第18話

「薬師寺君、まだー?」

「ま、待ってよもうすぐだから」


 数時間ぶりに帰宅した俺は、今必死に時間稼ぎをしている。


 玄関先で待つ一条がずっと催促してくるのだが、俺は荷物を探すふりをしてあがいている。

 さっき一条が言っていた。


 もうこのマンションは必要ないと。

 それはつまり、ここを強制的に退去させるということだろう。


 場合によっては買い取って潰すかもしれない。

 わずか数ヶ月だが、やっと馴染んできた住居だ。

 手放したくない。


 ていうか、一条の家に行きたくない。


「薬師寺君、早くしてー」

「わ、わかったよ。ええと、とりあえず今日のところはこれでいいかな」


 まだ荷物は残ってるよアピールなんかしてみた。

 でも、


「今日しか時間ないよ?」


 一条はその気だ。

 もう二度とここには帰れないと、そう言っている。


 マンションの下には彼女のSPが控えている。

 GPSもつけられたまま。

 逃げるのは無理。

 なんとかここを死守しなければ……うん、背に腹はかえられない。


「一条さん。しばらく時間かかるし、今日は、ええと、こっちに泊まらない?」


 なんとしてもこの家を死守、そして一条家に帰らされることを阻止しなければならない。


 帰る場所を失えば俺は逃げる術を失うし、そもそも一条家に連れていかれたら監禁される匂いしかしない。


 二人っきりで過ごすリスクだってもちろん高いけど、まだなんとかなる自信はある。


 今はとにかくここにいられるよう、必死に抵抗してみた。


 すると、


「薬師寺君、それって私と大学生っぽくマンションで同棲してみたいってこと?」


 なんかメンヘラ特有のプラス思考が顔をのぞかせた。


「そ、そうだよ。結婚して大人になったらずっと一緒なわけだしさ、せっかくの大学生活だから今しかできない思い出を、その、ふ、二人で、つ、つつ、作りたいというか」

「……うん、素敵。子供ができたら確かに今みたいに自由にできないもんね。わかった、お母さんには連絡しておくね」


 一条は嬉しそうだった。

 すぐに母親に電話して、外で待つ黒服を帰らせて、そして部屋に入ってきて。


「ただいまー。えへへっ、ただいまだって、なんか変な気分だね」


 メンヘラ全開だった。

 でも、とりあえずこのマンションを潰されて一条家に放り込まれるという最悪な未来は回避できた。

 

 さすが俺。

 こういう時に頭が回るのはさすがだと自分で自分を褒めてやりたい。


 うん、それはそうと。


「ねえ、一条君。お風呂、どうする? 一緒に入る? 入りたい? 入りたいよね?」


 ここからが本番である。

 今から一晩、このメンヘラの夜襲を回避し続けて無事朝を迎えなければ明日はない。


「一条さん。初デートまではそういうのはまだ……ごめん、恥ずかしくてさ」

「あ、うん。やだっ、私ったらはしたないよね。幻滅した?」

「う、ううんごめん俺の方こそ。でも、一条さんとこれからずっと一緒なんだし、あ、焦らなくてもいいかなって。それに、大事にしたいから」

「薬師寺君……うん、嬉しい。じゃあ、先にお風呂入ってくれる? 私、ご飯の用意しておくから」

「うん、わかった。今からお風呂沸かすね」


 開き直って一条へ好意があるという感じを隠さずむしろアピールするくらいの気持ちで話してみると、なんともチョロかった。


 一条はやはりメンヘラだ。

 だから、俺が一条に一途だとわかれば基本的には従順になると踏んだが正解のよう。


 さて、こうなればこっちのペースだ。

 箱入り娘の一条を、割れ物を扱うが如く大切にするふりをしながらうまくかわしていって。


 チャンスを伺う。

 が、まずは風呂でゆっくりさせてもらうか。

 

「じゃあ、お風呂入ってくるね」

「うん、ゆっくりしてきて」


 一条がこっちにこないことを確認してから脱衣場で服を脱いで、風呂へ。


 先程取り付けられた腕輪が邪魔だが、ワンチャン濡れて壊れないかなとか期待して一気に浴槽に浸かる。


 やれやれ、疲れた。

 でも、一条の扱いもどことなく見えてきた。

 ここからは俺のターンだ。



「えへへっ、優しいフリだなんて意地悪な人だなあ。でも、いいよ。今は騙されてあげるね」


 薬師寺君の脱いだ服を回収。

 そのまま洗濯機に放り込むのではなく、ちゃんと彼の匂いを堪能してから洗いに出す。


 薬師寺君がまだ本気じゃないこと、私にはわかる。

 優しいフリして、大事にしてるフリして一線を超えないようにしてる。


 でも、ダメー。

 初デートの時が最後だから。

 今は束の間の嘘の時間を楽しんであげる。

 まあ、薬師寺君が優しくしてくれるから別にいいし。

 それに。


「そんなに優しくされたら私、もーっと惚れちゃうよ?」

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る