第28話

「はっはっは。君は男の子の方がいいか。うん、まあそうだな。それに、初孫はどちらでも可愛いはずだ」

「……」


 一条父の書斎なう。

 そして、今はご機嫌な一条父に出されたお茶を飲みながら気まずそうに俯いている。


 綺麗な、ベロアの絨毯が敷かれた床を見つめている。

 何だろう、どうしてこうなったんだろうとさっきまでのやりとりを振り返る。


 一条父が突然俺に、子供の名前がどうのこうのって、意味のわからない話をしてきた。


 何の話ですかと聞き直したら、今度は「責任を取る覚悟を持って一人で相手の父親に会いに来るなんて今どきの若者にはいない素晴らしさだ」と絶賛されて。


 だからなんの話をしているんだと困っている俺に対して一条父はなぜか笑いながら「君は男と女だとどっちがいい?」と。


 その質問もよくわからなかったけど、とりあえず「男、ですかね」と答えたら「気が合うねえ」と握手されて。


 今に至る。


 なんか、仲良くなってしまっている。


 なぜだ?


「さて、そろそろ昼食の時間だが、深雪とこの後手続きなどがあるのだろう?」

「え、いや、手続き、ですか?」

「ははっ、いくら婚約していてもちゃんと役所に婚姻届は出さないとな。二人で出しにいくのだろう?」

「そ、それは……あの、お父さんその件ですが」

「おお、わたしのことをお父さんと呼んでくれるのか! ははっ、嬉しい限りだ」

「しまった……」


 うっかりお父さん呼び。

 で、またしても機嫌をよくさせてしまった。


「さて、それでは深雪のところに戻りなさい。役所までの車は手配しておくから」

「い、いえ、それは……あの、俺は」

「それとも君はここより地下に行くことがお望みかな?」

「……失礼しました」


 俺はその場から逃げるように、部屋を出た。


 ニコニコしていながらも、少しでも一条にとって不都合なことを仄めかすと態度を急変させたところは夫婦ともよく似ていた。


 そして、計画は失敗。

 というより、あれ以上あの場で足掻いても俺が蟻地獄にハマった獲物のようにどんどん深みに落ちていくだけだと感じた。


 何事も自分の都合のいいように解釈し、相手の意見なんて聞いているようで一切聞いていない。

 それが一条家の人間。


 その典型ともいえるのがあの父親だ。


 それに、一瞬怖い顔をした時に何かスイッチのようなものを持っていた。


 あれがなにか、もう確認する術はないが確認しない方がいいだろう。


 さて、この後どうするべきか。


 地上に戻ってはきたが、実はこの地上こそが俺にとっての地獄なのではないか。


 なんて考える間に玄関先へ。

 そして、黒塗りの車の前で大きな麦わら帽子を被った白のワンピース姿の一条が、日差しに目を細めながら顔を上げた。


「今から、いっぱい幸せになろうね蓮也君」


 

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