第6話
そもそものところ、どうして俺が一条深雪を口説き落とそうと思ったかについては語るまでもなく、親の仇の娘だからという理由だけである。
俺の両親は町工場を経営するしがない自営業者だった。
それでも地域に根付いた仕事をこなし、周囲の人との関係も良好で、幼少期は何不自由なく俺を育ててくれていた。
あの日までは。
一条グループがうちの会社のすぐ側に工場を立てて、無理矢理破格の値段で仕事を奪っていき、うちの会社はみるみるうちに業績が悪化してほどなく倒産。
父と母は借金を返済するために俺を親戚に預けて遠くの地へ出稼ぎに行ったきり、今日まで再会を果たしていない。
両親がいなくなったのは、俺が小学校を卒業する間近だった。
小学校の卒業式の時、俺は泣いた。
卒業が寂しくてなんかじゃなく。
どうして俺だけ、こんな目に遭わなければならないのかと、悔しくて。
そして誓った。
俺は一条家に復讐をすると。
あの日から俺は、復讐の鬼と化して必死に勉強をした。
騙されるのではなく、騙す側になってやると。
一条家のことについても必死に調べ、娘がいることを知った。
俺と同い年の女の子。
すぐにでもそいつのいる学校に転校して復讐劇を開始してやろうかと考えたりもしたが、彼女が通っていたのは女子のみが通う有名私立。
さらに中高一貫で、お嬢様学校らしく、他校の男子との接触にもとても厳しい校則が設けられていた。
だから俺は待った。
彼女が大学生になるのを。
そして待ち焦がれた、復讐に染まった大学生活が始まったはず、なのに。
「薬師寺君、あーん」
「……あーん」
「どうしたの? お味が不満?」
「お、美味しい美味しい! 美味しいからそのお箸を目に向けないで!」
なぜか俺は親の仇の娘と部屋でイチャコラしている。
させられている。
まあ、俺にのめり込ませるためにこういう甘い生活とやらも数日は演じるつもりではあったのだけど、今は完全に俺のプランを逸脱している。
「ねえ、ここから大学までって少し歩くよね? お迎えきてもらおうと思うんだけどダメかな?」
「迎え……いや、そんなに遠くないし歩いても問題ないかなって」
「私、あんまり体力なくって。さっきのお買い物で疲れちゃったの。だからお迎えきてもらうね」
「……任せるよ」
一条深雪。
プロファイリング上のこいつは誰の意見にも耳を傾け、皆公平に扱う聖母のような女性だったが実際は全く異なるものだった。
まずこいつは基本的に人の話を聞かない。
聞いても気に入らない場合は無視するか凶器で脅して捻じ曲げる。
あと、公平なんて概念はない。
なぜなら。
「薬師寺君、私以外の女の子はみんな死んだほうがマシって思ってるよね?」
「……そんな物騒なことは別に」
「じゃあ私以外の女の子とも仲良くしたいってことなんだ。ねえ、そうなんだね?」
「違う違う違う! 絶対違うしみんな死んだほうがいいって死ぬほど思ってるから頼むからフォークを降ろして!」
この世の女は全て死んだほうがいいとお考えだから。
俺を誘惑する害悪でしかないと。
こんな女が聖母なわけがない。
悪魔だ。
第一、聖母が人に凶器を向けてくるかって話だよ。
「そっかあ、みんな死んだほうがマシだよね。ふふっ、私たちが下校した後に大学に隕石落ちないかなあ」
「い、隕石が落ちたら俺たちも終わりじゃないかな?」
「終わり? 私と薬師寺君の関係が? なんで? 終わらせたいの? ねえ、もしかして私のことは遊びだったの?」
「あーもう絶対違う本気も本気で大真面目の真剣そのものだからライターの火を俺に近づけないで!」
そして俺はただの人間。
いくら復讐に燃える鬼と化していてもそれは心の問題であって、生身の人間であることに変わりはない。
痛いことや怖いことは普通に嫌。
だから今は一条の猟奇的な行動がいちいち怖い。
従うしかない。
無念だが、後先を考えない人間が一番恐ろしいことを俺はさまざまな人間観察をしてきた経験上、よく知っている。
あなたを殺して私も死ぬ、的なことを平気でできる人間もこの世の中には確かにいるのだ。
そしてまさしく一条はそんな存在だろう。
死にたくない。
まだ、死ねない。
「もう、そんなに熱烈に告白されたら私……なんだかお腹のあたりが熱くなってきちゃう。ねえ、週末まで私、待てないなあ」
「で、デートのこと? ええと、だけど初デートくらいはやっぱり時間を気にせずゆっくり楽しみたいし、休みの日の方がいいのかなって」
「たしかにそれもそうだね。ふふっ、私ったら気が焦っちゃってごめんね。週末が楽しみだね」
「は、はは……」
週末。
ただ、俺にとってはそれが終末なのかもしれない。
なんて、うまく言ってみようとしても何も状況が良くなることはない。
早く大学に行きたい。
早く、人目につく場所に行きたい……。
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