第8話

 午後の予定は全部キャンセルした。

 まあ、元々予定なんてなかったので予定していたことにするつもりだった計画を全部白紙に戻したというのが正解か。


 なにせ隣でずっと「薬師寺君の予約を奪う連中はみーんな死ね死ね死ね」と、絶妙に俺にのみ届くボリュームで呟く一条がずっとそばから離れないから。

 あと、恐怖に引き攣った柳原の顔も。

 あいつは見た目に反していいやつだけど女に対しては見た目通りのオラオラ系な一面を持つ。

 そんな柳原があんな風に怯えるなんて、きっととんでもない脅しを受けたに違いない。

 命の危機を感じたレベルであいつは恐怖に顔を歪めていた。


 ……こいつのせいで周囲からの信用を失うのは御免だ。

 せっかく積み上げてきた信用をこれから存分に活かさねばならないのだから。


「薬師寺君、お昼だね」

「あ、ああ。食堂行く?」

「ううん、ちゃんとお弁当作ってきたから。ほら、薬師寺君が朝トイレに篭ってる間にね。何してたかは聞かないけどね」

「トイレですることは一つだと思うけど……」


 俺を疑の目で見る一条はそれでも表情は笑っている。

 目の奥は死んでいるが。

 彼女曰く、トイレにスマホを持ち込むのは浮気と同義、らしい。


 今日だって、大学に来てから一度もスマホを開いていない。

 普段なら友人たちからの連絡に素早く返信するのだが、何もできていない。

 ストレスだ。

 しかし我慢だ。

 きっと隙はある。


「それより、お弁当って? どこで食べるの?」

「食堂の前に人工芝の中庭があるでしょ? あそこでどうかな。天気もいいし」

「でも、みんな結構サッカーしてたりで落ち着かないかもだけど」

「私といるところを人に見られたら困る?」

「そ、そんなことはないよ……」

「じゃあ自慢したい?」

「し、したいよ」

「どれくらい好き?」

「ど、どれくらい?」

「うん、どれくらい?」

「……」


 メンヘラって生き物は時々よくわからない質問をすると聞いたことがあったがまさにこれがそうか。

 自分との仲を自慢したいかどうかについて聞くだけならまだしも、それがどれくらいかなんて、どういう答え方が正解なのか全くわからん。

 そもそも尺度がわからん。

 大きさで表現するべきなのか、重さで例えるべきなのか。

 ……でも、とにかくそういう気持ちが強いということはわかってもらわねば。


「宇宙一、なんて言っても表現できないほどだよ」

「じゃあ二番目は誰?」

「へ?」

「私が一番ってことは比較対象がいるんだよね? 私の次は? その次は? ランキングって入れ替わる可能性あるよね?」

「な、なんの話?」

「ナンバーワンじゃなくてオンリーワンがいいって話だけど、わかる?」

「……わかります」


 言いたいことはわかった。

 何言ってるかマジで意味不明だけど。


 でもまあ、こいつがメンヘラだと知って迂闊なことを口走った俺にも責任が……いや、あるのか?


 いやいや、今はそんなことで悩んでる場合じゃない。

 この場を鎮めないと。

 俺が沈められる。


「ごめん、ほかに比べる人なんていないよ。心配させて悪かった」

「うん。ならいいの。でも、次は絶対間違わないでね、さもないと」

「さもないと?」

「一緒に死ぬことになるから」

「ひっ」


 目が本気だった。


 俺は怖くてただただ従うしかなかった。

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