第四話-1 様々な交渉

 こうして私はバイヤメン辺境伯領都のお城での生活を始めたんだけど、これが以外に快適で驚いたのよね。


 こう言っては何だけど、私はこれまで快適な生活なんてほとんどしたことが無かったのだ。


 だって私は物心ついた時から、刺客の襲撃に対処したり毒に警戒する生活を送ってきたのだもの。離宮で母と暮らしていた頃の生活は、快適とはほど遠かったわよ。エリマーレ様の侍女になってからの方が、刺客に襲撃される事が無くなった分まだしも快適だったまである。こき使われたりエリマーレ様のお気に入りの侍女に嫌がらせをされたり、無理難題を押し付けられたりとまぁ、大概なブラック職場だったけどね。


 それがここでは次期当主の婚約者として、皇女として尊重されるのだ。それは快適に決まっている。


 お部屋は塔の上の、幽閉部屋だろうと思われる所だけど、別に外出は禁じられなかったから私はサーシャを引き連れてまずは城の中を探検した。


 辺境伯の居城、つまり元々はバイヤメン王国王家の居城だったこのお城は、大体二百年前くらいに最初の原型が形作られ、それがドンドン増築されて今の形になっているのだそうだ。何度も何度も戦いの舞台になり、壊され修復され改良され、ついでに言えばバイヤメン家が所有するまでに何回も城主を変えているらしい。


 複雑な構造を出来るだけ覚える。この城で戦ったり逃げ回ったりする可能性を考えると、お城の構造を理解しておくことは重要だ。表向き見える部屋や通路から、使用人が使う裏通路や抜け道も推測する。


 城の見物にはたまにアスタームが付き合ってくれた。彼は流石に城の軍事的工夫に精通しており、説明の仕方も上手くてなかなか面白かったわね。


 一応婚約者であるアスタームとは、一日二回は必ず会う。朝食の時と晩餐の時だ。晩餐はバイヤメン家一同と一緒だが、朝食の時は私たち二人だけである。


 別に私は毎朝会いたいとは思っていないのだけど、アスタームに呼ばれては仕方が無い。彼の私室は私がもらった塔の部屋に程近く、中間地点の一部屋を食堂にして毎朝そこで二人で食事をするのだ。


 彼なりに私と親睦を深めようとしてくれているのだろうね。彼とは帝都からの旅の間にも一緒の馬車に乗っていたし、一緒に食事もしていたから、なんだかんだ気安い関係ではある。


 本性が野蛮で粗野である事は今更隠しようが無いわけだけど、婚約してからの彼は私を丁重に扱おうとしているようだ。それくらいは分かる。婚前交渉のお誘いも結局あれっきりだったし。


 私だって結婚しなければならないのだから、アスタームとの関係を良くしようという思いくらいはある。愛し合いたいなどとは全然思ってはいないけど、お互い二人でいても緊張しないような、些細なことで殺し合いにならない程度の関係にはなりたいからね。


 お互いにまだまだよそよそしいけど、私たちはまずまず平和な関係を築けていた。そうなると私もアスタームに自分の要望を伝え易くなる。ある朝、私は城はあらかた見て回ったから今度は街を見てみたいとアスタームに伝えた。


 アスタームは最初、良い顔をしなかった。危険だと考えたのだろう。確かに、城の中は厳重に警戒されているから安全だが。街は基本的に出入り自由だ。エリマーレ様の刺客が入り込んでいる可能性はある。


 だけど、私としてはその確認をする意味もあって街に出て見たかったのだ。もちろん、純粋に興味があるということもある。帝都生まれ帝都育ちで、しかも庶民街になど出た事が無い私にとって、塔の窓から見下ろす街のごちゃごちゃした様子は初めて見るものだったので、出来れば間近で見てみたかったのだ。


 私の熱心な要求にアスタームは折れたのだが、街に出るために彼は二つ条件を付けた。


 一つは庶民服を着て目立たないような服装をすること。もう一つは自分が同行する事だった。服は良いとして、こんな目立つ大男が一緒にいたら、むしろ人混みに紛れ難くなって危ないのではないだろうか。


 しかし、アスタームもサーシャもその方が良いと強くアスタームの同行を進めた。


「君は自分では気が付いていないのだろうが、色々目立つのだ。人混みに紛れるなど無理だ」


 アスタームが言うにはそういう事らしい。私は小柄だし細いし、特徴的な赤毛さえ隠せば目立たないと思ったんだけど、どうやら歩き方や所作や言葉遣いが庶民の間に混じると浮いてしまうらしい。


 ということで私は茶色いワンピースを着て青い頭巾を被り、木靴を履いて、庶民服を着て髪をボサボサにしたままのアスタームと街に繰り出したのだった。やはり庶民服姿のサーシャが付いてくれて、他にも数名の護衛が離れたところで警戒してくれた。


 馬車で城のある岩山の麓まで降りて、門前で馬車を降りて後は歩きだ。綺麗に石畳で舗装されているから歩き易くて良い。立ち並ぶ建物は石と木で出来ていて、あまり漆喰は使われていないし、色は素材そのままだ。


 私は帝都の街は馬車で通過する際に見た事しかない。一応は皇女殿下だったし、侍女としても上級侍女だったからね。お忍びの趣味も無かった。興味はあっても危険性がこことは比較にならなかったし。


 だから庶民街を歩くなんて本当にワクワクするような経験で、何もかもが新鮮で面白くて。私はウキウキドキドキしながらバイヤメン辺境伯領の領都の繁華街や市場通りを見て回った。


 バイヤメン辺境伯領は北の大国との交易の中間拠点なので、市場にはあまり見たこともないような珍奇な商品が色々と並んでいた。特に布地、絹や毛織物は北方からの重要な輸入品なのだそうだ。


 北方から来た商人は北の峠を越えてここに来るために、必ず湖を船で渡らなければならない。北の港で船に荷物を乗せて、南の領都で下ろすのだ。この湖を渡る船賃はバイヤメン辺境伯の重要な収入源である。


 そんな事をアスタームは流暢に解説してくれた。市場に並ぶ商品の説明も詳しく、庶民街に並ぶ美味しそうな匂いのする食べ物にも詳しくて、普通に買ってきて食べながら、私にも少し分けてくれた。領主の息子のくせになんでそんなに庶民街に詳しいのかしら?


「よく城を抜け出して、庶民街で遊んでいたからな」


 腕白だったというのもあるけど、辺境伯領では領主と庶民の距離が近いのだという事だった。


 元々バイヤメン王国だった時代にも、王国には貴族がいなかったのだそうで、国の中枢を担って来たのは世襲ではない、戦で手柄を立てた優秀な戦士上がりの者達だったそうだ。


 これは現在でも同じで、領地の民は戦場で実績さえ残せばどんな者でも出世出来るらしい。そのため、人々は戦場で功績を残すために必死で鍛錬をするらしい。だからバイヤメンの兵は強兵揃いなのだ。


 同時に、戦場で領主一族と槍を並べて戦うことも多いことから、民衆には領主一族への親しみと尊敬があるのだそうだ。


 実際、街ではアスタームの正体はバレバレで、人々は特に畏まる事無くアスタームに声を掛けていた。アスタームも気さくに人々に声を掛け、触れ合っていた。確かに帝都の貴族にはあり得ない距離の近さだ。どうも声を掛けてくる者に、妙齢の女性が多い事が気にはなったけどね。


 市場の賑わいは凄くて、私はびっくりしたのだけど、港の船着場に行ったらもっと驚いた。その喧騒たるやまるっきり戦場のノリで。「ばかやろう! ぶっ殺すぞ!」とか「頭叩き割られてぇのかボケ!」とかいう怒声が飛び交い、殴り合いまでそこ此処で見られるという荒んだ雰囲気だったからだ。ちょっとお姫様育ちの私には刺激が強かったわよね。


 顔を引き攣らせている私を見てアスタームが笑う。


「眉一つ動かさずに人を屠れるくせに、こういうのはダメなのか?」


「……刺客は、基本無言ですもの」


 その時、通り掛かった船乗りらしき男性が、不意に私の方に手を伸ばしてきた。「おい、姉ちゃん邪魔だよ……」とか言いながら。


 私は瞬時に反応した。飛び退くのと脚を蹴り出すのは同時だ。私の蹴りは男の土手っ腹に突き刺さり、船乗りは「ゲフォ?」と何故か疑問系の悲鳴をあげて吹き飛び、転がり、積まれていた木箱に衝突して目を回してしまった。


 私はムッとする。


「なんで刺客の接近をあっさり許すのですか? 役に立たない護衛ですね」


 私がプンスカしながら言うと、アスタームが苦笑した。


「ベルリュージュ。あれは刺客ではない。ただの船乗りだ。敵意は無かっただろう?」


 ……確かに。だから私も間近に迫られるまで気が付かなかったのだ。でも、明確に私に手を伸ばして来たわよね?


「あれはな。こんな風に……」


 アスタームがそう言いながら私のお尻をペロンと撫でた。


「キャア!」


 私は思わぬ事に悲鳴を上げて反射的にアスタームにビンタを叩き込んだ。しかしそんな攻撃を受けるようなアスタームではない。彼は易々と私の右手を左手で受けた。


「いきなり何をするのですか!」


「君の色気に迷って手が出たのであろう。大目に見てやれ。挨拶みたいなものだ」


 私はちょっと全身に鳥肌が出てしまった。挨拶代わりに見も知らぬ男性にお尻を触られるなんてとんでもない話だ。許せない。アスタームに触れられるのだって抵抗があるのに!


「ベルリュージュ様。大丈夫です。殺しても問題ありません」


 見るとサーシャが半眼でアスタームの事を睨みつけていた。


「痴漢は死すべし。慈悲は必要ありません」


「いや、サーシャ。あれはだな……」


「そもそもアスターム様はベルリージュ様の婚約者でしょう? 貴方がベルリュージュ様の操を守らずしてなんとしますか!」


 サーシャはかなり怒った表情でアスタームに食ってかかっていた。彼女も挨拶代わりの痴漢被害には辟易しているのだろう。私もアスタームを睨みながら言った。


「女の身体にみだりに手を触れる者に遠慮する気はありません! もしもまた同じような事があったらスティレットで串刺しにして差し上げます! 貴方も含めて!」


 女二人の剣幕に、アスタームは両手を挙げて降参した。


「分かった分かった。次に同じ事がありそうになったら私が防ぐ。私とて婚約者の純潔は大事だからな。それに領民をベルリュージュから守るのも私の務めであろう」


 実際アスタームがそれからは守ってくれたおかげで、そのような不快な目には二度と合わないで済んだのだった。ちなみに本当の刺客の襲撃は結局無かったわね。


 まぁ、ちょっと、せっかく信頼し始めたアスタームの事が、また少し信用出来なくなってしまったのは、仕方が無いことだと思うわよね?


 

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