第四話-2 様々な交渉
さて、私は辺境伯から婚約の承認を取り付けると、早速色んな所に書簡を書いて次々と使者に持たせて送り出した。
まずは勿論、帝都の皇帝陛下と母にだ。帝都を脱出した際の事情を説明して、アスタームと婚約した事情も記し、父母に婚約の承認を求めたのだ。
同時に私は帝都に戻るつもりも無い事を説明し、ここで結婚するので帝位を狙うつもりもサラサラ無いと記し、皇帝陛下にエリマーレ様のお心を鎮めてもらえるようにとお願いした。
一ヶ月くらいして相次いで返信が届いた。
まず母は「貴女がそれで良いなら良いんじゃない?」と素っ気ない手紙をくれた。私は今生の別を悲しむ心情と母の身を案じる内容を書いたのに。まぁ、いつもあの人はこんな感じか。
一方、皇帝陛下の方はかなり長文の手紙をよこして下さった。私はそれを読んで考え込んでしまう。
そもそも皇帝陛下は、エリマーレ様の悪意から身を守るために、帝都以外の土地への移住を勧めて下さった事もあるくらいなので、私がバイヤメン辺境伯領に落ち着く事を喜んで下さると思っていたのだ。
ところが、皇帝陛下はお手紙に「バイヤメン辺境伯に嫁ぐなんてとんでもない。あんな蛮族に其方をやりたくない」と書いてこられたのだ。そして「其方が帝都にいないと寂しい。エリマーレはなんとかするから戻ってきて欲しい」などと書いてある。
これは困った。父である皇帝陛下の御承認が頂けないと婚約が成立しなくなってしまう。
一応、駆け落ち婚という制度があり、男女が反対する親から逃げて半年逃げ切れば、親の同意がなくても結婚出来るという風習があるからアスタームと結婚出来なくはない。
だけど他ならぬ皇帝陛下のご意向に逆らったら、今後の辺境伯領と帝国の関係に大きな影響が出ることは避けられない。これにエリマーレ様が絡んできたら本気で討伐軍を呼び込んでしまうかも知れないのだ。
それに、皇帝陛下は幼少時から、私がエリマーレ様の侍女になってからも、陰ながら色々可愛がって下さった方だ。敬愛する主君という意識の方がどうしても強いが、私にとってはやはり愛する父なのである。結婚を祝ってもらいたい。
朝食の席で皇帝陛下からの書簡について、そんな事をブチブチと私が愚痴をこぼしていると、アスタームが首を傾げた。
「私が蛮族だから、皇帝陛下は君と私を結婚させたくない、と仰ったのか?」
私が頷くと、アスタームは考え込むような仕草をした。あれ? 蛮族扱いされて気を悪くしたかな? この男にそんなデリカシーは無いと思うけど。
「……おかしいではないか」
「何がです?」
「私とエリマーレ様の縁談は、皇帝陛下が持ち掛けて来たのだぞ? 私が蛮族だから娘を遣りたくないというなら、あの縁談自体が成立しなくなるではないか」
……言われてみればその通りかも知れない。
確かに第一皇女エリマーレ様とアスタームの縁談は皇帝陛下主導で行われたものだ。蛮族と思われている(しかも血塗れの狼ときた)次期バイヤメン辺境伯との縁談を。エリマーレ様は本気で嫌がっていた。何度も皇帝陛下に断りの直談判に押し掛けたくらいだ。
だが、皇帝陛下は頑としてエリマーレ様の拒否を受け付けず、帝国にとっての利を説明されたエリマーレ様も最終的には渋々納得して、お見合いの夜会に出席されたのだった。
まぁ、アスタームが稀に見る美男子であると聞いて会って見る気になったというのはあるみたいだけど。
私が嫁いでも帝国との利が薄いからかしらね? でもバイヤメン辺境伯と帝室の繋がりを作るなら私でも十分な筈だ。次期皇帝とほんの二十年前まで別の国だったバイヤメン辺境伯の次期当主であるアスタームとの婚姻には反対意見も多かったと聞いたもの。
なのに次期皇帝のエリマーレ様なら良くて私はダメだという理由が良く分からない。なるほどアスタームの疑問にも一理ある。
「皇帝陛下がエリマーレ様より君の事を大事にしている訳ではあるまい?」
そうね。エリマーレ様は次期皇帝だから、所詮は庶子の私よりも大事な筈だ。だとすれば私とアスタームとの結婚に陛下が反対する理由は、可愛い私を蛮族に嫁にやりたくないからではなく、もっと他に理由があることになる。
ただ、その理由はちょっと見当も付かないわね。皇帝陛下に直接お目に掛かって、詳しく聞いてみるしかないけどそんな事は不可能だし。
とりあえず、引き続き皇帝陛下を説得し続けるしかなさそうだ。私はこの件を当面保留にした。
私は他にも、辺境伯領近隣の領主貴族に書簡を送った。第二皇女である私が辺境伯家に嫁入り予定である事を知らせ、これを機に辺境伯領と彼らの関係を親密にしたいとアピールしたのだ。
これはもしも帝都からエリマーレ様が私を暗殺ないし捕縛しようと刺客を送り込んできた時に、通過する各領地から事前に情報が来ればいいな、と思ったからだ。刺客が多人数なら目立つし、軍勢を送り込まれた場合はもっとすぐ分かるだろう。近隣領地との関係が良ければ、そういう情報がすぐに伝わる事が期待出来る。
これまでバイヤメン辺境伯と近隣領地の領主は関係があまり良く無かった。やはり蛮族であるという評判と、ほんの二十年前まで互いに戦っていたという事情が関係しているのだろう。
しかし、皇女である私が嫁げば、バイヤメン辺境伯家の帝国貴族化が一気に進むと見られる事だろう。帝都の皇帝陛下との繋がりも強くなる。そうすると有力貴族であるバイヤメン辺境伯(辺境伯は侯爵相当だ)との関係を改善して深めたいと考える領主がいてもおかしくはない。
問題は私が皇女であるとあまり知られていない事だった。これは、皇妃様とエリマーレ様が広めないようにしていた事と、幼少時に私と親しくなった令嬢が一家まし帝都を追放されてしまった事による。私自身もエリマーレ様の侍女になってからは隠していたし。
なんの証拠も無い私が皇女を名乗っても信じてもらえない可能性がある。その意味で皇帝陛下からの婚約の承認がもらえないのは痛かったのよね。
しかし、この懸念は書簡を送った貴族達が、意外なほどあっさりと私を皇女と認め、祝賀の意を送ってきた事で帳消しとなった。ほとんどの者はきちんと使者を立て、お祝いの贈り物まで持って来た。そしてバイヤメン辺境伯領との関係改善を強く要望して来たのだった。
私はあまりにも事が簡単に運んだことに驚いた。どういうことなのか。私は辺境伯領に近接するステッセル伯爵の送って来た使者と面会して「私が皇女であると信じる理由はなんですか?」と聞いてみた。
すると使者である男爵は笑って「ベルリュージュ様が皇女である事は、地方の領主貴族の間では有名です」と言った。
即ち、帝都を追放された貴族が、地方の貴族の社交で私の存在を触れ回ったのだそうだ。
つまり、故なく帝都を追放された貴族がエリマーレ様の横暴に怒り、エリマーレ様の皇帝としての資質を疑問視し「ベルリュージュ様の方がよほど資質がある」と吹聴したらしい。
なるほど。これまで会った事も無かった筈のアスタームが、エリマーレ様の事を「馬鹿女」扱いしていたわけである。お見合いのために帝都に向かう前、事前に情報収集する段階で、地方でのエリマーレ様の評判と私の事を知ったのだろう。
つまり帝都以外ではエリマーレ様の評判はかなり悪く、相対的にエリマーレ様に迫害されていた私の評価が高くなっていたという事らしい。その私がバイヤメン辺境伯の次期当主たるアスタームに嫁ぐ事は好意的に受け取られ、一気にバイヤメン辺境伯に対する心象が良くなったという事らしい。
「それだけでは無いな」
この事についてお茶の席でアスタームに相談すると、彼は楽しそうに笑って言った。
「君は期待されているのだ」
「何を期待されているというのですか?」
「皇帝になることをだ」
思わずお茶を吹き出すかと思ったわよ。
「……どういうことですか?」
「エリマーレ様の横暴や暴虐は有名だ。そんな者に帝国を任せられないと考える貴族がいるのは当たり前だろう」
そこへ私が皇女であると表明し、バイヤメン辺境伯への嫁入りを発表すればどうなるか。
「我がバイヤメン辺境伯家を後ろ盾に皇帝位を目指してくれるのだと受け取られるだろう」
それくらいエリマーレ様の評判は悪いらしい。……さもありなん。エリマーレ様はここ数年、ちょっとやり過ぎた。
皇帝陛下のご愛妾や、私や母と近しかった貴族を帝都から追放し、身分が低ければ難癖を付けて暗殺や処刑までした。他の貴族も機嫌を損ねれば追放、爵位没収、暗殺、処刑と暴虐の誹りを受けても仕方のないことをいくつもしでかしたのだった。
皇帝陛下が諌めて、いくつかの処分は撤回させたけど、それでも大変な数の貴族が被害を被った。これでは人望が暴落しても無理はない。こんな女性を女帝にするなんてとんでもないと考えた者たちにとって、私は希望の星に見えるというわけだった。
「……帝都には公爵家が二つ。そこには殿下が三名いらっしゃいますよ。そちらを推せば良いのではありませんか?」
「皇帝直系の娘がいるならそちらを推すのが自然ではないか。そして、後ろ盾として我バイヤメン辺境伯領の軍事力があれば、実力で皇位を奪取する事も可能だと思われるだろう」
つまり私が皇位を目指した場合、勝算はかなり高いと目されているのだ。それならば近隣の領主貴族としては、好意的な態度を示しておいても損はないわけである。
これは困った。私は皇帝になる気なんて全く無い。しかしながら、どうも帝国貴族の少なくない者達が、私に皇帝になる事を期待しているようだ。
私がうむむむ、と困っていると、アスタームが覇気に満ちた表情で笑いながら、私をけしかける。
「君が女帝を目指すのなら、いつでもバイヤメン辺境伯領は総出で支援をするぞ? ベル」
誰がベルか。勝手に名前を縮めないで欲しい。この人は最近、たまにこの呼び名で私を呼ぶようになった、私はなるべく返事をしないようにしているのだが、やむを得ない場合やうっかり返事をしてしまう場合もある。
「良い加減な事を言わないでくださいませ。辺境伯は私を女帝に推す気はないと仰ったでしょう?」
「近隣の領主たちがこうも君に期待している事が分かれば父の考えも変わってくるさ」
……それはそうかも知れない。辺境伯は簡単に見透かせるような単純な方では無い。口では私に女帝になられては困るような事を言いながら、裏腹な策謀を裏で巡らせている可能性もあるわよね。
女帝になるかどうかは置いていて、意外な事に近隣領主からの支持をあっさりと取り付けられてしまったので、婚約についての問題は本当に皇帝陛下から婚約の御承認を頂けるかどうかだけになった。
私はまぁ、楽観していた。陛下は昔から私の要望は大抵聞いてくださったし、私の行動が帝国のためになる事もお分かり頂けると思ったからだ。
しかし、二度、三度と書簡を往復させても、陛下は頑として婚約を承認して下さらなかった。理由は相変わらず、可愛い我が娘である其方を蛮族に嫁がせたくない。我が元にいて欲しいという親馬鹿全開の事が書かれていた。どうもおかしい。本当に陛下が書いているのかしらこれ? エリマーレ様の手の者が偽造していない? でも筆跡は確かに陛下のものらしいんだけど。
そうしている内に私がバイヤメン辺境伯領にやってきてから二ヶ月あまりが過ぎた。その間、各方面に書簡を出す以外は穏やかに暮らしてた私だったが、この辺りから少しずつ、面倒な事に悩まされるようになって来ていたのだった。
つまり、いわゆる婚家での家庭問題、に悩まされ始めたのである。
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