第19話
「あれ……」
のんびり風呂に入って、気を落ち着かせて風呂から出ると。
着替えがない。
「……やられた」
メンヘラは基本的に世話焼きで献身的で一途。
だから俺の脱いだ服を汚いなんて思わず洗濯することなんて平気でやってしまうだろうことを俺は想定していたはずなのにうっかりしていた。
油断した。
うまく事が運びすぎてホッとしていた。
「でもまあ、それも想定内だ」
一応、何かの時のために予備の着替えを脱衣場のそばにある洗面台の下に何着か忍ばせてある。
何かの時というのはもちろんメンヘラ対策とかじゃなくて、雨で濡れて帰った時なんかに、びしょ濡れのまま部屋に着替えを取りに行かなくていいようにとか、そんな理由だったが。
思わぬ形で役に立った。
全く、やってくれたな。
「まあ、今は束の間の幸せを味わっていればいい。せいぜい俺の嫁気取りでいろって話だ」
自分の家にいると妙に強気になれる。
やはり自分のテリトリーだからという安心感は強い。
守ってよかった。
この家は俺の最終防衛ラインでもある。
ここを俺と一条の思い出の場所ってことにさせれば、ここを取り上げられる心配もなくなる。
うまくやらないとな。
「お風呂出たよ」
着替えて部屋に戻ると、一条は俺の服をクローゼットから出してアイロンをかけていた。
「あ、早かったね。お風呂、今度は私もいい?」
「え、もちろんいいけど。俺が入った後で大丈夫?」
「もう、夫婦になるんだからそんなの気にしないよ? それに、いずれは一緒に入ることになるんだから」
嬉しそうにする一条を見ても、俺は何も胸が痛まない。
むしろこうやって俺にのめり込んでくれている事実は俺が望んだ結果だ。
もっと好きになれ。
そして振られて絶望すればいい。
「じゃあ、テレビでも見ながら待ってるから」
「うん。じゃあ、はい携帯ちょうだい」
「え? いや、なんで?」
「だって私がお風呂に入ってる間に他の人と連絡してたらいけないから。ねっ、早くかして」
「……俺のこと、もうちょっと信用してくれないかな」
別に携帯に執着するつもりはないが、取り上げられることは都合も悪いし気分も良くない。
それに、いつまでもこいつの言いなりというのはいずれ身の破滅を招くだけだからと、敢えて強気に出た。
もちろん困った顔をして。
俺をもっと信じてほしいって顔で。
「そう、だね。でも私、薬師寺君が好きすぎて不安なの。ほら、薬師寺君ってモテるでしょ? 女の子の知り合いも多いし、怖いの」
「不安にさせてるなら俺も悪いなって思うけど。でも、俺は浮気なんてしないよ」
「わかってるよ。でも、携帯預けてくれるだけで安心なの。ねっ、ダメ?」
「いや、だから俺は」
「なんで嫌なの?」
「え、いや……ま、待って待って頼むからアイロンをこっち向けないで!」
熱々のアイロンが迫ってきて、交渉決裂。
俺は迷わず携帯を差し出した。
「ふふっ、わかってくれたらいいの。じゃあ、お風呂入ってくるね」
「……いってらっしゃい」
結局脅されて向こうの思うままになるところは家にいても変わらない。
一条はさっさと風呂場へ向かっていったので、俺は部屋の扉を閉めた。
覗く趣味もないし、ゆっくり浸かっておけ。
「しかし、携帯がないのは暇だな。たまにはテレビでも見るか」
いつもは自己啓発の動画なんかを見るくらいでバラエティなどはほとんど目にすることもない。
でも、たまにはいいかなと。
テレビの電源をつけるとちょうどお笑い番組がやっていた。
くだらない漫談だ。
一条はこんなの見たりするんだろうか。
きっと見ないだろうな。
逆に、普段あいつは何をして過ごしているんだろう。
出てきたら聞いてみるか。
どうせ何か会話をする必要があるし。
興味あるフリ、だな。
「情報収集だ」
♡
「情報収集、かあ。私のこともっと知りたいなんて嬉しい」
腕輪が拾う彼の声を私のスマホで聞く。
GPSだけじゃないんだよー。
あなたの声も、心拍数も、全部わかるの。
ふふっ、私のこともっと知りたいなら教えてあげる。
お風呂から出たらいーっぱいお話しようね、薬師寺君。
「そうそう、もうあなたのスマホは用済みだから」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます