第30話

「お母さん、無事終わったよー。うん、私、幸せになるね」


 深雪は役所を出てすぐに、母親に電話をかけていた。


 実に嬉しそうな笑顔で。

 俺も、照れくさくなるほどに彼女は喜んでいた。


 が、しかし俺はそんなことでは絆されない。

 いくらこいつが戸籍上の嫁だとしても……いや、嫁、なんだよな?


「どうしたの? 今日はね、駅前のスターダムホテルのスイートを予約してるの。楽しみだよね」

「ホテル……」

「あれ、もしかしてドキドキしてきた? 私も、だよ? 早く夜になるといいね」

「……ごくっ」


 言わずもがな、一条……ではなく薬師寺深雪早く超絶美人である。


 役所に入った時だって、多くの男性が彼女わ二度見していた。

 華があり、好みもなにも関係ないくらい圧倒的に美人。


 そんな女の子が俺の嫁。

 嫁ということはつまり、あんなことやこんなことをしてもいいということ。


 いや、なんなら夫婦だからそういうことをするべきですらある。

 そう考えると、一気にムラムラした気持ちが込み上げてくる。


「……いかん、踏ん張れ俺」

「どうしたの蓮也君?」

「え、いやなんでもない、けど」

「もしかして呼び方が嫌なの?」

「呼び方?」

「ふふっ、今から楽しみだね。あなた」

「……」


 俺は目を逸らした。

 不覚にも、ドキドキしてしまった。

 キュン死にしそうだった。


 ダメだ、夫婦になったと思うとさっきまで平気だったことが全部意識してしまう。


 これはまずい。

 とにかく、今の状況だけはなんとかしないと。


「……あの、深雪さん」

「さんはいらないよ?」

「深雪……ええと、結婚したならやっぱり結婚式ってするの?」

「うん、するよ? 一週間後に予定してるけど」

「ど、どこで?」

「ふふっ、実はハワイの予定だったんだけどいいところがなくて、国内。明日にでも、下見に行かないかな?」

「……場所は?」

「実はね、離島にある別荘でしようかなって。ほら、蓮也君は友達呼ばないでしょ? だから身内だけで」

「身内……」


 友達を呼ばない、というのはまあ呼ばせてもらえないという意味でいいのだろうけど。

 身内という言葉にひっかかった。

 そして冷静な気持ちが戻ってきた。


 俺には身内はいない。

 それがどうしてかについては今更語るまでもない。


 俺の目の前にいるこいつの両親が、全て奪っていったのだ。


 だから俺はこうしてこの女に近づいて、捨ててやって傷つけてやりたくて……。


「……深雪、結婚式が楽しみだな」

「え、ほんと? 蓮也君も楽しみにしてくれてるの?」

「ああ、もちろんだ。当日が楽しみだ」


 俺の腹は決まった。


 一週間後の結婚式。

 その日に、盛大に祝われて。

 深雪の友人や親族ばかりがいるその会場で。


 こっぴどく捨ててやる。


 もう、死んだっていい。


 その場で撃ち殺されても本望。


 俺は、俺の目的を完遂する。


「じゃあ深雪、そろそろ今日は帰ろうか」

「え? 今からホテルだよ?」

「……」


 ただ、無事に一週間後が迎えられたら、の話。


 それまでどう耐え凌ぐのか。


 今の俺は本当にノープランである。


 

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