第三話-3 バイヤメン辺境伯領にて

 晩餐(これは本格的な帝都風のコース料理だった)が始まっても辺境伯ご夫妻のご機嫌は変わらなかった。柔和な表情で私に話し掛けて下さる。


 特に帝都の事をお話しすると、楽しそうに聞いて下さった。どうも帝都に何年か滞在した事があり(道理で立派なお屋敷だった筈だ)その際に帝都の生活を随分楽しんだらしい。


「また帝都で生活したいものだ」


 などと仰る。まぁ、お屋敷は焼けてしまったのですけどね。


 カーロッソとエリアンヌは渋い顔をしているが、表立って辺境伯ご夫妻に反抗する気は無いようで、アスタームも機嫌が良く、晩餐会は和やかに進んだ。


 アスタームは肉類が好きで、ここまでの旅の間は偏食と言っても良いくらいだったのだが、この晩餐のメニューは普通に野菜類も入っており、アスタームもちゃんと生野菜のサラダなどを食べていた。これはあれね。子供の頃偏食すると辺境伯か夫人に怒られたのね。だからお二人の前だと偏食しないんでしょう。


 肉は牛や羊が多く、豚は少なかった。あと、湖で捕れるのだということで鱒の料理が出た。乳製品は豊富らしく、チーズが何種類も出されたわね。


 私は一応は毒を警戒していたのだけど、その気配は全く無かった。私は内心首を傾げる。あえてフレンドリーな態度を示して私を油断させる作戦だと思ったのだけど違うのかしら? まぁ、私には余程強い毒でないと効かないんだけど。


 食事中は婚約について特に突っ込んだ話をするでもなく、ほとんどが私の帝都についての話や世話話に終始した。私としても美味しい食事をしている最中に面倒な話をしたくないなと思っていたので良かったんだけど。


 さて、食事を終えて食後のお茶が出て来る。そのタイミングでアスタームが言った。


「私はこのベルリュージュを妻に迎えますが、まさか反対はなさいますまいな? 父上」


 なぜ反対されないと思うのかよく分からないのだけど、とにかく凄い自信満々なアスタームの態度だった。辺境伯はリラックスした態度のままアスタームに言った。


「それは、ベルリュージュ皇女を妻にしておまえが皇帝になるということか?」


「そうです!」


「それは流石に認める訳にはいかぬな」


 辺境伯は豪快に笑いながら仰った。反論しようとするアスタームを押しとどめ、辺境伯は更に言った。


「ベルリュージュ様と結婚するのは別に構わん」


 構わないんだ。


「だが、其方が皇帝になるのは許されぬ。そこは諦めよ」


「何故ですか?」


 アスタームは不満そうだ。その彼を笑顔だが鋭い視線で見ながら、辺境伯は説明する。


「内乱になってしまうからだ。帝国は強大だが、敵が居ないわけでは無い。最大の敵は我々が抑えている北の大国だが、東にもサウラウル王国があり、南にも小国連合がいる。帝国が内乱になればそれらの国につけ込まれる事になるだろう」


 辺境伯の仰っている事はよく分かる。


 帝国は皇帝直轄地が大きく、皇帝の権力が強い国家ではあるが、各地に領地を持つ大貴族の力も馬鹿には出来ない。彼らは帝国皇帝に従うことが自分の利益になるから従属しているのだが、もしも内乱になり帝国が混乱したら皇帝を見限って他国に乗り換えるかも知れない。


 そして、つい二十年前まで帝国と敵対した王国だったバイヤメン辺境伯家が帝室を乗っ取って、アスタームが自ら皇帝位に就けば、従わない貴族が続出するだろう。確実に大内乱になる。そして外国の干渉、あるいは侵攻を呼び込むことにもなってしまうだろう。


「帝国の皇族は、それなりの歴史と貴族達の信頼があるからこそその地位にあるのだ。今回其方を皇女との見合いに向かわせたのは、あくまで我が辺境伯の軍事力で皇女が皇帝位に登極した際の後ろ盾になるためだ。其方が皇帝になる事はまかりならん」


 エリマーレ様は女性で、女帝はやはり貴族から信頼され難い。しかし強力な軍事力を持ち、北の国境を抑えているバイヤメン辺境伯が後ろ盾になれば、権力基盤が相当強化される事だろう。それを期待されて、アスタームはエリマーレ様の婿に擬されたのだ。それをアスターム自ら見事に台無しにしてきたわけだけど。


「つまり、ベルリュージュを女帝に推し、私は帝配に徹せよと?」


「そういう事になるな」


 勝手に私を女帝にしようとしないで下さいませ! と私は激しく思ったが黙っていた。何もここで口出しして、話を難しくすることは無い。どうせ皇女とはいえ庶子である私を女帝にするなんて無理に決まっている。と、この時の私は本気でそう思っていた。


 アスタームは私と辺境伯を交互に見比べて唸っていた。


「……まぁ、やむを得ぬか。結局は同じ事であるしな」


 そうね。私を女帝にして傀儡にして、帝配としてアスタームが権力を握って実質的な皇帝になれば良いのだもの。私は黙って出された乳製品と蜂蜜を混ぜたようなお菓子をスプーンで掬って口に含んだ。あんまり甘くない。流石に帝国の北の外れだけに、南からの輸入品である砂糖はまだあまり入って来ていないようだ。


「それで? ベルリュージュ様のご意向はどうなのですか? アスタームとの婚姻に同意なさって下さるのですか?」


「勿論です。母上。きちんと婚約しておりますよ。儀式はまだですが」


「黙りなさいアスターム。貴方では無く姫に伺っているのです」


 辺境伯夫人にアスタームが叱責されて口をつぐむ。やっぱりアスタームには厳しいお母様だったと見えるわね。


 私は少し考えて、夫人に視線を向けた。夫人は柔和に笑っているが、目が、ちょっと怖い。こちらを見定めるというか、誤魔化しを許さないというような目をしていた。まぁ、彼女にしてみれば、私は嫁。しかも格上の嫁。大事な息子の運命を左右する存在なのだ。それは厳しい視線にもなるだろうというものだ。


「ええ。同意致しましたよ。他に選択肢がなかったもので。婚前交渉はお断り致しましたが」


 辺境伯と夫人がアスタームをギロっと睨んだ。アスタームはそっぽを向く。婚前交渉は辺境伯家でもあんまり推奨されない行為であるっぽいわね。


「……選択の余地が無いとは? 帝都に誰か意中の殿方でもおいででしたか?」


「いえ。私は結婚しないつもりでしたからね。ですが、事がここまで進んでしまった以上、私はすぐにでもアスタームの妻になる以外に、生き残る方法が無さそうです」


 詳しくは説明しなかったが、辺境伯はふむ、と首を傾げた。


「それは、女帝になる気が無いということでよろしいかな?」


 流石は辺境伯。鋭い洞察力だ。あえて私はそこまで言わなかったのに。


「どういう事なのだ?」


 アスタームが私を睨む。睨まれても困る。私はアスタームとの結婚には同意したが、女帝を目指すなんて一言も言っていない。私は肩をすくめて説明した。


「私が貴方の妻になり、辺境伯夫人に納まれば女帝にはなれなくなります。女帝になりたいエリマーレ様としては、私が女帝になれない、なるつもりが無い、という状態になるのは安心材料になるでしょう。そういう風に交渉して、エリマーレ様から免責を勝ち取ります」


 言うほど楽では無い交渉になる事は分かり切っているけどね。あのエリマーレ様なら私が女帝にならないと意思表示して、この山の中に引き籠もっていても執拗に命を狙い続けて来る事でしょうから。


「別に結婚してからでも女帝にはなれるだろう」


「残念ですが、女帝は独身にしかなれません。女帝になってから帝配を迎える事は出来ますけどね」


 法典でそう決まっているのだそうだ。それを効いてアスタームはちょっと機嫌を損ねた。


「では、君が皇帝になるまで結婚せねば良いのだな?」


「そういう事になりますが、貴方がそれで良いのならね?」


 アスタームが渋い顔をする。彼としては早く結婚してしまいたかっただろうから。


 なぜならアスタームは今年二十歳だ。男性でも、貴族嫡男なのに二十歳過ぎて結婚していない者はまれだ。早く結婚して一家を構え、跡継ぎを作るのは貴族嫡男の義務なのである。


 それなのに私が女帝となるまで待つとなると、これは恐らく二、三年では済まない期間結婚出来ないという事になる。何しろおそらくは帝国軍と事を構える必要が出てくるだろうからね。同時に貴族の支持を集め、私を女帝に推す事の同意も取り付け、場合によっては他国との調整も必要になってくるだろう。五年。もっと掛かるかも知れない。


 その間、私とアスタームは清い関係でいなければならない。勿論、アスタームには愛人がおそらく既にいるだろうし、別に欲求不満になる事は無いと思うけどね。ただ、結婚前に作ってしまった庶子は、自分の子供としては認知出来ない(庶子は妻の養子としてから、我が子として認知するしか無いからだ。私も一応、亡き皇妃様の養子扱いとなり皇女となっている)。つまり結婚しないと子孫が増やせない。


 結婚しないと一人前と認められないという事情もある。一人前になれないと家督相続にも影響が出てしまうでしょう。ほら、カーロッソが目を輝かせ始めた。分かり易いわね。現在は血統的にも実績的にも次期辺境伯は確定のアーセイムでも、結婚していない状況で辺境伯が亡くなりでもしたら、家督相続に一族から待ったが掛かる可能性があるだろう。


「そんな法典は守らなくても良いのでは無いか?」


「法典を破れば、私の即位に正統性が無くなって、従わない貴族が増えて内乱が大きくなってしまうでしょうね」


 私がすまして言うとアスタームが黙り込む。そんな様子を見て辺境伯と夫人は面白そうに笑った。


「アスタームがやり込められるなどあまり無いことでは無いか。面白い。ベルリージュ様が女帝になる気が無いのであれば良い。婚約と滞在を認めよう」


 どうやら、私が女帝を目指しているかどうかが辺境伯の、最大の懸念材料だったようだ。それはそうかもね。北の大国と向き合うバイヤメン辺境伯としては後背の憂いはなるべく取り除きたい。そもそもエリマーレ様との婚姻の話も、帝国からの援助を盤石にしたいという辺境伯の意向によるものだ。


 私が転がり込んだことは帝室とのトラブルを抱え込んだことになるが、私を保護してかつ、皇帝位から遠ざける事は、父である皇帝陛下とエリマーレ様に恩を売れる機会でもある。使いようによっては辺境伯の利益にると思ったのだろう。


 私としては生き残れるなら何でも良い。辺境伯の庇護を受けられて、エリマーレ様からの追求を逃れられるなら、次期辺境伯夫人に納まって、野蛮人の子でも何でも何人でも産みますよ。


 アスタームは少し不満そうではあったけど、父から婚約への同意を貰った事で結構ホッとした様子にも見えた。まぁ、私が女帝になるとかならないとか言う話は、私との婚約が認められてしまいさえすれば、後からどうにでもなるとでも思っているのかも知れない。


 その時、カーロッソが発言した。彼は少しきつい目つきで私を睨みつつ言った。


「しかし父上、この女が本当に皇女だという証拠があるのですか?」


「口を慎めカーロッソ。ベルリュージュは間違い無く帝国の第二皇女殿下にあらせられる。そして私の婚約者でもある」


 アスタームに睨まれてカーロッソは明らかに怯んだが、それでも彼は兄に向かって異を唱えた。度胸はそれなりにあるようね。


「しかし、皇女を語る偽物であった場合、恥を掻くのは兄上ですぞ? 皇女を娶ったと吹聴した後に詐欺師だと判明したら」


 確かに、私が皇女である証拠は何も無いのよね。帝室の紋が入った何かだとか、帝室ならではの身体的特徴が有るわけでも無い。勿論、皇帝陛下や母が見れば間違い無く私が私であると証明してくれると思うけど。


 エリマーレ様なら私を偽皇女だと糾弾して、バイヤメン辺境伯家は騙されたのだと吹聴して私と辺境伯家の名誉を貶める、という手段を使う可能性はある。その噂を信じて私が辺境伯領を追い出されたら、間違い無く私はエリマーレ様に殺されるだろう。


「そうですわ。お兄様の名誉のためにも、このような女は受け入れるのはおやめ下さいませ。あるいは、一時幽閉して帝都に事実確認を取っては如何ですか?」


 エリアンヌも兄の意見に乗って言い募った。事実確認も何も、アスタームはエリマーレ様が私を詰ったシーンも見ているし、私が偽皇女ならエリマーレ様が辺境伯の屋敷を燃やすまでする筈が無いと分かっているんだけどね。


 つまりアスタームの弟妹は、私の嫁入りに反対のようだ。どうして反対なのか、理由はそれぞれ違うようだけどね。


 そして、言ってしまえばこの二人はやや視野が狭く、度量が小さいようだ。目先の利益と自分の欲望に負けて大局を見失っている。私が本物かどうかなんて小さな事に拘っているのが何よりの証拠だ。異論を唱えるのならもう少し辺境伯領の将来を考えた視点から意見を構築すべきよね。


 この二人は将来の義弟、義妹だ。言われ放題に言われて放っておいては将来の関係の差し障りがあるかも知れない。ちょっとここでマウントを取っておくのも悪くないだろう。私は口を開いた。


「カーロッソ、私が本物かどうかがそれほど重要な事なのですか?」


 いきなり呼び捨てにされてカーロッソが不機嫌そうに私を睨むが、私は皇女なので辺境伯の次男で爵位も持たない彼に敬称を付けたら逆におかしい。


「当たり前では無いか」


「全然重要ではありませんよ。よく考えなさい」


 私が言い放つとカーロッソは目を丸くし、辺境伯が面白そうに笑った。


「其方には重要な事が見えていません。この場合、もっとも重要な事は、皇女である私が辺境伯に嫁ぐという事では無く、帝都をエリマーレ様に追われた私が辺境伯に匿われた、という部分です」


「ど、どういうことだ」


 やはりカーロッソには分かっていなかったようだ。


「私を捕らえ殺すためにエリマーレ様は私に刺客ばかりか軍勢まで差し向けました。辺境伯のお屋敷を燃やしてまでです。これはもう隠しようがありません。帝都では大きな噂になっているでしょう」


 追われた私が皇女であった事まで広まっているとは限らないが、エリマーレ様が暴走して私兵を繰り出し、屋敷に火を放って私とアスターム様を殺そうとしたことは、貴族達の間では周知の事実になっている筈だ。夜会での一件もあるしね。


「エリマーレ様がそうまでした私を辺境伯領が匿い、次期辺境伯の婚約者とした。この事自体が問題なのであって、私が皇女か、本物かなど些細なことです。そんな事に拘っている場合では無いのですよ」


 私が偽皇女だろうがなんだろうが、エリマーレ様が執拗に命を狙っている存在である事は帝国貴族に知れ渡った事だろう。私が第二皇女であることはあまり知られてはいないけど、幼少時には儀式に出たこともあるのだから知っている者が皆無という訳ではないのだ。


 エリマーレ様が命を狙えば狙うほど、私が第二皇女であるという信憑性が高まることだろう。むしろ私が野心無しとばかりにアスタームと結婚して、辺境伯領に引き籠もっているのに、更に執拗に命を狙った場合、私が第二皇女である事の信憑性は更に高まることになる。


 エリマーレ様が「あれは偽皇女です」と言って私を放置してくれれば、私はむしろ助かるんだけどね。……無理ね。エリマーレ様はそんなに甘くないもの。


「重要なのは、そんな危険な存在である私を、辺境伯がアスタームの婚約者として認めて下さった、その覚悟ではありませんか。其方はその辺境伯の決断、ご覚悟に異を唱えているのですよ? その覚悟があっての意見なのですか?」


 カーロッソは愕然としたように自分の父を見た。そして慌てて立ち上がり胸に手を当てて頭を深く下げた。


「も、申し訳ございません。けして父上に異を唱えた訳ではございませぬ!」


 怖いお父様のようね。私もフレンドリーな態度に慣れて油断しないように気を付けよう。私も立ち上がって、辺境伯の席の横まで進み出る。アスタームも出て来て、私の横に立った。


 アスタームは胸に手を当てて、私はスカートの裾を持って、二人同時に頭を下げる。


「辺境伯。私達の婚約をお認め下さってありがとうございます。必ずやバイヤメン辺境伯家にとって、最善の未来を得られるように努力致しますわ」


 辺境伯と夫人なら、私が言外に込めた意味にまで気が付いて下さった事でしょう。辺境伯と夫人はゆっくりと立ち上がり、二人して私の手を握って下さった。力強く、そして冷たい手だった。二人の表情は柔らかいが、目つきは鋭い。私とアスタームの婚約の承認に対して、お二人側にも数々の思惑があるのは間違いなさそうだ。


「こちらこそ、我がバイヤメン家を頼みますぞ。ベルリュージュ様」


「アスタームをよろしくね、ベルリュージュ様」


 打算と思惑と裏しか無いような婚約だけど、私とアスタームの婚約は辺境伯夫妻の承認も得て、ほとんどこれで成立した。これで私は次期辺境伯の婚約者として、辺境伯領で半ば公的な地位を得て堂々と振る舞えるようになるだろう。


 正式な婚約には、後は帝都の母と皇帝陛下の承認と、神殿での儀式が必要だ。書簡で事情と意図を説明すれば、母も皇帝陛下も承認を断るまい。それからエリマーレ様に「自分は皇帝になる気は無く、一生辺境伯領から出る気も無い」と伝えれば、エリマーレ様の気持ちも少しは静まるだろう。


 私はそんな甘いことを、この期に及んでまだ考えていたのだった。


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