第四話-3 様々な交渉
言っておくけど、お姑の辺境伯夫人、クレスファー様との関係は良かったわよ? この柔和な丸顔の灰色の髪をお持ちの女性は、いつもニコニコと笑って私と応対して下さった。この方はアスタームやその弟妹であるカロッソとエリアンヌの態度を見る限りにおいて、結構厳しくて怖いお母様なのだと思うのだけど、少なくとも今のところ私に厳しい態度を見せたことは無かった。
次期辺境伯夫人である私を呼んでは領地のしきたりなどを教えて下さり、その際は昼食をご一緒したりお茶を頂いたりするのだけど、気さくにお話をして下さって、私のする帝都のお話を懐かしげに聞いて下さった。
なんでも、クレスファー様は元々は帝国貴族、ゼルエン公爵家ご出身だそうで(三女だったそうだ)、元々帝都の生まれだったのだそうだ。それが二十五年前に十七歳で当時国王だったエルヤーム様の元に嫁がれた。エルヤーム様は当時まだ二十歳。当然、その段階からバイヤメン王国の帝国編入が画策されており、その関係もあって傍系皇族であるゼルエン公爵家から嫁が出されたのである。
蛮族であると評判のバイヤメン王国に嫁に来るなど本当に嫌で、泣く泣く嫁がれたのだと仰った。ただ、実際にはバイヤメン家はその時点で帝国貴族化が進んでいたし、そもそも北の蛮族は十分に文明的な民族だから、来てみたら意外に快適で驚いたらしい。私と同じ感想ね。
バイヤメン王国は結婚して五年後には帝国に編入され、侯爵相当の辺境伯の位を授かったエルヤーム様は、編入に反対する北の蛮族との戦いに勝利すると、夫人を連れて三年くらい帝都でお過ごしになったのだそうだ。実はこの時にアスタームは帝都で過ごした期間があるのだが、本人曰く全然覚えていないそうだ。それは四歳とか五歳の頃だったろうからね。
だから思い出深い帝都屋敷が燃えてしまったと聞いて随分お嘆きになり、アスタームの所業について怒ってらしたわね。曰く、お屋敷をしっかり護る気なら護れた筈なのに、勝利を優先して襲撃者を屋敷の中までおびき寄せる作戦を取ったせいで、屋敷が燃やされてしまったのだろうとの事。アスタームの性格を知っていればありそうな話だ。
元皇族の方だけに所作は非常に優雅で、貴族の間でしか生活した事が無い私としては、馴染んだ雰囲気で非常に落ち着けた。夫人曰く、アスタームやカロッソ、エリアンヌにもちゃんと帝都仕込みの所作や作法を身に付けさせてはいるそうだ。
「でも、どうも子供達には馴染まないようです。父親の血が強いのでしょうかね」
そうね。アスタームはこの所、私に対して優しく紳士的に振る舞うように意識しているように思える。私が彼の野蛮なところを嫌っている事が分かったのだろう。そうやって気を遣えば、彼は帝都の貴公子に見劣りしない所作をしていると思う。やれば出来るのだ。
夫人との関係は良かったのだが、問題は小姑、小舅だった。つまりカーロッソとエリアンヌだ。この二人は私にあからさまに敵意を向けてきていた。
理由は二人それぞれ違うようだった。カーロッソは明らかに、次期辺境伯の地位を狙っていて、アスタームをライバル視しているようだった。カーロッソはアスタームの二歳年下。顔立ちは良く似ていて、ただ、目が明るい橙色だ。夫人の目は茶色なので、母親に似たのだろう。
十八歳の彼だが既に何度も戦場に出ていて、有能な戦士であるとの評判は聞いた。しかし、傑出して凄い戦士であるアスタームには劣るという評価であるらしい。恐らくそれが不満なのだろう。城の訓練場で熱心に訓練をしている姿を見たことがある。
熱心な努力に裏打ちされた自信家だけど、周辺からの評価はアスタームの方が高く、次男でもあるから家督相続の目は無い。唯一可能性があるとすればアスタームが死んでしまった時くらいだろう。積極的に死ねとは思っていないが、アスタームは戦場で勇猛に戦う男だから戦死は十分に考えられる。その機会を伺っているのだろうね。
それが、アスタームが結婚して男児が生まれてしまうと、もしもアスタームが死んでも家督はカーロッソの頭を飛び越して、私とアスタームの子供に行ってしまう事になる。それが不満なカーロッソは、アスタームの結婚に難癖を付けている、という事らしい。
なんとも煮え切らない男だ。と私は思う。そんなに辺境伯の地位が相続したいのであれば実力で、辺境伯とアスタームを討ち取って奪うくらいの事を考えたら良いのに。そこまでする気は全然無いらしいのが情けないと思うのだ。アスタームが逆の立場になっていたら、カーロッソは今頃もう生きてはいないと思う。アスタームの方が野心も器量も大きいのだ。
まぁ、貴族の次男以下の男など、爵位は相続出来ず、運良く他家に婿入り出来なければ平民落ちしてしまう。結婚もほとんど許されず、家に残るなら嫡子にこき使われる部屋住みを余儀なくされるのだ。それなりの能力があるのなら兄に変わって家督を継ぎたいと考えるのも無理は無い。
そんなカーロッソだから私へ何かと突っかかってきて、面倒くさいことこの上無かった。そして「帝都の余計なトラブルをバイヤメンに持ち込んだ女」と私の事を喧伝し、城の中での私の居心地を随分悪くしてくれた。カーロッソはそれなりに人望があるから、彼を支持する家臣も少なくなく(家督相続までは支持してくれないようであったけど)、言い分を信じた家臣達が私に冷たく対応するようになったのだ。
将来の辺境伯夫人としては、家臣から軽く扱われるのは避けたいところだった。舐められたら有事の際に私の言うことを聞かなくなって困った事になるかもしれない。
私はとりあえずカーロッソの難癖をいちいち撃退することにした。つまり「本物の皇女だという証拠はあるのか?」「帝都で何か犯罪行為をやらかしたのでは無いか」「辺境伯邸が燃えたのは貴女のせいでは無いのか?」などという難癖に対してだ。
私は皇帝陛下や母からの手紙を公開した。そこには当然私を娘扱いする文面が記されている訳である。手紙の信憑性は同時に記された印章によって証明出来る。その文面の中には「私が悪いわけでは無い」事と「辺境伯邸が焼けたのは事故である(エリマーレ様の責任を誤魔化すためだろう)」と皇帝陛下直筆で記されているわけだ。これにはカーロッソも黙るしか無い。
それから私は辺境伯の家臣達を懐柔に掛かった。アスタームに依頼して、城の広間を借りて夜会を開いたのである。帝都風の華やかな夜会をだ。
勿論、帝都に比べれば随分と簡素な宴になってしまったが(無いものが多すぎたからね)それでも広間を美しく装飾し、花を飾り、私や侍女達(ご令嬢がいないから仕方が無い)が帝都風に着飾って家臣とその夫人をお迎えしたのだ。
素朴な辺境伯領の家臣達は帝都風の華やかな夜会の雰囲気に呑まれてしまった。辺境伯と夫人も帝都時代を思い出すと言って喜んで下さり、着飾って家臣達を迎えて下さったので、効果は抜群だったわね。私とアスタームが優雅に踊ってみせると家臣達は驚き、夫人達は目を輝かせていた。
私は帝都から来た皇女なんですよ! と強くアピールしたのだ。皇女の権威の方が領主の次男よりも強いのは当たり前である。権威に靡く方々にはより強い権威を持つ者に弱い。おまけに、華やかな夜会は女性達に非常に気に入られたようで、私の周りにはご夫人やご令嬢が集まるようになった。妻や娘の支持する私を無碍には出来まい。そうやって私は自分を支持する辺境伯の家臣を増やし、カーロッソの意見を封殺した。
アスタームはちょっと驚いていたわね。
「我が家臣達は、無骨な者も多いから、あのような夜会は合わぬと思ったのだがな」
「女性はなんだかんだ言って華やかな催しが好きなんですよ。それに、これまでの貴方達がする宴は、男性ばっかり楽しむ宴会だったのでは無いですか?」
アスタームが変な顔をした。図星だったようだ。
そういう女性は全然面白くも無い宴会と違って、私が主催して女性も楽しめるように配慮した夜会は、家臣の夫人や娘達には新鮮に受け取られ、気に入られたようだった。私が夜会を何度か開催すると、夫人やご令嬢も精一杯着飾って楽しく宴を楽しんでくれるようになった。
私が主催する夜会が受け入れられれば、私自身も受け入れられる。私は特に女性達から熱烈に支持されるようになって行き、相対的にカーロッソは支持を失っていった。
しかし、私が女性達に支持されるようになると面白く無いのはエリアンヌだ。この焦げ茶の髪をした紫目の美人は、私がプロデュースして着飾らせようとするのを怒って拒否した。
「軟弱な! そのような格好をしたら戦えぬではないか!」
エリアンヌはアスタームの五歳年下の十五歳。私の二つ下だ。どうもオシャレよりも武芸を磨く事、機織りや様々な女性仕事を身に付ける事に重きを置いているらしい。これはバイヤメン辺境伯領における女性の伝統的価値観に則っているようだ。
「そのような軟弱な風習を我が領地に持ち込むなど許せぬ! あのような女は兄上に相応しく無い!」
どうもエリアンヌはアスタームの事が大好きらしく、そもそも私がアスタームと結婚(というより兄の結婚自体が)するのが気に入らないらしい。お子様か。
しかし、私を軟弱と言いふらすだけなら兎も角、私の主催の夜会に出る方々を強い調子で非難するまで行くと放ってはおけなくなる。
ましてどうもエリアンヌの意見は辺境伯領の伝統的価値観に則っているので、同調する男性や保守的な女性もかなりいるようなのだ。そういう意見が強まって、女性達が萎縮して夜会への出席を遠慮するようになると、せっかく大きくした私の支持母体が縮んでしまうことになる。私への風当たりでも強くなってしまうだろう。
何とかする必要があるわね。要するに私が軟弱では無い所を見せれば良いのだ。
ある日、私がまた夜会を開いた時の事。
宴もたけなわというところで、エリアンヌが自分を支持する保守的な女性達を引き連れて、広間に乗り込んで来たのだ。エリアンヌの格好は何と男装だ。自分の勇猛さを誇示する必要があったからだろうけど、武装までしているのはやり過ぎだろう。軽装の鎧まで着けている。ただ、辺境伯領の女性は有事には自ら戦う事も多かったから、男装することも珍しくは無いらしい。
「情けない! それでも誇りあるバイヤメンの女なのですか! そのような事で夫の代わりに家を守れるのですか! 恥を知りなさい!」
エリアンヌが叫ぶと、出席した女性達が顔を伏せてしまった。それが辺境伯領の伝統的な価値観だからだろう。つまらない。そんなの有事に頑張ればいいのだ。普段まで気を張り詰めている必要がどこにあるのか。ましてせっかく楽しんでいるところに水を差されたら、主催者の私の名誉と矜持にも関わる。許せない。
私は、この義妹にちょっと強めのお灸を据えてやることに決めた。
なおも取り巻きと共に何やら叫んでいるエリアンヌに、私は優雅な足取りで近付いた。それに気が付いたエリアンヌが私を睨むが、構わず近付くと、私は長手袋をスルッと両方脱いだ。
そしてそれを訝しむエリアンヌの、間抜けな表情をしていたその顔面に叩きつけた。周囲で悲鳴が上がる。
何が起きたのか理解出来ない顔をしていたエリアンヌだけど、ようやく我に返ると顔面を朱に染めた。
「何をするか!」
私は嫌らしい微笑みを意識して浮かべながら、エリアンヌに向けて堂々と宣言した。
「貴女に決闘を申し込みます。エリアンヌ。私が軟弱かどうか、その身で確かめるが良いでしょう」
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