第三話-2 バイヤメン辺境伯領にて

 バイヤメン辺境伯領の領都はかなりの高原にある。馬車は傾斜地を緩やかに蛇行しながら続く峠道をゆっくり登って行った。


 窓から見える景色は概ね森だったけど、時折牧場と思われる草原が見えたり、むき出しの岩の崖が見える事もあった。私は帝都育ちで帝都以外の景色は母から聞いた話以外では知らないから、全てが新鮮で興味深かったわね。


 最初の峠が一番険しく、少し降りてまた低い峠を登るのを二回繰り返した。そしてようやくバイヤメン辺境伯領の都に辿り着いたのだった。


 ……峠の上から見た領都は意外に、立派で大きな街だと思えた。意外に思えたのは私に野蛮人の都という先入観があったからだろう。誰かさんのおかげで。


 石造りの高い城壁を巡らせた街は。大きな湖に面しており、湖には港が設けられ船が頻繁に出入りしていた。やや雑然と立ち並んでいる概ね石造りで、屋根は茶色の瓦で統一されている。


 街は山と山に挟まれた巨大なU字の谷間に築かれており、湖がある方とは反対側の山の中腹に太陽を反射して黒く輝く大きなお城があった。あれが辺境伯の居城だろう。


 後で知ったけど人口は七万人くらいで、これは帝国の都市としては中規模からやや大規模な都市だと言える。考えてみれば帝国に臣従する前は王国の王都だったのだし、現在でも北との交通の要衝なのだから栄えていて当然なのだ。


 私が感心して見ていると、アスタームが誇らしげに言った。


「どうだ。見事なものだろう。例え帝国軍が十万の軍勢で押し寄せても、我が都は撃退して見せようぞ」


 これは豪語ではなく事実だろうね。かつては帝国軍はこの街に何度か攻め寄せた事があったようだから。


 難攻不落の城塞都市クッカバール。まぁ、ここなら帝都からは遥かに遠いし、見た通り守りも固そうだ。中に保護されればしばらくは安心して眠れそうね。


 ……問題は私をバイヤメン辺境伯とその一族が歓迎してくれるのか? という事よね。私は機嫌が非常に良さそうなアスタームを見る。この人が私を連れ帰る事を、事前に辺境伯や一族の者と打ち合わせていたとはとても思えないのだ。


 どう考えてもアスタームの独断だろう。そんな事を父とはいえ辺境伯が許すのかどうか。それに、私を選んだおかげで帝都屋敷は燃えてしまい、エリマーレ様と致命的な溝が出来てしまった。事によったら辺境伯は帝国に反逆したとして罪に問われ、帝国挙げての討伐の対象になってしまうかもしれない。


 辺境伯が、私を保護することに帝国と敵対するほどのメリットを認めなければ、私はこの街から放り出される事になるだろう。そうなれば私は終わりだ。私は自分が放り出されても仕方が無いくらいの厄介者であるとは思っていたが、放り出されて野垂れ死たくも無かった。


 なんとか辺境伯を味方にしなければならない。私がそう思って緊張していると、アスタームが向かいの席から私の手を握った。


「落ち着け。大丈夫だ。父はきっと君の事を気に入るだろう。父は強い者が好きだからな」


 そういう問題なのかしらね。私はちょっと疑問に思いながらも、この野蛮な男にも女性に気を遣う心遣いはあるのね、と思った。


 馬車は領都の門を潜り、街の中に入った。街の建物は概ね三階建てから四階建て。石と木で作られていて、街路は石畳で舗装されている。帝都の建物は色鮮やかに塗られていたり、美しく装飾が施されていることも多いが、ここの建物は木と石の色がそのままだ。素朴な雰囲気がある。


 人通りは結構多かった。人々の格好は多様で、帝国風の服装の者もいるが、全体的には上着の裾が短く、長ズボンの者が多い。女性も帝都に多いひらひらした格好をした者は少なく、厚手のしっかりした服を着ている者が多い印象だ。服の文様や色合いも帝都ではあまり見掛けないものばかりだった。


 やはり北方との交易が多いために、そちらの風俗を有する者も多いのだろう。北の蛮族は森の中で主に狩猟をして暮らしていると聞いた事がある。その向こうには大草原が広がっていて、更にその先には帝国に匹敵するという大王国があるのだとか。大王国は十年に一度くらいに大軍を興して帝国に向けて攻め寄せてくる。その時に強力な防壁になるのがこのバイヤメン辺境伯領なのだ。


 馬車は進んで街を抜け、街の背後にある巨大な岩山を登り始める。岩山の天辺には夏も近いというのに真っ白な雪が被っていた。その岩山の、街全体が見渡せるくらいの高さに辺境伯の居城があった。二十年くらい前まで王城だった城である。流石に立派だった。ただ、帝都の帝宮のような装飾性は無く、全体が岩で組まれていて非常に無骨。そして見るからに戦闘向きの城だった。城と言うより要塞ね。これは。


 城に登る道は途中で何回かトンネルを潜り、谷間を抜けた。恐らくそこで敵を迎撃する事が考えられているのだろう。いざとなればトンネルを落としたり谷の上で待ち伏せることが出来る。


 城門も虎口を広く取って敵を上から攻撃出来るように塔が何棟も建てられていた。非常に実戦向きの城である。これは、あれね。私はアスタームがとりわけ好戦的で凶暴なんだと思っていたんだけど、あの戦闘狂ぶりはもしかして一族全員が代々持つ資質なんじゃ無いかしらと思えるわね。


 馬車は無事、城内に入り、少し奥まったところで停車した。高い城壁に囲まれているせいでまだ夕方なのにほとんど真っ暗。松明が灯されていたのでその灯りを頼りに馬車を降りる。帝宮の華やかなエントランスとは大違いの「玄関」から城内に入った。内部も石壁がむき出しで、床は板だ。歩くとギシギシと音がする。


 入り口でアスタームと分かれて私はサーシャに案内された。廊下は細く、曲がりくねっていて交差も多い。おそらく内部に侵入した敵を迷わせるためだろう。まぁ、私は方向感覚も記憶力も良いから、一人にされてもちゃんと玄関まで戻れるけどね。


 案内されて入った部屋は城のどこかの塔の四階だった。塔をらせん状に上っていった先に一つだけある部屋で、まぁ、これはどう見ても幽閉用のお部屋よね。階段を封鎖されたら逃げられないようになっているのだ。


 中はベッドとテーブルがあるだけの殺風景さだったが、広さは奥行きも幅も五から六歩くらいあるし、天井も高いから結構広く感じる。侍女をしている時に与えられた侍女寮の部屋と同じくらいの広さだから特に不満は無い。


 ただ、窓には装飾的ではあるが鉄格子が嵌まっているし、扉は厚くて外からも中からも鍵が掛けられるようになっている。まぁ、ちょっと豪華な牢屋よね。ここ。


 私は次期辺境伯の婚約者なのに! と文句を言っても良いのだろうが、そういう気にもなれない。私の身分や状況の厄介さを考えればこの扱いも当然だろう。アスタームとしては、この段階で私に脱走されると事態がより混迷を深めて大変な事になってしまうという懸念もあるのだろう。いや、逃げませんよ。逃げても行くところがないもの。


 同時に、この部屋は護り易い部屋であるとも言える。少ない手勢でも階段を封鎖すれば、大勢の敵の攻撃を受けても長い時間持ち堪えられるだろう。そういう事を考えて、アスタームは私をこの部屋に入れたんだろうと思う。


 私はサーシャに促されてドレスに着替えた。これから辺境伯との面会があるようだ。ドレスは、帝国の象徴色の赤。派手過ぎないように薄い赤とし、水色のストールを羽織る。私は髪も赤いので、あまり赤いドレスは好きじゃ無いんだけど、今回は私が皇女という事を強調しなければならないので仕方が無い。


 ちなみに、この部屋は帝都からこちらに向かう際に、先行したアスタームの使いが城の侍女に命じて整えさせたのだそうだ。ドレスや装飾品が揃っているのもそのせいだろう。アスタームはそういう所は気が利くし、マメなのだ。


 サーシャに案内されて広間へと向かう。相変わらずグニャグニャと曲がりくねった通路である。そして大きな木製の扉をサーシャが押し開けてくれて、私は城の広間に入った。


 広間は流石に帝都風に漆喰か壁紙で白く内装されていた。壁画が描かれ、恐らく歴代のバイヤメン家の当主や夫人の姿と、領都のある谷や湖の風景が描かれている。シャンデリアも、帝宮にあるものよりは劣るがかなり立派な物がいくつも吊り下がっていた。大きな長テーブルがあり、白いテーブルクロスが掛けられ、見たことの無い花が飾られ、既に白い皿やグラスがいくつも並ぶ様は帝宮の晩餐会に見劣りしない美しさだった。


 テーブルの周りには五名の人間がいた。


 一人は帝都で見たのと同じように身形を貴族風に整えたアスターム。この人、こういう格好しているとあんな野蛮人には見えないのよね。


 一番奥。バイヤメン辺境伯の紋章を大きく描いた旗が飾られた壁面を背景に立っているのが恐らく辺境伯その人だろう。


 黒髪と赤い目がアスタームにそっくりだ。黒髪は長く、少し白いものが混じっているように見える。立派な口ひげあごひげをしており、目つきは鋭く、表情は謹厳。体格もアスタームと同じくらい良い。金糸を多用したベージュ色のローブを着ていて、その風格は流石に二十年前まで一国の国王だったという誇りと貫禄を感じさせた。


 その隣には中年の女性。これがご夫人だろう。少しふくよかな、灰色の髪の女性。優しそうなお顔でニコニコと笑っているが、アスタームのお母様なのだろうから油断は大敵よね。


 そして残り二人はアスタームと同じか、それより少し下の男女だった。


 一人は黒髪で、目はオレンジ色の男性。アスタームと似た顔立ちだが、少し鋭いというか尖った雰囲気が強い気がする。ややアスタームより細身。


 もう一人は焦げ茶色のウェーブした髪を背中に広げた女性で、瞳の色は紫色。背丈は私よりも多分拳一つくらい高い。中々の美人だと思う。銀糸で大きな刺繍が施された黄色のドレスもよく似合っている。


 道中でアスタームから名前は聞いていた。男性はアスタームの一つ下の弟カーロッソ。女性は更に一つ下の妹エリアンヌだ。二人は私の事をあからさまに睨んでいた。どうも帝都の貴族なら当然身に付けているべき表情を読ませないための微笑を、この一族の者は知らないとみえる。そういえばアスタームも表情が分かりやすいものね。


 私は母から身に付けさせられたから知っているわよ。だから私はここぞとばかりに華やかに笑った。背景に花よ飛び散れ。ぶりっこ全開。何しろこの方々は将来の舅、姑、小舅小姑だ。媚びを売って損は無いし、私の本性を悟らせない方が後々上手く行くだろうからね。


 私の笑顔を見てカーロッソとエリアンヌは胡散臭そうに表情を歪め、アスタームは苦笑していたが、辺境伯と夫人は流石、全然表情を変えなかった。


 私はスカートを広げて脚を交差し、膝を沈めた。


「初めまして皆様。私は帝国の第二皇女、ベルリュージュです。よろしく」


 私は皇女なのでこの場の皆様よりも帝国における身分は上である。なので本来は挨拶をするのではなく、受ける側だ。だけど、私は今回、辺境伯家の保護を受ける立場である。だからちょっと譲って私の方から挨拶をしたのだった。


 ただし、へりくだり過ぎず、跪かず、少し上から目線でのご挨拶だ。


 帝都を追われて逃げ込んだくせにどんだけ態度がデカいのか、という話だが、交渉事でいきなり下出に行くのは悪手である。今回の場合は特に、如何に私の価値を辺境伯に認めさせられるかどうかが勝負の分かれ目になるわけだからね。


 私の挨拶を受けてカーロッソとエリアンヌは一層顔を歪めた。どうもこの二人は私に初めから良い印象を持っていないようだ。まぁ、小舅小姑はおよそどうでも良いのよ。問題は舅になる辺境伯だ。彼が辺境伯領での全権限を持っているのだから。


 彼に気に入られなかったら終わる。私は笑顔で緊張を隠しながら、辺境伯の目を真っ直ぐに見据えた。視線が合い、目詰め合う事しばし。


 すると、辺境伯は出し抜けに表情を緩めた。謹厳な表情がフッと笑顔になる。ちょっと驚いてしまうような変化だった。私でも動揺を押し隠すのに苦労したわよ。


 辺境伯は一度夫人と顔を見合わせると、より一層笑顔になり、私に向けて楽しげな声で言った。


「ようこそ。我が領地へ歓迎しよう花嫁よ」


「ようこそ。ベルリュージュ様」


 夫人も笑顔で仰った。


 難敵であると思っていた辺境伯夫妻の手放しの歓迎の言葉に、私は思わず硬直して目を瞬かせたのだった。

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