者様がその気なら私も行くしか無いわよね」


 この突き進む男の足元や背中を狙う者から守るのが、私の役目なのだろうからね。

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