第13話

「いらっしゃいませー」


 いつのまにかスーパーに到着した。

 その道中の記憶はあまりない。

 人間、死ぬほどの絶望感に包まれたら記憶なんて簡単に飛ぶものだと思い知った。


 俺は今まで、人間とは何を考えどう言えばどう反応し、思う通りに導くには何をすればいいかについて研究してきた。


 そしてそれを会得した、つもりだった。

 が、しかし。

 俺よりも遥かに達人がいた。


「薬師寺君、早く来ないとお仕置きだよー?」

「は、はい今すぐいきます!」


 恐怖政治というのはいつも合理的だ。

 相手を権力や武力で服従させて、従わせるだけなのだからとても簡単だ。


 もっとも、俺にはそんな武力も権力もないし、あったところで使おうなんて思わなかったから途方もない努力の末に人身掌握術を手に入れたわけだけど。


「薬師寺君」

「は、はい」

「また帰り道は二人っきりかな」

「ど、どうかな。買い物帰りの人が多いんじゃないかな」

「二人っきりだと都合悪いの?」

「い、いえ」

「ふふっ、だよね。早くお部屋帰りたいね」

「……」


 今は完全に掌握されている。

 ていうか握りつぶされそうだ。


 もちろんタイマンの喧嘩なら体格も俺の方がいいし負けることはないだろうが、一条はあらゆる武器を携えている。


 刃物、紐、薬。

 そんなぶっそうなものを携帯しているだけでなく、財閥の娘という権力まで。


 俺なんかこいつに逆らったら秒で消される。

 もちろん、権力者ということはわかっていたのでその辺は対策も考えていたのだが。

 

「ねっ、もしかして疲れた?」

「え? まあ、案外スーパーまで距離あったし」

「だよね。私も疲れたかも。ねっ、帰りはお迎え来てもらってもいい?」

「迎え? いや、まあいいけ……いや」


 いやいや、待て待て。

 普通の相手なら迎えを呼ぼうが何しようが勝手にしろって話だが、こいつの場合は別だ。


 どうせ変な黒服を呼んで俺を拉致しようとか、そんな事態に発展しかねない。


「ダメなの? じゃあ、薬師寺君が私のこと抱っこしてくれる?」

「だ、だっこ? いや、だけどここはスーパーだし」

「見られて困るの? ねえ、それならお迎え呼んでいい?」

「……」


 なんという究極の二択だよ。

 公衆の面前で女を抱っこするかお迎えを許可するか。

 しかし、スーパーを見渡すと学内の連中もちらほら見かけるし。

 これ以上変な評判が出回るのも得策じゃない。

 仕方ない。


「迎え、呼ぶ? でも、誰が来るの?」

「んー、いつもなら運転手がいるんだけど今日は必要ないかなってことで有給取らせてるの。だからお母さんが来るかな」

「ああ、お母さんか……お母さん!?」

「うん。ちょうどお母さんも薬師寺君に挨拶したいって言ってたし。いいでしょ? いいよね? ダメな理由なんかないよね?」

「……いいよ」


 まさかの展開だ。

 こうもとんとん拍子に一条の母親のところにまでたどり着けるとは予想外も予想外。

 しかし、この展開を俺はプラスに変える。

 

 一条を掌握するのが無理なら母親から。

 そうだ、復讐したい張本人の一人だけど今は復讐とかどうとか考えてる場合じゃない。


 安全に、自然に、健全に、そして完全に一条と別れるために。


 母親に嫌われよう。

 そして親から俺たちの交際を反対してもらう。

 一条家は相当な家柄で、娘の交際相手に対してもかなり厳しい目を持っているとの情報を俺は独自に入手している。


 ダメでクズでろくでもない男を母親の前で演じてこの縁談はなかったことに。


 よし、それでいこう。


「お母さん来てくれるんなら安心だね。じゃあ、早く買い物済ませよっか」

「うん。今ラインしたから十分くらいで来てくれるって」


 ふっ、何も知らない小娘め。

 俺を舐めるな。


 俺は絶対に。


 お前と別れてやるからな!


 ……あれ、そもそも俺ってなんでこいつといるんだっけ?

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