第五話-1 色々な思惑

 アスタームと私の関係はあんまり良くは無かった。


 別に、険悪では無いし、私だって彼が嫌いな訳ではない。なにしろ婚約者で近い将来結婚しようと考えている相手なのだ。だから私は彼を気に入ろうと努力さえした。


 彼には良いところが沢山有る。まず、黒髪赤目の非常な美男子だし、背も高く体付きもたくましく、笑顔も少し野性味があり過ぎるがまぁ、素敵だ。


 野蛮で粗野な所があり、戦場では残忍ではあるけど、私を含む女性には優しくて礼儀正しい。これは辺境伯夫人の教育の成果であるらしい。なので、彼は城内城外問わず女性に大人気だ。


 性格も謀を巡らせる所や、狡猾な面もあるけど、それほど捻くれてはおらず、田舎者らしく実直な面もある。やや強引な所はあるけど、人の話をよく聞いて自分の誤りを認める柔軟さも持っている。


 正直、いい男だと思う。うん。私だって帝都時代、いろんな男性を見てきた。時には貴族男性に言い寄られた事だってあった。そうして見てきた男性の中でも、アスタームはピカイチいい男だと思うのよね。


 ……でも、なんだか気に入らないのだ。


 どこという訳ではないけど、何か気に入らない。そういう感じなのだ。上手く説明出来ないのよね。


 アスタームの方も私の事を、心底は気に入っていないのでは無いかと思われる節もあった。まぁ、妹をズタボロにした女に好感を持てないのも無理は無いと思うけど。


 朝食を一緒に食べ、たまにはお茶も同席するし、なんなら最近は訓練場で一緒に訓練をすることもあるから、アスタームとは結構一緒にいるんだけどね。


 そういう時、アスタームは本音を隠している気がするのよ。なんだか煮え切らない、私にもう一歩を踏み込んでこない態度に見えるのね。


 私の方はもうあけすけに何でも言っているのだから、彼の方にも本音を話して欲しいのだ。それは、私達は純然たる政略結婚で、彼にとって必要なのは私の皇女としての血筋だけなのかも知れないけれど。それならそれで腹を割って、私に何をどうして欲しいのかを言って欲しいのだ。


 でも、アスタームは儀礼的に優しく丁寧に応対してはくれるけど、私に対する要求はほとんど口にしない。まだしも帝都や辺境伯領までの道中の方が野心や欲求を口にしていたような気がする。それが辺境伯領に来てからだんだんと大人しくなってしまって、本音を隠すようになってしまった。それがなんだか気に入らないのだ。


 帝都であんなに強引にプロポーズして、攫うようにして辺境伯領に連れてきたくせにどういうことなのか。私を女帝にして自分はその配偶者として実権を握る計画を裏で着々と実行に移しているのだろうか? 私は女帝になる気なんか無いと言っているから内緒にしているのだろうね。


 そんな事を私も思っているものだから、どうもアスタームとは完全に打ち解けないし、朝食で同席しても事務的な会話しかしなくなる。辺境伯と夫人。そして城内の家臣の者達やその夫人とはかなり打ち解けて、楽しく付き合えるようになった分だけ、アスタームが少し遠ざかったような気さえするのよね。


 私がそんな不満を内心で抱えていたある日のこと。


 私はその日、訓練場に出向いていた。円形の訓練場では騎士や兵士、そして尚武を尊ぶバイヤメン辺境伯領の気風から、家臣達が出入りしては身体を鍛えたり剣を打ち合ったりしている。私も動きやすい男装に着替えて、週に二三度はここで身体を動かしていた。


 ここで訓練する時は、スティレット以外の武器も使う。私は母に一通りの武器の使い方を習ったから、槍でも弓矢でも使える。特に弓矢はスティレットと並ぶくらいの得意武器だった。この日も私は弓矢を取り、訓練場に近接する射撃場で弓を引き始めた。


 バイヤメン辺境伯で使われている弓には二種類あり、一つはかなり大きく矢も長い長弓で、遠距離攻撃に使われる。これは北方の蛮族が多用する武器らしく、遠距離から一方的に攻撃される事を防ぐためにバイヤメンでも伝統的に使われているのだそうだ。


 もう一つは複合素材を使い、小さくても強く弦を張れるようになっている短弓だ。これは騎乗しながら引けるようになっていて、騎兵が携える事が多い。


 私は両方試してみて、短弓の方が私向きだと判断した。私はそれほど力が無い。それに動きの速さが身上だから、大きくて長い長弓は邪魔になる。それほど強い弓では無く、接近しての狙撃や権勢に使える短弓の方が良いだろう。


 ということでこの日も私は二十歩ほど離れた所にある目標に向けて弓を引いていた。短弓でももっと距離のある所から練習している者もいるけど、私としてはこの距離くらいで使う機会が多いと思うから。いや、もう使う機会が無いに越したことは無いんだけど。


 すると、いつの間にか私の横にアスターム様が立って私の事をジッと見ていた。何を言うでも無く私が弓を引く姿を見て、そして自分でも練習用の弓を取り、何射かして、また私の事を見ていた。あんまりジロジロ見られるのはちょっとやり難いわね。


「何ですか?」


「……いや、熱心だな、と思ってな」


 この日のアスタームの口調も煮え切らないものを感じさせた。この所の彼はいつもこんな感じだ。言いたいことを全部は言わない感じ。そりゃ、よそ者の私には言えないことは沢山有るんだろうけどね。と、私はまたモヤモヤしてしまった。こういうモヤモヤが積み重なって、彼への印象がいまいち良くないものになっているのだと思う。


 私は考えた。これ以上彼への印象が悪くなってしまうと、結婚してから完全に上手く行かなくなってしまうかも知れない。私としてはそれは避けたいのだ。私の母は皇帝陛下の愛妾だけど、父との仲は非常に良く、お二人が仲睦まじくしている様子を私はずっと見て育ったのだ。出来れば私だって夫とあれくらい仲良く暮らしたいのだ。


 アスタームだって同じだと信じたい。私をお飾りの妻にして、愛情は愛人で満たす気であれば話は別だが、今のところ彼に熱烈な付き合いの愛人がいるとは聞いていない。彼のたった一人の女性になるとまでは言わないけど、妻として愛して尊重して欲しい。


 ……彼の本音が知りたいのよね。そうだ。私は一計を案じた。


「アスターム。ちょっとゲームをしましょうよ」


 私の突然の提案に、アスタームは目を丸くした。


「ゲーム?」


「そう。射撃のゲームよ。ルールは簡単。お互いに矢を射って目標に当てて、より良いところに命中した方が勝ち」


 射撃場の目標は藁で出来た人の形をしている。あれを狙ってより的確な射撃が出来た方が勝ちだ。


「で、勝った方は負けた方に質問出来るの」


「質問?」


「そう。何でも質問して、負けた方は何でも答えなきゃいけない」


 アスタームは呆れたような顔をして、それから苦笑した。


「なんだそれは。何の意味があるのだ?」


「別に? 貴方の事が知りたいだけよ。貴方だって私の事で知りたいことがあるでしょう?」


「私の何が知りたいと?」


 そうね。私はニコッと笑って言った。


「夫になる人のことだもの。根掘り葉掘り知りたいわ」


 アスタームは考え込んだ。だが赤い目は面白そうな色を浮かべながら私から離れない。


「そうだな。確かに君について知りたいことは沢山有るな。よろしい。乗った」


 そうこなくっちゃ。私とアスタームはルールを取り決めた。二人同時に弓を射て、目標に当て、どちらが有効な一撃になったかは話し合って決める。微妙な時はやり直し。


「全部私が勝って、君は何も知ることが出来ないかも知れないぞ?」


「大丈夫よ」


 別にそれでも良いのだ。彼が私の何を知りたいか、を私が知ることが出来るから。それに、私の射撃の腕を舐めないでよね。ふふん。


 ということで私とアスタームは二人して射撃場に立ち、同時に同じ目標に向けて矢を放った。アスタームは流石の強力で、こんな近距離からだと目標の藁人形を射貫いてしまう程だったわ。それだと勝敗が分からなくなるから、彼は少し手加減を余儀なくされたみたいね。


 最初の一射は両方頭に当てて引き分け。次は私が頭に対してアスタームは肩だった。私の勝ちね。アスタームは苦笑いして私に向けておどけて降参の姿勢をして見せた。


「君の勝ちだ。さぁ、どうぞ」


 私は殊更笑顔を浮かべながら、言った。


「好みの女性のタイプは?」


 随分と意表を突いた質問だったのだろう。アスタームは目を丸くしていた。


「そんな事が聞きたかったのか?」


「そうよ。婚約者としては気になる所だと思わない?」


 私が言うと、アスタームは唖然としたように口を開けてしまった。多分、私を女帝にどうやってするつもりなのか、とか、帝都への進出はどう考えているのか、とかを聞くつもりだとか、政治的な計画についてのあれこれを聞く気だと思っていたんじゃ無いかしらね。


 でも、私にはその辺りはどうでも良いのだ。私は辺境伯に保護されている身だし、生殺与奪の権利は辺境伯とアスタームに委ねているとさえ言える状態だ。アスタームが私を利用するつもりなのは分かり切っていて、私としては死なない限りは彼に利用されることは甘受する方針である。


 大事なのは、アスタームを信用出来るか、信じられるか。夫婦として信頼関係が構築出来るか。彼に命を預ける気分になれるかどうかではないか。愛し合うとまで言わなくても信じ合える夫婦になれなければ、これから必ずやってくる大きな困難を、二人して乗り越える事など不可能だろう。


 私は彼を信じたいのだ。だから彼の事をもっと知って、その心の本当の部分に触れて、ちゃんと通じ合いたい。そして彼にも私の事をもっとちゃんと知ってもらって、その上で信頼関係を結びたい。そのためのこのゲームだった。


 アスタームは驚いていたが、すぐに表情に理解の色が浮かんだ。


「……そうだな。好みの女か。豊満で、抱き心地の良い女が良いな」


 豊満とはほど遠い婚約者を前に言うことですか? と突っ込みたくなるが、これは彼も本音で答えてくれているというなのだろう。そう前向きに解釈しよう。


 次はアスタームが勝った。彼は少し得意そうな顔で言った。


「君の好きな男性のタイプは?」


 私はハキハキと答えた。


「優しくて、正直で、嘘を吐かない殿方に惹かれますね」


「そうか。ならば君は理想の婚約者を得たわけだな」


 いけしゃあしゃあとまぁ。という感じだが、確かにアスタームは優しくはある。正直で嘘を吐かない、のかも知れない。意外と。


 それからも私とアスタームは勝ったり負けたりをしながら、お互いに些細な、それでいて重要な質問を相手に投げかけた。「子供の頃好きだったものは」「嫌いな食べ物は」「好きな色は」「得意な事は」「泳げるか」みたいな事。「子供は何人欲しいか」「して貰いたくない事はあるか」「今の生活に満足しているか」「浮気はどこまで許されると思うか」みたいな今後の生活の展望。「得意な武器は」「苦手な戦いの状況は」「何人なら同時に相手に出来るか」のようなちょっと血なまぐさい質問もあったわね。


 そうやって質問しあっている内に、私もアスタームも、少しずつ本当の意味で打ち解けてきた気がした。どうもそうやっている内に、私だけでは無くアスタームも段々と肩の力が抜けてきたようだった。笑顔が自然になってきた気がする。それで私は気が付いた。そうね。彼も私をどう扱って良いか、計りかねていたのだろう。


 アスタームは豪放で器量も大きいから、私も何となく彼に何でも任せてしまっていた気がする。彼に連れられて辺境伯領に来て以来、私は自分の居心地が良くなるように色々やったけど、アスタームのために何かをした事は無かった。それはアスタームは何でも出来る男だからという、信頼というより甘えがあったからである。


 アスタームも、自分のために私を利用する。私を傀儡の女帝として利用し尽くすつもりではあり、その方面では迷いは無いと思われる。でも、彼は反面実直で、思いやりも十分持ち合わせている男でもあるのだ。私を利用するだけで冷たく扱いをする気が無いことは、城内での私の自由度を見れば分かろうというものだ。利用するだけならあのお部屋に閉じ込めて一歩も出さないという扱いでもおかしく無いのだから。


 おまけに私は多分アスタームの想定を超えて自由な女なのだと思う。城の中だけで無く街まで歩きまわり、夜会を開いて辺境伯領の女性を取り込み、反対派は例え領主の娘であろうと撃ち倒してしまう。流石のアスタームもそんな女をどうしたら良いか、迷って困っていたのではなかろうか。


 そういう事が、ゲームをしながら色々本音をさらけ出している内に分かってきた。彼の少し余所余所しい、腫れ物に触るような態度は、私の理解を超える自由さ加減にも原因があったのだろう。


 随分と長い時間ゲームをして、矢も尽きてしまった。「これで最後の一回だな」とアスタームが言い、二人同時に私達は矢を放つ。アスタームの矢は標的の心臓の位置に突き立った。彼の勝ちだ。


 するとアスタームは弓を下ろし、私の事を少し真剣な顔で見詰めた。私の手を取り、ジッと赤い目が私の瞳に視線を落としてくる。なんだろう。ちょっとこれまでの質問よりも重大な質問をしようとしている感じだ。首を傾げる私に、アスタームは静かな声で問いかけた。


「私を、愛するつもりはあるか?」


 ……私はちょっと息が詰まってしまった。稀代の美青年と言って良いアスタームが憂い顔で私を見詰めながら言ったのである。しかも手を握って。逃げる事を許さないというように私を見詰めながら。


 愛するつもりはあるか、というのは微妙な質問だった。愛しているでも愛して欲しいでも無い。私に、選択権が残される言い方だ。


 これまで彼は、有無を言わさず私を自分の意図に巻き込み、この辺境伯にまで連れて来たのだった。私には選択の余地はほとんど無かった。しかし、辺境伯領に来てから、彼は私を出来るだけ尊重しようとしてくれている気がする。この質問も、最大限私の意図を尊重しようという考えの表れだと思える。


 そうね。この人がこういう人なんだったら、私も彼を信じられる。私はようやく、自分の中のモヤモヤが晴れた気がした。私も彼を信じよう。彼と同じ目標に進んで行こう。そして……。


「ええ。愛しようと思います。貴方を」


「そうか。私も君を愛しよう。改めてよろしくな。我が婚約者よ」


 アスタームは嬉しそうに破顔すると、私の頭を抱き寄せて、頬にキスをした。


 今度は、少しも嫌な感じはしなかったわよ。

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